第12話

「・・・・・」

 意識が戻ると俺は泣いていた。それで、俺はイオの元に歩み寄った。イオはまだ目を閉じている。髪も服も雨に濡れてしまっていた。俺は起こしていいものか少しだけ悩み、それからイオの肩を揺すった。2、3回揺するとイオは目を開いた。

「おう」

「ああ、お前か」

 イオは俺の顔を見ると微笑んだ。安心させられたようで何よりだった。そしてその視線を俺の向こう、空に空いた裂け目に向けた。少し体が揺れたように見えた。

「私は『鍵』になったんだな。『門』は開かれたんだな」

「ああ、ごめん。本当にごめん。俺じゃ止められなかった」

「何謝ってんだ。お前に頼る気なんか始めからねぇよ」

 イオはそう言って意地の悪い笑みを浮かべた。イオは多分今必死に堪えていた。多分今イオは叫びだしたいはずだった。心なしか肩を震わせているように見えた。だって目の前に自分が一番見たくない景色が広がっているのだ。そしてそれは自分を利用して作られたのだ。イオなら思ってしまうはずだ、『ああ、また自分のせいでこうなってしまった』と。それをイオは今必死に隠している。多分俺たちにショックを与えないためだ。とんだお人好しだ。信じられない変人だと思う。最初強いやつなんだと思ったけれど。ひょっとしたら、ただただ強がっていただけなのもしれなかった。

「アホかお前は」

 気づくと俺はそう言っていた。

「何笑ってんだ。今の状況を分かってんのか。世界が終わろうとしてんだぞ」

「・・・・・そうだな」

「笑ってる場合じゃないだろ。叫びたけりゃ叫べよ、泣きたければ泣けよ。何を頑張ってんだ」

「お前・・・・」

「お前の過去全部聞いたぞ。だったら今まともでいれるはずなんてないだろ」

「それは・・・・」

「強がる必要なんてないんだ。そんな気を使われるんなんてまっぴらだぜ。こっちはお前が取り乱したくらいでうろたえるようなやわな人格してないさ」

 そうだ。なんだかんだこっちは少しの付き合いでずいぶん深い関係になったような気がするのだ。少なくともこんな風に追い詰められている様を見て助けあげたくなるくらいには。

「全部一人でやろうとするな。俺はお前が苦しんでるのは嫌だ」

 始めて助けられた時からなんとかこいつの力になりたいと思っていた。でも、今は恩義からの意思ではない。純粋な仲間としての思いだった。

「それから、俺はお前を許すぞ。他の誰が何と言ったとしても俺はお前を許す。お前は悪くないんだ」

 イオがなんと思っていても、それが俺の思うことだ。たとえイオの心をえぐることになったとしても、たとえイオが激昂してつかみかかってきたとしても、俺はどうしても言わなくてはならないと思った。

「なんだそりゃ」

 そんな俺を見てイオは軽く吹き出していた。今度のは本当に笑っているようだった。

「格好つけやがって。中々恥ずかしかったぜ今の」

「な! 俺はお前のことを思って・・・・」

 と言いつつ、ものすごい恥ずかしくなってきた。確かに勢いに任せて大分普段言わないような思い切ったことを思い切った口調で言っていたかもしれない。俺は赤面するのを感じた。しかし、そんな俺の鼻っ柱をイオは軽くデコピンした。

「いつっ! なんだよ」

「ここに来てよかった。お前に会えて良かった」

 そう言ってイオは優しく、本当の微笑みを浮かべた。それはずいぶん綺麗で俺はまた別の意味で赤面した。

「さてと」

 イオは起き上がる。そして棘の元まで行った。足取りはしっかりしている。体調に別状はないようだった。

「起きたか」

 先に口を開いたのは以外にも棘の方だった。

「だが、もう遅かったな。破滅は始まっている」

「はっ。偉そうに言うなよ。お前、もう死にかけてるじゃないか」

「ふっ、違いない」

 棘はひとつも表情を変えずに笑った。

「結局、お前はなんで『門』を開いたんだ」

「・・・・・・」

 俺がした質問をまたイオも口にした。案の定、棘は答えない。代わりに涼子さんが答えた。

「棘さんは可南子を、失ってしまった恋人を生き返らせる方法を得るために『門』を開く契約をアザムヤゼムと交わしていたのよ」

 その言葉にイオはしばし棘を見つめて黙った。そしてやがて口を開いた。

「そうか、やっぱりか。なんか、お前は私に似ている気がしてたんだ」

「違う、俺はただの『人でなし』だ」

「はっ、私はどうもお前を嫌いになれそうにない」

 イオはそう言った。清々しかった。

「さて。じゃあ、どうにもならないものをどうにかするとするか」

 イオは海に、開きつつある『門』と高笑いを続ける巨大なアザムヤゼムを睨む。

「どうやってだよ。俺たちも考えたけどもう方法なんてないんだぜ」

「いや、まだある」

 もう方法は出尽くしたはずだ。それともイオなら。あらゆる知識が豊富なイオならなんとかなるだろうか。

「そうだな。まず『鍵』である私自身を利用するしかない。開くってことは閉じることも出来るからな。問題はどうやって干渉するかだが・・・・・」

 だが、イオの口から出たのは俺たちがすがって打ち砕かれた理論だった。涼子さんは苦々しい思いを噛み殺してイオに事実を告げた。

「イオちゃん。残念だけどもうイオちゃんは『鍵』じゃないのよ」

「なんだって?」

「アザムヤゼムがイオちゃんから『門』の権利を奪ってしまったのよ。今『門』に直接干渉できるのはアザムヤゼムだけなの」

 それはつまり絶望だった。『本体』を現界させた強大なアザムヤゼム、それをどうにかしない限り『門』は閉じないということだからだ。涼子さんの話ではそれは到底不可能なことなのだ。少なくともここに居るメンバーでは絶対に。イオでさえ魔術も『カラー』も通用しない。それはつまりもう方法がないということに他ならなかった。それはイオにとってはあまりに残酷な事実。今度こそイオは叫びだすかもしれない。そう思った。

「そうか」

 イオはアザムヤゼムを睨んでいる。その表情は、

「なら、もう勝ったな」

 しかし、勝利を確信した不敵な笑みだった。

「は?」

 俺は思わず声を漏らしていた。その場にいる人間、棘でさえなにを言っているのか理解しかねているようだった。この状況下で「勝った」とはどういうことだ。

「何言ってんだ。どんな方法があるっていうんだよ」

「涼子。あいつが『門』の所有権を持ってるてことはあいつの魔力で『門』を開いてるってことだよな」

「ええ、多分そのはずよ」

「なら、簡単だ。あいつをぶっ倒せば『門』は閉じる」

「はぁ? いや、何言ってんだよ本当に。それができりゃ苦労はしねぇんだ」

「ああ、ならもう苦労はしなくていいぜ」

 唖然とする俺を尻目にイオは防波堤の近くまで行きアザムヤゼムに対峙する。その後ろ姿は何一つ物怖じすることはなく、自身に満ち溢れた頼もしい背中だった。あのとき、初めて助けてくれた時のような頼もしさ。

「おい、アザムヤゼム」

 イオが言うとアザムヤゼムは天を仰ぐその巨体をグルリと回しイオに目を向けた。

「はぁああ? なんだ、お前目が覚めたのか。どうだ、この光景を見た感想は」

「クソみてぇな気分だ。一番嫌な記憶がよみがえってくる」

「だろうだろうそうだろう。恐ろしいよなぁ! あのたった一つの眼球さえ『古き母』の数万とある目玉の一つに過ぎないんだ。どれだけの化け物だろうか。お前の過去を思い出すだろう? 実に苦痛で実に絶望的だろう?」

「ああ、まったくだ。だからとっとと消し飛ばすぜ」

 イオの言葉にアザムヤゼムも一瞬動きが止まった。

「はぁあ? はぁああああ? お前自分がなにを言ってるのか分かってるのか?」

「『門』を閉じるって言ってるのさ。つまるところお前を倒すってことだ」

「おいおいおいおいおい。面白いじゃないか。お前が僕を倒すだって?」

「ああ、お前じゃ私には勝てないんだからな」

 イオの言葉にさらに固まるアザムヤゼム。そしてそれから巨大な体を震わせ始めた。笑っているのだ。

「くくくく、ひひひひひ、ヒヒャハハハハハ! おいおいおいおい! 正気かお前? あまりに愚か・・・・いや、いや、違うな! 素晴らしい! この局面でそんなキレたハッタリをかますなんて尊敬に値するよ! どうしったていうんだ? あんまり絶望的でとうとう狂ったか? 僕がお前に勝てないだって? この状況からどうやってそんな妄言に至るんだよ? ひゃははは」

 アザムヤゼムは余裕に満ちた声色で言う。

「お前の戦い方は魔術に主軸を置いてる。つまり魔術で勝てなかったらお前にはもう対抗策がないのさ」

「はぁああ? つまりお前は僕に魔術で勝てるって言いたいのか? おいおい、あんまり面白すぎるなぁ!」

 そう言ってアザムヤゼムは無数にある腕のひとつを振るう。すると一瞬で巨大な竜巻が5つ形成され俺たちの周囲を囲んだ。竜巻は山の木々を吹き飛ばし、海の水を吸い上げていった。

「なっ」

「くっ」

 俺と涼子さんはは巻き起こる暴風に身をかがめて耐える。

「そら! もうひとつ!」

 そう言ってアザムヤゼムがまた腕を振るうと巨大な紫色の業火が巻き起こる。それは一瞬で見渡す限りの海の水を干上がらせた。大量の水蒸気でまたも爆風が起きる。

「なんて魔術なの」

 涼子さんは息を呑む。こんなもの人間のあらゆる科学技術を結集しても容易に起こせるものじゃない。アザムヤゼムはそれをいとも簡単に連発してくる。レベルの差は歴然だ。こんなもの人間が、俺たちが相手を出来るわけがない。

「どうだ! これでも僕の魔術に勝てるって? お前の最高クラスの魔術でも精々家屋ひとつを吹き飛ばせるかどうかだろう? 魔力量を見れば分かる。魔術の強さは魔力量の大きさだ。所詮人間の上位魔術師程度の魔力量しかないお前じゃ逆立ちしたって僕には勝てないんだよぉ! 加えて・・・・」

 ザァ、とアザムヤゼムの体から何かが吹き出した。黒い霧、いや、アザムヤゼムの『子供』たちだ。極小サイズのアザムヤゼムの分身。それがすさまじい大群を成して押し寄せ、俺たちの周りを囲んだ。

「お前の『カラー』も僕とその『子供』たちには効かない! 『カラー』が通用するのは自分より下位か同等の階級の魔族までだ! 小賢しい芸当も通用しないんだよ! どうだ! お前が僕に勝つ方法なんて存在しないんだ! 諦めて泣き叫べ! ゲームオーバーだ! ヒャハハハハハハハ」

 アザムヤゼムは勝ちを確信した大笑いを轟かせた。不愉快な忌々しい笑い声。だが、アザムヤゼムの言うことは全て事実だ。しかし、対するイオの顔には未だ不敵な笑みが浮かんでいた。敗北を何一つ感じさせない不敵な笑み。

「そうだ。私は魔力量じゃお前には勝てない。でも、逆に言えば魔力量で上回ればお前には勝てるんだ」

「はぁ? なに言ってんだ?」

「そして確かに『カラー』はお前には効かない。『カラー』が効くのは自分より下位か同等の階級の魔族まで」

「なに僕が言ったこと繰り返してるんだ? 自分の敗北を確かめてるのかぁ? ヒャハハハハ!」

「でもな、『自分と同等の階級の魔族』っていうのには『自分自身』も含まれるんだよ」 

 イオは勝ち誇ったようにその言葉を言い、そして不敵な笑みをより一層深くした。

「はぁああ? 何言って・・・・」

 アザムヤゼムがその言葉の意味を理解する前にイオは自分自身の胸にその手を当てた。

「私の『魔力量』を反転する」

 ズン、と大気が振動した。いや、本当かどうか分からないが感じたままを表現するなら、世界が振動した。その中心はイオだった。イオから溢れるものすごい力の波が世界全体を揺らしているのだ。

「こ、これは・・・・」

 涼子さんは息を呑む。イオの周りに赤い稲妻が走る。イオの周りが陽炎のように揺らめいている。

「強大すぎる魔力量で空間が歪んでる・・・・」

 周りに発生した竜巻が掻き消えていく。取り囲んでいた『子供』たちが怯えるように急激に霧散していく。黒い雲が空を埋め尽くし、赤い稲光が激しく轟く。

「な」

「イオちゃんの魔力が天候を変えてるの?」

 今の俺にはよりはっきりと理解できた。強烈な甘い匂いが辺りを満たしている。イオから溢れる力は魔力。それもあまりに尋常でない量。それはあそこに居る巨大なアザムヤゼムから感じる膨大な魔力さえ塗りつぶしてしまうほどの強大な魔力量。イオは自分の『極小な魔力量』を『強大な魔力量』に反転させたのだ。

「な、なんだこれは・・・・・なんだこれは・・・・・」

 さっきまで余裕に満ちていたアザムヤザムが明らかにうろたえている。

「なんだ、この魔力量は・・・・・。こんな、これじゃあまるで王族クラス・・・・。こんなことが、こんなデタラメが、こんなペテンが許されるはずが!」

 アザムヤゼムはそう言いながらその巨体を仰け反らせる。

「ああ、だから気に入らないけど私のあだ名は『ペテン師』なのさ」

「こんな、こんな馬鹿な。こんな馬鹿なことがああああぁ!」

 アザムヤゼムは叫んでいた。さっきまでの優越感は完全に消え去っていた。アザムヤゼムは完全に萎縮していた。現状を受け入れることさえ困難なようだ。それはこのアザムヤゼムとイオの間に明確な力量差があるということを示していた。そんなアザムヤゼムにイオは言う。

「さぁ、ゲームオーバーだぜ。アザムヤゼム」

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