第11話
「ぬうううう!」
棘は呻きながら膝を折る。腕を地面に立て必死に立ち直ろうとしているがどうしようもない。脳が揺れているのだ。意識が飛んでいないのが不思議なほどのものだ。俺は三本の触手を使って動けない棘の動きを封じた。
「お前の負けだ。観念しろ」
「ぬうう。そうか、貴様金属を食って電流を逃がしていたのか」
そういうことだった。俺は自分に降りかかる災いを警戒しながら考えていた。今日の風で何が飛んできても今の丈夫な体ならなんとかなる。今日は荒天だった。もし、自分を殺すほどの災いがあるならそれは雷ではないだろうか、と予想した。それで戦いながら落ちていたアルミ缶を食ったのだ。雷の電流はなんの抵抗もなく俺の体を通り過ぎ地面に流れた。俺の体はノーダメージだった。衝撃で一瞬気絶したがすぐに立ち直れた。
「俺としたことが素人が相手だからと油断したか。あの場で少し頭を回したなら対策ぐらい打つのは当たり前だった」
「負けを認めたらさっさと術を解け。それでイオを解放しろ」
勝負はあったのだ。あとはイオを起こせばアザムヤゼムはイオが倒してくれる。そうすれば俺たちの完全勝利だ。
「その心配ならない。貴様を倒したと見誤った時点で術は解いた」
「なら、イオを解放しろ」
「それはもはや無理だな」
「なんだと」
問い詰める俺にも棘は表情を変えることがない。そして言った。
「もう、儀式は終わってしまった」
棘の言葉と同時に、巨大な圧力が辺りに満ちていくのを感じた。何かが起きている。それは今まで感じたことのない感覚だった。全容を把握してもいないのにとてつもない恐怖が全身を駆け巡った。恐ろしいことが起きているのが分かった。俺はイオを見る。イオの周りには魔法陣が浮いていた。紫色の『扉』のような色をした魔法陣。そこから光の筋が登っていた。真っ直ぐに空に向かっていた。俺はその指し示す方を、上を見上げる。
光は雲に指していた。その先からハッキリとメキメキバキバキと何かが割れる轟音がしていた。それは絶対に空からするはずのない音だった。しばらくその音が響いている。冬の雨や吹きすさぶ風の音さえかき消すような轟音だった。そしてやがてその音のする空の雲が切れていった。いや切れたのではない飲み込まれたのだ。その向こうにあるものに。そして異界の魔力とも現界の魔力とも違う『恐ろしい』匂いが漂った。匂いを恐ろしいと思ったのは初めてだった。
「・・・・・なんだこれは」
そこに空いていたのは裂け目だった。とてつもなく巨大な裂け目だった。それは水平線の彼方から後ろの山の向こうまで端と端が届いていた。
「・・・・・・・なんなんだよ、これは」
俺は全身から冷や汗が止まらなかった。それはアザムヤゼムに食われた時とはまた別の、いやそれ以上の恐怖だった。
裂け目の向こうにあったのは巨大な瞳だった。水平線の彼方から山の裏まで続く裂け目、そこから覗くひとつの眼だった。大きすぎた。冗談にしてもたちが悪かった。巨大な巨大な化物の目が俺たちの世界を覗いていた。今まで実感がな方がもうはっきりと感じられた。こんなものは、こんなものはこれだけでこの世の終わりが始まったのだと理解できる。誰に言われなくても分かった。これが『古き母』だ。
「理解したか。今、この世の終わりが始まった」
下で佇む棘が言った。しかし、俺はそれに目を向けることさえできない。上にあるものから目を逸らしたなら、その瞬間に全てが終わるというような錯覚に捕らわれてしまっていたのだ。
「春太君! 気を取り直して!」
と、俺の背中がバシンと力強く叩かれた。それで俺は我に返る。涼子さんだった。
「まだ、全てが終わったわけじゃない。イオちゃんが『鍵』なら開くだけじゃなくて閉じることも可能なはずなのよ。その方法を探すのよ」
涼子さんはまだ諦めていなかった。俺はそれでようやく勢いを取り戻した。
「そうだ、そうです。棘! どうすれば『門』は閉じるんだ」
「教えん。今まさに悲願は成就されたのだ」
「なら・・・・・」
「殺すか? できんだろうお前には」
「・・・・・っ」
確かにこの期に及んで、俺は棘を殺せと言われたらできる気がしなかった。俺は歯を食いしばって動きを止める。世界の命運が、イオの命運がかかっているのに俺は、俺はなんて、
「それは弱さではないわよ、春太君」
そんな俺に涼子さんが言った。
「この子はあなたを殺さないわ。代わりに私が殺す。今すぐ『門』を閉じて、棘さん」
「そうか、それは困ったな」
まったく困っていない様子で棘は言った。と、
「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
公園をつんざく不快な大笑いが響いた。アザムヤゼムだった。
「やった! やったぞ! とうとう『門』が開いた! ヒャハハハハハハハハハハ」
アザムヤゼムは大喜びで飛び上がっていた。しかし、そこにアルバートが無慈悲に襲いかかる。アルバートとアザムヤゼムの笑い声が重なり実に不気味だった。
「げぇええっ。 ゲフッ。ギヒヒヒヒヒ。ヒャハハハハ。ガフっ。ヒャハハハハハ」
殴られ、引き裂かれ、全身を破壊されながらもアザムヤゼムは喜んでいた。もはや苦痛程度ではその喜びは収まらないのだ。
「これで僕が一番乗りだ! 他のアホどもめざまぁ見ろ。これで僕の時代だ! ヒャハハハハハ」
笑うアザムヤゼムをアルバートが縦に引き裂いた。脳天から股まで文字通りの真っ二つ。それでもアザムヤゼムは笑い続けたが、それをアルバートはさらに八つ裂きにしていった。そして笑い声とともにアザムヤゼムの肉体は塵に変わり崩れていく。
「倒したんですか」
「いえ、倒したんじゃないわ。もう、どれだけあれを倒しても無駄なのよ」
と、また笑い声が聞こえた。アザムヤゼムのものだった。しかし、塵に変わって消えていくのにそれとは別にまた笑い声が聞こえ始めたのだ。それは裂け目の向こうからだった。『古き母』が覗き込む裂け目、その向こうから巨大なものが降りてきた。
「ヒャハハハハハハ! これで世界はお仕舞だ! めでたしめでたし! ヒャハハアハハハハ!」
それは巨大な肉塊だった。恐らく100mはゆうに超える大きさの岩のようで、そこかしこにいびつな腕が生えていた。そして胴体をぐるりと回るように巨大な口があり、人のような歯が並んでいた。その上に一つ大きな目があった。巨大な化け物が降りてきたのだ。
「『暴食貴族アザムヤゼム男爵』、これがその本体よ」
「ここに来てたのは分身で、あれがずっと指示をだしてたってことですか」
「そう、そしてあれはもう私たちにどうにかできる相手じゃない。あなたもアルバートも、管理局の精鋭が何百人集まっても勝てるかどうか。そしてイオちゃんでさえ力は及ばない」
「イオでも? でもイオはいっつもあいつを圧倒してて」
「無理なのよ。魔力量が違いすぎる。もうイオちゃんのどんな魔術でもやつに傷一つ付けられない。『カラー』も上位の魔族には通じない」
「でも、始めて会った時の、『魔族殺しの魔術』ってやつならあいつを殺せんるんじゃ」
「古代魔術(ハイエンシェント)ね。でもあれは正確には『デコイ殺し』の魔術。本体には無意味なのよ」
「そんな」
そんな。じゃあどうすればいいんだ。状況はずいぶん絶望的じゃないか。もう残された手に最善を尽くすしかない。
「くそ! イオの『鍵』の力で『門』を」
「そう、それしかない。棘さん。早く教えて。本当に世界が終わってしまう」
涼子さんは棘に詰め寄る。しかし、
「ハッハア! みっともなくあがいてるなぁ! でもその希望ももう無意味だぜぇ! 『門』の所有権を僕に書き換えたからなぁ! お前らが、その娘が、どれだけなにをしようとももう無意味さ! 可哀想に! ご苦労様! ヒャハハハハハハハ!」
「なんですって。じゃあ、もう『門』に私たちは干渉できないってことじゃない」
「それじゃあ、どうしろっていうんですか。そんな、それじゃあ・・・・」
「ええ、私たちはもう、『門』を閉じれない」
涼子さんは奥歯を噛み締めている。『門』を閉じれない。それは、それはすなわち。もう全て終わったということではないのか。ぎしりと、音がした。見上げれば、なにか巨大な腕が裂け目にかかっていた。腕、腕かどうかも良く分からないいびつななにかだが、あれは恐らく『古き母』の腕なのだろう。あれはこちらに入ってこようとしているのだ。
「おおおおお! 自分のチカラでこっちにこようっていうのか! 素晴らしい! いやぁ! 今日ほど気分のいい日は初めてだ! ヒャハハハハハ!」
アザムヤゼムは笑っている。勝利を確信した笑い。僕たちの絶望を心から喜んでいる笑い。だが、俺はそれに対してどうすることもできない。実際、もうどうしようもないのか。なにか、なにか手はないのか!
「棘! どうにかできないのか!」
「ああ、もうどうしようもない。全ては終わってしまった」
「・・・・っ」
言葉にされて、しかし受け入れられず俺はなにをすることもできない。世界が終わる? 本当に? だが、上のアレならばそれが可能だろうことは嫌というほど分かった。
「アザムヤゼム。目的は果たされた。俺との契約も守ってもらおう」
棘はそんな俺を無視し、アザムヤゼムに言った。
「おお? なにげに僕を名前で呼んだの始めてじゃないのか?」
「必要になれば呼ぶ。それよりも契約を守れ」
「やれやれ、焦るなよ。ちゃんと守るさ。僕たちは戦友だからな。ヒャハハハ」
契約。『門』を開けたらアザムヤゼムから棘の術を更なる高みに到達させるすべを教えるというやつか。そんなことのために今世界は滅ぼうとしているのか。だが、もうそれを止めることにさえ意味はない。
「ほら、大事に受け取れよ」
そう、アザムヤゼムが言った同時に衝撃が俺の体を襲った。腹に何かが強く当たったのだ。だが、俺の体はアスファルトとアルミの性質を備えている。何かは俺の腹に傷をつけたがそれ以上は何もなかった。代わりに俺は空高く吹っ飛んだ。そして落下。俺は何が起きたのかと体を起こす。
「いてぇ、くそ。 ・・・・っ!」
見ると、棘の腹を大きく貫通して、地面から肉の柱が伸びていた。アザムヤゼムの肉体だろうと思われた。
「ヒャハハハハハ! いいプレゼントだろう! あの世でゆっくり術の研究をしてくれ! そうすりゃいつかはお前の『女を生き返らさせたい』って望みも叶うだろう! ヒャハハハハハハ!」
アザムヤゼムは一際大声で笑った。
「・・・・がはっ・・・・貴様・・・・・」
「僕を散々コケにした意趣返しだぜ! 自分の行いを呪うんだな! 『呪術師』だけにってか! ヒャハハハハハ!」
「・・・・・がふっ・・・・・救えん奴だ・・・・・」
棘は血を吹き出した。どこから見ても致命傷だ。腹の真ん中に大穴が空いている。流れ出した血はみるみる血だまりを作っていく。あとどれだけ保つのだろうか。
「さぁ! 死ぬ瞬間までこの世紀のショウを見届けろよ! ここからが面白いんだからさ! ヒャハハハハ」
アザムヤゼムはそう言って、体から無数に伸びる腕で天を仰いでいる。まさしく『古き母』を呼んでいるようだ。俺たちをどうする気なのかも分からない。やつの全てはまさに降りてくる怪物のみに向けれらているのだ。
「棘さん。やっぱり、可南子を生き返らせるのを諦めてなかったのね」
そんな状況で言ったのは涼子さんだった。しかし、棘は答えない。アザムヤゼムは『女を生き返らせること』が棘の目的だと言った。確かに言っていた。それは俺の棘に対する印象とは違う望みだ。こいつは人間味のない冷たいやつだと思っていた。
「可南子って誰なんですか」
「私の友達。そして棘さんの恋人。魔術の天才だったわ」
恋人、正直棘に最も似合わない言葉だった。
「可南子はこの業界でもトップクラスで誰もが知ってる魔術師だった。先も期待されて能力もあって、誰が見ても特別な人間だった。自分でもそういう視線を分かってたから、他人と接するときはそれを踏まえた上で礼節をわきまえて振舞ってた。私の前では砕けてたけど、私以上に砕けて接してたのが棘さん。棘さんの前に居る可南子が本当の可南子だった」
なんでこんな陰気な人間にそんなに砕けて接していたのか全然分からない。それが恋というやつなのか?
「二人はなんだかんだ仲が良くて、私にはこのまま二人はどんどん深い関係になる気がしてた。でも、可南子は死んだ。交通事故だった。魔術の天才でも死に様はあっけなかった。それから、棘さんは可南子のことをずっと引きずっていた。可南子が死んだのは棘さんが誘った出先でのことだった。棘さんは自分が軽率に誘わなければと悔やんでいた。だから、可南子を生き返らせる方法をずっとさがしていたのよ」
それは、どこかで聞いた気がした話だった。
「悔やんでなどいない」
と、棘が始めて口を開いた。俺に話す時と変わりない。厳しい口調だった。何も変わったところはない。
「ただ、俺のせいで死んだのだ。責任を感じているというだけだ。俺にはあいつを生き返らせる義務がある」
「それは詭弁よ、棘さん」
「詭弁などではない。事実だ。俺は人間らしい感情が実に希薄だ。『愛』というやつなど理解できるはずもない。呪術師などが出来る人間が『人でなし』でないはずがないだろう。知り合いが死んで後悔などするはずがないだろう。俺はただ世の義務としてやつを生き返らせようとしているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
棘はそう言ってまた口をつぐんだ。譲る気はないらしかった。正直俺には棘の言葉が本当で、涼子さんの言葉が願望であるようにしか思えなかった。俺にはこいつが人間味のない恐ろしい男にしか見えないのだから。でも、涼子さんは違ったようで、難しそうに眉を寄せていた。
その間にもアザムヤゼムはち着々と『門』を開いていた。どんどん空の裂け目が広がっていく。本当にもはや打つ手はないのか。いや、それよりもまず、イオの顔を見なくてはならないことに気づいた。
「もはや『鍵』ではなくなった。ゆすれば起きるだろう」
イオに駆け寄ろうとする俺に棘が言った。
「だが、この状況を見たならすぐさま我を失うだろう」
「お前が言うのか。イオを『鍵』にしたお前が」
「違いない」
棘は別に申し訳なさそうではなかった。苛立たしいことだった。しかし、棘は続けた。
「貴様はその娘を救いたいのだったな」
「当たり前だ」
「だが、この有様ではもはや救うことは叶わん。代わりと言ってはなんだが、その娘の過去を見せてやろう。その娘の苦しみを和らげられるならお前だけだろうからな」
そう言って棘は指を動かす。灰が流れを作り、俺とイオを繋いだ。そしてその瞬間にいろんなものが俺に流れ込んできた。
感情が感じられた。それは苦痛、それは絶望、それは懺悔。そしてそれらを忘れるまいとしながらも、同時に投げ出して逃げ出したいという激情との葛藤。そしてそれら全てを胸の奥で渦巻かせながらそれでも生き続けようという決意。
映像が見えた。異国の町並み、笑う人々、優しそうな老婆。陰鬱な男、裂ける空。血まみれの老婆。伸びる異形の腕、それが街を舐めとっていく光景。地面に落ちる涙。それを繰り返し思い出しながら訪れた数々の街。
それらは脈絡なく、無茶苦茶な順序で俺に流れ込んできた。これでイオの過去が分かったというわけではなかった。映像と感情が流れ込んできただけでイオのその時と今までの全てを読み取れるわけではなかった。ただ、恐ろしくて、悲しいことが起きたということだけは分かった。少しだけ、ほんの少しだけは一端を味わうことはできた。でも、やっぱりこれは俺には理解できなかった。俺にはこんな強烈なことが起きたためしはなかった。部活で勝った時の達成感も、高校に受かった時の喜びも、これに並ぶほど強い感情ではなかった。だから、イオのことを分かってやることは出来なかった。でも、必ず何か言ってやりたかった。こんなことを抱えながら今までやってきたっていうんなら、俺は何か言わなくてはならないと思った。
そうして、おれの意識が現実に戻る前、最後に見えたのは、優しい老婆の笑顔とそれに対して感じた暖かな感情だった。
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