第13話

「ク、クソがあぁああああ! 僕は『大魔術師アザムヤゼム男爵』だぞ! 異界でも魔術に置いて僕の右に出るものは居ないんだ! たかが魔力量を上回った下級魔族風情が図に乗るなぁああああ!」

 アザムヤゼムは絶叫する。だがその言葉はついさっきの自分の発言と矛盾するものだった。

「消し飛べ! 『バオフ・エクリルィーフ』!」

 アザムヤゼムが唱えると、俺たちの頭上に巨大な光球が発生した。

「まずい!」

 涼子さんが叫ぶ。言われなくても分かる。あれは超強力な爆発だ。

「『オブリガティオ』」

 が、その爆発は停止した。光球として形を成したまま爆発は動きを止めた。爆風も熱も俺たちには伝わらない。

「時間停止だと・・・・・。下級魔族のくせにそんな芸当を・・・・クソがぁ!」

 アザムヤゼムは続けざまに詠唱する。

「『ザトミェーニ・クズフ』! 『ラーヴァ・ラーワ』! 『ボーク・ハロス・モルス』!

 空から巨大な黒い何かが降りてくる。海に醜い染みが広がっていく。見渡す限りの地面を突き抜けて巨大な溶岩が噴き出してくる。

「『フィニス』」

 しかし、イオが言うとその全てが立ち消えた。跡形もなくきれいさっぱり消滅した。空には何もなく海は元通りで、避けた大地さえ元通りになっていた。

「事象の否定? いや、事象の消滅か? いや、どっちでも一緒だ! チクショウ! チクショウがぁ! クソッタレ! 死ね! 何が何でも消え失せろぉ!」

 アザムヤゼムは呪文の詠唱を始めた。呪文名を言うだけではない。正真正銘の大魔術が来るのだ。

「滅びの時は来たれり、『ガラクシアス・メテオリト』!」

 再び頭上が光り輝く。しかし、今度は光球の光ではない。巨大な、それはそれは巨大なものが空から降ってきたからだ。それは隕石だった。視界全部を覆うような巨大な隕石が空の裂け目を背に落下してきたのだ。直撃すれば、俺たちだけじゃない。この地域一帯が吹き飛ぶとてつもない大破壊が発生する。

「無に帰せ、『ラグナロク』」

 イオが言うと、隕石を迎え撃つようにそれと同等の巨大なものが出現した。それはただただ闇だった。漆黒の球体が現れたのだ。球体に向かって風が吹く。隕石はそれにそのまま突撃した。こちら側からはその全てを見ることはできない。だが、漆黒に触れたところから隕石が跡形もなく消滅していくのだけは分かった。衝撃もなにもない。ただ消え去っていった。そうして隕石は綺麗さっぱりと消え去った。

「あ・・・・・ぐ・・・・・。僕の、僕の最上級の呪文が! 僕の全身全霊が! こんなにいとも容易く消し飛ばされただと! なんだ今のは・・・・、僕でも知らない呪文ッ!」

「知り合いに教わった大魔術だ。完全なる虚無を作り出すのさ。さて、ネタは尽きたか?」

「ギイイイィイイイイィイイイイイイイィイイイイイイッ!」

 アザムヤゼムは屈辱と怒りで絶叫した。すごかった。イオはアザムヤゼムを完全に圧倒していた。ありとあらゆる呪文がイオには通用しない。実力差が有りすぎる。そもそもアザムヤゼムが規格外なのにそれを容易くあしらうイオがどれほどなのか想像さえできなかった。

「クソが、クソがぁ! 貴様罪人の分際でなにいい気になってるんだ。何千という人間の命を奪ったお前が、滅びの引き金を引いたお前がなに調子に乗ってるんだ。人間の味方をして英雄面して僕を倒そうとしてるんだ? ええ? 何か言えよクソ野郎!」

 アザムヤゼムは魔術が通じないとみるや精神攻撃に打って出たらしかった。だが、苦し紛れのやけくそな手段にしてはあまりに下衆だった。俺は怒りで全身が熱くなった。しかし、イオは落ち着いていた。

「お前の言うとおりだ。私は罪人だ。こいつは私を許すと言ってくれたが、でもやっぱり私の犯したことは罪だと思う。私がもっと慎重に動けば起きなかったことだ。それは今回もそうだ。だから、私はこいつらを助けて英雄気取りなんて絶対にしちゃいけないんだ」

「その通りだ。だったら今のお前はなんだ。恥ずかしくないのか? まさに罪を犯した相手、人間の前でのうのうとしていて良いのか? 今すぐ地面に頭を擦りつけて謝るべきじゃないのか? いやぁ、いやいや。もっと言えば命を差し出すべきじゃないのか? それだけのことをお前はしたんだから」

 アザムヤゼムの理屈は滅茶苦茶だった。イオはそんなことすべきじゃない。そもそも悪くないのに、『命をもって罪を贖え』なんてあまりにひどすぎる。でも、下手をすればイオの心に深く突き刺さるかも知れない言葉だ。だが、イオはやはり冷静だった。

「そうだな。そうかもしれない。でも、それはここでじゃない。こいつは私を許すと言ってくれた。そういうやつの前でそんなことは、そいつを悲しませることはしたくない。傲慢かも知れない。それは非道なことかもしれない。でも、私はしたくない。私は生きて人間に罪を贖いたい。行動をもって人間に謝りたい。だから、私はお前を倒して『門』を閉じる」

「貴様・・・・」

「もう決着は付くぞ。だからその前に一つお前にはしてもらうことがある。お前こいつの体を元に戻せ」

 そうだ、忘れていたがこいつに俺の体を戻す方法を聞かなくてはならないのだ。失われた俺の体を戻し、入ってきた魔族の体を返す。それをあいつにはしてもらわなくてはならない。

「は、はは、ハハハハハハハ! 残念でした! そいつは不可能だね! 僕は食ったら食ったまんまさ! 吐き出すことなんて出来やしない! そいつはこれからそのまんまさぁ!」

 アザムヤゼムは実に愉快そうだった。絶対的な不利で唯一相手に絶望を与える糸口を見つけてご満悦なのだ。俺は虫唾が走った。だから言ってやった。

「そうかよ。ならいいさ。お前の助けなんざ必要ない」

「なにぃ!?」

「さっさと失せろクソ野郎!」

「なんだと! 人間風情がぁあああ! クソがァああ!」

 アザムヤゼムはブチギレていた。いい気味だ。

「言うじゃねぇか。ならまぁご指名通りに行くとしよう。終わりにするぜアザムヤゼム」

「クソクソっ! でもそういうわけにはいかないね。僕はなにがなんでもお前を殺す!」

 突如、アザムヤゼムを中心にして巨大な魔法陣が現れた。それは俺たちの居る公園を含めて辺り一帯を囲んでしまった。そして、魔法陣の中心ではひどくいびつな針らしきものが動いている。これは、時計か?

「まさか、自爆!?」

 涼子さんが叫ぶ。

「その通りだ。僕の全ての魔力と異界から流れる魔力を使った大爆発さ! この方法は絶対に使いたくなかったんだけどね。それだけ僕を怒らせたってことさ、後悔するんだな! くたばれゴミ共!」

 イオを罵倒していたのもその実この魔法陣を発動させるための時間稼ぎだったということか。これが正真正銘、アザムヤゼムの最後の切り札。だが、アザムヤゼムが吹き飛ぶということは『門』が閉じるということだ。本当の苦肉の策、ただ俺たちを始末することを目標に変えたのか。

「やべぇ! いやでも、アザムヤゼム本体を倒せば・・・・」

「僕を攻撃しても無駄だぜ! 何十にも及ぶプロテクトスペルがかかってる! 太陽に落ちたって無傷なんだ! どんな魔術も突破できっこないさ! ついでに自爆しても細胞核のひとつでもあれば僕は蘇生できるんだ。忌々しいほど時間はかかるけどな! ヒヒヒヒ!」

 アザムヤゼムはまた調子に乗りだした。形勢逆転だ。このままでは成す術なく吹き飛ばされてしまう。一体どうすれば。

「なら、太陽より強力な呪文で消し飛ばすだけだ」

 そう言って、イオは呪文の詠唱を始めた。詠唱だ。一から良く分からない言語の言葉を唱えている。その言葉は不思議な響きを持って大気に溶けていった。今までのように呪文名を言うだけではない。今のイオの状態でも一から唱えなくてはならない大魔術が来る。

「馬鹿な! 神言古代魔術ハイ・エンシェント・デウスだと!?」

 アザムヤゼムは驚愕していた。そしてその頭上、裂け目とアザムヤゼムの間に巨大な入道雲が形成されていった。それはとてつもなく大きく真っ黒で、絶え間なく赤い雷が轟いていた。

「じゃあ、終わりだアザムヤゼム。綺麗さっぱり消えさ去ってもらうぜ」

 雷は徐々に雲の中心に集まり、そこが真っ赤に輝いてすさまじい閃光の束が生まれていた。

「天地を穿て『グングニル』」

 イオの詠唱をともに入道雲から巨大な赤い雷がアザムヤゼムに向かって落ちた。

「ガアアアァアアアァアアアアアアァァアアアアアアァァァァァァァァアアアアアア!!!!」

 アザムヤゼムは絶叫していた。巨大な雷鳴が轟いていた。雷は普通の電気と違って一直線だ。まるで赤い光の柱だった。さっき言っていたプロテクトとやらもまったく効果を発揮していない。雷が直撃している。そして、端からアザムヤゼムの体が消滅しているのが見て取れた。

「3兆ボルトの魔力の雷だ。これの直撃に耐えられるモノは現界にも異界にも存在しない」

 アザムヤゼムの体は徐々に消えていく。やがてそのほとんどが形を失い、もはや大きな口だけとなった。

「クソがッ! こんなところで、こんな後一歩まで来たところで・・・・僕の、僕の悲願がぁ! クソッタレがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 最後にそう叫んでアザムヤゼムは綺麗さっぱり消え去った。そしてそれと同時に雷も入道雲も消滅した。あとには夜の海、そしてアザムヤゼムの残った破片が消滅するときに生まれた光の粒、そして空の裂け目と巨大な瞳。

「さて」

 イオはそう言って空を見上げる。裂け目が閉じ始めた。『門』に力を与えていたアザムヤゼムが消滅したためだ。端から徐々に音もなく裂け目は小さくなっていった。瞳は相変わらずこっちを見下ろしていたが何かをするという風でもない。

「『古き母』は自分で裂け目を広げないのか」

「ああ、あいつは別にこっちに来たいわけじゃないからな。アザムヤゼムみたいな連中が勝手に呼び寄せようとしてるだけだ。あそこに手をかけてたのもそんなに意味があるわけじゃないんだろ」

巨大な瞳に感情らしいものはない。そして、裂け目はやがて小さくなり、とうとう跡形もなく消え去った。あとにはうっすらと明るくなった星空だけが広がっていた。全てが静かになった。全てが元通りに戻った。

「・・・・・あ・・・・もしかして、終わったのか?」

「ああ、全部片がついた」

「や、やった・・・・やった! 勝った! 勝ったんだな!」

「ああ、私たちの勝ちだ」

「よっしゃあああ!」

 そう言って笑いながらイオは振り返った。俺はイオに駆け寄りハイタッチをしようと手を上げる。イオは応じてくれた。勝った。俺たちの勝利だった。



「終わったか」

 棘は言った。相変わらずの無表情。アザムヤゼムが消え、『門』が閉じてもこれといった感情はその顔に浮かんではいない。自分の計画が完全に頓挫し、まさに自分も死のうという最中だというのにだ。

「棘さん、今なんとか治癒を・・・」

「無駄だ、あと数分と保たん」

「・・・・・・」

 涼子は顔を伏せることしかできない。と、そんな二人の元にイオと春太が戻ってきた。

「涼子さん、勝ちましたよ」

「ええ、本当に二人共よくやったわ」

「涼子さんの助けがあってこそですよ」

 春太と涼子は言葉を交すがイオはただ棘を見ていた。

「なんだ。最後に恨み言でも言うのか」

「いや、そんなつもりはない。ただ、お前はこれでいいのか。なにもかもなくなっちまったぜ」

「言い訳がないだろう。腸が煮えくり返る思いだ。だが、もうどうあがいても死ぬ。ならもはや全てを受け入れる他にあるまい」

「諦めてるってことか」

 イオは別に棘の言葉に否定も肯定も示さなかった。今度は棘がイオに言う。

「貴様、俺を嫌いになれんと言ったな。それは問題だ。貴様は俺を憎まねばならん。自分に耐え難い苦痛を与えたものになんら黒い感情を抱かんというのはあってはならん」

「なんだと」

 今まで見ていた春太が棘に食ってかかる。この期に及んでイオを罵倒する棘に腹が立ったのだ。

「貴様の呪いを見た時もそうだった。貴様には後悔、懺悔、良心の呵責、様々な感情が渦巻いていたが貴様を陥れた魔術師と魔族に対する憎悪がほんのわずかしかなかった。貴様は連中を恨んでいないのか。連中が居なければ貴様が『門』を開くこともなかったのだぞ」

「どうだろうな。今まで自分の罪ばっかり考えてて思ったこともなかった」

「それが問題だ。貴様は自分を勘定に入れ無さ過ぎる。それはあるものには眩いばかりの善性に映るかもしれんが、俺からすれば異常だ。いつか必ず貴様はその性質によって窮地に追い込まれるだろう」

 食ってかかった春太も黙った。棘が抱いている感情が自分がイオに抱いたものと同じだと気づいたからだ。イオはあまりに優しすぎたのだ。それは度を越えすぎていたのだった。

「そうだな。それはこいつに言われて私も気づいた。この先今回みたいなことに飛び込んでいったらもっと私を苦しめるかも知れない。確かにこんな程度じゃ済まないかも知れない。ご忠告ありがとうよ。これからは気をつけるよ。自分を大事にするように。それにさ、もしもの時はこいつが助けに来てくれるよ。今日みたいにな」

 そう言ってイオは意地悪な笑顔を春太に向けた。春太は「うえぇえ?」と間抜けな声で応じた。

「真面目に言っているのか。なら、私を憎め。罵詈雑言を浴びせろ」

「嫌だね。今際の際に敵対してたやつに助言するようなお人好し、憎める訳無いだろ」

「な・・・に・・・?」

 棘ははっとして目を見開いた。イオの言葉は不意打ちだったらしい。自分がまさしく助言をイオにしていたことに気づいていなかったらしい。

「それからさお前は自分を『人でなし』だって言ってたけど、自分が『人でなし』かどうか悩むやつは『人でなし』なわけないと思うぜ。だから、お前はやっぱり『愛』ってやつが分かってたのさ」

「違う、断じて違う。そんなことは有り得ん。私は・・・・、ふっ・・・もう時間がないな。ではさらばだ。この戦い間違いなく・・・お前らの勝利だった・・・・・」

 そう言って、棘は目を閉じそれから開くことはなかった。

「さようなら、棘さん」

 涼子がかがんで棘の顔を見た。名残惜しそうに。本当に悲しそうに涼子は棘を看取った。棘の表情はさきほどまでと同一人物とは思えない安らかで穏やかなものだった



 人でなしの呪術師はまさに今際のきわ、死の直前にあった。人でなしの呪術師は最後に現れる映像はきっと自分にふさわしい寂れた暗いものだと信じていた。自分には人の心が分からないはずだから。分かってしまったら今までのいろんなものが崩壊してしまうから。だから呪術師は最後の光景がうらぶれたものだと頑なに信じていた。

 だが、残念ながらその予想は外れてしまった。それでも呪術師はその光景を見ると心の底から安堵し、そして安らかに眠りについていった。

 呪術師の最後の光景は、想い人の陽射しのように暖かい笑顔だった。



「おい、なに寝ようとしてんだ」

「なに?」

 そして棘は目を開いた。そこにあったのはあの世の景色ではなく、さきほどまでと同じ海浜公園の真ん中から見る、白み始めた空だった。

「何が、起きた」

 棘は自分の手を腹に当てる、そこにあったはずの大穴は綺麗に消え去っていた。ちゃんと自分の肉体がそこにあった。

「私は古今東西のあらゆる魔術を体得してるんだ。それにこれだけの魔力量を持ってる。瀕死の傷の蘇生くらいならなんとかできるのさ」

「貴様、先ほど言ったことをもう忘れたのか。自分をないがしろにするなと」

「お前こそ私の言ったことを忘れたのか。お前はお人好しだ。お人好しがむざむざ死んでくのを黙って見送っちゃ寝覚めが悪い」

「貴様は私を似ていると言っていたがそれは間違いだ。貴様はまったく、救えんやつだ・・・・・」

 棘は初めてイオたちの前で表情らしい表情を浮かべた。苦々しい不快そうな表情。それを見てオは笑った。

 こうして戦いは本当に終わりを迎えた。

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