メリーと過ごす楽しい一日

フカイ

掌編(読み切り)




 ねぇ、いまから会社サボって、ドライブに行かない?


 五月のこんな陽気の日は、会社にこもってパソコンの画面を見続けてるなんて、できやしないよね。




 小さなイタリアのクルマを借りて、広尾のあなたのオフィスに迎えに行くよ。


 キャップを買ってね。


 大丈夫、ちゃんとダンナさんの帰宅までには、お家に送り届けるから。




 借りた車は、コンパクトな二座のオープンカー。


 こぢんまりとした車体は女性にも可愛らしいと評判だけど、おいおい、こいつは立派なスポーツカーだぜ。


 オートマ限定のあなたのために、今日は涙をのんでAT車にしたけど。



 まずはR246を用賀へ。


 そして、環八マクドナルドを左へ折れて、東名に入ろう。






 ―――海を、みにいくんだよ。






 多摩川をわたり、見晴らしのいい風景。


 東京から西に移動する時はどうしていつも、こんなふうに開放感にあふれるのだろうね?


 東京料金所を抜けて、一旦路肩にクルマを停める。


 コンソールのスイッチを押すと、ほら、瞬く間に屋根がリアハッチに格納されてく。




 オープンカー、初めて? そうなんだ。


 キャップ、きちんとかぶってね。けっこう日焼けするから。






 頭の上に空が広がるこのオープン・エア・ドライビングの快感を、経験してごらん。


 走行車線に戻って、シフトを落とし、スロットルを開けると、背中がシートに押し付けられる。クルマは一気に加速する。




 胸がすくようなスピード感。




 でもキャビン客室のなかには不必要な風は巻き込まないようにできてるから、髪もそんなに乱れずに。


 天井を閉じられたクルマとはまったくの別世界。ヘルメットをしなくていい分、オートバイよりも気楽だ。






 あっという間に厚木まで。


 料金所を降りて、運転を変わろう。




 あなたにスティアリングを譲り、助手席におさまる。


 顔で笑って、ココロで緊張。大丈夫かな? 普段、ドイツ車の上品なサルーンを運転しているひとに、このコンパクトなスポーツカーの手綱を任せられるかな?




 そろそろとレーンに出てゆき、あなたは気持ちよくスロットルペダルを踏む。




 すごい加速ね!


 だから気をつけてって言ったでしょ?


 でも、気持ちいい!






 ひゃっほーい。






 はしゃぐあなたはまるで、十代の少女みたい。


 これもきっと、オープンカーの効能。




 小田原厚木道路は覆面パトの巣だから、あんまり無茶しちゃダメだよ。


 広い平野の中を抜けてゆく屋根なしクルマの中には、草いきれの匂い。




 まっすぐな道をリズムに合ったお喋りをしながら、一気に大磯まで。


 ウィンカーを左に出して、自動車専用道を降り、ちょっとした山道を抜けて、市街地へ。


 片田舎のコンビニエンス・ストアの前でお茶を買って、もう一度、運転を変わろう。




 一般道を十分も走れば、また、自動車専用道の高架が見えてくる。


 立体交差をくぐり、急な坂道を加速しながら上がれば、そこは西湘バイパスだ。


 助手席にあなたを座らせたのはね、ほら、左手窓の外、壁が低くなって、一気に相模湾が一望だ。






 すごい!






 エメラルドグリーンに輝く、美しい海。


 グレイの砂利浜にきらめく白い泡をはじかせながら、波のカールがいくつも繰り返す。


 お喋りな口を閉じれば、ほら、走行音に半分はかき消されてしまうけど、潮騒が、聞こえてくるでしょう?


 それに、この鼻をくすぐる潮の香り。強い日差し。


 緩やかな左カーブを描きながら、助手席の向うに広がる相模湾。


 そして正面に小田原の山並み。


 巨大な関東平野にいると、山とも海ともずいぶん隔たったところで暮らさざるを得ないけど、こうして渋谷から七〇分で、こんな景色に会えるんだよ。




 西湘バイパスを終点の石橋I.C.で降りて、R135をそのまま南下。


 左手には昼下がりの陽光をきらめかせる相模湾が見え続ける。


 このまま熱海から伊豆まで行ってしまいたいけど、そこはぐっとガマンして、海を離れ、山の中へ切り込んでゆく。


 中低速のコーナーが連続する、ワインディングコースが始まる。


 キチンとベルトして、両脚を踏ん張っててね。


 セミオートマのシフトを下げ、アクセルの鞭を入れると、いままでのんびりと走っていたクルマは本来の性格を現す。


 コーナーの前で正確にシフトダウン、ブレーキを当ててクィックに制動を効かせ、コーナーの出口が見えたところでステアを切り、ブレーキ開放、アクセル・オン。


 フロントグラスの向うには、右コーナーでは萌え若葉も目にまぶしい新緑の山肌。左コーナーではうっとりするようなエメラルドグリーンの相模湾。


 気持ちよく、山道を駆け抜けて、十五分。








 ここへ、ご案内したかった。








 東に向いた崖の上に立つ、小粋なレストラン。


 オープン時間は、午前10時から日没まで。


 白いクロスのかけられたテーブルに通されて、足元までのガラス窓の向うは、広い広い海原うなばら


 高いところから見下ろす海面には、漁船の描く軌跡や潮目がはっきりと見てとれる。



 おすすめは何ですか?


 おすすめは、コレです。




 ふたりで同じものを注文。シーフードカレー。


 ふもとに見えるちっちゃな漁港で今朝採れたものを仕入れて作るココのシーフードカレー、絶品です。食いしん坊のあなたに、是非、食べさせたかった。




 わかる? 辛さの中に、魚介のダシがすごく効いて。エビの味噌のまろやかなコクがまた、たまらないでしょ? それに、つけあせについてくる小粒のラッキョウの甘みと、ポリポリした歯ごたえ。




 渋谷から百分。約100km。


 都会に置き去りにしてきた何もかもを忘れ、ほんの束の間、こうして気軽に笑い合って。




 帰りのことを考えると、ホテルで休憩する時間も取れないけど、こんなふうに気持ちが通い合うなら、それもまた愉快。




 食事を終えて、熱いコーヒーがサーブされる。


 コーヒーカップに、小さなひな菊の花が添えられてるのを見たときに、天啓のようにあの歌が思い出される。




 ぼくが、こよなく愛する映画「メリー・ポピンズ」の中の一節。


 とても、楽しいデートでした。




 おつきあいいただき、どうも、ありがとう。










 麗しき一日


 五月の朝


 わたくしは、空を飛べるような気がするのですよ


 ご覧になったことがありますか?


 青々とした草、あるいは抜けるような青空を




 あぁ


 メリーと過ごす楽しい休日


 ハートも浮き立つようです




 もし空が曇ってしまっても、


 メリーが明るい日差しを戻してくれる




 彼女のまわりでハピネスが花開いています


 ラッパズイセンが咲き誇るように




 メリーがあなたの手を取れば


 申し分のない気持ち


 胸が高まり


 まるで大きなブラスバンドのよう




 メリーと過ごす楽しい休日


 わたくしたちが大好きなのは


 メリーに相違ない!


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メリーと過ごす楽しい一日 フカイ @fukai

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