第40話 裏切り者と新たな仲間のこと

「ドぺリア……?」


 僕はその名前を探して記憶をさらう。しかし、少なくとも僕達と戦った魔物の中にその名前はなかったはずだ。やり直し前の記憶では、ミリィちゃんがそいつを見つけて他の3人も向かったのだから、きっとこの時点で魔王軍の人探しは完了したのだろう。


「元四天王って、今は何なんだ?引退したのか」


 エディの言葉に、違う、と内心で否定する。精鋭4人が集まり、街を焼き、勇者を放り出してでも見つけたい相手。つまりそれは、隠居老人を探すような生易しい目的ではないはずだ。事実、その問い掛けに僅かに躊躇う様子をザヒードさんは見せる。答えたのは、マイアさんだった。


「任務の途中で失踪した、いわば脱走兵ね。私達の制止も振り切って……」


「マイアさん達の制止を?え、ちょっと待てよ、さっき3人ともめっちゃ強そうだったじゃん、それでもダメだったのか!?」


「恥ずかしい事だが、隙を突かれたとしか言いようがない」


 苦い顔をして、ザヒードさんが頷く。


元々万変のドぺリアは魔王様の近衛に長く所属していた精鋭でな。儂等も信頼しきっておったのだが、戦いの際にドぺリアは魔王様を守り、敵の攻撃で瀕死の重傷を負ってな。……しかし、その夜に突然起き上がり、飛び出してしまったのだ」


「魔王を守りってことは、そこまで迫った敵がいるんですか!? 勇者以外に!? ……人間、ですか?」


 僕は恐る恐る尋ねる。僕の記憶であれば魔王軍はこの時期、大陸で種族を問わず逆らうものを滅ぼして回っていたはずだ。実際、僕達が海を渡って向かった魔大陸の人間の国は多くが平らげられていて、魔大陸は魔王の支配下だった。だから、僕とエディが立ち向かうまでに、魔王に肉薄するほどの戦力を持った勢力が居るなんて知らなかった。


「……人間ではないが、魔物でもない。未だに正体は分かっていないが……」


「ザヒード」


 イズミさんがそこでザヒードさんを呼ぶ。ザヒードさんは咳払いをして説明を続ける。


「ともかく、逃げだしたドぺリアが海を渡ったところまでは分かっているのだ。そこからは行方が知れていなかったのだが、1週間ほど前に、この街に潜んでいる者から報告があった。異常な魔力を検知した、とな」


 その言葉に僕とエディは同時に息を飲んだ。平和に見えるこの街にも、すでに魔王軍の魔の手は迫っていたのだ。やり直し前にはそんな情報どころか、魔王軍が街を荒らすまで魔物の気配すら感じられていなかった。潜伏している手勢も、脱走兵のドぺリアも、やり直し前の僕でも分からないほどの力量。改めて、魔王軍の人材の豊富さに舌を巻く。


「そのドぺリアって、4人が揃ってないと倒せないくらい強いのか? やっぱりザヒードさんよりもでっかかったりするのかね」


「強い、何よりも老獪で油断はできん。だが、見た目はー……今どのような見た目かは儂にも判らん」


「そう言えば、昼間お話しした時にも『姿は分からない』と。性別や年齢も……って、もしかして、ドペリアさんって……変身出来たりするんですか?」


 僕のその問いかけに、マイアさんが意外そうに眼を瞬かせて僕を見る。さっきまでの鋭さはなく、僕は少しほっとした。


「その通りよ。ドッペルゲンガーのドペリア、それが探し人。あまり頭数の居る種族ではないから人間が知ってるとは思わなかったけれど、よく知ってるわね」


「実物に逢ったことはないですけど、調べ物をしている時にそういう生き物が居るってことは読んだことがあります。確かその本では、食べた人間の姿形を真似して旅人を騙すスライムで、擬態は得意だけど、あんまり賢くないから簡単な質問をすれば見破れるって……」


「普通のドッペルゲンガーなら、それで正しいわ。でも……」


「知性を持つ生き物ばかりを捕食した結果、高度な自我を持った特別なスライム。それが《万変の》ドペリア。自我を持ってからは更に知識を求めるようになり、魔物でも人間でも構わず捕食し続けて、四天王になったスライムだ……そして」


 昼間の堂々とした豪快な様子とは違う、低く落とした声。ザヒードさんは少しだけ言葉を止めて、痛みをこらえるように目を閉じる。続いた言葉は、呻きの様だった。


「……儂の親友でもあった者だ」


「ザヒードさんの、友達……?」


 思わず繰り返した僕は慌てて口を押える。ザヒードさんが目を瞬かせ、顎髭を撫ぜながら苦笑した。


「儂にだって友くらいは居るぞ。此処に居る3人もそうだが……スライムを友とする事がそんなに意外かね」


「あ、いえ、その、そういう意味じゃなくってですね!!」


 驚いた理由をどう説明しようかと僕が悩んで口ごもると、先に口を開いたのはイズミさんだった。口元は笑っているけれど、僕はイズミさんの目を見て背筋が凍る。眼鏡の奥の瞳は僕を見定めるように光っていた。


「リオ殿はこう言いたいのでござろう? 『魔物が友達を作るなんて』と」


「……っ!!」


 返事に窮する。だってそうだろう、まさかその通りだなんて言いにくい。……僕は、イズミさんともザヒードさんとも、そしてマイアさんとも、やり直し前には殺し合い、最終的にはその命を奪っている。その時には、魔王を倒すまでの障害としか見ていなかったし、3人も同じように、僕を魔王の敵として殺そうとしてくるばかりで、言葉を交わす事なんてほとんどなかった。

 今日の1日で、僕は自分が信じていた魔物観を根底から突き崩されてしまった。魔王軍は人間の敵で、魔物は人と違って、敵を殺して回るだけの恐ろしい存在だったはず、だったのだけれど。広場では人間の中に溶け込んで笑っていたザヒードさんとイズミさん。マイアさんはミリィちゃんを心配して怒っていたし、ミリィちゃんは僕に甘えて楽しそうに笑っていた。

 そして今、ザヒードさんは、裏切って逃げた魔物の事を友と呼び、まるで自分の身体が痛むような顔をしているのだ。


 僕はどんな表情をしていたのだろう。四天王は皆、僕の顔をじっと見つめて僕の言葉を待っているようだった。その視線を受けて僕は、まるで全部を見透かされているような恐怖を感じた。指先から体温が奪われて、膝が震える感覚。……そこでエディが僕の手を握ってくれなかったら、きっと僕はまた膝を折ってしまっていただろう。


「……俺は、そう思ったよ。だってそうだろ、魔物は魔物、話なんて通じないって思ってたしな」


 エディがそう答える。マイアさんが不快感を露わにして眉を寄せるけれど、エディは四天王の前に立ってまっすぐと顔を上げる。


「俺の友達の妹は、ゴブリンに襲われて殺されそうになった。リオはそれを守って、身代わりにゴブリンに攫われたんだ。俺達の村の周りの魔物なんてそれこそ、話の通じないゴブリンみたいなのしかいないからな。正直、さっきザヒードさんが変身した時は、嘘だろって思ったぜ」


「リオちゃん、それ本当?! 大変だったね、怪我とかなかったの?」


 ミリィちゃんが驚いたように僕に尋ね、抱き着いてくる。ふらつきながらも僕は我に返り、ミリィちゃんの頭を撫でて笑って見せる。ぎこちなかったかもしれないけれど、少しだけ頬に温かみが戻った。


「危ない所だったけど、エディたちが助けてくれたんだ。怪我もばっちり治ってるよ。有難うね、ミリィちゃん」


 そっか、と安心したように微笑むその表情に、僕は目の奥が熱くなるのを感じた。10年以上敵だとしか思ってなかった相手から、こんな風に心配されるなんて、ついさっきまで思いもしなかった。

 ……10年以上、話そうとすらしてなかったのだ、僕は。その事が僕の肩に重くのしかかる。吐き出せない自責に僕が口を閉じたところで、イズミさんはわずかに笑った。顔を上げると、その目は楽しそうに細められていた。


「ははぁ、それは災難でござったな。まあ、その考えを責めるつもりは毛頭ござらん。拙者も同じように思っていた時期がある。なあ、ザヒード」


「うむ、イズミも元々は儂等と敵対しておったからな。その時までは、人間など群れなければ恐るるに足らぬ生き物だと思っていたが、こいつは単騎で本陣まで切り込んできてなぁ」


「はっはっは、若気の至りと許してくれよ。今はこうして志を共にする御同輩だ」


 ザヒードさんにそう言ってから、イズミさんは改めて僕達の方を見た。さっきまでの試すような眼ではなく、昼間と同じような穏やかな目で。


「え、と言う事はイズミさんって人間か!? でも、さっきあんなでっかい武器担いでたし魔物かと思ったぜ?!」


「修練を積めば、あれくらいは振り回せるようになるでござるよ、エディ殿。まあ、拙者の話はまたいずれするとして……リオ殿、この通り、話してみれば魔物の中にも愛や情を持つ者も多い。魔王軍に与する人間の一人として、それは保証するでござるよ」


「は、はい……」


 大刀だけじゃない、屈強な赤塗りの鎧や、鉄すら切り裂くような太刀筋も人間離れしていることを僕は知っている。剣を交え、命まで奪った相手であるのに、今の今までイズミさんが人間だと気づいていなかった。女神様の加護をもらった僕達と同じか、それ以上に強かった相手だ。今でもその戦いの事は思い出して身震いが起きる。それがただの人間なんて。


「話が逸れたな、ドペリアの事だ。」


 ザヒードさんが手を叩いて話を戻す。僕はいくらか落ち着いて、抱き着いたままのミリィちゃんを撫でながら話を聞く。


「ザヒードさん、その、逃げたそいつが居る場所も姿もわからなきゃあ俺達も探しようがないぜ。なんか手掛かりとかはないのか?」


「その事だ。ドペリアは高い確率で、この街の首脳陣の誰かと入れ替わっている」


「は!? 共和国のお偉いさんが魔物だってのか?!」


「元は違っただろうが、この街にドペリアが来て身を隠そうとするのならば、確実に権力者を狙う。身一つの魔物が人間に紛れて生きようとするのであれば、他に脅かされず、自分を他の者に守らせることが出来る立場を選ぶだろう。そして、普通の人間であれば、ドペリアの侵入を拒むことなどはできん。腐っても元四天王、力量は世界有数だからな」


「で、でも、なんで首脳陣の誰かだと? いくら自分を守ろうとすると言っても、リスクを考えればそこまで偉い人を狙わなくても……」


 ザヒードさんに僕は疑問を投げかける。しかし、ザヒードさんはゆっくりと首を振り、確信があるのだ、と答える。


「あいつは、この街を支配しようとするだろう。そして、魔王軍に反旗を翻す。……逃亡する際に、アイツは儂等にこう言い残したのだ。『魔王軍では駄目だ、人間でなくては滅ぼせない』と」


「狂ったのでもなく、臆病風に吹かれたわけでもなく、目的をもって魔王軍から離脱したのは確かなのよ。」


「人間でなくては滅ぼせない……それは、その……今、魔王軍が戦っている、勇者以外の存在を、ですか?」


「悪いが、そこまでは話せん。これ以上は魔王軍の問題だ。ましてや、見逃す事にしたがお前たちは勇者なのだろう?今回の解決につながること以上の情報は渡せん」


「ケチ」


「ケチって……エディ、お前は儂等が怖くないのか。勇者にしても勇ましすぎやしないか?」


 ザヒードさんが呆れたような感心したような顔でエディを見る。エディは、冗談だよ、と軽く笑って返していたけど、僕とつないでいる手は震えていてじっとりと汗をかいていた。精一杯の虚勢だ。僕もつばを飲み込み、深呼吸して気持ちを強く持とうとする。


「その首脳陣に逢った時に、僕達は何をすれば良いんですか? 魔力感知なんてしたら、議会の守衛さんに怪しまれてしまいます。それで破談になったら国レベルの問題になりますし、また議会を調べることが難しくー……」


「うむ、そうだろうな。なので、勇者一行よ。お前達への依頼だ」


 ザヒードさんは頷いて僕に近づく。ちょっと身を強張らせてしまった僕の前でザヒードさんは屈んで、僕に抱き着いているミリィちゃんの頭を、大きな手で撫でた。


「ミリィをお前達のパーティに入れてくれ。ミリィの目は特別でな、魔力に頼らず相手を見抜くことが出来る」


 その言葉に僕とエディは目を丸くして絶句する。勇者一行に、魔王の重鎮が仲間入りだ。


「よろしく、エディちゃん、リオちゃん!」


 話題の中心になった四天王の少女は、この中の誰よりも無邪気な笑顔を振りまくのだった。

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優しい世界のあるきかた くーよん @cw-yong

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