同じ空の下で

トモハチ

第1話 永遠の友情

 永遠の友情がある、本気でそう信じていたあの頃。チャイムが鳴ると勢いよく校庭に駆け出し、水たまりに足を突っ込んでは親に怒られたものだ。私と石田は小学校の頃からの友人だ。もうかれこれ十何年の付き合いになる。あのときあいつが好きだっただの、あいつが可愛かっただの、そんな話が昔話になってしまうおかしさと、少しの感傷的な気分が、酒のいい肴になる。そんな彼とも連絡を取らなくなってもう何年も経とうとしていた。毎日のように遊んでいたあの頃とは違い、今ではお互い仕事に家庭もある。なかなかお互いに予定を合わせることが難しくなってきたが、今でも友情は固いものであるという漠然とした自信と誇りに似たような感情が今でも心の底のどこかに渦巻いているような気がしていたが、その一方で、永遠という言葉を信じるにはもう大人になりすぎていたし、連絡を取るきっかけも作り出せずにいた。

 妻と結婚して間もなく、息子を授かり、まさに順風満帆といった人生を送っているなかで、過去を思い出すことが増えた。今の生活に不満があるわけでは、決してない。仕事と子育てに忙殺されてそんな暇や余裕がないはずなのに、心のどこかで「あのときああしていれば」というような後悔や、夢だけをがむしゃらに追いかけていたあの頃の無垢な自分の偶像を追いかけてしまっている自分がいる事にも気が付いていた。決して戻ることはできないと分かっていながら、叶うなら戻りたいと思ってしまうこともあった。そんなことを考えながら、今日も仕事に向かうため、せわしなく身支度を済ませる。

 「今日は何時に帰ってくるの?」妻の声がする。「雨が降るみたいだから、傘を忘れないようにね」確実に妻の声なのに、頭の中では母が語り掛けてきている。そうだ、あの頃と全く一緒だ。雨の日にはお気に入りのレインブーツを履いていけるので、雨予報を見ると目を輝かせていたものだ。母の忠告もそこそこに、勢いよく玄関を飛び出したことが鮮明に頭の中に残像としてよみがえる。「聞いてるの?」ああ、忘れていた。今はそんな子供じゃない。「ああ分かった、ありがとう」お気に入りのレインブーツを履いていたあの頃の私は、履き古した革靴で、何とも言えない憂鬱でな気持ちのなか雨の日を迎えることを想像できただろうか。あの頃の私が思い描いていた大人とは全くの別人だ。久々に石田に連絡をしてみようか。そんなことを思いながら重い足取りで家を出た。

 運輸業に勤めることは私の長年の夢だった。幼少期から乗り物が大好きで、将来は電車の運転士になりたいと思っていたが、視力等の問題があり断念、そのまま総合職として就職することとなった。あの頃の私からすれば、運転士よりも魅力的な仕事かもしれない。自らの手で乗り物を動かし、人々の日常生活を根底から支えているという責任感を最も感じることができる職種であろう。だがその一方で「こうじゃなかった」と思う部分も大きい。特に今日のような雨の日はそうだ。雨により遅延することによるクレームへの対処、ダイヤの微調整。華やかでは決してない、むしろ地味といっていい仕事だ。雨は日中降り続き、私は普段よりも忙しい一日を過ごしたのだった。

 奇跡的に定時で帰社し、まだ明るい中を家路につく。帰り道に酔ったコンビニで、ビールとつまみを購入する。いつものルーティーンだ。夕方まで降り続けた雨は小康状態になり、今は止み間のようだ。「また降り出す前に急いで帰るか」足を速めて家路につく。一つ目の横断歩道で赤信号に捕まった時、先ほどのコンビニに傘を忘れたことに気が付いた。いつ雨が降り出すかもわからない、仕方がなく取りに戻ることにした、その時だった。「たけしくん?」聞き覚えのある声で呼ばれ、水たまりをよけるため足元ばかりを見ながら、早い足取りで歩いていた私が振り返るとそこには、背の高いモデルのようなスタイルのよい女性が立っていた。一瞬誰だか分からず目をこすり再度顔を見る。スタイルはすっかり変わってしまったが、顔は全く変わっていなかった。その声の主は、小学校から高校まで一緒だった幼馴染、朱莉だった。「久しぶりじゃん!」声のトーンもあの頃と同じ、学校内でも有数の美少女だった朱莉そのものだった。私は幼馴染だからと少し身を引いていたが少なからず好意を抱いていたし、石田も告白したがあっけなく玉砕したという話を友人伝いに聞いたことがあるが、小学校の頃は石田を入れた数人のグループでよく一緒に遊んだものだ。「見て、虹!」朱莉が私に頭上をあの頃と変わらない無邪気な笑顔で指差す先にはくっきりと太い虹が架かっていた。「懐かしいね、たけしくんが石田くんと喧嘩した日、帰り道に偶然虹見つけて仲直りしたんだっけ」そんなこともあった。

 あの頃は虹というものにものすごく希少価値を感じていて、虹を見つけることができただけで幸せな気持ちになれていた。長い付き合いの中で一度だけ喧嘩したあの日、私は朱莉と数人で遊んでいた。「見て、虹!」と朱莉が叫び、みんなで一斉に空を見上げると、そこには大きな七色の放物線があった。「すげえ!」「きれい!」各々がおもむろに声を上げるなか、私は買ってもらったばかりの携帯を開き、無意識に石田の連絡先を呼び出していた。「見ろよ、空。虹が出てるぞ。」そんな一文をメールで送信した。つまらないことで喧嘩してしまった自分の小さすぎるプライドが恥ずかしくなり、「さっきは、ごめんな」と書き加えた。

 「懐かしいな」という私の声を聞きもせず、あの頃と同じようにきれいな澄んだ目で朱莉は虹を眺めていた。私も自然とスマートフォンに手が伸び、石田の連絡先を開いていた。あの頃とは比べ物にならないくらいの高画質なカメラで虹を画像に収めると、石田にLINEで送信した。「見ろよ、虹だぜ」その一言で十分な気がした。石田が今空を見上げているか、この虹を見ているかはわからない。だが、同じ空の下で今日も生きているんだ。そんなことを感じながら、朱莉の横で空を見上げ、七色の放物線を見つめるのだった。

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