第46話

 ———翌朝。


 身体を起こそうにも昨晩の疲労がまだ抜けないのか重く感じる。起こすのを諦め腕をできる限り伸ばしきり、ようやく届き手に取ったスマホには美少女アニメのロック画面が眩しく表示される。


「10時、か……」


 遅い起床である。就寝前に目覚ましをかけなかったからだ。

 皆はもう朝食は済ませているだろう。

 玲ちゃんの事だから、一昔前のギャルゲー冒頭シーンのように「桂兄ぃ、いつまで起きてんの!ささっと起きて!」と叩き起こしにくるのではないかと思ったが、一向にドアを蹴り破る気配がない。気を遣ってくれたのだろうか。


「下が賑やかだな…」


 リビングから女性達の明るい声が聞こえる。まだ朝食中なのだろうか?

 それとも、これから遊びに行く場所を決めかねて話し合いながら盛り上がっているのだろうか。


 淡い想像を膨らませながら着替えと整容を終えてリビングへと階段を降りる。


「おはようござい———」

『あ』


 どうやら今日は———水着回らしい。


 水着回。

 それはラブコメアニメやギャルゲーでは定番のご褒美イベントのひとつ。二次元美少女の憐れもない姿に歓喜する至高の時間。

 だが、三次元は別である。

 どれほど大勢の三次元の清純派アイドルのような美女達と男一人という楽園のような環境下に居ようとも、我々は一端いっぱしのヲタク。

 二次元の嫁たちを裏切って三次元の女性に鼻の下を伸ばすような軽佻浮薄けいちょうふはくな野郎に成り下がってはヲタクが廃る。


 それに泳げない暑い疲れるだけでしかない海なんぞに来ても何も面白くないし楽しくない。強いてすることといえば


「桂、アンタ本当にそのパラソルの下から出ないつもり?」

「当然です!僕らヲタクはパラソルの下でゲームをしたりヲタトークや来年度の夏コミについて議論することで忙しいんですよ!」

「あっそ…(話す相手いないじゃん)」


 パラソルを刺したビニールシートに体育座りし豪語する桂の哀れな姿にため息を漏らす咲。

 女子達は砂で日本の名城を作ったり浅瀬でキャッキャと水の掛け合いっこやビーチボールで海を満喫している。


「旅行のテンションかもしれませんけど皆さん元気ですね…」

「桂だけだよ。そんなひねくれた顔で海見てるの」


 水着一枚で肩を竦める咲さんを見上げて直視することができないなんて本人の前では絶対に言わない。


「ヲタクサークルの子達は皆あっちで元気に遊んでるけど?」


 浜辺で日本の名城を作っていたサークルの子達の数人がこちらに手を振っている。


「彼崎さーん! こっちでいっしょに作りませんかー!」


 ———砂遊びか。

 小学生の時に夏休みの自由研究でトンネル工事の知識で砂でトンネルをどこまで精密に作れるかか調べたことを思い出した。

 ネットで調べたり父親の知り合いで建設会社に勤めている人に取材をし、その知識で実際に砂場や海の浜辺でどこまで理にかなったトンネルが作れるか実験をした。それをノートに記録しまとめたものを提出したら学年で賞をもらった記憶がある。


「ほら、呼ばれてるよ。行ってきてあげたら?」

「〜〜〜っ」


 その時だった。


「桂ク——————ンッ」

「明日実さん待ってくださいっっっっっ!!!」

「彼崎君に見てもらわないと勿体無いでしょ」


 明日実さんと菫さんが慌てる理乃さん手を引きながらこちらに歩いてくる。


「ねえ桂君、理乃ちゃんがこの日のために選んで買った水着なんだけど」

「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」


 二人の間に挟まれて恥じらいで悶えている理乃さん。


「可愛いとは思わない?」

「———っ」


 理乃さんはブルーのフリルが付いた可愛らしい水着を着ていた。


「可愛い、と思います」

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!あっ…ありがとう…ごじゃいましゅ〜っ!」


 顔を真っ赤にする理乃さんをニヤニヤしながら見る悪い大人が二人。


「理乃ちゃんかわいい〜っ!」

「私、可愛い子ぶってる女は嫌いだけど、理乃ちゃんみたいに素直で不器用な子は大好きよ〜っ!」


 ギュ〜っと二人のグラマラスの女性二人に抱きつかれるか弱き理乃さん。


「ねえ、彼崎君」

「はい?」

「一応、私も新しい水着を買ってみたんだけど…どうかな?」


 手を後ろに組んで上目遣いで見つめる菫さんに僕は照れながら答える。


「か、可愛いんじゃないか?」

「…っ! そう、ありがとう!」

「桂く〜ん?」

「はい…」

「私はどうかしら〜?」


 わざとらしくセクシー女優のように身体をくねらせてポーズを決める明日実さんの胸部に視線を向けないように彼女の目をしっかり見つめて真顔で答える。すると何故か明日実さんは理乃さんと同様に顔を赤らめて悶えている。


「キレイです…。明日実さん」

「っ!?…そ、そう。ま、まあ当然よね…っ」


 そこに玲ちゃんと恵里沙さんが歩み寄って来たかと思うと、恵里沙さんが突然とんでもないこと言ってきた。


「ねえ、お兄さん。せっかくだからこの中で誰の水着が一番のか決めてよ」

「……は?」

「せっかくこの日のために私たちが水着を買って着てきてるんですから。ね?」


 玲ちゃんは圧をかけるように睨む。


「桂兄ぃ、当たり前にワタシが一番だよね?」

「お兄さん、私を一番にしてくれたらご褒美あげちゃうよ〜」

「あ゛? 恵里沙、それどーゆう意味?」


 玲ちゃんの真顔の怒りに明日実さんがたじろいで必死に弁解する。


「玲、顔マジで怖いってっっっ! じょーだんだってじょーだん!」

「冗談でも言っていいことと悪いことがあるでしょう」


 玲ちゃんの言うとおりだぞ恵里沙さん。若い女の子が男性相手にそういった発言をするのは大変よろしくない。玲ちゃんは正しい。


「桂兄ぃにご褒美をあげていいのはワタシに決まってんじゃん。桂兄ぃ、早くワタシが可愛いって言って!」


 前言撤回。

 君も大概だよ我が妹よ。あとで説教だ。


「桂君に一番を決めてもらうなんて面白そうじゃない」

「なんか緊張して来ちゃった〜っ」

「あわわわわわっ!」

『私達も是非参加させてください!』


 まずい。この流れは非常にまずい。


「桂〜、これは逃げらないんじゃな〜い?」


 僕の目の前に14名もの水着の女性たちが横にずらっと立ち並んでいる。凄まじい光景だ。


「さあ、お兄さん。美女が勢揃いしたんで、この中から一番可愛い水着を決めてください!」


 ハーレム系のラブコメ作品の中でヒロインたちの水着から一番を決めるシーンはよくあること。とくにライトノベルやギャルゲーでは頻数だ。

 この問題の正解は実妹か幼女を選択するのがベストだ。大事な何かを失うという代償はあるも誰も傷付かない平和な解決方法だ。だが、今回のケースではこの方法は使えない。

 まず、実妹がなので妹を一番にしてしまうと妹の教育上よろしくない。もう一つはこの中に幼女がいないことだ。これでは平和な解決ができない。


「ここは男として決めないとダメなんじゃない?」


 咲さんがニヤリと笑っている。

 己ぇ〜咲さんめ〜っ!人の気も知らないで〜っ!。

 いや、これは分かっている顔だ。僕がこういうことが苦手だと知ってて煽っているのだ。なんて人だ。


「僕の立場で誰が一番だとか下だとか決められるわけないでしょ」

「男子は彼崎君だけなんだから君に決めてもらわないと」

「観念してささっと決めたら?」

「咲さん、僕がこういう人に順位を付けたり優劣をつけるのが得意じゃないことぐらい知ってるでしょ。先輩として後輩を助けてくださいよー」

「今の私は〝会社の先輩〟じゃなくて〝屋敷部咲やしきべさき〟ていう一人のオンナッ」


 この人でなしが〜っ!

 腹が立つ程にあざとくウインクするこの人がどうして部署内で『高嶺の花』と呼ばれているのかよーくわかった気がする。


「後輩が困っている様を見ておもしろいですか」

「もちっ!」

「さいですかそうですか。それはそれはなによりなことで」


 不満だ。不満でしかない。


 しかし、どうしたものか。誰を選んでも丸く収まる結果が見えない。

 皆一人ひとりがオンリーワンだ。誰が一番で誰が二番なんてそんな順位があるか!この中から一番なんて選べるはずがない。

 少なくとも彼女達の中に二番なんていないし当然三番四番も続かない。みんなが一番だ!異論は認めない!

 優柔不断と言われようとかまわない。彼女達に優劣をつけられるほど僕は偉くもないしお高くとまっていない!


 よって斯くなる上は———


「ふぅ。…………戦略的撤退っ!!」


 急ぎ立ち上がり一目散で逃げる!


「あぁっ!逃げた!」

「みんな追えーっ!」


 恵里沙さんの掛け声と共に皆が一斉に追いかける。


『待て———!』


 後ろを振り返ることもなく僕はひたすら手を大きく振って駆ける。


「待ちなさ———い!!!」

「誰か決めてよ———!」

「冗談じゃない!御免被りまぁす!」

「ヘタレー!」

「ヘタレで結構です!」


 だが、結果は変わらなかった。


「はぁはぁはぁ…っんはぁ……はぁはぁはぁ…」


 慣れない全速力のダッシュで息切れで力尽きて、周囲を水着の美女達に完全包囲された。万事休すである。


「桂君、あなたは完全に包囲されたわ。観念しなさい!」

「もう逃げられませんよ!」

「逃げるなんてみっともないですよ彼崎さん!」


 これでは警察に包囲された犯罪者みたいではないか。


「大人しく私達に捕らえられてくださいね。桂先輩っ」

「逃げるなんて信じらんないっ!」

「あはははっ! お兄さんめっちゃバテてるしっっっ!」


 もう立ち上がる気力さえもできない。


「勘弁してくださいよ」

「さあ、どうする桂。降参する?」


 咲さんの腹が立つほどに憎たらしいドヤ顔が僕を見下ろす。とても癪だがこれ以上、彼女達に抵抗できないと両手を上げて降参の意思を示す。


「……はぁ〜。降参しますよ」

『イッエェェ———イッ!!!!!!!!』

「結局、誰が一番か決まらないままだったわね」

「明日実さん」


 僕は明日実さんに近づき優しく語りかける。


「明日実さんの水着姿、一番綺麗で素敵だと思います」

「へぇっ!!!!!!????」


 不意打ちのように思いがけない彼の言葉に驚き顔を赤面にさせて動揺する明日実。


「けけけ、桂君……それってつまり私が一番って」

「それと菫さん」

「わ、私っ!?」

「理乃さん」

「ひゃいっ!???」

「玲ちゃん」

「はっ!?」

「そして咲さんも」

「っ!」

「もちろん恵里沙さん、草壁さん、所沢さん、柊さん、香山さん、三条さん、音堂寺さん、周防さん、皆さんの水着姿もとても可愛くて素晴らしいと思います」

「お兄さん…っ」

「彼崎さん…っ」

「みんなが一番です。みんな違ってみんないい!それでいいじゃないですか」


 我ながら良いことを言ったと胸の内で自画自賛する。


「なーんか、上手いように丸め込まれたというか、はぐらかさせたというか、誤魔化されたというか」


 彼女達のおもしろ可笑しく無邪気に笑い合う様は実に微笑ましい限りだった。



              *



「———それで?」


 その日の夕方。

 海水浴を終えて別荘に戻った僕らは、夕食の支度をして全員が食卓の席についていた。だが、そのあまりの不可解すぎる光景に怪訝な表情を隠せなかった。


「———どうして水着のまんまなんですかぁぁああああっ!!!!!!?」


 到底許容できる状態ではない。

 ここに男がいることを彼女達は本当に自覚と理解しているのかだろうか。

 旅行のテンションというはここまで人の羞恥心を麻痺させてしまうものなのだろうか。なんて恐ろしい。

 頭を抱えて項垂れる僕を見て彼女達はきょとんとしている。


「あら桂君、水着姿の美女たちに囲まれて恥ずかしいの〜?」

「逆にどうしてあなた達は恥ずかしくないんですかっ!?とくにそこのサークルの子達!」


 昨晩の寝巻きと言い、サークルの子達の恥じらいの無さにはとても心配になってくる。


「彼崎さん以外の男の人には見せませんし着ません!ねぇ〜っ!」

『ねぇ〜っ!』


 ねぇ〜っ!じゃない。少しぐらいの恥じらいぐらい持ちなさい!


「わたしもお兄さんにしか水着見せませ〜んっ!」


 もう意味がわからない!


「これくらい普通よね?」

「まあ、海外だと普通に水着でショッピングする人もいるくらいだしね」

「流石に水着のままだと人目が気になりますけど、家の中なら少しは…」


 俯き照れる理乃さんまでもが彼女たちに毒されているぅ〜!


「上からコレ着ていれば大丈夫でしょ」


 咲さんが着ている透けたウェアの袖を摘む。

 数名の人は水着の上からパーカーやTシャツを着ている子も居れば、明日実さんや菫さん、玲ちゃん、咲さんように水着の上から羽織る「ビーチガウン」や「ビーチカーディガン」と呼ばれるレース状のスケスケの衣類を着ている。


「いやいや、透けてるじゃないですか」

「こういうデザインでこういうファションだから」

「失言でしたすいませんでしたっ!」


 と、玲ちゃんに低いトーンで諭された僕は咄嗟に頭を下げた。


 とにかく落ち着かない。

 ほぼ下着となんら変わらない水着姿の女性たちが別荘で好き放題に過ごしている。僕という男がいることお構いなしに。

 しかも、サークルの子の誰かが「ツイスターゲーム」を持ち出してきて、皆でやろうという流れになった。君たちマジかっ!?


 諸君も知っての通り、ツイスターゲームとは美少女たちが無防備な姿で指示された手足を4色の○印の上に置いてバランスをとって倒れないようにするゲームのことだ。


「うん。これはない。ないないない」


 彼女たちと僕とでは明らかに大きな温度差がある。

 ルール確認をしながらテストプレイで○印に手足を置いて盛り上がっている彼女たちの姿を僕は食卓の席から虚無の瞳で見つめるのみ。

 健全な男子ならこんな非現実的で極限の状況下で鼻の下を伸ばしてニヤニヤしながら彼女たちを視姦するだろうに違いない。だが、僕は鼻の下を伸ばす前にあまりの恥ずかしさに押し殺されて早々にギブアップしてしまうのだ。ゆえにメンタルが弱いチキン野郎なのだ。そんな人間が、気持ちを共有する同性が居ない中で大勢の異性(美女)に囲まれでもしたらキャパオーバーでパニックになる。


 この場から早急に避難するしかない。


 ちょっとお手洗いに行くかのようにさりげなく席を立ち、2階へと続く階段がある廊下へと脚の向きを変えようした瞬間だった。


「どこへ、行くんですか?」


 そっと肩に手が僕の歩みを止めた。

 ———理乃さんだった。

 優しく可愛らしい声のはずなのにどこか影を感じるのは一体なぜ?


「ちょ、ちょっと…ね」

「逃げる気ですか?」

「まままままままっさか〜!そんなはずないじゃないか〜っ」

「行かせませんよ。自分一人だけ《趣味》で助かろうなんて…」

「———っ!」


 戦慄が走った。


(バレているだとっ!)


 理乃さんも僕と同じ穴のむじな。ヲタクが考えることは彼女にもわかる。

 てっきり理乃さんは咲さんたちに洗脳されて毒されたかとばかり。


「君、まだヲタクの心が残って……!」

「はい。まだ生きています。保っていられるので精一杯ですが」

「そうか。すまない。君を見捨てたつもりはないんだ。僕はてっきりもう手遅れなのかと…。でも君がまだ無事だとわかってよかった。協力してこのから脱出しよう!避難して僕らの趣味に帰ろう!そうすれば僕らはきっと——」

「桂先輩」

「なんだ?」

「もう、楽になりませんか」

「なにを、言っているんだ…」

「私、疲れちゃったんです。頭の中でアニメキャラを思い浮かべて耐えようとしましたけど、どうしてもキャラ達が霞んでいくんです」

「ま、待つんだ理乃さん!」

「桂先輩も疲れたでしょう?一緒にあの極限状態に身を委ねれば楽になれますよ〜」

「待て、待つんだ!いやだ……いやっ…いやぁあぁぁぁぁあああああ!!!!!」


 こうして彼崎桂はツイスターゲームで死んだ。

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オタクがタワーマンションに住んだら何故かラブコメが始まった クボタカヒト @narakuma616

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