4 時には昔話するのも悪くない


 唐突に明らかになった三郎お兄ちゃんの壮絶な過去に、私は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。


「まあ、そんなわけでこれから僕達はこちらの世界で暮らしていこうと思う。たった三年とはいえ、全く別の世界で暮らしていて――――今のこの世界のことは愚か、かつてのこの世界のことですら若干うろ覚えだ。もしかしたら何か大きな間違いをしてしまうかも知れないから……四四乃。しばらくの間、四四乃に色々頼むかもしれないけど……」


「……うん、力になれることがあればなんでもやるよ」


 数分前までの三郎お兄ちゃんのイメージは、別の世界までやってきてイチャイチャするハーレム馬鹿野郎だった。

 しかし蓋を開けてみれば、ハーレムが生まれたのもこの世界にやってきたのも、全部自分じゃない誰かの為で―――――今改めてこの光景を見直すと、ただのバカップルではない重みを感じるようになって――――何も言えなくなるし、なんでもしてあげたくなる。

 なんだかんだと言って、私はこの三年間、あくまで平和に暮らしてきたんだから……。


「ありがとう……ごめんな。帰ってきたなり妹に頼るようなことを言う兄で」


「それは気にしなくていいよ。強いて言うなら、お兄ちゃんたちが帰ってきてくれたことが、私にとって一番の贈り物だったから。二人とも生きていてくれて、本当に良かった……」


 私がそう言うと、一樹お兄ちゃんは気まずそうに目を逸らした。


「いや……なんていうかその、死んだことは死んだんだけどな。死んだ上で、復元された状態で別の世界に転移したんで……」


「あ、そうだったの。まあ外から見てる分には言葉遊びくらいの意味しかなさそうだけど……」

「へえ、兄貴の場合はそうだったんだ」


 すると、三郎お兄ちゃんまで私と同じように驚いたような顔になった。


「兄貴の場合はって、お前は違うのかよ」


「僕は死ぬ直前に飛ばされる感じだった。だから、本当の意味で死んだ瞬間は一度もないと思う」


「なるほど。同じ異世界転移でも微妙に違うんだな」


 どうやら奥が深いらしい。私には関係の無い話だけど。


「しかしここまで皆生きていたとなると、双葉姉についても期待したくなるんだけどね」


「……」


 ふと、三郎お兄ちゃんが漏らす。

 気持ちはわかる。四兄妹のうち、既に三人が揃っているのだ。

 これであと一人、双葉お姉ちゃんさえ帰ってきてくれたら、三年前に私が味わった悲しみは全てあどけない嘘に変わる。

 昔、こんな大変なことがあったねと、四人で語れる笑い話にすることができる。

 でも、双葉お姉ちゃんが帰ってこない限り、その望みは叶わない。

 誰か一人でも、本当に死んでしまっている限り、三年前のことは笑えない悪夢以外の何者にもなりえないのだ。

 だから、ただ会いたいと思う、生きていて欲しいと願う以上に、双葉お姉ちゃんに帰ってきて欲しいと思う三郎お兄ちゃんの気持ちは、私にもよく、良く分かる。


 でも。


「……でも、きっと無理だよ」


 三郎お兄ちゃんと一樹お兄ちゃんについては、そもそも死体が発見されていないなど、前から不可解な点がいくつかあった。

 それに、不運な偶然や無過失の事故で死ぬなんてのは、いかにも異世界に行きそうな筋書きだ。

 でも、双葉お姉ちゃんの死には、そのどちらもなかった。


「だって、双葉お姉ちゃんの死体は、私がちゃんと見届けたもん。火葬場で双葉お姉ちゃんが燃やされて、骨になって、私がそれを骨壺に詰めた。今でもあのときのことははっきりと思い出せる。双葉お姉ちゃんに限って、偶然生きているなんてことはあり得ない。何よりも……」


 私は、後ろ髪を結んでいた髪紐を無意識に押さえつけた。

 それは、双葉お姉ちゃんが使っていたお下がりだ。ある時期から双葉お姉ちゃんは、いつもこの飾り気のない髪紐を使って、綺麗な長い黒髪をまとめていた。


「双葉お姉ちゃんは、病気で死んだんだから」


 病気が治って、歩けるようになったら、もっとお洒落な髪留めを使おうかしらなんて言って、結局その機会は訪れないままに――――


「死んだ原因は偶然でも不運でもなかった。だから双葉お姉ちゃんは……きっと帰って来られないよ」


「……」


 一樹お兄ちゃんも、三郎お兄ちゃんも、何も言わなかった。

 私は、実際に異世界転移を経験した二人なら、私の持論を否定してくれるかもしれないと思って言ったのだけど、二人とも何も言ってくれなかった。

 二人とも、気休めを言うのは嫌いな性格だから仕方ないけど……私は気休めでもいいから、きっと帰ってくると言って欲しかった。

 でも、言ってくれなかった。


「……ごめん、話題を振った僕が悪かった……双葉姉のことは一旦置いておこう。それで、これからのことなんだけど――――」


 柄にもなく謝りながら強引に話題を変えようとした。

 ちょうどその時、部屋にピピピと音が響いた。


「……あら、失礼しました。もう時間のようですね」


 何かと思ったら、Q-2さんが体内でセットしていたアラームらしい。


「それではサブロー。時間になりましたので、私はそろそろ行きますね」


「ああ……僕はもうちょっと残るよ。ここまで案内してくれてありがとうね」


「いえ、お力になれたならそれだけで私は十分です。では皆さん、さようなら」


 そして、Q-2さんは喫茶店の外へと消えていった。


「時間……? って言ってたけど、何の? もしかして充電とかの……」


「タイムサービスだ」


「タイムサービス……?」


 急に俗っぽくなった。


「スーパーのね。今僕達は他の四人も含めて近場のホテルに泊まってるんだけど、今のところ金策が思いつかないから極力節約を試みてるんだよね」


 なるほど。確かに(ロボットを含めるとはいえ)六人の大所帯となると、出費は気になるところだろう。

 この世界に戻ってきたばかり戸籍もないから身動きも取りにくいだろうし。

 だからって、タイムサービスの買い出しに使われる戦闘用アンドロイドというのもなかなか不憫ではあるが。

 でも本人が幸せなら気にすることじゃないか。


「元の世界から持ってきた、ちょっとした装飾品とかを金に換えて当座の資金は確保したけれど、それもあくまで有限だ。

 かといって、後に後ろめたいものを遺すのは嫌だから、強盗紛いのことはしたくない」


 事情が事情だし、ある程度は仕方ないとおも思ってしまうけど、そういうところはしっかりしているな。

 三郎お兄ちゃんは、筋が通らないことはやらない。ただし、その筋はお兄ちゃん独自のもので、一般的な常識とはずれている。


「だとしたら結構緊急なんじゃない?」


「だからこそ、早いこと対策を考えなきゃいけないんだがな。せめて住む場所でのお金のロスを防げれば……」


「あ、それなら良い方法があるんだけど――――「そうだ、兄貴もこれからこっちで暮らすつもりなんでしょ。兄貴の方はどう考えてるの」


「ああ、俺か……」


 私の提案は三郎お兄ちゃんによって遮られてしまった。

 多分気付いてないだけだと思うが、折角人がいいことを提案してあげようというのに酷い兄だ。

 ちょっとイラッとしたので、提案はしばらく黙っていることにしよう。


「それなんだがな……俺は元々、四四乃のことが心配でここに駆けつけたところがあるからな。もし三郎がこっちで腰を落ち着けるというのなら、それこそ何が何でもこっちに戻ってこなきゃいけないわけでもないんだよな。それこそ、来ようと思ったらいつでも来られるんだから」


「……ああ、もしかして兄貴は向こうの世界では排斥されてなかったのかな」


「むしろ大歓迎だった。世界を救った勇者様、天下一の英雄がどうたらこうたらと……こちらが申し訳なくなるほど感謝される」


「……ちょっと羨ましいねその扱い。いや、別にそんなことのために世界を救ったわけじゃないけど。それでも一応身を粉にして働いたのに、最終的には殺しにかかってくるんだもの」


「お前みたいに内実はどうあれちゃんと正義のために動ける人間なら心地よい環境だろうな。でも俺の場合、必ずしもあの環境が楽しかったかというとそうじゃなかった。

 正義なんて大きすぎる括りは性に合わない。もっとミクロに、家族とか自分とかのために頑張るくらいが肌に合ってる。

 魔王を倒しに行ったのだって、結局は自分の為だ。使命をクリアして自由の身になるためのやむにやまれぬ理由に過ぎない。

 もっと凡俗なんだよ、俺は。でも俺を勇者だと呼んで讃えてくれる向こうの世界の住民は、そのことに気付かない。

 かと言って、俺の方から言うほどの勇気も湧かない。居心地が悪いというか、なんだかな……」


「お互いに無い物ねだりなのかもしれないね」


「いや、俺がただ贅沢を言ってるだけだ。お前は俺の環境に行くのはアリかもしれないが、俺の方はお前の方に絶対に行きたくないからな」


「……そっか。でもね兄貴、僕も僕で兄貴のいた世界に、兄貴の代わりに行くのは御免だよ」


「何故?」


「だってそっちに行ってたらQ-2たちに会えないからね」


「……!」


「兄貴だって同じだろ?」


「なるほど、確かにな」


「……」


 私が暫く黙っていると、いつの間にか男二人は異世界談義に花を咲かせていた。

 そりゃうちの兄弟姉妹は別にどの組み合わせでもわだかまりなく仲が良かったし、一樹お兄ちゃんと三郎お兄ちゃんが二人で勝手に盛り上がるのも別に変なことじゃないんだけど……

 ……でも、私が絶対には入れない話題で盛り上がられると、一人だけのけ者にされてるようでなんかちょっとムカつく。


「……ま、向こうの世界に戻っても安全ということなら、それも選択肢に入れておくべきだろうね。何しろ兄貴は、別途恋愛関係に問題を抱えているんだから」


「~~~……」


 思い出したくないことを思い出したと言わんばかりに、一樹お兄ちゃんは頭を抱えた。


「僕は途中から話に入ったから、全容はいまいち掴めてないんだけどさ。話を聞く限りだと、とりあえず向こうの世界で暮らしている限りは、向こうも結論を急いだりしなさそうだったよね?」


「……んー……」


 確かに、思い返せばその通りだ。

 冷静に思い返せば、魔王を倒した途端ノータイムで帰参したのがパーティメンバーに焦りを生んだとしたら、マギナさんの一連の奇行にも説明がつくような……

 ん? つまり一樹お兄ちゃんが焦って帰ってこなければ問題は一切起こらなかったわけで……。

 これって大体一樹お兄ちゃんが悪いんじゃ……


 ……考えないようにしておこう。

 確かに一連のごたごたの発端は一樹お兄ちゃんにありそうだけど、その一樹お兄ちゃんがどうして問題を起こしたのかといえば、私のことを心配して戻ってきてくれたからだ。

 つまり


 ……その一樹お兄ちゃんを、私は出会い頭に疑い倒してしまったのか……。

 ごめん。本当にごめん。


「お兄ちゃん、一樹お兄ちゃん。ちょっといいかな?」


「ん? なんだ四四乃」


「色々考えたけど、私も一樹お兄ちゃんは一度異世界に戻った方がいいと思う。ゲームで例えるなら、今のお兄ちゃんはエンディングを見ずに魔王を倒した時点で満足して電源切っちゃってる状態だよ。駄目だよ、最後まで見ないと」


「例えというか、そのまんまだな……」


 一樹お兄ちゃんはぴくりと頬をひくつかせてから、溜息をついた。


「……でも、そうだな。ちゃんと清算せずに、焦ってここに来てしまったのは良くなかったのかもしれない。一つ一つ、何事も終わらせて行かないと駄目だな。

よし! 俺は帰って、勇者の物語を終わらせることにしよう」


「僕もそれがいいと思うよ。女の子を待たせるのは可哀想だしね」


「私もその方がいいと思う」


 だってこのまま一樹お兄ちゃんが色々清算せずにこっちに残ると、場合によっては私にまで被害が及びそうだし……。


「……分かった。なら俺はできるだけ早く向こうの世界に戻り、残してきた仕事を全て終わらせてくることにする。なに、いてもたってもいられなかったのは四四乃の安否が心配だったからで、これだけ元気な姿を見たらもう大丈夫だ。安心して仕事を終わらせられる」


 そう言って、一樹お兄ちゃんは私ににっこりと微笑んだ。すると面白くなさそうな顔をしたのは三郎お兄ちゃんの方だ。


「……兄貴、僕の方は?」


 死んだ順番は、双葉お姉ちゃん、一樹お兄ちゃん、三郎お兄ちゃんの順だった。

 だから一樹お兄ちゃんは本来三郎お兄ちゃんの

 実際、私もその点はずっと引っかかっていた。どうして一樹お兄ちゃんは 


「三郎は死んだの知ってたからな……むしろ生きててびっくりしたわ」


「……え? なんで? タイミング的には僕の方が後から死んでるはずだよね? 兄貴が死んだって電話が来た直後に喧嘩に巻き込まれたんだし」


「あー……あれだ。チート能力をくれた神様が教えてくれたんだよ」


 ひねりとか特になかった。雑に教えてもらってた。


「なにその便利機能。まあいいんだけどさ」


 三郎お兄ちゃんは、なんとなく納得いかない様子でむっすり膨れた。

 いや、まあ仕方ないよね。

 一樹お兄ちゃんと三郎お兄ちゃんで、同じ異世界転移と言っても与えられた待遇があまりにも違いすぎるよ……。


 □■□■□


 ふと外を眺めたら、もう夕方になっていた。

 しまった。本当は今日は予定があったのに。突然の出来事に面食らって、思わず時間も忘れて話し続けてしまった。

 先方には後で謝っておかないと……。


 「そろそろ出ようか。これ以上長居するのもよくないし」


 思えば既に、十分過ぎるくらい長居してしまった。特設して貰った個室に四、五時間いて1000円くらいしか使ってないな。

 後でいくらか包んでおこう。


 「さて、今日の宿はどうしようか。何も考えてなかったぞ」


 「その前に一樹お兄ちゃんは着替えて?」


 「というか兄貴、すぐに帰るって言ってなかった?」


 「それなんだがな、俺が使える異空間移動魔法は、朝焼けを浴びながらでなければ使えないんだ」


 「えー、なにそのとってつけたような制限」


 今すぐブラジル行って転移してこい! というわけにもいかない。というかブラジルまで行ってるうちに夜が明けそうだしね。


 「そういうことなら、まずは今晩の寝床だね。うちに来る? 六人入るくらい広い部屋を借りてるから、一人増えたところで」


 「いや、それは遠慮しておく。流石に気まずいし。……それに、お前のことだから俺がいようと関係なくおっ始めそうで怖いんだよ」


 「あ、ばれた? てへっ」


 「てへっ、じゃないよ。お兄ちゃんになんてことするのお兄ちゃん」


 長兄に対する次兄の企みが邪悪すぎる。


 「そういえば、四四乃は今どこで暮らしているのかな? 家があった場所がこんなになっちゃったら、暮らすのに困るでしょ」


 「私……? 今は、借家かな」


 「借家か。まあ家族全員いなくなって、一軒家を持ってる理由もなくなったから売り払って……となったら、アパート借りたりするのも普通の話だな」


 「その点は大丈夫。三人分、恐ろしいほど生命保険が入ったから。今のところ、お金には不自由していないよ」


 「そうか。なら俺たちの死が少しは助けになったようで何よりだ」


 言い方が重い。と思ったけど、私自身もそのつもりでお金を使っていたから、指摘することじゃないか。

 日々を生きていく中で、お金は沢山必要になる。

 その際に、三人の残してくれた生命保険を淡々と削って、なんとか生活を保たせていた。それはまるで三人の屍を削りながら生きているようで、着実に減っていく貯金通帳を見る度に、私はそこはかとない罪悪感に襲われていた。

 途中から、それだけじゃ駄目だって思うようになったけど――――


 「……最悪、野宿でもするのがいいだろうか……どうせこの格好じゃ襲われないだろうしな」


 「お金、貸そうか? 一泊くらいならいくらでも出せるよ?」


 「いや! それは良くない。妹にそんな大金を借りるようになっては、兄としておしまいだ! 注文せずに喫茶店に居座るのは問題があったからやむを得ず借りることになったが、今日の珈琲代も必ずいつか返すからな、四四乃」


 「いや、いいよ別に……一樹お兄ちゃんの生命保険の一部から払ったと思って」


 「しかしだな……」


 「まあまあ、お金の話はいいじゃないか。とりあえず出ようよ、二人とも」


 結局この話は決着がつかないまま、私達は喫茶店を後にした。

 客はもう殆ど入れ替わっていたけれど、金髪の上品な女性だけは

 あまりに派手な見た目だから目についただけかも知れないけど、私達ほどじゃないにせよあの人も喫茶店からしたらいい客じゃないな……。


 自分一人で家族の生活費を稼ごうと奮闘していた一樹お兄ちゃんは、今でも妹に頼ってしまうことに忌避感があるんだろう。

 でももう三年の月日が経って、色々なものが変わった。

 そんなに気にしなくていいと思うんだけどな。


 □■□■□


 午後六時。住宅街と繁華街のちょうど境目に立っていたのが私たちの家で、今はマンションに変わっている場所。

 でも、景色が変わったのはマンションくらいで、それ以外は三年前、或いはそれ以上前とも殆ど変わっていない。


 夕焼けが真っ赤に町並みを染めていて、往来は帰宅途中の会社員や学生が行き交っていた。


 「懐かしいな、この景色」


 「そうだね……」


 定期的にここにやってきている私はともかく、一樹お兄ちゃんと三郎お兄ちゃんにとっては実に三年ぶりの光景である。

 おまけにお兄ちゃんたちは、その三年間を極めて過酷な環境で生き抜いてきた。

 ようやく戻ってきた始まりの場所の景色には、ひときわ思うものがあるのだろう。


 二人は夕焼けを眺めたまま、ぴたりとも動かなくなっていた。

 私も急かしたりすることなく、後ろから二人のことを見ていた。


 「兄貴、覚えてる? もう十年も前のことだけどさ」


 「十年前……ああ、親父とお袋の命日に、四四乃が迷子になった日のことか」


 ……ん?


 「流石兄貴。十年前って言うだけで一発で分かるもんだね」


 「あの年は、あの日が一番のハイライトだからな。忘れることもできないさ」


 「確かに……僕達にとって、一つの転換点だったからね」


 ……なんか、嫌な予感が……。


 「ああ。墓参りから帰ってきてみたら、四四乃が消えてるんだもんな」


 まずい……これはまさか……。


 「焦って、三人で探し回ったんだったよね。結局、公園でふて腐れてるの見つけたんだけど」


 私の……黒歴史が……。


 「それで、なんで急に怒り出したか聞いたら……」


 ……忘れられていて欲しかった過去の過ちが、今再び白日に!


 「ちょっ、ちょっと待って。止めない? その話……」


 制止しようとしたが、二人とも話を聞いてくれない。後ろから肩に力をかけても微動だにしない。

 くそっ! この兄ども、異世界で無駄に強くなって帰ってきてる!


 「……私がないがしろにされててつまんない、だったっけ」


 「~~~!!!」


 あれは、私が八歳の時のことである。

 その年まで、うちの家族にとって、一年で一番お祝いをする日は両親の命日だった。

 こういう言い方をするとちょっと語弊があるかもしれない。要するに、一年で一度、この日だけは必ず家族全員で集まって、美味しいものを食べようと決まっていたんだ。

 普段は殆ど家にいなかった一樹お兄ちゃんや、病気で入退院を繰り返していた双葉お姉ちゃんも、この日だけは必ず家に戻ってきて、四人でゆっくり時間を過ごした。


 でも両親の命日となれば、当然話題の多くはお父さんとお母さんの話に収束するわけで……物心ついた時にはもう二人ともいなくて、お父さんのこともお母さんのことも何も知らなかった私にとって、その時間は決して楽しいものじゃなかった。

 いや、苦痛だったと言ってもいい。

 折角四人が集まっているのに、お父さんとお母さんの話で楽しそうに盛り上がる三人を見ながら、私は一人のけ者にされているような気分を味わっていたのだから。


 そして八歳の時、私がその日たまたま寝坊した結果、三人は先に墓参りに行っていて、『おうちで待っていてね。美味しいもの買って帰ってくるから』……という書き置きだけが残されていた。

 多分、墓参りのたびに私が退屈そうにしていたのを、三人とも分かっていて、無理に起こしてまで連れていかなくてもいいと思ったんだろう。

 三人にとっては軽い気持ちだったんだろうけど、私にとっては決定的で……それで私は、嫌になって家を飛び出したんだ。


 今振り返れば、クソガキの我が儘にもほどがある。

 いくら覚えていなくても、両親のことは大切にすべきだし、普段から自分を可愛がってくれていたお兄ちゃんやお姉ちゃんに、あんな我が儘で迷惑をかけるべきじゃなかった。

 実際のところ、普段は私もあそこまで我慢がきかない性格じゃなかったと思う。むしろお兄ちゃんやお姉ちゃんの苦労を知っている分、同年代の小学生に比べればまだ大人に生きられていた方だったと思う。

 でもあのときの私は、そのつい数日前にクラスの嫌な奴と喧嘩をして、親がいないことを詰られたあとで……そのせいとは言わないけれど、若干我慢が効かなくなっていて。

 それで、大切な日だと分かっていたのに、あんな酷い我が儘を発揮してしまったんだ。


 ああ――――!! 今思い出しても恥ずかしい!

 しかもあれ以来、一年で一番贅沢をする日は両親の命日から私の誕生日に変わって、命日にはお墓参りをするくらいになった。

 どう考えても私に気を遣った結果おかしくなってしまったんだ。

 最初の数年は、お姫様みたいに扱われていて気分が良かったけれど、後から段々気まずさの方が増していった。

 三年間を一人で過ごしてきて、もう長らく断片的にしか思い出していなかったことだけど……


 「……お、お兄ちゃんたち、その節は……」


 この際、それ以外について疑いの目を向けたことも含めて、一切合切謝ってしまおうか。

 その方がすっきりするんじゃないかと思い、口に出そうとした私だったけど――――


 「……あのときは思わず、はっとさせられたよ」

 「そうだな。あの時四四乃がああしてくれたおかげで、俺たちは知らず知らずに歪んでいた自分たちの暮らしに気付くことができたんだ」


 「え……?」


 その言葉は、お兄ちゃん達によって遮られ、そのまま続けられることはなかった。


 「あのときの俺たちは、双葉の病気のこともあってどことなく後ろ向きになっていた。でも、自分で自分のことを判断するのはなかなか難しい。俺たちは何かがまずいと分かっていながら、言葉に出せないまま日々を淡々と送っていたんだ。でも、四四乃のおかげで間違いに気付くことが出来た」


 そっか……私は周りに迷惑をかけたとしか思っていなかったけど、知らず知らずに私の行動がお兄ちゃん達の助けになっていたんだね。


 「ああ……親父やお袋のことは言わば過去のこと。それに対して四四乃は俺たちの中で一番年下、つまり未来のことだ。そして俺たちは、一番大事な日に両親の話ばっかりで四四乃をかまってやれなかった……要するに俺たちは知らず知らずのうちに後ろばかり見て、前を見ることをおろそかにしていたのかもしれないってな」


 ん……んん?

 なんだろう。それあんまり私がどうとか関係ないような……ドミノ倒しみたいに論理が飛躍した結果お兄ちゃんが勝手に事故解決したようにしか見えないよ……。

 まあそれがお兄ちゃんたちの為になっているなら別にいいんだけどさ。


 でも、その言葉には聞き覚えがあった。

 過去を見るより、未来を見なければならないと。

 一樹お兄ちゃんが昔私に言った言葉で、この三年間、私はその言葉を念頭に置いた上で行動してきた。


 それがいつ耳にした言葉だったのかは覚えていなかった私だけど、そうか、十年前のあのときに聞いていたのか。

 それなら気付かなくってもおかしくないね。

 全力で記憶から消そうとしていたんだから。


 「大体なんだ、末っ子が一丁前に兄や姉に気を遣おうとするなよ。末っ子ってのは一番我が儘に、元気に育ってこそだろ」


 そうやって、一樹お兄ちゃんは肩をすくめた。

 三郎お兄ちゃんもそれに追随する。


 「そうそう。大体長男は両親も育て方が分からないから失敗するっていうだろ? そして育て方を少しずつ修正していく


 「……お前、それが兄に対する言葉かよ」


 「もっともそのジンクスの割に、うちの兄貴はどこに出しても恥ずかしくない立派な兄貴に育ったものだと思うけどな」


 褒められているような侮られているような、なんとも微妙な三郎お兄ちゃんの評価を聞いて、一樹お兄ちゃんは苦虫をかみつぶしたような顔になった。


 「……俺はそれを聞いてどう反応すればいいんだ」


 三郎お兄ちゃんは、そんな一樹お兄ちゃんの反応すら楽しんでいるように笑う。

 私に背を向けているから見えるのは後ろ姿だけだが、笑っているのは分かった。


 「……ねえ、ちょっといいかしら?」


 「……?」


 ふいに私の背後から、聞き慣れない声がした。

 それでも私とお兄ちゃん達は、なんとなく振り向かなければならないような切迫感に襲われて、三人同時に振り向いた。


 そこに立っていたのは、さっき喫茶店にいた金髪の少女だった。

 背丈は私より一回り低い。中学生……くらいだろうか?

 改めて見ると、その姿は極めて洗練されていた。


 小柄で、所作の一つ一つに本物の貴族のような気品があり、私達のような貧乏生まれとは格が違うのだと思わせる風格のようなものを感じさせる……そう、オーラのようなものがある。

 そもそも見た目からして美しい。

 まるで人形のように1パーツ1パーツが最善の形を取っていて、これ以上に美しいものは作れないと断言できるほどだ。


 ……はっ、思わず見とれてしまっていた。

 しかし女の私が見ても息を飲むほどの絶世の美人、お兄ちゃん達がこれを見たら……


 「……」

 「……」


 あれっ? 無反応?


 「お兄ちゃん達、あんまり驚いてないね……


 「美人だろうがそうじゃなかろうが、人であることに変わりないからな」


 すっごいざっくりしたこと言い出した。らしいと言えばらしいけど。


 「まず僕が美形だからね。ただ可愛いだけの女の子なんて見慣れてるっていうか……」


 ああそうだ三郎お兄ちゃんはこういう奴だ。


 「なんなら僕が女装した方が美しいかもしれない」


 いや、それはない。

 三郎お兄ちゃん何を過信してるのか知らないけど、お兄ちゃんは中性的なイケメンではあるものの、そこまでじゃないぞ。

 割とそこらにいるレベルだぞ。


 「それはそうと、君は一体? 僕達に何の用かな?」


 「何の用? じゃないわよ。よくもまあ、白々しいことを言えたわね……」


 「白々しいこと……心当たりある、兄貴?」


 「そうだな……もしかして、鎧だの義手だの付けた物騒な連中がマンションの前で突っ立ってたのが問題視されたとしたら……ここのマンションのオーナーとかか? それは悪いことをした。確かに営業妨害甚だしいな。住民から苦情でも来たんだろうか」


 「別に破廉恥な格好をしているわけでもあるまいし、文句言われる筋合いはないけどね。大体この土地は昔僕達のものだったんだから、これくらいのことは許されて然るべきだと思うよ」


 推論が推論を呼んで話が勝手に進んでいく。

 だがそれを是としてしまうほど、目の前の少女について三人のいずれも心当たりがなかった。

 とはいえ、マンションのオーナーではないことくらいは私には分かる。


 「いや待ってお兄ちゃんたち。そもそもこの人がオーナーってことはないよ。絶対にあり得ない。だって……」


 「違うわよ……いい加減にしてよ。どうして気付かないの? 私のこと忘れたの?」


 忘れたも何も、記憶の片端にも残っていない。


 「お兄ちゃんたち、どっちかの取り巻きの一人の可能性はないの?」


 「いや、俺はこの子のことを知らないな。見たこともない」


 「僕の方にもいないかな……そもそもこんな小さい子に手を出したら犯罪だよね」


 そういうところの節度はあるらしい。幼女でも愛だと思えば構わず手を出す人間だとばかり思っていたけど。


 「いい加減にしてちょうだい。どうして私のことが分からないと言うの? 貴方達なら、分かってくれると思ったのに……」


 そう言うと、金髪の少女は少し悲しそうな目に変わった。

 『貴方達なら』……?

 え、まさか……まさか?


 「もしかして、いやでも、え……?」


 一つの予感が脳裏を過ぎる。仮にその仮説が正しければ、正直謎は一層深まるばかりだ。あまりにも訳が分からなさすぎる。

 私は緊張から、髪の束ねたところを少し弄った。すると、その指先に触れた髪紐を少女が目にとめた。


 「……あら? その髪紐?」


 私の髪紐に興味を示したらしいその少女は、滑るように私に近づくと、束ねた髪に手を添えて、愛おしそうに微笑んだ。

 髪を撫でられたにもかかわらず、不思議と不快感は感じなかった。むしろ懐かしいような、心地よいような……。


 「私が使ってた奴よね……ずっと使っていてくれたの……そう……」


 そして彼女は、軟らかく暖かい微笑みを浮かべる。

 その笑顔を、私は知っているような気がした。

 否、それ以前に、この髪紐は――――……


 「……まさか……フタバお姉ちゃん?」


 私が聞くと、少女は笑顔で頷いた。

 それを見て、お兄ちゃんたちもぎょっとした表情で少女を見つめた。


 「……!?」


 「えっ……?」


 「……気付くのが遅すぎるわよ、三人とも。私、最初から喫茶店で待機して、三人がやってくるのを見ていたし、目だって合ったと思うんだけど、三人とも全然気付いてくれなくて悲しかったわ」


 「じゃあ、君は本当に……」


 「そう。私は双葉。貴方達の妹であり姉でもある女。もう随分と長いこと会えなくて、心配していたけど――――」


 「い、いやいやいや。双葉……? 本当に双葉?」

 「双葉姉って、黒髪ストレートだったはずなんだけど……っていうか、僕より年上だったはずなんだけど?」


 「全く、血を分けた兄妹ともあろうものが、なかなか分かってくれないんだから困っちゃうわ。見れば分かるでしょ?」


 「いやわかるか!?」

 「染めたとかじゃないよね地毛だよね!? っていうかそもそも背丈からしておかしいし、えっ、え、どういうこと!?」


 性別と口調以外に、何一つ共通点が見当たらない。

 髪の色も違うし、背丈も違うし、年齢も違う。顔も全然違うし、体格も違う。服装だって違う。瞳の色も違う。

 もはや外見上の共通点はゼロと言ってもいい。


 これで気付けというのは、流石に無理だ。


 「いろいろあったのよ、ここに辿り着くまで。でも信じて貰えないのも分かる。だって経験した私が思い返しても、あまりに荒唐無稽なんだもの」


 どうせ異世界に行ったんだろうなという気はするが、しかし異世界に行ったからと言って外見まで変わるのは双葉お姉ちゃんが初ケースだ。

 詳しい事情を聞かねば、どうにも納得できる気がしない。

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