ある学校の校外学習であったこと3
そういえば、あの子と会った時も廃バスだったような気がする。
顔も思い出せないある日の夏。
日の傾きも大分早かったような気がする。
あの日は偶然三連休の1日だけおじいちゃんおばあちゃんのところに行こうとお父さんが無茶苦茶を言った気がする。
割と強行軍で、私は物凄く嫌がったような気がしたけれども、おばあちゃんの体調が悪くて、しょうがなくついていかざるを得なかった気がする。
中学校の1年生。セーラ服が似合う中学3年生にしか見えない私は何だか周囲の目が嫌になって、廃バスの中に逃げ込むように行って、ぼーっとしていた。
何も考えたくない。
もうどうでもいい。
何てことを思いつつ、おばあちゃん子でもお爺ちゃん子でもない水梨芳香は何故か捕まえた蝶を拾った鳥籠のようなものにいれて、茫然自失としていたのだけは覚えている。
「そこにいるのは誰?」
廃バスの陰から呼びかけられた声は舌っ足らずな女の子の声だった。
近所の子のように思えたが、この集落はそんなに人口はなく、大体の子供と私は知り合いだったのでびっくりした。
聞いたことのない声。そして、見たことのない赤い着物を着た少女はまるで、時代劇にでも出てきそうな姿と黒いおかっぱ髪。それか、日本人形の擬人化とでもいおうか。
まるで座敷童がバスにでもとりついているようだと私は思ってしまった。
「私? 私は水梨芳香。水梨のおばあちゃんが倒れたからって、こっちにやってきたただの孫よ」
何て答えたのも座敷童だからちゃんと答えなきゃなんて思ったわけで。
「どうして、こんなところにいるの?」
少し警戒を下げてくれたみたいで強い口調がなくなったので、私も少し砕けた口調で答える。
「うーん、お姉ちゃんはちょっとここで休憩しているの。もう少しだけいさせてくれないかな」
「いいよ。代わりに遊ぼ」
そうやって彼女の許可をもらった私は少しずつ話をしていく。
特に偶然捕まえた蝶の話になる。
紫色の蝶。
オオムラサキと呼ばれるその蝶を捕まえた話をして、気づいたら、もう夕方も暮れそうになっていた。
流石に帰らなくてはいけないと思った時、私はその蝶を彼女に渡した。
渡した。
その時の彼女の顔は寂しくて、すまなさそうで、ただ、私を見つめていた。
私もその顔にごめんなさいと告げることしかできず、何もできなかったのをよく覚えている。
時間があることくらい、この頃の私だってよくわかっていた。このままグズグズしていれば、親たちに怒られてしまう。
せめてはこの子をここから連れ出そうとするだけではないかと私は思い、彼女の手を引こうと思ったところ、ふと思った。
今の私の服、セーラ服だっただろうか。中学生の頃のこんなセーラ服ではない。
臙脂色のブレザー。
違う、これは。
「ごめんなさい」
そのおかっぱ少女の声は実態を持っている。現実を生きている。
私はゆっくりと問う。
「あなたは誰?」
ふいに鳥籠のオオムラサキが鳥籠からあふれる。
紫の濁流と化したそれは私の息を止めるように取り囲み始める。
「わ、我が導くは流れ。目の前にあふれる流れを止め給え!」
慌てて、オオムラサキの群れを止めようとするが、それは私の手から出した水の流れでは止めることができない。
非常に大量の蝶の群れが私に襲い掛かり、視界を覆う。
それは蝶というよりもイナゴが大量発生した時を思わせるくらいの凶悪さだ。
せめて、顔を蝶の大群から守りながら、意識を魔術に集中させようとするが、うまくいかない。
こんなので私死んじゃうの、最低じゃない。
嫌だ。誰か、助けて。
「馬鹿ッ!」
小さな誰かの手が伸びてきた。私はその手にすがるように自分の手を差し出した。
ぎゅっと握られた手はとても小さくて、不安になるけれども少し前も握った手。
「リリーちゃん」
「何でこんな時だけ力を暴走させて、変なことに巻き込まれるの。ホント、困ったやつ! やる気がない奴にこれだけやらせるとか何!」
「そんなのわかんないよ。だって、力を使って探したのはリリーちゃんでしょ!」
「ああああ、もうそんなの聞いてないから。早くッ、芳香私の手につかまって! 引っ張り上げなさい! ほらっ、無精ひげ! 役に立てッ」
そんな声と共に、私は引っ張り上げられる。
ついでに、外に出た瞬間、風が飛んできて、私の後ろに空いた穴を縛り上げてしまう。一部オオムラサキが溢れてくるが、それもすぐに収まる。
そして、座敷童のあの子の姿が現れる。
「流石魔術師といったところね」
「うるせぇ。どんだけひやひやしたと思っているんだ。いきなり、消えたと思ったら消えて、魔術世界に閉じ込められて。これだと、俺始末書どころじゃなくなるんだがな」
「これが原因?」
「そう、その小さな魔術世界という異世界が幽霊騒動の原因。そんなに強くなかったのに、水梨の力に引かれて力を出してしまったのね」
リリーちゃんは無精ひげの風ですっかり繋ぎ止められた異世界の前に立ち、火をともす。
「もう、こんなことはやめてお眠りなさい。ほら、暖かい灯火をあげげるわ」
そう言って、彼女の火が異世界を燃やす。パチパチと送り火のように。
座敷童の彼女の姿も消えていく。
彼女は笑っていたけど、とても痛々しく思えたのは私の気持ちのせいだろうか。
それに相対するリリーちゃんの顔もとても寂しそうで、あの異世界で見せた座敷童の彼女と同じように見えた。
結局、あれは何だったのだろうか。ただの魔術世界の発現だったのだろうか。
それはよくわからない。
けれども、ただ言えることは一つ。
リリーちゃんは優しい子なんだってこと。
そして、私は何もできなかったし、ただそれだけしかなかったわけで。
ただ、私はリリーちゃんを抱きしめて、ただ一言。
「ありがとう」
「そうね」
リリーちゃんを後ろから抱きしめていたから何も見えない。
ただ、雨が降っているような気がして、夕方の空が眩しかったのだけしか覚えていない。
あとはリリーちゃんが何かを握りしめていることくらいしかわからなかった。
***
朝はやっぱりアンニュイである。
今日は7時前。
頭をシニョンを赤いリボンでまとめて作った。
女子寮のドアを開けると眠そうなリリーちゃんの姿が見えた。
「自分で起きてる」
「たまには私にだってできるって――また、その赤いのでいくのか」
リリーちゃんはあきれ顔で答えた。
「気分だって」
「まあ、わからないでもないが、魔術世界のものだぞ。そんなもので行くとどうにかならないかとか思わないのか」
私のつけている赤いリボンはあの座敷童の彼女のものの着物の切れ端だった。
それを直して、リボンにしたのが今の私のリボンだ。
だから、リリーちゃんは心配するのだ。
でも、私はこう答えるのだ。
「うーん、わからない」
「わからないって、それは」
「その時はあなたが守ってよ。リリーちゃん」
「はあっ、能天気だな」
「それでいいの私は!」
そうやって、私は座敷童の彼女のことを忘れないのだろう。
それにリリーちゃんのあの表情も忘れない。
だから、私はこうやって能天気と言われるくらいに笑ってやるのだ、と。
「ほんと、やる気がないんだが」
「そう言いながらもやってくれるのが、リリーちゃんでしょ!」
と言って、私はちっちゃいリリーちゃんの背中をポンと叩いた。
ある魔術予備校の厄介な出来事 阿房饅頭 @ahomax
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