17話 五芒魎

「いつまで寝てんだ起きろ、バカ妹」


 僕は静かに眠っている琴裏に呼びかけた。

「…………え?」

「やっと起きたか。おはよう」

「おはよう……?」

「……あの日と逆だな。もうあんな術使うんじゃないぞ。瑠璃子さんに看てもらったから問題ないとは思うが、安静にしておけよ」

「え? あれ? 立会いは……? あらから私どうなったの……?」


 ──『只今より15分後からAブロック最終戦を行います。 三日月刑吏、三日月凛音。両名は決闘場へ集まって下さい。定刻通りに立会いを行わない場合は棄権とみなします。繰り返します──』

 会場のアナウンス。

 もう時刻は夕日が暗闇を連れてくる頃合いだ。


「待って、今最終戦って……」

「そういう事だ、妹が兄貴に勝とうなんて100年早いんだよ」

 そう言って僕は琴裏の頬をつねった。


「凛音、お前の肩を持つわけではないが、次の相手は序列第四位の豪傑だ。易々と勝たせて貰える相手ではないことは理解しているな?」

 鞘歌姉さんが声を掛けてきてくれた。


「当たり前だ。去年の僕が負けた相手でもあるから理解している。だけど、今回は覚悟が違う、それに──立待月命に当たるまでは終われない」


 僕は今までトーナメント戦終盤──ベスト8には残る事は多々あった。だがブロックの最終戦では必ず負けた。

 その後、どうでも良くなった僕はベスト8トーナメントは適当に戦って、序列七位を維持出来たと確信出来た瞬間、立会いは行わず棄権して途中で帰っていた。


「そうか。 次勝利すればベスト4、序列第五位は確定だな。元々お前は序列七位の器ではない」

「買いかぶりもここまで来ると清々しいよ、姉さん。だが、そこまで言われちゃ期待に答えないわけにはいかないな」


 そう言って僕は踵を返し、決闘場へ向かう。

 序列四位……去年の僕が手も足も出なかった相手。今年こそは……。

 ──何だろう、この高揚感は。


「楽しそうだな」

「瑠璃子さん」

「どんな心境だ? 今から戦うのは、天に咲く五つの花──【天花五家・三日月】の序列第四位だ。この家の誰もが憧れ、そしてそれを前にして天は人の上に人を造る事を知り、絶望する。そんな神域に手を掛けた相手だ。それを知っていて、それでも挑むか?」

「そんなに脅さないで下さいよ……」

 僕は苦笑を浮かべる。


「僕って今まで自分の為に戦った事、ないんですよ」


 空を仰ぎ見る。

 天には、茜空。

 入道雲だろうか。 風に流れてゆっくりと形を変えながら空を流れている。凄く、綺麗だと思う。咲き誇った桜はもう散り始めている。花びらの一枚がひらひらと舞い降りてきた。

 それを僕は手の平で受け止める。それはまるで輝く宝石のように想えた。刹那に散りゆき、また咲き誇る儚い夢のようだ。


 瞳を閉じて、僕は息を吸う。

 そして瞼を開けると、そこには『世界』があった。眩しい程、希望に満ち溢れた人や物。

 去年までの僕が見えていなかったものが色鮮やかに瞳に映し出された。

 目を背けてきた暖かな情景。


 ああ、僕は今──生きている。



「人生で、初めて自分の為だけに戦います」



「坊や、今凄く良い顔をしているぞ。今の気持ちを大切な人に伝えておいた方が良い」

 咥えタバコのまま瑠璃子さんが言う。

「そうですね。この世界をくれたのは──彼女だ」

 そう言ってスマートフォンを取り出し、幾望桜を呼び出した。するとワンコールと待たずに繋がった。


『どうしたの!?』

「桜、ありがとう」

 手の平の桜を大事に胸ポケットにしまいながら僕は言う。

『……今から死にに行くようなセリフだけど、そうじゃないみたいね』

「うん、僕は君に会えて良かった。それだけ伝えたかった」

『生きて帰ってくるんだよね?』

「僕は今から、自分の為に戦ってみるよ。だから、応援してくれないかな」


 誰かの為ではなく、自分の為だけに戦う事がこんなに怖い事だとは知らなかった。

 桜が少し驚いた様に、息を飲んだのが分かった。


『……いつだって、応援してるよ。どんな時も、キミが何処にいても、あたしは凛の味方だよ。世界で一番大切な人。世界で一番愛しい人。頑張れ! 三日月凛音!』


「──ありがとう」

 一言だけ告げて、僕は電話を切った。


「神域? 瑠璃ちゃんさ、僕のことを誰だと思ってるんだ? 序列第四位? 三十秒で終わらせてやるからそこで見ておけよ」


 そう言い残して僕は瑠璃子さんをその場に残して歩き出した。

 胸が熱い。こんなに胸が高鳴るのは、一体いつ振りだろう。

 正面から屈強な男が僕に向かって歩いてきた。


「三日月凛音、何の因果だろうな。去年のリベンジマッチという訳か」

「運命的ですね。僕はあなたを超えて、先へ進みます」


 男が豪快に笑う。

 それは侮蔑などとは無縁のものだった。


「俺は他の者の様に貴様を侮ったりしない。無下に扱ったりもしない。意味もなく虐げたりもしない。貴様は──強い。故に加減はしない」

「そうですか。ありがとうございます。胸を借りる様な立会いはしません、僕も全力であなたを打倒します」



『───それでは、序列第四位 三日月刑吏 対 序列第七位 三日月凛音の立会いを始める。両者共に、礼ッ!!』



「よろしくお願いします!」

 姉さんの実況の声と共に、僕は深々を頭を下げた。


『──始めッ!!!!』


 合図と共に男が僕に肉薄し、拳を振り上げていた。巨体の腕力と体に捻りを加え振り下ろされたそれを、僕は片手で受け止めた。

 周囲の大気が震える。


「『大典太』の序列一位に勝利したというのは真実の様だな」

「はい」

『この一年でどれだけ腕を上げた……それに、珍妙な術を使う……」

「まだ何もしていないですけど」


 そう言うと、空いたもう片方の手を振りかぶるのが視界の端に見て取れた。

 打撃の次に来るのは──恐らく斬撃。今までの僕であれば確実に故意に受けるであろう一撃。

 それを上体を逸らして躱す。背骨が折れる音がした。


「なッ……」


 驚くのも当然だ。

 僕の動きは人間の関節の可動領域の範疇にないのだから。

 そのまま体重を後ろに傾け左手を地面につけ、その体勢のまま体の軸を右に捻り、右脚で相手の顔面向けて蹴りを繰り出した。思い切り振り抜いたそれは、膝の関節が外れ鞭のようにしなり、男の顎を打ち抜いた。


 男が吹き飛んだのを目視しながら即座に立ち上がり追撃を試みる。今の蹴りは絶対に防がれた。

 ──術式の詠唱の隙も攻撃の隙も与えない。

 攻めて攻めて攻めぬいて、勝利を掴みとる。

 目を凝らしていれば移動場所は分かる。

 僕の視線の先で男は闘技場の隅で何かを早口で口走っていた。


「させない」


 即座に男に肉薄しようと試みる。

 身体が軽い。鎖に繋がれた様に重かった足がこんなにも自分の意思の通りに動く。今なら──僕にも出来るかも知れない。

 理想形は、死織のそれだ。上半身を倒し膝の力を抜き到達位置を決め足を抜いた。

「何ッ!」

 人生初の縮地。足の入りに少し力んだが、成功した。


「全力で行きます」


 そう言って僕は右拳を男に向かって振り下ろした。地のコンクリートに亀裂が入る程のそれを、男は両腕で防いでいた。


「貴様……今までどれだけ手を抜いて──」


 彼の言葉を黙殺し、無心で男の脳天目掛けて再度左拳を全力で振り下ろした。


 割れるのはやはり彼の付いている足元のコンクリートだけだった。しかし手にしていた太刀は手元を離れ地面に落ちている。

 それを蹴り飛ばし、僕は言う。


「僕も学習能力の無いただの馬鹿じゃない。去年の立会いで負けた理由は──」

 男がもう一振りの大太刀で僕を縦に斬りつけようとしている。それを上体だけを傾け、躱す。


「──僕が後手に回ったからだ」


 そして腹部目掛けて靴底で抉るように蹴り上げた。

「あなたが二天一流だって事も防御術式に頼って移動しない事も──」

 男の巨体が二メートル程、宙に浮いた。

「陰陽術式で使役する式が本物の『神』だって事も」


「──僕は知っている」


 刀が二本ある事も知っていれば大した問題ではない。

 去年の僕は彼に術式詠唱の隙を与え、使役する式神によって蹂躙され、最後には霊符に封印された。

 つまり、式さえ出させなければいい。


「後は──その防御術式、『身固法』がいつまで保つか試すだけです」


 自由落下する男目掛けて右拳を全力で振り抜いた。即座に縮地の体勢へ移行する。

 想像しろ、思い出せ、死織の動きを。一挙一動を。

 重心を前へ。倒れ込みそうになるその直前、全身の体重が無駄なく乗るタイミングを見極め目的地を目視し──足を抜く。


 二度目の縮地。

 殴り飛ばした男より先に目的地に到達する事に成功した。

 飛んでくる男の顔面にタイミングよく右拳を振り下ろした。

 またもコンクリートが割れた。普通の人間なら頭蓋骨陥没、脳出血で即死のはずだが、男には効果が無いようだ。

「さあ、あと何発殴れば───」


「降参だ」


「……え?」

「降参だと言っている。俺の負けだ……手も足も出ないとはこの事だ」


『勝者───三日月凛音ッ!!』

 姉さんのやたら五月蝿い声で我に帰った。


 ♦︎


「刑吏様に勝った……? 嘘……」

 立会いを観戦していた琴裏が呟いた。

 三日月刑吏は『三日月家』の中でも古株、古参の部類に入る。彼の使役する神将による戦いの武勇伝は数え切れない。

 そんな伝説をもつ男を凛音が瞬殺したという事実を琴裏は飲み込めないでいた。


「見たか琴裏。凄いだろう私の弟は! 」

「三十秒どころか十秒しか経っていないじゃないか。解説なんて無理に決まっている。坊や、大人気なさすぎるぞ」

「はい……凄かったです……私には最初、刑吏様が攻撃を仕掛けた所から先は速過ぎて何が起きていたのか全く分かりませんでした」

 琴裏の感想に対して、嬉しそうに叫が反応した。

「無理ないッスよ! あの移動速度は通常の人間には見えません! というか、あれは多分縮地じゃないんで、速い遅いの話とはまた違うッス」

「その通りだ。女、見る目があるな。あれは縮地ではない。坊や独自の移動術だ」

 一呼吸置いて、瑠璃子は言う。

「坊や、強くなったな。鞘歌、お前もしかしたら負けるんじゃないか?」

 彼女なりの茶化し、もとい冗談だ。


 それに対し序列一位、三日月鞘歌は静かに応えた。


「そうなって貰わないと困る。そうでなければ──奴の遺産には対抗し得ない」

 軽いジョークを叩いたつもりだった瑠璃子はその言葉に驚いた。

「『大典太終火』、彼は───英雄だ。これから起きるであろう戦乱を、凛音は彼の代わりに背負わなければならない」

 鞘歌の声に周囲の人間が気圧される中、叫だけが陽気に質問を投げかける。

「どういう事ッスか?」


「────【五芒魎】」


 鞘歌の代わりに、瑠璃子がそれに応えた。

「かつて『大典太終火』の属していた組織の名だ。そして彼が封じていた──」



「──────本物のバケモノ共だ」



 ♦︎


「勝った……?」

「ああ、貴様の勝利だ」


 いやいや、と僕は手を振る。

「僕はあと100回殴るつもりでしたよ」

「ふざけるな、俺を殺す気か」

 そう言って男は大の字で地に伏せった。


「殺すつもりならもう殺してます」

「……オイオイ怖ぇなぁ。だがそんな言葉俺以外に言うんじゃないぞ。今からでも殺されかねん」

「すんません」

「しかし、見事だ。決して俺が弱い訳ではない。貴様が強過ぎるんだ。そこを履き違えるな。それから……貴様の体、どうなっている? 俺の拳を易々と止めた事も、あれ程の強打を連続で繰り出せる力も普通ではあり得ん」


 どうなっていると聞かれても、別に普通なんだけど。でも考えられるとすれば──。


「何か勘違いしてません? 僕、全然無傷じゃないですよ。あなたの拳を止めた時も、殴り飛ばした時も、全身が粉砕骨折、内臓も場所が変わる位のダメージを負ってます」

「なんだと……?」

「ほら、よく言うじゃないですか。人間は自分の身体が傷付かない様に力を無意識にセーブしてるって。そのセーフティを外してみたんです」


 終火の力の源を考えてみた結果至ったのが、それだった。

 また人間を辞め始めている、というか完全に人間を辞めた気がするが、要は心のスタンスの問題だ。

 僕は人として、人の限界を超える行為を行っていると定義しよう。死んでいる訳でもないし、桜も怒らんだろ。多分。


「天晴れだ」


 男に手を差し伸べる。するとそれに応じ僕の手を掴んでサッと起き上がった。

 握手をする形になった僕達に観客から拍手や喝采が飛んでくる。


「余裕、あるじゃないですか」

「見切りというものがある。『名乗り合い』でもない限り、勝てないと一瞬でも悟った場合、直ぐに負けを認め撤退する。それが『殺し屋』だろう」

「なるほど、勉強になります」

 大声援の中、僕達は背を向け出入口にほれぞれ歩き出した。


「勝ったぜ」

 過去の自分に、勝ったんだ。

 自分の為に戦って、勝ったんだ。


 僕は実況席で騒いでいる彼女達に向かってピースサインで応えた。

 そして、僕を今にも殺しそうな眼力で僕を睨んでいる命に向かって宣言する。


「さあ──来いよ、命」

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欠けた月と幾望の降る夜-Girl who hate the sin of the moon- 世淮ひとみ @sola9029

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