16話 凛音 対 琴裏(結)

 ♦︎


「なぁ、本当にこれで良かったのかよ」

「うん、これで良かった。態々来てくれて、ありがとね……終火さん」

「礼なんて言うな。お前は──俺が殺したんだ。お前には何の罪もねぇ。本当なら俺を恨んで──」

「罪なら、あるよ。それに終わった事は、もういいの。私はね、あの人に幸せになって欲しいんだー。私の願いは、それだけ」

「…………行かねぇのか」

「うん。私は、もししばらくはここに残る。もう大丈夫だと思うけど、一応ね!」

「なら、俺もここに──」

「終火さんは、進んでよ」

「……そうか。なら悪いが一足先に、行くぜ。俺に出来る事はもう全てやったつもりだ」

 そう言って、終火は彼女に背を向け歩き出した。

「──世には明確な正義や悪はねぇ。たが、救いは必ず訪れる。『世の全てを照らす光』を凛音には託した」

「……?」

「独り言だ。じゃあな──セツナちゃん」


 ♦︎


「どうなってるんスか!?」

 最後の二人の会話を、身を降り出して数珠丸叫は食い入る様に見ている。


「自力で戻って、来た……」

 鞘歌が驚愕の声を漏らす。

「戻って来たって何ッスか! というか途中の黒髪の凛音さんはなんだったんスか!?」


 叫はセツナの登場からずっとこの調子だった。

 即死の攻撃に直撃したにも関わらず、その後何事もなかったかのように立ち上がり、手も足も出なかった琴裏を赤子同然に圧倒し始めた時点で、叫は興奮していた。


「──坊やが、遂に、檻から出た。これはとんでもない事だぞ」


 瑠璃子は驚愕を通り越して、感嘆している。

「どういう事ッスか!」

「私も興奮していて、上手く説明が出来ないかもしれんが……元々、坊やは死ぬ事はないんだ」

「死ぬ事が、ない?」

「ああ、例えるなら、真相の吸血鬼のようなもの。《不死の呪い》を帯びた不死者だ。どんな致命傷を負っても、例え身体が消滅しても、直ぐに生き返る。いや、生き返るというのは語弊がある。──死という概念が『無い』んだ。たとえ死んでしまっても『世界』によって即座に再構築される言わば『世界に愛された存在』だ。愛されているが故に、死ぬ事が出来ないとも言える」

「『世界に愛された』……」

「『世界』とは時間が連続する事で成り立っている。その一コマを──『セツナ』と呼ぶ。想像出来るように例えるなら、そう、パラパラ漫画だ。1ページがセツナ、捲られ続ける状態が世界だ」

 瑠璃子は眼を見開いたまま続ける。


「坊やの能力は、『セツナに自分を縛り付ける行為』だ。セツナという1ページに残留するするんだ。連続するパラパラ漫画に指を差し込み、無理矢理世界そのものを停滞させるという『因果律の破れ』に相当する危険な行為だった」


 その言葉を聞いた鞘歌が言う。

「瑠璃ちゃん、私はてっきり使い過ぎると凛音の妹──セツナが出てくるから危険だと言っているのだと思っていたぞ」

「いいや、違う。確かにミヤマエセツナは危険だ。しかしアレは仮にも抑止力。『因果律の破れ』を食い止める為に、存在している。広辞苑に書いたパラパラ漫画に指を差し込んでおくとどうなると思う?」

 瑠璃子は興奮を抑えきれずに、叫に質問した。

「指が、ページの重さに耐えられなくなるッス」

「その通り! きみは賢いな。だが惜しい。坊やが【蠱術】を使用すれば、指はページに押し潰される。それがあの能力の限界時間! 現実換算で12秒というタイムリミットの正体だ。その後、坊やは一時的に死亡する。そういう仕組みだ」

「──成る程、そういう事か」

 腕を組んだまま鞘歌は続ける。

「ページに押し潰された指をいきなり引き抜くという行為は世界に揺らぎを生む。それを防ぐために、ミヤマエセツナが代わりに出てくるんだな。故に、『抑止力』」

 頭をかきながら叫が会話に参入した。

「アタシ、バカなんでもっと簡単に今を説明して欲しいッス!!」

「そうしたいのは山々だが、長々と話し過ぎた。詳しく聞きたければ後で私のところへ来い。今はただ刮目しろ。──ここからは、坊やの作る物語だ」



 ♦︎


「うわ、なんだこれ! 僕穴に埋まってるんだけど」

「記憶が、ないんだ……」

 琴裏が何か呟いたが、僕には何のことか分からない。

 穴から這い出て、周囲の状況を確かめる。

「ちょっと寝てる間に、何が起きたんだ? しかも琴裏、その怪我……」

「なんでも無いわよ。大したことないわ」

 そう言って立ち上がる琴裏。

 本当に大したことではないというアピールだろうか。両脚で飛び跳ね、屈伸運動を始めた。

「あの人、本当に底が知れないわ……相手に怪我をさせないように戦うなんて、どれだけの技量なのよ。悔しいわ」

 琴裏は心の底から嬉しそうにそう言う。


「──お兄ちゃん!」


 そして、大きな声で琴裏が僕をはっきりと『お兄ちゃん』と呼んだ。


「今までごめんなさい! 私は貴方を貶してばかりで、貴方の心をたくさん傷つけました。貴方の事情も知らないで、ただ嫌って……私は馬鹿でした!」

「おお……急にどうした」

 困惑を隠せない。

 僕は厭魅の拳を受けて、一回死んだだけだぞ。なんだか週刊誌で連載されている漫画を四号振りに読んだような気分だ。

「私は、貴方を──殺そうとしました。孤児裏の殺人事件──あれの犯人は、私なの」


「……は?」


「あれはすべて自作自演。貴方を買い物に連れ出した所から全て作戦。人のいない場所へ連れ込んで、貴方を殺そうとしたのよ。あの場所で起きた事は全て『厭魅』による幻術式よ」

「マジかよ……」

 そんな寝起きに急にネタバレされても付いていけないわ。

 だが、幻術式ならば確かに辻褄が通る。

 M1が事件の情報を得られないと言っていたのも、桜が分からないと言ったことも、『童子切』の情報網にも引っかからなかった事にも説明がつく。

 そもそも、そんな事は起きていなかったのだから。

 起きていない事を推理するなんて、出来ない。


「だが、あの場所で《咒い》の感覚なんて───」

 自分で言っている最中に気付いた。

 彼女の使う術は、【厭魅】。厭魅は、誇大解釈すれば蠱毒だ。また終火の時の様に、僕は気付けなかったんだ。

 ああ、もう《咒い》の感知に頼るのはやめよう。僕、無能が過ぎるぞ。


「幻術式の中で私は貴方を試しました。もし、殺人鬼が──貴方ではなく、『私』を殺そうとしたら、どんな行動を起こすのか。結果、貴方は私を命懸けで救おうとしてくれた。その時に、私は気づくべきでした。貴方が───本当は優しい人だってことに」

「僕は、優しくなんてないけどな」

「ううん、優しいわよ。守ろうとしてくれる所までは、偽善者でも出来るかも知れない。でも私を心配して、本気で叱ってくれる人なんて、そうは居ないわ。それにその後もずっとずっと貴方は私の盾になってくれていた」

「…………」

「貴方は、優し過ぎるわ。風邪を引くと私を会社まで連れて行ってくれた。私を救うと言ってくれた。私の孤独に気付いてくれた。──私を、見つけてくれた」


 その言葉が凄く嬉しかった。

 僕は彼女を見つけてあげられていたんだ。

 自然と笑顔が溢れる。


「全く……世話の焼ける妹だ。M1が言っていた『地獄への道を歩き始めた』ってのはお前の自作自演の事か」

 方法は分からないが、M1は知ってやがったのか。あの路地裏の事件は琴裏が仕組んだ事だったって事に。


「そう。あの時は本当に驚いたわ。全てを見透かされているようで、本当に怖かった。だから、ずっと黙っていたし、早く帰ろうとしていたのよ」

「なるほどな、そう言うことか。一つ確認だ。僕を殺す事を君は裏路地でやめたんだな?」

「そうよ」

「『車の襲撃』をお前は知らなかったのか?」

「……うん。あれは本当に怖かったわ。あれは何だったのか未だに分からないわ」

「分かった、全て理解した」

「えっ?」


「あの襲撃の依頼人は──アイツだ」


 そう言って、僕は観客席に座っている──立待月命を睨みつけた。

 彼の顔には醜悪な笑みが張り付いていた。

 明確な悪意を孕んだ、人殺しの瞳で僕を見ている。


「妹ごと僕を殺そうとしたって事だ」

「嘘……よね……?」

「嘘言ってどうすんだよ。大方、僕を連れ出して殺す指示を出したのも命なんだろ?」

「うん、そうよ……『三日月凛音』は私を置いて家を出て行った裏切り者。だから……」

「全く覚えてないぜ。それは僕が悪いな」


「兄様が……嘘だ……嘘だ……! 嫌よ! そんな訳、嘘よ!!いや!いや! お願い! ぶたないで!ちゃんとやりますから! もっと頑張るから! お願いします! ぶたないで! いや、いや!ごめんなさい、ごめんなさい。もうぶたないで……!」

「おい!大丈夫か!」


 もう僕の声は届いていない。

 これは──フラッシュバックだ。正気を失いやがった。

 彼女の周囲の空間に歪みが生じ始める。

 目にするのが二度目だからだろうか。膨大な呪詛の塊が、ハッキリと見えた。その全てが琴裏を覆っていく。


「能力を制御出来なくなったか。そんな力に手を出すからだ。それも命に教わったんだろ」


「アァァァァァァァァア!!!」


 奇声を上げながら琴裏が僕を視界に捉えた。

「君の、憎しみも、悲しみも、苦しみも、全部僕が受け止めてやる。『地獄への道』の終点だ! さあ、──来い!」


 鼓膜が張り裂けんばかりの爆発音。

 刹那、空気の膜を切り裂いて琴裏が僕の側まで迫っていた。

 僕を一度殺した、必殺の一撃。


『──無限の牢獄に自分を押し込めて懺悔するのはやめろ』


 確かにその通りだな。

 自分を救いに行かなきゃいけないんだから、そんな狭っ苦しい場所にいつまでも居られないよな。

 僕はもっと沢山の美しい世界を見たい。美しい人達を見たい。


 僕は、僕を──愛したい。





「───【蠱術・幽玄桜】」



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