技術の糊
俺はギルバート・ウィルバー。ロボット工学の技術者でも、ソフトウェア開発者でも、ましてや帝国の工房技師どもでもない。俺達から見て地球と異世界を繋ぐ、いわば糊にあたる技術を新しく作るために、このゲイルローム帝国に召喚された男だ。
俺はもともと地球では物理化学の基礎研究をしていた。研究所のデスクの端末の前で考え事をしていたら、突然座ったままの姿勢で石造りの部屋の中にいたのさ。そこから崩れ落ちる俺はさぞケッサクなことだったろうが、そこにいた召喚士と工房のリクルーターは大真面目に俺を見据えてた。
まあ、慣れてたんだろう。呼び出した目的はさきほど言ったとおり、地球の技術体系と帝国の魔術体系というべきか、その違いを吸収する技術を築き上げることだった。拒否しても意味はなかったし、興味はあったので仕事に掛かるまでにはすぐだった。
俺の最初の仕事は世界同士の法則の違いだった。まず簡単な実験と計算でわかることだが、地球とフェアリィワールドはありがたいことにほぼ同質量の惑星であることが推測できた。何が言いたいかと言うと、ニュートンの万有引力の法則が当てはめられるということだ。これは非常に助かる。地球上の物理学法則がある程度この世界でも役に立つというわけなのだから。
化学的な法則は厄介なのが見えたので、その検証にはシェリアという女の子が帝国大学から招聘されてくることになっていた。彼女はまだ10代ではあるが天才的な頭脳を持ち、飛び級でほぼ研究職相当の地位にいるそうだ。
仕事である以上、顔をつき合わさない日はない。だがシェリアも俺も互いにうまくやる気はなかった。出会った初日には彼女に
「あなたとは仲良くする気はありませんからね」
などと高らかに宣言されたくらいだ。名目上俺が彼女の助手なので、俺より優秀でないと困るけどな。そんなことはなく、彼女は有能だった。
大気組成についても地球とほぼ変わりはなかった。だがその過程でシェリアは講釈をたれ始めた。
「空気の中には少量のマナが含まれています。あなたのお国にはありましたかね?」
アルゴンなどの希ガスのことかと思ったが違っていた。ここから俺はしばらくファンタジーな用語に頭を痛めることになる。そして彼女に尋ねなければならなかった。
「いいや、我々の世界には存在しない物質だろう。では、どのようにして存在する物質なんだ?」
彼女は俺の態度には気に入らないが、知識を授けるという行為が自分の嗜虐心を満たしたのだろう。引きつった笑顔を見せつつ講釈を続けた。
「マナは万物に宿る神からの祝福です。空気はもちろんのこと、この研究棟にも、私にも、あなたにも存在するものです。我々はそれを集め、魔法を行使するのに消費したり、錬金術にもよく使用されます」
「我々の、いや、俺の信じる神とお前のいう神は同一か?」
「あなたねぇ…」
俺は敬虔なクリスチャンである、などという気はないが、これはしなければならない確認だ。彼女の信じる神は俺の信じる神と違い物理現象に影響するだろうからだ。彼女は不機嫌そうに答える。
「もちろん違いますわ。あなたにとって異世界の神ですもの。当然の話でしょう。まあ、その確認は必要なのは認めますが、もう少し態度を改めてもらえますかしら?」
彼女はそう言うと金髪ストレートをいじりながら真っ直ぐこちらを見る。
互いに気に食わないというのは最初のうちだった。口さがないのは今もだが。まあ、年の差もあり男女の関係にはこちらは持ち込むつもりはない。向こうは10代なかばだが、事情を話すような性格でもなかったんだ。
剣と魔法の世界。それに張り付く科学技術。貼り付けるための糊。それは俺とシェリアをくっつけるノリにもなったのかもな?研究を続けていくうちに距離感は変わったが、向こうがどう思っているかは未だ俺にはわからない。単純に反発していただけでないとすれば恋でもしてたのかもしれん。オッサンにはちょっと厳しい。
その片鱗はいよいよ魔術と半導体を組み合わせる時に彼女は見せた。最初のうちは俺はただ聞くだけの学生のような状態であったがその頃には糊、つまり俺のこちら側の知識は大分成熟しつつあった。
「マナの流れをそのままLEDの挙動に代替するより、電流に変換するほうがいいんじゃないか?」
「どちらも使えるようにすべきです。どちらかしかできないのでは、意味をなさない…私達がどちらかしか使えないようでは完全に機能しないように」
その時はいつものように俺を罵倒しているのかと思ったが、どうも様子がいつもと違った。なにかがあったらしいが、彼女がそれを口にすることはなかった。その時もその言葉を最後に、そういった言動はしなくなった。
そしてついにこの世界にコンピューターを召喚する時が来た。安定した電力を確保でき、電源を投入しても爆発したりしないことを、事前のもう一段落前の実験で確認した上での本格的なものを呼び出した。これは大きな一歩だ。
1台目のコンピューターが無事起動し、最初の画面を表示した時には、シェリアはまるで小さい女の子のように喜んでいた。俺にとっても喜ばしい出来事だった。
基礎研究は終わりのない学問だ。だが、ハイブリッドゴーレムの開発のスタートを切るには十分な成果を出した。この時期から地球からはハードウェアやソフトウェアの専門家が新たに何人も召喚されることになり、また工房からも技師が出向する形でチームに加わった。ここからは加速的に研究が進む。そろそろ俺が全体の面倒を見るのが難しくなり始めた。
俺とシェリアは地球組と帝国組に別れてそれぞれ成果を伝授することになった。しばらく離れることになったわけだ。俺は同郷の、と言ったら変かもしれないが、地球出身の人間と久しぶりに話をすることができて一種の安堵を感じていた。
しばらくして、ゴーレムのミニチュアを制作する段階に入った。地球側とフェアリィワールド側の人間が入り乱れたチームをいくつか作り、検討を行う。やはり俺とシェリアのような衝突のような出来事があり、先達である俺達が仲裁すると言った場面もしばしばあった。
ミニチュアの自立もあっという間であった。言うまでもない、既に出来上がっているものに混ぜ込むのが一番大変である。が、逆に言えばできているものを同じように混ぜられれば同じものができる。重要なことはどちらもお互いに置き換えられる技術として立ち上げるということだ。
面白いことに、地球とフェアリィワールドの技術割合を5:5にするよりも、7:3であるとか、また極端に1:9にすると、効率的に組み上げられることがわかってきた。ゴーレムの制御基盤に至ってはどちらの技術でもない、新技術が作られた。コンピューターもそれに置き換えられ、制御用の文字に合わせたキーボードが工房で制作された。
ここで、俺とシェリアは揃ってゴーレムの周辺技術の進歩に置いていかれてしまった。俺の仕事はもう終わったようなものだ。そして、彼女はこう強がったものだ。
「まあ、私はすぐ追いついてみせますけど。あなたはどうかしら?」
ヘブライ語によく似たアルファベットのキーボードに慣れるようになるのは、まあ俺が先になるよな。俺は読むのに勉強をかなりしたが、慣れるのは彼女より早かった。タイプライター文化の存在しないゲイルローム帝国育ちのシェリアは、読むことはできても打つのはかなり遅かった。
このことは彼女のプライドをいたく傷つけたらしい。この時期になるとコンピューターが扱えないとお話にならなくなるので、勉強の時間を彼女は業務中に特別に作った(俺はとっくにそうしていたが)。
俺たちがこのキーボードに慣れる頃にはもうコンピューター側もフェアリィワールド独自の進化を遂げていて、また俺たちは置いてけぼりを食らっていた。ソフトウェアエンジニアリングに強い奴らを召喚したらしい。初期組の俺たちをちんぷんかんぷんにするのにする時間は、進歩の速度には造作もない、そんな感じになった。
シェリアはこのことに完全にプライドをへし折られたらしく、ソフトウェアエンジニアたちにわざわざ噛み付きに行っていた。よくやるものだ。
次の日にはシェリアはカバンに入った何かを見せつけに来た。
「キーボードは時代遅れですわ。このスクロールを使えばそんなことをする必要はありません」
端的に言えば、これは丸められるタブレット型端末だ。羽根ペンを模したスタイラスペンで例えばなにか、例えば数式を書く。そして計算ボタンをつつくとグラフがじわっと出る。自分も欲しいと言ってみたら、
「希望する技術者に配布していますわ。あなたも必要でしょうから貰いに行きなさいな?」
と彼女は言った。まるで俺に教えに来たようだ。実際そうしに来たんだろうなあ。
ソフトウェアも俺たちを置いていくなら、ハードウェアも奇々怪々な進化を遂げており、こちらについていくのも匙を投げるところだった。実物大のゴーレムは稼働状態にまで仕上がっていた。
コンポーネント化、という要素を取り入れ、早い話いろいろな部品を組み合わせることを簡単にできるようになっている。調整は必要だが、汎用性のあるゴーレム、特定の目的に特化したゴーレムなどを組み上げることができる。
また、材質も帝国に豊富にある粘土質の土をそのまま使ったものからどんどん進化していき、シリコーンゴムや剛性のある人工筋肉も作られた。このあたりは俺がまだ切り込めそうな分野だな。
ハードウェアの構成として、内骨格や外骨格のシステムも考案された。関節も強固になり、持ち上げられる重量も格段に上がっていった。
俺はこのハイブリッドゴーレムと呼ばれる巨人の端から端までを網羅するのはもうとっくに無理になる段階に来ていると思った。技術の糊たる基礎的な部分を開発したあとの俺をどうするか、工房側は考えあぐねていたらしい。自分でできることは自分で見つけるしかなくなった。
さしあたって、材料関係や技術者間の折衝が俺にできることだろう。シェリアも大学に戻ることになったそうだ。最後に俺に挨拶に来た。
「あなたとこうして話すこともなくなると思うとせいせいしますわ。私は大学でやることがありますけど、あなたはやることがなくなってませんこと?まあ、精々お払い箱にならないことを祈っていますわ」
「ああ、そうだな」
「嫌味に少しは悔しがっていただけません?」
「お前にはそういう趣味はないのは知ってる」
そんなやり取りをしばらくした。満足したのか、彼女は爽やかな微笑を浮かべつつ、
「それでは、御機嫌よう」
そう言って、俺の前から立ち去った。
こうして、ゲイルローム帝国は地球の技術を取り込む素地を整えたというわけだ。
魔術とロボティクスとハイブリッドゴーレム サメジ部長 @samezi-but
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