みちくさの駅

四葉美亜

みちくさの駅

 若く、背の高い女が、友人と連れだって黄色い電車から降り立った。女は気まぐれで、この駅で途中下車したのであった。六年程、この駅へと立ち入ったことは無く、ひたすらに横目で過ぎ去るこの駅を車窓から見つめていただけだった。左手が口元を抑えた。細いホームには家路を急ぐ夏服姿の高校生たちが並んでいて、黄色い電車はその半数を連れ去っていった。

 ホームから改札までは陸橋を渡る必要があった。階段は狭く、急だった。その陸橋を、今しがた電車から降りた客たちが列をなして通行してゆく。すれ違えば肩が触れ合う程に窮屈であった。この時、既に女とその友人との間には三人ほどが割って入っていた。階段の傾斜に足をとられそうになって、時折、片手を階段脇の簡素な壁板に当てて上っていた。改札で、二人は手を振って別れた。背の高い女は改札を通らなかった。この改札も、やはり記憶にあるものよりこじんまりとしているように思えた。六年前に利用していた駅の自転車置き場も小さくなったように思えた。友人の話ではこの町も今や急速に廃れつつあると聞かされたが、然し駅そのものの大きさが変わった筈も無かった。金網のフェンス越しに眺める駅前の通りには六年前と然程大きな変化があるようではなかったが、真新しい小ぶりのマンションがいつの間にやら建っていた。

 夕方のホームは長く伸びていた。女はゆっくりとそこを歩いた。すれ違う夏休み明けの高校生たちは汗にまみれ、しょっぱいような、あるいは不自然に甘苦しいきつい匂いを纏っている。端まで歩いた後に引き返す。

 この砂利を、礫を、線路を。この赤茶色を何度睨み、そして憎んだろう。

 六年前、逃げだすようにして退学するまでの一年と半分を過ごした高校生活のあいだ、かつての女はこの駅を毎日のように使っていたのであった。とっくの昔にいなくなってしまったろう昔のトモダチが、あの時のまま、ふと顔を上げれば向こうから歩いてきそうで、声をかけてきそうで、その身が火照った。足の裏と手のひらが脂汗で湿った。再び催した吐気が左手を口に当てさせる。

 すみません、と少年が女に小さな声を発した。鞭が振り下ろされたかのようにして女は背を伸びあがらせたが、声の正体を知って安堵する。このホームから次に出る電車の行き先を、少年は控えめな調子で尋ねた。その行き先は六年前と恐らくは同じであったろうが、女には確信が持てなかった。駅員さんに聞いたらどうかな、と答えた後に、女は「私は、偶々この駅に、ちょっとみちくさをしに立ち寄ったんだ」と付け加えた。少年は不安そうな顔のままその場に取り残された。

 女はポケットから絡まったイヤフォンを引っ張り出した。六年前と同じように、耳を塞ぐとポケットの中でウォークマンを操作して音量をめいいっぱいに上げた。唯一、その頃から続く相棒のような存在だった。

 そのような、六年前の幻想が、もしくは亡霊が現れることはあり得ない。そしてだれも、女を判らぬ。すれ違えども気づくはずもない。駅が変わらず恐怖は妄想で膨れ上がろうとも、六年の時を経て、女はさながら別人の姿へと変貌を遂げている。

 それでも、見覚えのある制服はおそろしかった。そのなかには見知った顔が混じっていて、女のことを見ているかのように思えてならなかった。その場からとっくの昔に旅立っていったそのやつらは、莫迦で狂っている変な怪物をみつけたかのような、そんな顔をしているのである。そうして女へと寄ってくるのであろう。同級生たちは既に卒業して散り散りになっているはずだが、然し、会いたくもない霞んだ顔たちを女は探してしまうのであった。一刻も早く逃げなければならないと思いながら、だが、もし、ほんとうに出会えばと、拳を固くした。ホームに立つ鋼鉄の白い柱を力任せに殴りつけたいような、そんな昂りが湧き上がってくるのであった。それは六年前にも噛み殺した衝動である。イヤフォンで塞がれれば、敵はいないも同然であった。だが、その拳はついぞ振るわれることを知らなかった。もしくは、もしくは、と巡らす思考に意味はなかった。六年前に高校から逃げ出した事実は、この駅を使い続けた事実は、如何に今を以て思考しようと変わらなかった。時の流れは、ひとりの未熟なこどもを、ひとりの女へと導いていたが、その劇的な作用が過去を再編集することを許さなかった。そして、それを心の底から望む彼女ではなかった。

 ただ、一度だけ、この妄執をこの線路へとぶちまければ。やつらが居ないこの駅を、やつらが知らない己を、現実をその目で見、肌で感じさえすれば良かったのである。

 女は再度、陸橋を渡った。電車の往来の隙間にこの陸橋を通る影は疎らだった。髪の長い高校生二人が、何事かをけたたましくわらいながら互いにはたきあっていた。変わらぬ光景だが、然しその顔に見覚えはなく、女にただの一瞬でも注意を払うことはない。

 やつらは、もういないから。

 半径五〇センチだけがあの時のままで、三番ホームから帰る。その時ですら、六年前の厭なやつらが、閉じかけた電車の扉から駈け込むと、背後から女の肩を叩いてわらっていそうだった。

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