8.感情は相手が読み取って下さい



舞花と俺の出会いは必然であった。

俺は寡黙な父親と二人暮らしで、仕事から帰ってくると決まってあの居酒屋に行っていたのを記憶している。

たまに俺も連れて行ってもらったことがあるが、その時に出会ったのが舞花だった。

父親にも母親にも似ていない顔立ちで、日本人離れした髪色と肌色で

よく、親の後ろをついて回っていたのを俺は見ているだけだった。



そして、俺が中学生の時。

またいつものようにあの居酒屋に行くと、

背中を誰かに突かれる感覚がして

俺は、反射的に後ろを向いた。

そこには、満面の笑みの舞花がいた。


「いらっしゃいませ。君、よくこのお店に来るよね!」


何も知らない、汚れのない笑顔で俺を見つめて来る。

中学生の頃の俺といえば、そろそろこの世界の仕組みも知るようになり、

汚いこととか、実はあれはああなって出来てるとか

嫌なことをよく考えたものだ。

高校生になった方が幾分、素直になった気がする。


そんな、まだ未熟で何かを少し知ってしまっている俺にしてみれば

彼女の目は、不快なものだった。

いつかは俺と同じように、色々なことを知るようになるんだ。




心の底ではそう思ってしまっている自分が恥ずかしかった。

そう分かってはいても、あの頃の俺は少し曲がっていた。

曲がりざるを得なかった。





「ねぇ?美味しくないの?」


急に現実に戻された俺は、ひゃっっとも

きゃっっとも似たような小さな悲鳴をあげた。


「もう、どうしたの。

私が作った、特製のサンドウィッチよ」


流石アメリカ帰り。サンドウィッチの発音が、異常なほどいい。

先ほど、涼の弁当を食べずにいたので舞花のサンドウィッチは美味しくいただけた。

ふんわりスクランブルされたエッグと、

ハムのサンドウィッチだ。



「私のとは比にならないくらい美味しい。

大夢さん、今度私もこういうのを作ってみます」



涼は、いつも通り顔の表情筋は動かさずに

目をシャラリシャラリと輝かせている。

これは、本当に美味しいと思っている象徴だ。

涼は、俺と二人の時間を潰しにきたのも同然ではない舞花に対しても

不満の顔色を見せない、ある意味天才だ。

しかし、俺は彼女の悲しみや苦しみに寄り添わなくてはいけない。

実際、彼女は一週間前に死のうとしている。

確かに俺も自殺しようとしたが、彼女はもっと根本的な部分で何か感じている。


あまり見せない感情や、いつも自分ではなく人の事を第一に考えること。

そして、たまに人に対して恐怖の目をすること。

今日はそれを聞き出すために、俺は彼女を誘った。

ほら、芝生ってなんでも話せそうなムードを、出せそうだろ?




「あの、大夢さん」



涼の少し掠れた声がする。

俺は軽く返事をした。


「大夢さんと、舞花さんには募る話があると思います。

今日はここで、帰ろうと思います。

明日も学校ですし」



彼女は驚くほど感情ない顔と声で、そう言った。

それにしたがって俺も、感情を出す事を忘れてしまった。

涼といるときは、良くも悪くも感情を表に出て出しにくくなる。

初めて会った時もそうだ、彼女が突拍子も無い事をしてくるので

俺はそれに対して冷静に判断しようとしてしまうのだ。

しかし、それでも狂ってしまう。

少し、狂ってしまうのだ。



「いや、今日は俺が涼と約束している日だし舞花を帰らさせるよ」



出来るだけ、気に障らない様に言ったつもりだ。

涼は俺を見ているようで見ていなかった。

俺を通して、"別の誰かを"見ていた。


俺の後ろには、舞花がいた。



「涼ちゃんも言ってくれてるみたいだし、今日くらいいいじゃん。ね?

久しぶりに会えたんだし」


舞花は、人の目も気にせずに俺の腕に自分の腕を無理やり絡ませる。

長い髪を無理やりまとめたツインテールが、無造作に揺れる。

屈託の無い笑顔だ。

汚れも何も知らない、あの頃と同じ笑顔。

でも、俺はあの頃と同じ感情にはなれなかった。



涼は、その光景を見つめていた。

本当に不思議だ。

彼女の目は、まるで波を打たない海のようで、透き通って静かで。

一通りを見届けると、涼は一歩ずつ

俺に近づいてきた。


そして、俺の目の前に立つと耳元まで顔が近くに来る。

感情と裏腹の甘い香りがして、立ちくらみそうだ。


「今から言う事を約束してください」


優しい響きの声が吐息と混じって、俺の鼓膜を響かせる。


「次会った時、絶対に謝ったりしないでください」


「涼、俺は.....」


そう言おうとした時、俺の口元に涼が人差し指を当てた。

彼女は、それ以上何も言おうとしなかった。

ただ静かにお辞儀をすると、俺達の反対方向へ消えてしまった。


これで、良かったのか。

俺は葛藤していた。

むしろ、この状況で葛藤しない奴など、どこにいる。

額に手を当て考える。

やっぱり涼は、感情を出せないのでは無くて

出してはいけないと思っているのだ、と。

感情は人なりにあると、思い当たる節がある。

それは、自殺しようとした事と関係があるのか。

いや、しかし......



そんな俺の考えを遮るのは、またあの笑顔を向ける舞花だった。



「なぁに考え事してるの?

ねぇねぇ、次は何して遊ぶ?」


舞花は、大きな鞄の中から何かを取り出そうとしている。

何か、焦っているような気さえする。



「じゃ、じゃあさ!

この、バトミントンはどう?

私、アメリカの学校では凄く上手いって評判だったのよ!

ある人が、私のことをどんなシュートでも拾っちゃうから、子犬ちゃんねって言ったくらいなのよ」


舞花は、早口でそう言った。

やはり、何かに焦っている。

それにおかしい。



舞花は、ここに俺たちがいる事なんて知らない筈だし

今日は日曜日なのに舞花は制服だ。

あとは、一人なのに三人分のサンドウィッチの用意をしている事や、遊び道具を持ってきている事も気にかかる。



「なぁ、舞花」


俺は、優しく聞いた。

もしかしたら、優しくは聞けていないかもしれない。

それにそんな事は、今は重要では無い。



「ん?どうしたの?ヒロちゃん」



ラケットを持ったまま、ニコニコとしている舞花。

奇妙だ。



「俺たちがここに来るのを分かって、待っていただろう?」



舞花の笑顔が一瞬、消えた。

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黙って私に射抜かれて下さい。 寿タヱ @yuuhiko_kamino

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