正式版

コーダー女子と異世界転職

 彼女は、夢を見ていた。


 就職の面接会場のようだ。様子がおかしいが、夢ならば仕方ない。向かい側と自分の目の前には長机があり、向こうには面接官らしき男が座って、こちらをまっすぐと、見ていた。


 男が懐から何か、リング状の物を取り出して手招きしてきた。彼女はそれに応じ、椅子から立って男のところまで行き、それを受け取った。少し飾り気のある指輪だった。男は何も言わない。彼女は、指輪をはめてみようと思った。なぜならば、夢だから。


 男がそれを確認すると、やれやれ、といった空気を少し抑えるように努力しながら、やっと口を開いた。


「私の言っている言葉がわかりますか?」


 彼女にはちゃんと聞こえた。そして答えた。


「はい、わかります」

「では椅子に戻ってください」


 夢にしてはやけにはっきりしている、彼女はそう思ったが指示に従った。男は机の上にあったファイルを開きパラパラとめくり。そして質問を彼女にした。


「まずはお名前と、簡単で良いので自己紹介をしてください」

「西川マヤといいます。職業はWeb系のコーダーです。新卒2年目でまだまだこれからだと思っています」

「そこまでで結構です」


 自己紹介を止められた。マヤはなにかまずいことを言ったのかと思った。


 だが違ったようだ。男はファイルに目を落としたのち、マヤに向かい直し言葉を続ける。


「では西川さん。あなたは転職したいと思っていますね」


 まだ2年目なのにそんなことはわからない…とマヤは思った。ただ、今いるあの職場への不満は片手では収まらないのは確かだ。彼女はそこまで追い詰められていた。


「転職の意思まではいきませんが、今の職場に不満があります」

「転職するに値する十分な理由であると、私は思います」

「そうですか…」


 男はファイルに何かさらさら書いた。さらに男は少し考えた様子を見せ、マヤに言った。


「それでは、我々からのオファーをさせていただきます。仕事内容は今と同じコーディングです。

使用言語や仕様などの内容は追ってお送りしますので、目が覚めたら目を通してこのオファーを受けるか決めてください。

次回面接は未定ですが、そのうちに」


 マヤは訝しんだが、どうせ夢だし、と丁寧に了承した。


 翌朝、マヤは寝汗をぐっしょりとかいて目を覚ました。そして、自分のベッドのそばにあるサイドテーブルに分厚い封筒があることに気がついた。なんだろう、と封筒に手を伸ばそうとすると、その指には昨夜はめた指輪があった。


 夢の中ではめた、シンプルでいて、魅力的な仕上げをしてあるあの指輪が。


 今日はマヤの出勤日だ。だが、彼女はあんな職場に行くくらいなら、オファーの内容を確認する方を優先すべきじゃないか、いや真面目に仕事に行こう、としばし葛藤した。不思議な気分を彼女は感じていた。




 結局、彼女は仮病を使い休暇をとった。そしてまず、シャワーを浴びた。


 一息つくと、マヤはその封筒を開封した。そこにはきちんと印刷されたパンフレット数枚と、分厚いファイルや細々とした事が書いてある紙などがあった。


 ほとんどのパンフレットには『現世を忘れて帝国に行こう!』とか『君はもっと成長できる!』と『我々は君たちを暖かく迎える!ともに頑張ろう!』といった文字が踊っている。まるでカルト宗教の勧誘のようだ。


 その中で、ひとつだけ、異彩を放つパンフレットがあった。タイトルは『ハイブリッドゴーレムについて』。いままでのが勧誘のパンフレットなら、これはまるで製品のパンフレットだった。浮足立つような語句は一つもない。


『ゴーレムは粘土で作られ人を模して作られます。魔力を込められたルーン文字の指令に従い作業を行うようにつくられています。さらに、人が搭乗することにより、より複雑な作業を行うことを可能とします』


 マヤはライトノベルを少しだけ読むが、この冒頭で少しだけ引っかかった。人間を載せる?なんでそんなことをするのだろう。よくわからないまま読み進めていくと次のようなことが書いてあった。


『私達がいる世界と違う世界、異世界の新技術を取り込み、私達はゴーレムの作業能率を大幅に向上させることを目指しました。そして研究の結果、魔術と異世界の技術の融合に成功しています。このゴーレムを私達はハイブリッドゴーレムと呼んでいます』


 ここで言う異世界とは何か。そこも引っかかる。マヤは異世界物の小説も読む。その経験からするとこの異世界は向こうから見た我々の地球を指しているのかな、とマヤはぼんやり思った。


 この時点では彼女は気づいていないが、このパンフレットだけ、異質な理由がまだあったのだ。それは、このパンフレットが彼女に向けられたものではなく、ゴーレムを使役する顧客に向けたものであること。そしてマヤにとって未知の言語で綴られていたこと。


 マヤがその文字を自然に読めるのは、指輪に込められた魔力のなせる技だ。知識がこめられており、それがマヤに異世界の言葉を読むことを可能にさせていた。


 パンフレットには、人間とゴーレムの大きさの対比を見せるイラストがあった。ゴーレムがずんぐりむっくりとした体型をしていて、傍には人間のシルエットが描かれている。大体4メートルから5メートル、その程度の大きさのようだ。


 更に読み進めていくと、詳細な記述が続いていた。


『ハイブリッドゴーレムはゴーレムと違い、組み込みと呼ばれるルーン文字の指令をあらかじめ多量に刻印してあります。そのことにより新しい作業をするためにあなたが魔力を込め、正しい指令を彫り込み直す必要はありません。口頭で命令しても良いですし、共通語の曖昧な記述のメモ書きでさえハイブリッドゴーレムは理解します。また、人が搭乗する場合でも作業をする上で様々な恩恵を受けることができます』


 マヤはだんだん書いてあることの意味がわからなくなってきたが、なんとなく自分の仕事としていた分野とは違うのではないかと思った。そのとおり、通常組み込みはマヤの分野のWebとは違うものを指す。そして組み込みは地球の技術用語だ。


 マヤはそのパンフレットだけ何度も読み返し、メモを取りながら理解しようと努めた。おそらくこのパンフレットの次に待ち構えているファイル達はもっと難物であるとみたからだ。彼女は生真面目で要領が悪いが、その自分の性質の対処法を知っているのが、また強みとも言えた。


 彼女の予想通り、『ハイブリッドゴーレム計画 基本要件定義書』というそっけないタイトルのファイルは難敵として立ちはだかった。


 注釈も用語補足もなくいきなり出てくる専門用語や特殊な言い回しが襲いかかり、先程のパンフレットの態度、というとおかしいが、それとは違う高圧的な、誰が見ても矛盾している無理な要求が脈絡もなく何度も突き刺してくる。


 あとから待っている『ゴーレム専用制御言語仕様書』の方がまだ読み込めそうな気がした。しかし、そのときはその気にならなかった。


 コーダーという職業にある彼女は、要件定義書に書いてあることを自分の作業に落とし込むことが無理なように思えた。厳しい、嫌な職場でも、今の仕事のほうがまだちゃんと理解できると。


 だがそれでも、起きてから続く不思議な気分は、これが自分の真の仕事で、やらなければならない。そういった確信めいたものに変わっていっていた。



 しばらく、次の面接の夢はなかった。だから、マヤはしばらくいつもの生活を送っていた。もちろん、仕事にも行っていた。上司からのパワハラ、ちゃんとタスクとして管理されていない仕事。やりがいを感じない、意味をなさない手作業の繰り返し。


 ただ指輪を見ては夢のことを思い出していた。今の仕事より無味乾燥な空気感の面接会場。マヤはあそこに転職をしてみたらどうなるのだろうと、仕事をしながら考えていた。



 そしてその晩、マヤは再び夢を見た。夢のはずだが、以前より意識もはっきりしているし、感覚もしっかりとあった。そして、目の前にはやはりあの面接官の男がいた。


「西川さん、プロジェクトの概要はつかめましたか?」


彼は冷たいわけではない。単にこういう喋り方をするだけだ。現に彼女のペースに合わせて話をしている。

 マヤはそれがわからない。勇気を振り絞って答えた。


「ゴーレムがどういうもので、御社の製品がどういうものかはパンフレットにあることはわかったと思います。ただ仕様の面はちょっと…理解が及ばない部分が多いです」


「最初からあれだけの資料でわかる人はそうはいません。

 もっと不可解な資料もありますし、ちゃんと作業用に整備された資料もあります。あれはゲイルローム帝国側が最初期に作った要求と地球側の反応の攻防、そのようなものです」

マヤは面接官のやさしさ、というべきか、優れている点に気がついたように思った。


「そもそも、ゲイルローム帝国とはなんですか?」


 ファンタジックな名前だ。現実の地名でも創作でも、マヤには聞いたことのない名前だった。


「無論、あなたにオファーをしているゴーレム工房を擁する国です。フェアリィワールドという異世界で帝政を敷いており、軍事国家です。」

「このお誘いを受けたら、私の今後はどうなりますか?」

「その場合、あなたは元の国、元の生活に戻ることはできません。まずそれを了承していただくことになります」


 異世界モノにはよくある設定だ、マヤは深く、ゆっくりと頷いた。しばらく、2人は待遇や具体的な仕事について話し合った。マヤはかなり積極的に話していた。


 面接官は気分を良くしたのか、安堵したのか、マヤからはよくわからない表情でこう言った。面接官の男は仕事の一段落を感じていたのである。


「では、西川さん。この仕事を引き受けていただけますね?」


 マヤはこの夢にいる時点で答えを決めていた。


「はい、引き受けます」


 マヤは最初の夢で面接官に最初に出会ったときに招かれるようにして部屋の奥のドアまで案内され、そこから部屋を出た。彼女は元の世界で目覚めることも、もとの仕事をすることもなくなったのだ。


 こうして、西川マヤはこちら側のWebコーダーから異世界のゴーレムのコーダーに転職することに成功した。

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