文旦

三津凛

第1話

丸々とした赤ん坊の頭を、トモ子は「文旦みたいっちゃねえ」と例えてみせた。さすが文旦農家の娘なだけあると私は「ほお」と頷いた。

「トモ子はおチビのくせに生意気な例えをするね」

「うふふ」

トモ子はまだ6つの子どもだった。双子の妹にカネ子がいる。2人は双子といってもあまり似てはいなかった。姉妹というよりは、幼馴染のようだった。

向かいの浅田さん家で産まれた赤ん坊は、丸々と肥えて可愛かった。重たげな頭は確かに文旦のようで、思わず手に取りたくなる風情があった。

「赤ん坊はやっぱり可愛いね、カネ子」

傍で唇を尖らせていたカネ子に向かって、私は言った。

「いや、カネちゃん、赤ちゃんきらーい」

微かに眉を寄せて、カネ子は赤ん坊を眺める。

「焼きもちかい」

トモ子とカネ子の両親が文旦畑から帰って来て、顔を覗かせた。浅田さん家の奥さんは産後の肥立ちが悪く、赤ん坊は近所の家をたらい回しにされていた。それでも懐っこい赤ん坊は泣くこともあまりなく、トモ子とカネ子の家にも馴染んでいた。

カネ子の方はあまり面白くなさそうに赤ん坊を見ていた。トモ子の方は心がくすぐられるのか、よく世話を焼いている。見よう見まねでおむつを代え、ミルクを飲ませる。カネ子はその様を、手伝うこともなくかといって知らん顔を決めることもせず、面白くなさそうにそれをただ見ている。

私は2人の対照的な様子を面白く眺めていた。

赤ん坊の頭は丸々としている。それは確かに、重たげになる文旦によく似ていた。



トモ子とカネ子の両親は文旦を育てている。丸々と大きな文旦だ。

そして毎晩、愛おしそうに鋏の手入れをする。子どもを撫でるように、父親は刃を研ぐ。

トモ子とカネ子はその様をじっと眺める。私も一緒になってそれを見ていた。赤ん坊はあらぬ方を見て、面白くないのに笑ったりしている。

「赤ちゃんの頭は文旦みたいっちゃ」

トモ子は笑う。そして鋏を手に取ろうとして、父親に叩かれる。

「指切るぞ、ばか」

カネ子が嗤う。カネ子の方が少し意地の悪い顔をしていると、私は思った。

赤ん坊はそれからまだしばらくトモ子とカネ子の元にいた。

なかなか奥さんはよくならないようだった。あまり家族同士の関係がよくないのか、赤ん坊を引き取りに来る気配はなかった。

それでもここの人間はのんびりとしている。不平不満を漏らすことも、急かすこともせず、淡々とそして呑気に他人の赤ん坊を預かっている。

田舎の人間の不思議な距離感と愛情に、私もすっかり慣れ始めた頃に、トモ子が少しずつ変わっていった。

赤ん坊を可愛がらなくなったのだ。母親は手のかからない双子の代わりに、赤ん坊にかかるようになった。トモ子はカネ子と同じような目で赤ん坊を見るようになった。

2人で赤ん坊のふくふくとした頰をつねっていたこともあった。それは無邪気な焼きもちというには、少し不気味で私は赤ん坊と双子の間に割って入った。

「なにしてるの」

「お母ちゃんをとった」

カネ子が憎々しげに呟く。

トモ子の方は何も言わず、口を噤んだままだった。それがかえって不気味で、底知れぬ澱を湛えていっているようだった。

赤ん坊だけが大きな、重い頭を揺らして笑っている。

文旦、文旦のようだ。あの瑞々しい、丸くて大きな果実そっくりだった。



それからまた何日か経った頃だった。トモ子もカネ子も表向きは、赤ん坊に全く興味をなくしたように見えた。2人とも大人しくしていた。

このところ双子は、両親の研ぐ鋏ばかり見ていた。

「やっぱり文旦農家の娘たちだなぁ、お前たち」

父親はそう言って笑っていた。私も側で見ながら、半分は頷きかけた。トモ子とカネ子の目線はどこか獣じみていて、不吉なものを感じさせた。双子の両親は何も感じないのか、無邪気に喜んでいる。

文旦を思わせる赤ん坊の頭は重たげに、双子の母親に抱かれて揺れている。父親は鋏の刃を丁寧に研ぐ。

私はその様子を交互に眺めて、背中が微かに騒ついた。



その日は久し振りに街中に出掛けた帰りのことだった。

家の前でトモ子とカネ子が、何か小さな鞠のようなものを蹴りあって嬌声を上げている。それは仔犬が2匹跳ね上がるような声色で、微笑ましいものであった。

私は笑みを浮かべながら、2人に近づいていった。トモ子とカネ子は鞠を蹴りあうのに夢中で、私には一向気づく気配がない。その遮二無二駆け回る2つの背中がまた可愛げで、私は頰を緩める。

だが2人に声をかけようとしたところで、私の脚は自然と止まった。2人の無邪気な嬌声が、そのまま悪魔の底知れない嗤い声に変わっていく。

2人の小さな悪魔、いや鬼だ。

トモ子がようやくこちらに気がついて、足を止めた。カネ子はもう少し気づくのが遅く、力いっぱい小さな肌色の鞠をトモ子に向かって蹴ったところであった。

土埃に塗れて、骨が砕け幾分変形はしていたものの、私はそれが鞠ではなかったことにすぐ気がついた。

2人が鞠として蹴りあっていたのは、浅田さん家で産まれたばかりの赤ん坊の頭であった……。それはよく肥えて、丸々とした文旦のような頭であった。トモ子とカネ子の両親が手入れした鋏が切り離された赤ん坊の体の横に捨ててあった。こんな細腕でよく赤ん坊とはいえ人間の首を断ち切ったものだと、私はぞっとした。

だがトモ子とカネ子の瞳は、いたって無邪気だった。トモ子は私に興味をなくして、足元に転がる赤ん坊の頭を再び蹴り上げた。次第に色の引いていく視界の中で、相変わらずトモ子とカネ子は仔犬のように駆け回っていた。

いつまでも、いつまでも駆け回り続けていた。

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文旦 三津凛 @mitsurin12

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