第3話

「な・・・んで・・・」


軸を失った身体は、不安定な地盤に無理矢理立たされていたコンパスのように、それはもう綺麗な横倒しになる。

軽い脳震盪が全身に麻痺を伝わせる。


「吐け」


痛い。頭痛で気が遠のいてしまいそうだ。


違う。


俺は今、これまでを失った。

太い動脈からドロッとした赤い血が流れていく。

そうか。あの時感じた漏水は、まさにこの状況だった訳だ。



待て。

俺は足を失い地に伏せていると言うのに何故こんなにも冷静に現状を把握しようと脳を動かせるんだ。


・・・彼女が所以か。


精神魔法。

嫌な魔法だ。死体を見て喚く事すら出来ないなんて、人間じゃない。

俺は日本人だ。平和で生き平和を愛した誇り高き日本人だ。

故、切り刻まれた死体など今まで視界に入れたことなど無い。

今の俺はまるで。


心が、無い。


「そなたは何者だ。問いに答えぬのであればその首、頂戴する」


ぎらりと光る彼女のその目は、紛う事なき殺意を纏っていた。

ストっと肩に置かれた両刃の剣は俺の首筋を映す。


「・・・すまない。言い方が悪かった。反省する。・・・ただ、本当の事を言っても、君が信じてくれる気がしないんだ」

どこの誰が、違う世界から来たという説明を真に受けるだろうか。

「そなたは勘違いしている。最初から、そなたの言葉に耳を傾ける気は無い」


「何者なのかを、問うているに過ぎない」



・・・正直、彼女の言葉は理解出来なかった。

何者であるか。この言葉はこの世界において俺の存在する意味を矛盾させる。

密閉された箱の中へ、その箱に干渉せず物を入れる方法は無い。

彼女が問うているのはきっと『空だった密閉空間にいるお前はなんだ』と、言うことなのだろう。

しかし、ここでは俺は本来いない人間だ。どこの誰かを説明する事は、不可能だ。


ならばもう、これしか方法は残されていない。


「・・・神御影大学科学准教授の、水流つる誠司です。一応日本人で戸籍登録しています。家庭は持っていません。年齢は24なのですが、この年で准教授になれる人間はそういないので、アピールポイントにさせてもらってます。年収は約850万円程度です。誕生日は8月26日、血液型はO型で、RH+なので健康体ですが、寝不足や偏食で立ちくらみや目眩をよく起こします。彼女もいないので探そうと思っていたのですが、どうやらこの世界に連れられて来てしまった様なので、帰る方法を模索してから恋愛などを考えようと思っています」


正真正銘嘘偽りのない自己紹介。

日本というの国で生まれたというカミングアウト。

それをまさか足を落とし己の首をかっ切ろうとしている女性にするとは思っていなかったが。


しかしながらこれが唯一、俺が持っている俺の情報だった。


「・・・そうか」


彼女は目を瞑り、剣を持ち上げる。

キイィィィンと鉄をなぞる音が聞こえ、風が剣に共鳴し、響く。



駄目・・・だったのか。


信頼に値するだけの情報では無かった、のだろうか。

当然嘘偽りなど何処にも無いが、証明が出来ない。

ならばどうすれば良かった。

どうすれば生きられた。


どうして、俺はこんな所にいるんだ。


帰ってきてしまった俺の最初で最大の疑問が脳を支配する。

「・・・助けて」

これが最後の言葉か。情けない。


でも、まだ生きたかった。



覚悟など決まらない。死を待つ事しかできないなんて嫌だ。

・・・しかし抵抗などできない。命乞いだって無駄だった。


生きた・・・かった。



「・・・私はスーヘイム・ミラ・ド・シェフォン。しがない傭兵だと思ってくれて良い。女性で戦場いくさばに出る者が少ないが故か、戦姫せんきなどと呼ばれてはいるが、正直荷が重い。私は名も無い様な村の出だ、人望も権力も財も、生憎持ち合わせていない。歳は18になるだろうか。この年で家庭を持ってないのは少々肩身狭い物ではあるが、何分こんな様子だ、男も近寄り辛かろう」



彼女はその剣を鞘に納めながら、俺の言葉と類似したような簡潔な自己紹介をしてみせた。

「そなたの存在は把握した。私がそなたをここに留めよう。水流誠司」



†    †    †    †



「私がそなたをここに留めよう。水流誠司」


俺の右太腿を切り落とした剣は鞘に納まり、彼女の声音顔色から殺気は消えていた。


「殺さない・・・のか?」

殺されると確信していた矢先にそんな表情をされると、・・・おかしいのは分かっているが、戸惑ってしまう。

それでいて殺されないと分かった瞬間体の筋肉が緩み、力が入らなくなる。

・・・なるほど、こういう時人間は漏らすのか。危うく漏らしてしまう所だった。

20を超えて漏らすだなんて、そんな恥ずかしい真似は流石にできないが。


「私は言ったはずだ。そなたは何者か、と。そうしたらそなたが答えたので私も答えた。道理であろう?」

聞きたかった答えはそういう事では無かったのだが・・・。まあ仕方がない。

「・・・そうか。しかしそれならば足を切り落とす事は無いだろうに・・・」

「聞いた事以外の返答は敵対行為と見做しただけだ。他意は無い。それに、太腿の止血はしている。拷問にしても優しい方ではないか?私は」

なるほど、だから血が流れず痛みも無かった訳か。

だが拷問など受けたことがないから優劣など付けれる訳も無く。


「・・・しかしどうしたものか。足がないのであればこの世界で生きて行くのは厳しくなるな・・・。出だしから躓き過ぎている。意味も分からないままこんな世界に連れてこられたと言うのにな・・・」


先が思いやられる。見やるにこの世界は戦時中の様だ。少なくとも二つの勢力がぶつかり合っている。例えばどちらかの勢力に加勢したとして、後方支援やら武器製造に携わったとしても、攻め込まれた際に逃げる足が無ければ本末転倒ではないか。


「ふむ、そうだな。ならば治そう。とは言っても、私は戦士だ。治癒系統の魔法には疎い。私の知人に医師がいる。彼女から施術を受けるといい」

「・・・この世界は一度切り離した足すらも治す事が出来るのか」

「出来るのは少数だ。止血や軽い傷を塞ぐなどは教養として習うが、それ以上は専門外だ。剣術の道に達人が居るように、治癒術にもそれに特化した人間が居るという訳だ」

なるほど分かりやすい。日本で言うと自衛隊が彼女、そしてその知人が医者か。

自衛隊も止血や軽い傷を塞ぐ事は教養として身に着けているはずだ。


「・・・すまない、では世話になる」

「了解した。また抱きかかえるが、よろしいか?」


「ああ。何から何まで本当にすまない」

「謝るのは筋違いだ。水流誠司。私はそなたに謝罪を望んでなどいない」


「そう・・・だな」



「ありがとう。頼むよ」



「・・・どういたしまして」

そう言って彼女は優しく笑って見せた。

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