第10話 ツカズハナレズ


 夢を見た。

 とても幸せな夢を。

 そして、なぜかここ最近よく見る夢を。

 ――いや、いつからだろう?

 それは定かじゃない。

 僕が誰かと一緒にいる夢。

 それはとても幸せな時間で、かけがえのない時間で、失われた時間で――

 失われた?

 なぜ?

 ……思い出せない。 

 僕の隣には、一人の白い髪の女性がいた。

 名前は知らない、顔も何も思い出せない。

 ただ、とても大切な人だという事はわかる。

 その大切な人と、ただ、同じ時間を過ごしている夢。

 何もいらない。

 ただ、彼女がそばにいる、それだけで、満足だった。

 でも、最後は結局、離れ離れになってしまう。

 そんな夢。

 悲しい夢。



「さま……おう……ま……」


「ん……」



 女性の声が聞こえる。

 僕を呼んでいるのだろうか……?

 しかし、瞼が重くてなかなか持ち上がらない。 



「魔王様! 魔王様! 起きてください!」



 仰向けのまま、肩を掴まれ、ユッサユッサと力強く揺さぶられる。そのあまりにも遠慮のない揺さぶりに、僕は強制的に、微睡まどろみから覚醒させられた。

 ベリアンヌ。

 覚醒した僕の目の前には、ベリアンヌの顔があった。

 ……なんだ?

 なにが起こっているんだ……?

 僕はとりあえず、ベリアンヌを目の前からどかせると、ゆっくりと上体を起こし、現在置かれている状況の把握に努めた。

 目の前に広がっているのは、何もない、見覚えのある白い空間。



「ここって……」


「やっと、起きてくださいましたか、魔王様」


「ベリアンヌ……? どうしてここに――『初代魔王様の作り出した空間』にいるんだ?」


「それは――」


「フミカたちもいますよ、魔王様」



 背後から声をかけられ、バッと振り返る。

 そこにはザブブとアトモス、そしてハルゴンの姿があった。

 しかも皆、揃いも揃って剣や斧、杖を携えていた。



「な、なんでみんながここに? それに、その武器は……?」


「まだ、混乱していらっしゃるようですね。魔王様」


「そりゃ、混乱もするよ。なんでおまえたちが『ここ』にいるんだよ。初代様の空間に来れるのは、僕と初代様だけで――」


「魔王様、ここは初代様が作り出した固有空間ではありません」


「え?」


「まず魔王様。今回の一連の流れ……結果的に魔王様を騙すような真似をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」



 そう言って、ハルゴンをはじめ、立っていた3人全員が深々と、僕に対して頭を下げた。



「え……と、あのー……ごめん。いまいち、この状況を理解できてないんだけど……僕って確か、保健室で勇者に刺されたような気が……」


「はい。それも必要な事でした」


「必要な事!? 僕が刺されることが!? ……ていうか……え? なに? その口ぶりだと、勇者と通じてたってこと? もしかして僕、裏切られた……?」


「いいえ、滅相もございません。そのようなことは、たとえ天地がひっくり返ってもあり得ませんのでご安心を。我々は生まれた時より、貴方様に仕える事だけが――」


「長い。さっさと本題に入って」



 ザブブがふくれっ面を浮かべながら、ハルゴンの言葉を遮った。



「……そうですね。申し訳ありません魔王様。ここからは、少しかいつまんで説明させていただきます」


「かいつまむって、何を……?」


「まず、今回の作戦についてですが、我々がそうなるよう、誘導させていただいた結果にございます」


「誘導……?」


「我々四戦士全員を、学校に集めるところから、魔王様が保健室で勇者に刺されるところまでです」


「マジか……て、いやいや、ちょっと待てよ。それはいくら何でもあり得なくないか? 僕が提案したのは、本当に適当で……というか、ギャルゲーをやっていたからで……」



 言いかけて口をつぐむ。

 そういえばあの時、時間逆行を使用してから覚醒する前……何か手に押し付けられていたような……。



「すみません。あの時、私が魔王様の手にゲーム機を置いておいたのです……」



 そう言って、ベリアンヌが申し訳なさそうに手を挙げた。



「そこから既に、誘導されてたってことか……。でも、一体なんで……?」


「それが、勇者が提示してきた条件だったからです」


「はあ? 勇者……? 条件……? じゃあなにか? おまえたちは、勇者の言う通りに、今回の作戦を立てたってのか? 僕を刺し殺すために?」


「魔王様を刺し殺すため……ではありません。魔王様を救うためでございます」


「……いまだに意味が解らないんだけど、つまり何? 僕を刺し殺すことが、僕を救うことになるの?」


「はい。結果的にはそれが魔王様を救うことになる……と、時を遡れる勇者が言っておりました」


「ちょ、ちょっと待って! 色々と訊きたいことはあるんだけど……時を遡る……? 勇者が?」


「はい。勇者――月城結菜は、魔王様と同じように、記憶を保持したまま、時を越えられるのです。もちろん自分たちも最初は半信半疑でした。……しかし、あの勇者は今後起こる全ての事象を言い当て、さらには我々にしか知り得ない情報をも知っていました。そして何より、我々に一切の攻撃を加えようとしてこなかった。やがて、自分たちの疑念も、次第に消え失せていきました」


「それで、勇者の言う通りにしたのか……?」


「はい」


「じゃあ……もしかして、おまえたちの不自然だった行動、全部……?」


「はい。すべては魔王様をお救いするためです。自分たちは皆、芝居をうっておりました。そしてそれは、月城結菜も同じ……」


「な、なんで勇者が、魔王の僕を救うんだ……? それに、芝居……? なんのために?」


「魔王様の中にいる存在に、気取られないためです」


「僕の中にいる存在? それって――ぐッ!?」



 突然、激しい頭痛が僕を襲った。

 頭が割れそうなほどの痛みで、立っていられないほどだった。



『魔王様!?』



 たまらず僕が膝をつくと、四戦士全員が声を上げた。すぐにも駆け寄ってきそうな四戦士たちを尻目に、僕は片腕を上げ、何でもないようアピールした。

 なんだこれは……?

 なにか、記憶の断片のようなもの、女性の顔がフラッシュバックする。

 これは……今まで僕の見ていた夢……?

 じゃあ、あの夢は本当だったのだろうか?



「……説明を、頼む」


「わかりました。説明を続けます」


「まずは、この場所から頼む……この白く、何もない空間は、初代様の固有空間のはずだ。僕と初代様しか、ここには入れないはずだ。それがなんで、おまえたちも一緒に、ここにいるんだ? それと、初代様はどこに行ったんだ?」


「そうですね。その質問に答える前に、ひとつ、訂正させていただきますと……さきほども言いましたが、ここは初代様の固有空間ではございません」


「どういうことだ……?」


「ここは魔王様……貴方の中にある空間です。つまりここは、初代様ではなく、魔王様が作り出した空間なのです」


「僕が作った? そんなはずは……というか、そもそも僕がこんな事できるわけ――」


「可能です。なぜなら、魔王様の能力は時間跳躍タイムリープだからです」


「え? ああ、うん。そうだよね。その通り。僕の能力は時間逆行タイムリープだ」


「……もしや、魔王様が仰られているのは、逆行ぎゃっこうのほうではないでしょうか?」


「そうだけど……」


「魔王様の持っておられる能力は跳躍ちょうやくのほう、でございます」


「……え? 跳躍・・?」


「はい。魔王様の能力は、時間跳躍。時間逆行ではありません」


「いや……でも、実際行けたのは過去だけで――」


「いいえ、魔王様。貴方様が行き来していたのは、現在と未来でございます」


「現在と未来……? じゃあ、僕って――」


「そうです。高校生の貴方様が、本来の魔王様でございます」


「で、でも、なんで……?」


「これは初代様の、魔王様を騙すための方便でございます」


「初代様が……僕を騙す……? なんのために?」


「勇者を打倒するためです」


「ハッ!! ということは、まさか……、僕の正体は勇者だったのか……ッ!?」


「いえ、ちがいます」


「ちがうんだ……」


「魔王様は魔王の中の魔王。純粋にして純血、純然たる魔族の王でございます」


「だよね……。でも、勇者を倒す? 僕を騙して?」


「はい。初代様の悲願は勇者の排除。それを達成されるうえで、どうしても、魔王様を騙さなければならなかったのです」


「それって……?」


「勇者、月城結菜は……あなたの恋人だったからです」


「こいび――ッ!?」



 言いかけて、頭に激痛が走る。

『あり得ない』と言いかけたが、その言葉が口から出てこない。

 僕のこれまでの失っていた記憶が、走馬灯のように脳内を駆け巡る。

 とても幸せな夢、よく見ていたあの夢。

 あの夢の――僕の過去の断片ピースが、穴あきだった夢にはまっていく。

 僕の隣で楽しそうに笑っていた、あの白髪で、ちんちくりん顔が思い出される。

 そうだ。僕は……あいつは、いつも僕の隣にいた。



「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」



 呼吸が――息が上手く吸えない。必死に肺に空気を取り込んでいる筈なのに、それが肺に溜まらない。まるで肺に穴が空いているようだ。



「思い出されたようですね、魔王様」


「……ぐ! ……ああ、全部思い出した」



 あいつ月城と僕は恋人同士だった。僕たちはこいつら四戦士や勇者の一族からも祝福され、将来を誓い合った仲だった。

 けれど、突然僕の記憶が失くなって、そこからはお互いに殺し合って――でも、あいつ勇者はそれでも僕を救おうと、何度も――



「……月城は? 結菜はいま、どこに?」


「こちらです。付いてきてください。月城様・・・は現在……いえ、ずっと戦っておられました。魔王様、貴方のために」


「ああ、わかってる。いますぐ案内してくれ」


「承知。……それと、魔王様。道すがら、耳に入れていただきたい情報が――」


「……ん? ああ、ハルゴンが言うなら大切な事なんだろう。聞くよ」


「ありがとうございます。これは、もしもの時の――」



 ◇



 月下に映える魔王城。

 太陽がごとき光を放つ魔性の月は、紅色の夜空を背に受け、禍々しくも美しく、魔王と勇者、そして、僕たちを見下ろしていた。



「クク……よくぞここまで来たな。ここまでの道程、大儀であったぞ。魔王よ……」


「ま、まお……!」



 結菜が僕の名前を呼ぶ。

 少し……いや、かなり懐かしい響きだけど、感傷に浸っている場合じゃない。

 状況は圧倒的に結菜の不利。

 あれほどまでに強く、無敵とさえ思えていた結菜が膝を折り、息も絶え絶えになっていた。

 一方、初代様は、見慣れたヨボヨボな老人の姿ではなく……全盛期の姿なのだろうか。その顔はみずみずしく、ハリがあり、とても老人には見えなかった。多分、この時の為に力を取っておいたのだろう。

 この状況は一見すると、力を取り戻した初代様が結菜を押している状況……に見られるかもしれないが、それはあり得ない。それを考慮しても、初代様が結菜を打ち負かすことは不可能なのだ。

 ではなぜ結菜が押されているのかと言うと、それもこれも、ここが僕の作りだした特殊空間だからだ。

 固有空間の内部は、作成者が法であり、絶対的な存在。

 いくら歴代最強の勇者であっても、それを覆すことはできない。

 僕を救い出すために、僕の中に入ってきた結菜を、初代様が直々に排除する。

 結菜もそれを解っていたが、僕を救うために危険を覚悟でやってきてくれたのだ。

 それを初代様が見逃さなかった。

 その為に僕に嘘をつき、こうなるよう仕向けた。

 これが初代様の能力。

人心掌握マインドテイカー

 その効果は対象の心を掌握すること。

 僕はまんまと、都合の悪い記憶だけを消され、初代様の操り人形になっていたというワケだ。

 しかし、いくらその能力が強力だといえ、無条件で発動することはできない。


 ――事の始まりは隔世遺伝のようなもの。

 自分の心の中に、もう一人、べつの気配を感じたことがあった。

 その存在は日を追うごとに大きくなっていき、やがて、高校生になるころには、もう、それが初代様であることを、認識していた。

 しかし、これは初代様であって、初代様ではない。

 所謂いわゆる、初代様だったモノの残滓。

 この残滓は、初代様が自身の死の直前、分身として子孫に託したもの。

 気の遠くなるほどの永い間、魔王の系譜と共にあり、そして、現魔王である、時間跳躍能力へとたどり着いた。

 おそらく、この能力時間跳躍があれば、勇者を倒せると踏んだのだろう。

 当初、僕は、僕の能力について何もわかっていなかった。そのため、そこを初代様が利用したのだ。



「初代様、なぜですか! なぜ、このようなことを!」


「愚問だな。わかりきったことを訊くな。勇者という巫山戯ふざけた血筋をここで完全に排斥しておくためだ」


「そんなことは――」


「よいか。これ以上、その問答に意味はない。……しかと其処で見ておれ。ワシがこの小娘の、息の根を止めるところをな」


「――おやめください、初代様」


「貴様……今、何といった?」


「初代様。いますぐ、結菜から離れてください」


「ほう、祖であるワシに指図するか」


「ここが僕の空間だという事は、とっくに知っています。それ以上続けるというのなら、僕のにも考えがある」


「なるほど。だが、よもや失念しておるわけではなかろう。この、ワシの能力を」


「人心掌握……!」


「そうだ。……だが安心しろ。貴様を殺しはせん。勇者を殺した後、まだ利用できるからな」


「ま、麻央、心配しないで……、だいじょうぶ、あなたはあたしが――ぐッ!?」



 初代様の姿が一瞬消え、次の瞬間、結菜の腹部に足が鋭くめり込む。

 結菜は苦しそうに、何度も咳き込み、初代様の足元でうずくまった。



「――そうだ。我が能力は貴様が動くよりも、考えるよりも、その数歩先を行く。それは貴様にもわかっているだろう。歯向かうのは無駄と知れ」


「……はい、わかっています」


「それでよい。ワシとて、末裔である貴様と争うは忍びない。事が終われば、この体も貴様に返してやる。……ただ、まだまだ利用はさせてもらうがな。ククク……」


「わかってはいます……けど、納得はしていません」


「……なんだと?」


「承服していない。と申したのです。こちらとて、初代様と争うのは心苦しい。しかし、それ以上に結菜が傷ついていく様を、黙ってみているわけではないのです。……最後通告です。手を引いてください、初代様」


「貴様、自分が何を言っているか分かっているのか? それほどまでに、この小娘が大事か」


「はい」



 僕がきっぱりとそう言うと、初代様が、僕の目をまっすぐに、じっと見つめてきた。

 僕はそれに応えるように、初代様の目をまっすぐと見返す。

 そして――



「フ……よかろう。構えを解くがいい。貴様の覚悟、しかと確認した」


「あ、ありがとうござ――」


「であれば貴様も死ね」


「な!? しま――」


「麻央!?」


「遅い。これが人心掌握だ。よもや、ワシが子々孫々に手を下すことになろうとはな……それもこれも、すべては貴様が元凶に他ならない」


「ふ、ふざけないで……! あたしは……あたしたちは、なにもやってない……ただ、一緒にいたかった、それだけ……!」


「寝言は死んで言え、小娘。魔王と勇者が恋仲になれるはずがなかろう」


「勝手に現れて、勝手にあたしたちを引き裂いて……、一体、あなたにどんな権利があるの」


「クク、権利か……。権利ならある。ワシが魔王だからだ。魔王というものは、すべからく勇者と敵対し、此れを討つべき存在なのだ」


「そんな、くだらないことで……!」


「くだらない……か。貴様に理解できるとも思っていない。……だがひとつ、此度の事についてひとつ、強いて云うなら、貴様のその脆弱性が災いしたとも云えるだろう。肉体の弱さではない、心の弱さだ。愛だの恋だのと、戯言を抜かして居るたわけ・・・というのは……、こうも脆く、簡単に潰れてしまうものだ。ククク……!」


「麻央を……、返して……!」


「返せ? 返せとのたまうか。盗人猛々しいとはこの事だな。もはや貴様と言葉を交わす時間すら惜しい。そろそろトドメといくか。……我が炎に灼かれ、最愛の者の中で、塵芥となり、永遠を彷徨うがいい!」


「うう……麻央、ごめん、あたし、あなたを救えなか――」


「諦めるな、結菜」


「麻央……!?」


「な!? き、貴様……! 何故未だ、正気を保っていられる!?」


「すみません初代様。僕の部下はなにぶん、優秀でして……。部下ハルゴンの進言により、予め対策を取らせていただきました」


「対策……だと……!? ま、まさか……!」


「それと初代様、勝負はまだ終わっていませんよ」


「なッ!? しま――」



 僕の声に呼応するように、初代様の背後から黒い影が現れる。

 一閃。

 次の瞬間、初代様の双腕が、ぼとりと地に落ちる。



「ぐぎゃああああああ!? き、貴様は……麻央の部下の――!!」


「ベリアンヌ! そのまま結菜を連れて来てくれ!」


「は!」



 ベリアンヌは片手で、動けなくなった結菜を抱きかかえると、素早く、僕のほうへ移動してきた。



「下賤なダークエルフ如きが、このワシにィ……! この初代魔王に、なにをしたァァァァァァァァ!!」



 初代様は両腕から、大量の血と怒りを振り撒きながら、僕たちを睨みつけてきた。



「こうなれば、最終手段だ! このまま、貴様らごと消し飛ばしてやる!!」



 魔に長けた者であれば、腕を使わなくても魔法を使うことが出来る。

 初代様の正面には、恒星が如き熱量を放つ、エネルギー体が出来上がっていた。

 どうやら初代様はこのまま、この空間ごと、自分諸共、爆発四散するつもりらしい。



「出力最大……諸共死ねェェエエエ!!」



 ぽしゅう――

 エネルギー体は最大まで膨張すると、穴の開いた風船のように、急速にしぼんでいった。

 初代様の足元には、いつの間にか、自身の血で描き上げられた魔法陣が出来上がっていた。

 それはザブブの完成させたもので、効果は術者の魔力を吸い取るもの。

 しかも、その魔法陣は初代様の血で描きあげられたため、効果は絶大だった。



「ごめんね初代様。その魔力、フミカが貰っちゃいま~す」


「き、貴様ァ……!」


「俺もですよ、初代様」


「――――――」



 ドガン!

 突如、初代様が天高く宙を舞う。

 初代様の足元に控えていたアトモスが、渾身のアッパーカットを叩きこんだのだ。

 僕はそれを確認すると、自身の腕に魔力を溜めはじめた。

 初代様は頂点まで打ちあがると、そのまま垂直に、僕たちめがけ落下してきた。



「オノレェ! オノレ、オノレ、オノレオノレオノレオノレオノレェェ!!」


「――結菜、いける?」



 結菜はいつの間にかベリアンヌから離れ、僕の隣に立っていた。

 結菜は僕の手を握ってくると、力強くうなずいてくれた。

 結菜の小さな手のひらから、指先から、魔力が流れてくるのがわかる。



「うん、いつでも」


「貴様……! よもや、このワシを……貴様の先祖を殺そうというのかァ!!」


「初代様、本来の貴方はもうすでに、何万年も前に消滅しています。今のあなたは、初代様ではない、ただの残りかすです。……成仏してください。この時代は、貴方がいていい時代じゃない」


「ダマレェ!! 貴様諸共、スベテ消シ去ッテクレル!!」



 憎しみの紫炎を纏いながら、初代様がぐんぐん近づいてくる。

 もはや原型はなく、怨みに憑かれた亡霊と成り果ててしまった。



「これで、終わりにします。初代様……」



 僕は腕を上げ、掌を初代様へ――天へ向けた。



「いくよ、結菜」


「うん――」





 秀典高校、2年3組教室内。

 現在は英語の授業中なのだが、それにもかかわらず、前方の男子生徒がスマホで、熱心に、動画サイトの動画を見ていた。

 イヤホンをしているものの、音量をかなり大きくしているのか、音漏れを起こしており、こちらまで聞こえてくる。

 内容はどうやら、ザブブの芸能界電撃復帰。

 電撃で引退し、電撃で復帰したザブブは『電撃迷惑』と書き立てられたが、これを逆に利用し、ユニット名を『SEKAI☆征服』から『ビリビリ・エレクトリカル』に改名し、アイドルとしてさらなる躍進を遂げた。



「――おい、昨日、野球部がどこと試合してきたか、知ってるか?」

「どこだよ」

「塔院高校だって」

「え? まじで? あの名門と!? うちみたいな弱小が!? わ、わかった。三軍とかってオチだろ」

「一軍だって。甲子園で投げてた二年生エースもいたって話」

「まじかよ。さすが、元プロ野球選手の監督だわ。てか、見に行けばよかったわ。……どうせコールドだろうけど」

「いや、うちのチーム、勝ったんだってよ」

「え? 嘘だろ?」

「まあ、勝ったってより、相手のピッチャーが全員、病院送りになっただけだけどな」

「……どういうことだよ」

「打つバッター全員が、見事なまでにピッチャー返し。控えのピッチャーもみんな、滅多打ちにされたみたいだってよ。物理的に」

「やべーじゃん」



 アトモスは球団に戻ることなく、そのまま秀典高校の野球部監督として、部員たちの指導にあたった。

 アトモスの掲げる超攻撃野球(物理)が、地区予選、甲子園でも猛威を振るい、対戦相手のピッチャーたちを漏れなく、恐怖のどん底に叩き落とした。

 そして勢いそのまま、見事、秀典高校に真紅の優勝旗を持ち帰ってくるのだが、再来年からは出場停止となってしまった。



「こら、そこォ! 授業中に携帯をいじるなァ!」



 教卓から飛んできたチョークが、動画を見ていた男子生徒の額に命中し、爆散した。

 男子生徒はバタンと机に突っ伏すと、そのまま口から泡を吹いて、カタカタと痙攣しはじめた。

 それを見ていた生徒たちは、すぐさま姿勢を正し、教壇のベリアンヌに向き直った。



「し、しまった! やりすぎた!」



 ベリアンヌは、時に剣道道場魔剣士育成所の師範として、そして時に英語教師として教鞭を執っていたが、道場の経営が軌道に乗り始めたため、教師を辞めて道場一本に。

 その後、ベリアンヌ式剣道として、世界中に広まった。


 ハルゴンはそのまま、企業に勤め上げ、やがて普通の、人間の女性と結婚し、魔族と人間の混血児を授かった。

 なんやかんやで、ハルゴンが一番幸せなのかもしれない。


 そして結菜と僕はというと――

 結菜は僕の後ろで、必死に、黒板の文字をノートに写していた。

 僕と結菜は結局、そのままだ。

 付かず離れず、なんだかよくわからない距離感で付き合っている。

 昔はもうすこしくっついていたのか、はたまた、昔からこんなかんじだったのか……今となっては、もう、あまり気にならない。

 一緒に居られるだけで嬉しいのだから。

 ……でも、やっぱり、色々と考えてしまうわけで――



「……どうかした?」



 僕の視線に気が付いたのか、いつもどおりの平坦なテンションで話しかけてきた。



「い、いや、べつに……、僕たち付き合って結構経ってるのに、あまり進展ないな、とか思ってないから」


「進展……?」


「うん。ほら、いろいろあるじゃん」


「……でもやっぱり、あたし、結婚するまでは綺麗な体でいたいし」


「いやいや、そういう生々しい話をしてるんじゃなくて――」


「……やっぱり、ニブんだね。つまり、時間跳躍して、なかったことにしたら大丈夫だから」


「え!? マジで!? じゃあ、振り返ればあの時ヤれたかもしれないってことですか!?」

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振り返ればあの時ヤれたかも 水無土豆 @manji

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