俺たちは勝利の余韻に浸っていた。まだ俺たちは海浜公園に居た。ここまで色々あった。正直最後の方はもうダメだと思ったがなんとかなった。本当にギリギリだったと思う。

「私は棘さんを最後まで面倒見るから」

 涼子さんはそう言った。『管理局』の知り合いとやらを呼び棘の身柄を引き取ってもらうらしい。それに付き従って行ってしまった。涼子さんはやっぱり、敵だったとしても旧知の棘を放ってはおけないらしかった。

「さて、これからどうする」

「さてね。何か祝いでもやればいいのかもな」

「そうだな。これで決着は付いたんだもんな」

 勝ったのだから祝勝会のひとつでも開くとしよう。3人だけだが、何か美味しいものを食べたりとかそういう感じだ。それから、

「それから、そのあとはどうするんだ。イオは」

 これで目的が達成されたのだ。イオの現界での役目はなくなったのだ。つまり、

「いや、私は残るぞ」

「え、なんでだよ」

「お前の体が元に戻ってないだろうが」

 イオは当たり前のように言った。

「いや、でも関係ないんじゃないのか。お前には」

「おいおい、私をどれだけ薄情だと思ってんだよ。そもそも私が帰ったら、お前は人間の形を保てないんだぞ。なんだかんだと仲良くなった奴が困難な状況に陥ったままなのを放って帰ったら寝覚めが悪いだろうが。っていうか別に帰らなくてもいいっていうのがあるからなんだけどな」

「帰らなくてもいいのか」

「っていうかむしろ帰ったほうが面倒かもな。今ままでは『門』を開こうってやつの計画は裏工作で頓挫に追い込むのが主だったからな。こんなガチンコ対決でねじ伏せたのは初めてなんだよ。だから今向こうに行ったら厄介なことばっかりさ。んなもんで、当分はこっちで厄介になる。だからついでにお前の体のことも面倒見てやるよ」

「マジか」

 それはとてもいい知らせだった。俺の体のことは正直自分だけじゃどうにもならない。誰かこの業界に詳しい人間の助けが間違いなく必要だった。それに、イオが残ってくれるというのはそれだけでなんだか嬉しかった。俺の中でイオはもう重要な存在になってしまっていた。

「そりゃあ良かった。まだ、見せてないこの町のスポットもあるからな」

「へぇ、そいつはいいな。他にもあるのか」

「ああ、旨い魚も食わせてないし、水族館とか、古い映画館とか。電車に乗ってもっと遠くに行くのもいいかもな。本当の街まで行けばここよりもっと色々ある」

「そりゃあ楽しみだ」

 イオは笑っていた。空が白み始めていた。早いものでもう朝になったらしい。

「本当はここも連れてきたい場所だったんだけどな。なんか殺伐としたイメージしかなくなったな」

「そうだったのか」

「ああ、晴れた日は本当に気分のいいところだし、夕暮れも綺麗なんだよ。それを見せたかったんだ」

「へぇ、でも朝焼けも綺麗なんじゃないか」

 そう言ってイオが顎で示した先には小高い山並みの上が徐々に赤く染まっているところだった。雲はいつの間にか薄くなり、残った薄いものが赤く染まっていた。後ろの方のまだ薄青い空とのコントラストは確かに息を呑むほど綺麗だった。

「確かに綺麗だ」

「だな」

 とても綺麗な赤い景色の中、俺たちはベンチに座ってしばらく景色を眺めた。どこまでもどこまでも景色は続いていた。左にも右にも険しい海岸線が続き、その先は岬で途切れている。海は冬を前に荒々しさがあったが波の音は心をなごませた。空には雲がいくつかあり、朝焼けで何層もの色合いに分かれていた。磯の匂いがして、遠くから車のエンジン音が聞こえる。街が目を覚まし始めたのだろうか。ともかく俺たちは、そんな風なこの世界の一部分をしばらく眺めていた。



「おい」

「おー、来たか」

 日曜の午前中だった。いわゆる休日であり、俺は暇を持て余し笹川骨董店をおとずれていた。出迎えてくれたのはイオだ。店の奥でなにかの本を読んでいた。

「いらっしゃい、春太君」

「涼子さん、今日は出かけるんですか」

 涼子さんは普段の着やすい服装ではなく、どことなくおしゃれな服装だった。そして台車やら、ボストンバッグやらを車に積み込んでいた。どこかに出かけるのは明らかだった。

「津栄でね、骨董品の大きな市場が開かれるのよ。だからそこに行くの。店はお休みよ」

 津栄市はこの県で二番目くらいに大きな街だ。広い公園があり、そこでちょくちょくイベントが開かれるという話を聞いたことがある。若い人間向けのものは少ないらしいが。

「だから、イオちゃんも店番しなくていいわよ。春太君とどこでも行ってらっしゃい」

「そうだな、そうするか」

 イオはそう言われると読んでいた本を置き、立ち上がって伸びをした。

「どこに行く。つってもこれといったところは大体行ったけどな」

「とりあえずショッピングモールに行こうぜ。それから適当にブラブラするだけでもいいだろ」

「そうか? まぁ、お前がそれでいいならいいけどな」

 なんとはなしに目的地を話し合い、結局まとまらないままにイオは俺の自転車の後ろに乗った。

「いってらっしゃい」

「おう、行ってくる」

「涼子さんもお気をつけて」

 俺は自転車のペダルをこぎ出し笹川骨董店を後にした。それから住宅街を出ていつものように田んぼ道を突っ走った。もう冬だったがまだ雪は降っていない。空は晴れ渡っており多少寒いが自転車で走る分には問題なかった。

 あれからひと月が過ぎていた。俺は普通に学校生活に戻り、涼子さんも骨董店を営業し、残ったイオは笹川骨董店で住み込みのバイトをする外国人という扱いになった。

 あの事件は世間的にもそこそこの話題になっていた。荒天で真夜中の出来事なため目撃者はほとんどおらず、少数居たそれらの人間の言うことも、『真偽が定かではない胡散臭い情報』として公に広がってはいなかった。しかし、広場にはしっかりと破壊のあとは残っている。後ろの山だって竜巻でえぐりとられているのだ。いろんな憶測が飛び交い、そこそこのニュースにもなった。ひと月経った今も数は減ったが取材やもの好きな野次馬が海浜公園に集まっている。しかし、それらが俺たちと関連付けられることはなかった。なのではじめこそ俺はヒヤヒヤしていたが涼子さんもイオも別に気にはしておらず、結果的にはその対応が正しかったのだった。

「結局あのあとはどうってことないな」

「そうだな、まぁそんなもんだろ。あんな暗くて雨が降ってたら目撃者もクソもない」

「俺は大分冷や冷やしてたけどな」

 ちなみに、公園の修繕費に関しては『管理局』とやらが大部分を出資したらしかった。それは涼子さんが掛け合ったらしい。

「棘のことだけか、終わったあとにしたことは」

 俺たちが直接関わったのはそれだけだった。棘はあのあと管理局の裁判所のようなところで審議にかけられた。俺たちは目撃者として証言を求められ出廷したのだ。今まで裁判所なんて行ったことはなかったし、そもそも管理局とかいうところも良く分からなかった。なのでどぎまぎしながらなんとなく発言して、それぐらいで役目は終わった。管理局とかいうところの日本支部は東京の真ん中にあって見た目はただのビルだった。出入りする人も魔術とかと関わりがあるとは思えない普通の服装の人ばかりだったので面を食らった。

「結局あいつはなんだったんだろうな。最後まで分からなかった。俺には最後まで不気味な恐ろしい奴だったな」

 棘は裁判でいつものように押し黙るのかと思ったがすらすらと自供し、素直に罪を認めた。刑罰は禁固600年とかなんとか。

「そうか、普通のやつにはそう見えるのかもな」

「お前には違って見えたのか?」

「ああ、私にはただの、『恐ろしく生きるのが下手なやつ』に見えたよ」

「なんだそりゃ」

 イオは哀愁を帯びた笑みを浮かべた。俺にはその発言も結局分からなかった。イオが勘違いしているのか、俺が勘違いしているのか。俺にはまだ分からなかった。

「それにしても、俺の体はいつになったら元に戻るんだろうな」

 俺は自嘲的に言った。それに関してはまったく目処が立っていなかった。イオのおかげで人間の姿は保てており、実生活を送る分には問題ない。しかし、やっぱりこの体は人間ではない。イオとの『契約』が薄れればまた化け物の体に変身する。ちなみにまだコンクリートと金属の特性は引き継いだままだ。良く分からないがあの小刀の特性も引き継いだままだろう。不幸中の幸いはそれらの特性は変身した時にしか現れないことか。別に人間の時から体が超合金のようになるということはなかった。

「それに関しては目下調査中としか言えないな。まぁ、気長に待て。方法があることだけは確かなんだ」

「そうなのか?」

「ああ、狼男や吸血鬼から元の人間に戻ったっていう話があるからな。今知り合いを当たってる」

「そうか。ならあんまり思いつめることはないんだな」

「そういうことだ。大概なんとかなるさ」

 希望的観測なのかもしれないがとりあえずそれに身を委ねようと思う。狼男だのなんだのと妙なワードが出たが気にしないことにした。なんとかなる。『生きてればなんとかなる』とどこかで聞いた気がしたがその言葉を自分の人生で頼りにすること日が来ようとは思っていなかった。だが、まぁなんとかなるだろう。

「あ」

「どうした」

 と、俺は間違いに気づいた。いつも走る道から一本ずれている。

「道が違うな。近道をしようとしたら間違えたみたいだ」

「別にそんなに何か変わるわけじゃないだろ。所詮田んぼ道だ」

「そりゃそうだけどな。気分的にしまった、って感じだ」

 いつも使う近道なのにミスった。話しながら考え事をしながらだから意識が散漫だったようだ。しかし、もう少し行ったら正しい道が合流する本線に繋がるのでロスというほどのものではなかった。なんとなく残念だが。

「あそこに自販機があるぜ。なんか飲み物を買おう」

「そうか、そうだな」

 道の先に自販機がバス停の横に立っていた。とりあえずそこで止まることにした。

「お、これはなかなかレアな自販機だ」

「そうなのか」

 近づいてみると街中や家の周りではあんまり見ないメーカーの自販機だった。スーパーでもコンビニでも見ることのないジュースが並んでいる。

「確かに見たことないのばっかだな」

「俺はコーヒーにしよう」

 俺は千円を入れてコーヒーのボタンを押した。ガタンと言う音とともにコーヒーが落ちた。俺はそれを手に取りりつつイオに言う。

「なんか欲しいものがあったら出すぞ」

「馬鹿言え。私だってもう自分で稼いでるんだ。自分の分くらい自分で出す」

 そう言ってイオはおつりのレバーを下げた。カチャンカチャンと小銭が落ちた。そうだった。イオは曲がりなりにも労働しているわけでそこには当然給金が発生しているのだった。というか多分初給料が入ったようだ。この前の時は稼いでる、なんてことは言っていなかった。

「さて・・・・・」

 イオはしばらく迷った末に「フルフルジュース」という振って飲むゼリーが入ったタイプのジュースを買った。ガタンとジュースが落ちイオはそれを手に取る。説明を読むとイオは勢いよく振り始めた。

「何回くらい振るんだそれ」

「いや、さっぱり分からん。5回ってあるけどそれだと全然ゼリーのままで飲みにくいだろ」

 そう言いながらイオは結構な回数を振った。まだ振る気のようだった。

「なぁ、イオ」

「なんだ?」

 イオは振りながら答える。

「お前、ここに来て色々なことがあって大変だったのにここが嫌になったりはしないのか?」

 素朴な疑問だった。別に疑心暗鬼みたいな後暗い感情からではない。単に、大変なことや嫌な思いをしたのだから別のところに行ったりはしないのかと思っただけだ。少なくとも俺が同じ思いをすれば少しでもそう思うはずだった。

「思わないね。私はここに来てよかったと思ってるよ。何よりお前に助けられたよ」

「そ、そうか?」

「ああ、私は今までただ自分の罪をどうにか償う方法を考えて、その可能性を死に物狂いで探し続けてた。でも、多分それは逃げだったんだ。それは罪を晴らそうとしてたんじゃなくて罪の意識から開放されたいだけだったんだよ。それはやっぱり絶対に違うだろう。お前が『許す』って言ってくれて少しだけ気持ちに余裕が出来てなんか唐突にそれを理解したよ。だからこれからはちゃんと自分の罪と向き合おうと思うんだ」

「いや、でもお前は何にも悪くないんだよ」

「そうなのかもな。でも私はどうしてもそうは思えないんだよ。ただ、自分が罪だと思うことと向き合って、どうやったら償えるかを考えようと思うよ」

 そう言ったイオの顔に迷いはなかった。だから、俺はそれ以上なにか言うことは止めた。多分イオは自分の中にある間違いないことを見つけたのだろう。なら、何にも知らないクソガキの俺が口を挟むべきではないように思えた。

「だからな、ここに来て良かったし、お前に会えてよかったよ。ここは景色も良いしな。気に入ったぜ」

 そう言ってイオは屈託なく笑った。それは海浜公園の時と同じく大分眩しくて俺はそれとなく視線を外した。でも、そう言ってもらえて良かったと思った。

「と、もういいんじゃないのか。ジュース」

「ああ、そうだな」

イオは栓を開けた。それからグイっと口に流し込む。そして口から缶を離す。浮かない表情だった。

「明らかに振りすぎだ、気持ち悪いジェル状になってる」

「やっぱりか」

 あれだけ振ればそうなるのは当然だった。

 俺たちはジュースを飲むと自転車に再び乗った。目指すは繁華街を超えた先にあるショッピングモールだ。この辺で暇を潰すにはもってこいの数少ない若者向けスポット。

「昼飯はフードコートのカレーにしないか」

「あのごはんおかわり自由のところか。食うの好きだな」

「こちとら育ち盛りの男子高校生なもんでな」

 俺はペダルを踏み出した。まだしばらく田んぼ道が続く。横道なので通る車は居ない。田んぼは枯れた稲の根元が続く荒涼としたものだ。ただ、空は青く澄み渡っていた。後ろ手には雪をかぶった山が連なり、目指す先のその向こうには海が広がっている。ここは田舎の小都市で俺たちはそこでなんとなく休日を謳歌し始めたところだった。

 今回の事件で俺は日常の外側に弾き出されたがそれでもやっぱり外側にも日常はあるらしかった。自分たちが絶対不動だと思っている日々の外側にも確かに日々は存在しているのだった。だから、俺はこれからもなんとかなるんだろうと思った。後ろではイオが楽しそうにしていた。俺はそれで満足だった。俺は自転車をこぎ続ける。目的地まではまだ20分くらいはかかりそうだった。

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