作戦名:超電導加速空洞
幸田羊助
作戦名:超電導加速空洞
私は大阪にある某マグロの養殖で有名な私立大学の日本文学専攻を卒業し、新潮は応募数が多いらしいので文藝か群像の新人賞でも獲ってできれば早めに芥川も獲って時々集中講義の講師とかもやりてえなあという夢を一旦は諦め、怪しい健康食品の雑誌を刊行する従業員四名の出版社に就職したのだが、小説は書き続けた。そして新聞社の主催する公募で奨励賞を獲った。割と先生たちの間で評判のよかった卒業制作をほぼそのまま送ったのだが、まさか受賞するとは。それで若干気まずい感じがしながらも、でもおれやっぱ才能あるんやん、と嬉しくなって授賞式に出かけたのだった。その男とはそこで出会った。
選考委員の作家から、君の小説は初期大江を思わせるね、とか、若いのに熟練した文体だとか言ってもらえたりして承認欲求の満たされっぷりが半端なかったなか、遠くから髪を後ろで縛った、似てるとかじゃなくて本人としか思えないロバートの秋山が僕に歩み寄ってきて、いきなり手を握ってきた。そして僕にこう言った。
「偉大な作家へのスタートを切った君に、早速小説を書いてほしいんだ」
僕は目の前の男が本当にロバートの秋山なのか、いやそんなわけないやろなんでこんなとこおんねん、でもまんまやん、顔だけならまだしも全身そのままやし、と混乱してしまって、内容はよく理解できず、はあ、としか言えなかった。
「純文学でブイブイやっていきたいんだろ?そのステップとしてうちはすごく適してると思うんだ。それにうちは原稿料がどこよりも高いのさ」
ロバート秋山は両目とも充血していて西川きよしばりに眼球をひん剝いて見開いていて少し怖かった。熱弁は止まらなかった。
「ただうちは少し発表の形態が特殊でね。いやまだ時代が追い付いてないだけの話なんだ。じきにこれが主流になると信じているよ」
「というのはだね、まあ媒体は今は主にネットなんだけどね。サイトはどこでもいいんだ。カクヨムでも破滅派でも。Togetterでもいいよ。その代わりだね、君自身の作品というのではなく、ある作家の翻訳、という体にしてほしいんだ」
「ちょっとぶっ飛んだ話だろう?いやゴーストライターじゃないんだ。その作家は実在しないんだ。実在しないんだけども、実在している体で、君は翻訳者の一人として、その作家が遺した作品の翻訳という体で、君自身の小説を発表するんだ。その作家は生まれた年も死んだ年も、いま生きているのかどうかも分からない。そして世界中の言語を使い、数え切れない作品をこの世に残している、という設定だ。まあそんな人間は実際あり得ないから、読者も織り込み済みってわけだ。君の“翻訳作品”は君の作品として評価されるから安心してくれたまえ」
「よしビジネスの話をしよう。君は今回の公募で奨励賞を獲っていくらもらう?五万だね。何枚書いた?二十六枚だ。じゃあ一枚換算何円だ?えーと約二千円だな。これは安すぎる。私も小説を書いた経験がある。一枚書くのにどれだけ苦労するかは痛いほどわかる。なのに二千円はあり得ない。いくらアマチュアだと言ってもだよ。芸術は人の心を豊かにする。芸術にはもっと相応しい対価が払われなければな。私はな、君は五十万は受け取るべきだったと思うぞ」
「だから私は君の“翻訳”に同じ額を出す。一作五十だよ。長さは掌編でいい。少し長めのものを連載形式でもいいしな。どうだ?五十だぞ。断る理由はないだろう。やってくれないか」
五十万、という数字だけが僕の頭に沈殿しているが、一から百まで全部が胡散臭い話なので早々に立ち去りたかった。というかこういう怪しい人を授賞式に入れていいんだろうか。有名人だから入れたんだろうか、と思った。
「君、ツイッターはやってるね?」
「はい」
「アカウント名は、gloomiest_kだね?」
ロバート秋山は顔を近づけて下から覗き込むようにして訊いてきた。このアカウントを言い当てられたときの恐怖は未だに皮膚感覚で覚えている。
「何故実名でやってないのに分かったんだ?と言いたげだな。分かるよ。ちょっと調べれば。あと君のツイート、今は動物のGIF画像のリツイートとか映画やアニメに「良さみ」とか言うだけの毒のないものばっかりだが、昔はけっこう面白いこと書いてるね」
僕は立ち去ろうにも立ち去れなくなった。手足が動かず喉が異様に乾いた。
「2011年9月18日20時7分のツイート、イケメンパラダイスの前田敦子ブスすぎワロタwwwイケメン役の男の方が可愛いやんけ!」
「あと個人的に好きなのはこれだな。2013年8月13日0時5分のツイート、パシフィックリムの芦田愛菜ちゃんぺろぺろ。」
「例えばだよ、君がこれから純文学のホープとして成り上がっていくなかで、このアカウントが発見されて、このツイートを掘り起こされたらどうなると思う?色々とまずいよね?セクシズムとペドフィリアだからね。アカウントは消すことをお勧めするよ」
僕は俯くしかなかった。
「俺が言いたいのはそういうことなんだよ。別に俺は君を責めたいわけじゃないんだ。こういうツイートは誰だってやってる。問題はそういう何気ない言葉がずっと残っていて、少し調べれば掘り起こせて発言主を社会的に追い込めることなんだよ。例えば、もし君を恨んでいる誰か、君の匿名ツイッターアカウントを知っている誰かがそのツイートの魚拓を取っていたとしたら。そういうことをする人間が周りに絶対いないと言い切れるかい?そういうリスクが伴う時代なんだよ今は。そこんとこを君は理解してたか?」
「だがまだ遅くない。君はまだ、小遣い稼ぎ程度の小さい賞を取ったアマチュアとプロの狭間の存在に過ぎない。でもこれからは君は君自身として作家になるのではなく、生年月日も没年月日も国籍も母国語も性別も年齢もない作家の翻訳家として名を馳せていくのだ。その作家の名はエメーリャエンコ・モロゾフ」
「君はそのすべての創作、発言の責任をモロゾフに押し付けていい。いや、僕はモロゾフの発言を翻訳しただけです、って言えばいいんだ。魔法の言葉だろう。翻訳者は君だけじゃない。すでにこのビジネス、いやプロジェクトには五人がサインし、いま翻訳を進めているところだ。彼らは価値観も思想も、生きてきた環境も、使う手法も全く違う、それぞれ全く面識のないクリエイターたちだ。翻訳者はこれからも加速度的に増えていくだろう。それによってモロゾフの有する空洞は拡がっていく。いやもっと言えば人類すべてが潜在的にモロゾフの翻訳者でありそのときモロゾフは無限となる。いかなる言葉とそれに付随する責任を包容する存在となる。君たちはその圧倒的庇護のもとであらゆるものをこれ以上なく自由に創造できる。これがSNSネイティブ世代の新たなクリエイター像だ」
ロバート秋山はここまでまるでラップのように早口でまくし立てた。おまけに顔が近いので唾が何滴も僕の顔にかかったのだが、僕はそれを拭うことも忘れてロバート秋山の言葉をなんとか頭に落とし込もうと努力した。確かにそうだ。読んだ本が面白くてフォローした作家や批評家がツイッター等でとんでもない発言をしてたりして失望したことが何度かある。それに今は小説でも映画でもなんでもいいが、たった一行、たったワンフレーズ、ワンカットを抜き出して多様性に配慮してないと、いわゆるポリコレ棒というやつで袋叩きにされる。良い作品とは誰も傷つかないよう全員に目配せした作品だ。聖人の、聖人による、聖人のための芸術が求められている。僕はロバート秋山の背後に後光を見た。今が芸術の転換期なのかもしれない。小説家として、ここが分岐点なのかもしれない。再び僕の頭に五十万という数字が浮かんだ。
「というのはあくまで、お・も・て・む・き・だ」
ロバート秋山は滝川クリステルの顔真似をしながらお・も・て・な・しの仕草をした。
「こうしてエメーリャエンコ・モロゾフの翻訳者を集めて翻訳を書かせる本当の目的は別にあってだな」
ロバート秋山は近くのテーブルにある誰のか分からないコップに入ったお茶を飲み干し、深呼吸をしてネクタイを少し緩めた。そしてひん剥いた眼を戻し落ち着いた表情になった。
「私は実は公安警察のものでね。ここにはある工作活動の勧誘に来たのだよ。いやー、これまでは本当の目的を隠してさっき話したようなことを誘い文句にやってたんだが、どうも私は嘘が苦手でね。そんなこと言うと公安が向いてない気もするんだが」
ロバート秋山は穏やかに笑った。
「もう疲れたから君には全部話そうと思うよ。まずエメーリャエンコ・モロゾフという男は実在しててね。昔同僚だったんだ。まあスパイだね。で一緒に過激派の左翼団体を監視してたんだが、あるとき急に姿を消してね。捕まったかやられたか、と心配してたらいきなりモロゾフの殺害命令が出た。理由を聞くとどうも、本当はこれ最高機密なんだけど、隠してもしょうがないから言うけど、うちの内閣とアメリカ、というかトランプか、の間で核兵器に関する密約があったことを発見して、その情報を持ち逃げしたらしいんだ。しかも北朝鮮にね。それでマスメディアを使って告発しようとしていることが分かった、というわけ。で今かなりの数の工作員が北に上陸してるんだけど、僕はモロゾフの殺害じゃなく情報戦を任された。その情報戦とは、もし告発を阻止できなかった場合に備え、その告発の信用度を限りなくゼロに落とす、というものだ。もう分かるだろう?」
ロバート秋山は僕の両肩に手を置いた。
「モロゾフの名を使って、できるだけ複数の人間に、下品で幼稚で過激で荒唐無稽な文章を書かせ発表させ、国民に読ませる。モロゾフという実在の人格を空洞にしていく。人はみなモロゾフは器に過ぎないのだと理解する。そして例の告発がなされるだろう。しかし人はそれを小説として読む。無国籍多言語作家が残した無数の遺構の翻訳の一つだと認識する。機密は安い陰謀と唾棄される。これこそが、我がモロゾフプロジェクトの全貌だ。さて」
ロバート秋山は両手を広げ指をパチンと鳴らした。
「君は知ってはいけないことを知ってしまった。よって選択権はない。ようこそモロゾフプロジェクトへ。一緒にこの美しい国を守ろう。モロゾフは君の言葉のすべてを待っているよ」
ロバート秋山がそう言うと会場にいた選考委員や新聞社の社員、記者たち全員が僕の方を笑顔で振り向き、「おめでとう」と口々に言いながら割れんばかりの拍手をし始めたとさ。
**参考文献
Youtube動画チャンネル「ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル」
作戦名:超電導加速空洞 幸田羊助 @gloomiest_k
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