第6話 ささやかな悪意

 砂利を踏む音が聞こえ、私たちははっとして振り向きました。

 とたんに人工的な光が目に入ります。お父さんが懐中電灯で、こちらを照らしていました。

「いつの間にこっちに移動したんだ。おいミケ、桃ちゃんいじめんなよ」

 お父さんはしゃがみこんで、桃ちゃんを拾い上げます。桃ちゃんはしょんぼりと、されるがままになっています。

 きっと孝一のお母さんに言われて、お父さんは様子を見に来たのでしょう。

 お父さんは私の頭から、尻尾の先までをするんと撫でました。二股になりかけた尻尾の先に触れ、笑いながら言います。

「本当にお前、しゃべれたらいいのになぁ。オレが爺さんになる頃には、なんか言えるかな?」

 私は耳を伏せ、ニャアと返事をしました。

 私だって人の言葉をしゃべりたいし、聞きたいのです。

 これからも、家族でいていいのかと。

 しかしそうなるためには、時が必要でした。尻尾が完全に割れるまで、もう少し。

 お父さんは私をもう片方の手で抱き上げると、自宅の方へ歩き出しました。

「聞いた?」

 桃ちゃんが、私にしか通じない言葉で言いました。

 少しだけ、しょげていた耳が持ち上がっています。

「今の、爺ちゃんになるまで一緒だってことだよね?」

 私はちょっと目を見張ってから、苦笑しました。お父さんはなんとなく言ってみただけだと思います。

 それでも桃ちゃんの捉え方に、私は少しだけ気持ちが軽くなったのでした。


 お父さんは自宅の玄関で私たちを解放すると、戸を閉め、境内から本堂へ帰っていきました。桃ちゃんがそのまま、本堂へ続く廊下へ歩き出したので私も追いかけます。

「どうしたの?」

 桃ちゃんは目だけを光らせていました。

 その目に先ほどのような激情はなく、ただ寂しそうな色が浮かんでいます。

「本当に、私が孝一の家族じゃなくなったのなら、返したいものがあるの」

 桃ちゃんは歩き回った末、あるものを見つけて顔をうずめました。

 いつも持っていた、孝一からもらったウサギのぬいぐるみです。

「孝一に?」

 私が尋ねると、桃ちゃんはくぐもった声でちがうと言いました。

「お母さんに」

 桃ちゃんはそう言うと、顔を上げました。

 その拍子に、ぼろぼろ飛び出るぬいぐるみの中綿。

「バックの中にこっそり入れちゃおうと思うんだ。……こういう形の復讐は、ダメかな」

 泣き笑いのような表情で、桃ちゃんは私に問いかけます。

 私は目を伏せ、しばらく考えたのち、それでいいの、と聞きました。

 静かな目で、桃ちゃんはゆっくりうなずきました。



 私たちはまた窓から外へ出ました。

 本堂から境内へ、お父さんと子供たちが出てきています。全員で、最終ペアを出迎えることにしたようです。

 子供たちが全員で払ってからも、保護者はすぐ出る様子がありません。

 私たちは一番端の入り口から、本堂を覗き込みました。

 孝一のお母さんは美緒を膝に乗せ、誰かのお母さんとこれから配るお菓子のことについて話をしていました。

 バックは背中側に置かれています。

「話に夢中みたい。行って来る」

 そう言って桃ちゃんが本堂に入ろうとしたとき、派手な悲鳴が聞こえました。

 ヒロと孝一が、絶叫しながら境内へ走りこんできます。

 境内にいた子供たちも驚きましたが、本堂に残っていた保護者も何事かと外に注意を向けました。

 お母さんが、美緒を抱いて飛び出してきます。あ、チャンス。

 その場に残されたバックに桃ちゃんが駆け寄ったのを見届けてから、私はヒロに歩み寄りました。

「ああ、ミケ。オレ死んじゃう」

 ヒロは一息にそう言うと、汗ばんだ手で私を抱き上げました。ぜいぜい息をつく彼は動悸も激しく、ひどく震えていました。

 孝一はヒロより落ち着いているようですが、それでも短い呼吸を繰り返しながら、額の汗をぬぐっています。

「お疲れ。ちゃんとお札取ってきたか」

 にやりとするお父さんに、孝一がお札を差し出しました。

 じゃあ、お開きにしますかというお父さんの袖をむんずとつかみ、ヒロは怒りの抗議をしました。

「危ないじゃん火の玉なんて! かっ、火事なったらどうすんの?!」

 ぽかんと、お父さんは口を開きます。

「なんだそれ。言っただろ、脅かし役はいないって」

 ええ? と道を見張っていた保護者たちが言いました。

「私たちも見ましたよ」

「笹渕さんがあらかじめ、何か仕掛けてたんじゃないんですか?」

 何もしていないとお父さんは横に首を振りました。驚いた表情から、うそではないのだなと私は思いました。

 ざわめきは子供たちにも広がっていきます。私も、オレも見たと徐々に皆が青くなっています。そんな中で、宮子が鳥肌の立つ腕をさすりながらやっぱりとつぶやいたのが聞こえました。

 ヒロはがちがち歯を鳴らしながら、きつく私を抱きしめます。苦しい。

 大人も子供も大混乱になる中で私は、女の子の笑い声が聞こえたような気がしました。



 一人、また一人と帰っていく子供たち。

 だんだん人気がなくなっていく境内を見ると、さっきまでの騒ぎがうそのようです。

 ヒロはまだ私を抱えたまま、本堂へ入る階段に座り込んでいました。さっきまで口も利けぬほど震えていたヒロですが、今はずいぶん落ち着いています。

 そこに、孝一がやってきました。

「あのさ、また今度でいいんだけど」

 言いづらそうに、孝一は言いました。

「火事の日に拾ったっていう猫、見せてもらっていいかな」

 ちらりと、遠くで待っているお母さんを横目に見ています。

 ヒロは肝試しの最中に、桃ちゃんを拾ったことを話していたようです。にっこり笑ってうなずきました。

「いいよ。いつでも来なよ」

 それを聞くと、孝一はうれしそうに笑いました。ヒロに許可を取って私のあごを撫でると、手を振っていってしまいます。

 私はヒロの腕から抜け出して、桃ちゃんを探しました。あ、いた。

 桃ちゃんはこの前のように、仏像の陰に隠れていました。片目だけを出して、こちらを見ています。

 いいの? とここから聞くと、桃ちゃんは少し間を置いてからこくりとうなずきました。

 私はヒロに背中を撫でられながら、孝一とその家族を見送ります。

 中綿の出たぬいぐるみが入っている、お母さんのバック。

 それは祟りとも復讐ともつかない、ささやかな悪意でした。

 見つけたお母さんはどういう反応をするのでしょうか。怖がるのか、不思議がるのか。


 桃ちゃんが家族だったと、思い出してくれる日はあるのでしょうか。


 そうあればと思いながら、私はヒロの胸に頬を寄せます。

 穏やかな鼓動を耳にしながら、私は祈るように目を閉じたのでした。

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