だいすき

 明かりのない部屋で、ルルモはベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。

 お尻から伸びている悪魔の尻尾も普段なら元気に動くのに、しんなりと横たわっていて無気力な様子だった。

 夕飯もあまり食べていない様子だったルルモは、静かに自室にこもって、それからずっとこの調子だった。

 静人は、そんなルルモの傍でどうしていいか分からずに、ただ、傍にいるだけだった。

 言葉を投げかけても、ルルモには通じない。何が哀しくて落ち込んでいるのかも、静人には分かっていないから、できることは、何もなかったのだ。


「ルルモ……」


 元気なルルモを知っているから、こんなにも塞ぎ込んでいる彼女を見ているのはとても心苦しい。

 そっと声をかけてみたが、ルルモは、黙ったまま、自分の膝に顔を埋めているままだった。


 なんとなくだが、ルルモが元気をなくした理由に察しはついている。

 今日、『散歩』の時の出来事があってから、ルルモはこうなってしまったのだ。

 公園に行き、自分と同じニンゲンを見付けた静人は、嬉しくなって夢中でその人間の少女に話しかけた。

 でも、その時、相手の飼い主らしき悪魔の少女と、ルルモはなにやら険悪な空気になっていたみたいに感じた。


 静人が、相手の悪魔のペットである少女に吠えるように飛び掛かったから、ルルモが注意されてしまったのだと、静人は思っていた。

 しかし……それにしては、ルルモがこうも落ち込んでしまうのは理解に苦しむ。

 もし、静人の躾がなっていないと叱られたのだったら、ルルモは塞ぎ込まずに、静人に注意をすればいいだけだ。

 しかし、ルルモは、静人を責めるようなことも、躾けをするようなこともなく、ただ、黙って丸くなってしまったのだ。


「……ごめん」


 ただ、こうなってしまった原因は、ルルモが公園に行ったためだろうということはハッキリしている。

 静人の散歩のために公園に行かなければ、こんなことにならなかったかもしれない。

 だから、静人は、元気のない悪魔娘に笑顔を取り戻してほしくて、静かに謝った。


『クロ……』


 静かな部屋に響いた静人の声の憂いが伝わったのだろうか。ルルモは、ふと顔を上げて、静人に呼び掛けていた。


『おいで、クロ』

 そう言って、力のない笑顔を浮かべ、腕を広げるルルモに、静人は少し逡巡した。

 おいで、と言っているのは、分かったが、可愛らしい女の子が腕を広げて、誘ってくるのは、ケンゼンな少年である静人を戸惑わせた。


(……でも)


 でも、あのルルモのなんという物寂しい笑顔だろう。慰めを求めている女の子の顔だと、恋愛経験のない静人にだって、すぐに分かった。

 ルルモは今、寂しがっているんだ。そう思うと、彼女の広げられた腕の中に包まれて、寂しさを少しでも紛らわせてあげることができるなら、と、静人はゆっくりルルモの腕の中に身を寄せた。

 すると、ルルモはふわりと優しく包み込み、静人の頭を撫でるように抱いた。


『クロ、ありがとね』

「……」

 静人は、恥ずかしくて、何も言えず、ルルモの腕の中でただ頭を撫でられていた。

 ルルモは、静かな可愛い声で、笑顔を浮かべていた。

 何を言っているのか、静人は分からないが、ルルモが少しだけ元気になったように思えて、暫くルルモのしたいままに委ねようと思った。


『リリンちゃんが私に怒鳴った時、庇ってくれようとしたよね』

「……元気、でた?」

『あの時、嬉しかったなぁ』

「良かった。ちょっとは、元気になったんだね」

 まだどこか寂しそうな空気を纏っているルルモの腕の中で、静人はルルモの声のトーンがちょっとだけ元気になっているように感じて、ほっとした。


『私ね……。学校、行けてないんだ……。友達、できなくて』

「僕でよければ、その……、このくらいしかできないけど……、力になるから。元気だしなよ」

『だから、クロが友達になってくれて、嬉しかった』

「……っ」


 にっこりと笑うルルモの顔に、静人は思わず見惚れてしまった。

 悪魔の少女は、まるで天使だった。これほど、可愛らしい笑顔を浮かべることができる少女を静人はこれまでの人生で一度も見たことがない。


(か、可愛い……)

 ルルモは、ちょっと幼い声色をしていて、ふんわりした優しさがにじみ出ているから、そんな彼女の腕のなか、そっと傍で囁かれるように零れてくる言葉に、静人は純粋に惹かれていた。


『……私には、クロしかいないんだ』

 ぎゅう、と静人は抱きしめられた。ルルモの柔らかい体が顔に押し付けられて、とてもいい匂いと温かい鼓動が、感じられた。

「う、うわ。柔らかいっ……」

 女の子って、なんでこんなに柔らかくていい匂いがするんだ! と、慌てふためいてしまう。

 しかし、同時に、とても儚い印象も感じる。

 ルルモの、崩れてしまいそうな抱擁に、静人はドキドキとしながらも、そっと、抱きしめ返して見せた。


『優しいね、クロ』

 えへ、と笑顔を浮かべて、きらりと零す涙に、静人は、はっとした。

 ルルモは、今本当に何かに耐えて、悲しんでいるのだと。

 女の子に抱きしめられてドキドキしている場合じゃない。そんな風に思った。


「飼い犬なら……。飼い主を護るもんだよな」

 そして、静人は、ルルモを抱きしめる腕をしっかりとさせて、彼女を支えてあげた。


『ク、クロ……?』


 ルルモは、少しだけ驚いたみたいだった。

 ルルモが静人を抱いていたはずなのに、今は、静人がルルモを抱きしめているような状態になっていた。


「僕が、君を悲しませたりしないように頑張る」

『……クロ……』

「僕は、君のペットだ」


 まるで、騎士が姫の手の甲にキスをするように、静人は誓った。

 男の誓いと呼ぶには、どこか滑稽な言葉にはなったが、静人はこのルルモを悲しませるようなことは絶対にしたくないと噛みしめていた。

 彼女の頬に伝う涙が、ものすごく自分の心臓を締め付けるようだったから。


『だいすき、クロ』


 ちゅ、と、可愛い音色が響いた。柔らかい唇が、静人の唇と触れ合っていた。

 とても小さな、短いキスは、騎士の誉になるように、静人を少しだけ、奮い立たせた。


「……僕は、君のことを、好きになってしまうかもしれない」


 それは、なんだか禁断の恋のようで、静人の中に奇妙な熱を渦巻いていく。

 しかし、今は、その心の中に生まれている不思議な感覚が、心地よくも思えていた。


「ペットの気持ちって、こんな感じなのか? それとも、僕のこの妙な胸騒ぎみたいな……、心躍るって感じは……、もっと違う何かなのか……?」

『私、頑張ってみる……。応援してね、クロ……』

「いつも、応援するよ。ルルモ」


 二人は手を繋ぎあい、お互いに笑顔で頷きあった。

 なんだか言葉が通じ合ったみたいで、凄く、凄く嬉しかった。

 ルルモは静人と抱き合って、ベッドをごろごろ転げ回って、二人できゃっきゃとはしゃいだ。

 まるで、子供みたいに。友達みたいに。


 やがて二人は、暖かい布団の中、一緒に手を繋いで眠りに落ちた。

 とても、心地よいぬくもりに揺蕩って、静人とルルモは、今、小さな絆を繋ぎ合わせたことを、お互いに感じ合っていた。

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悪魔っ娘のペットになったがキスに添い寝に楽じゃない 花井有人 @ALTO

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