交流

 悪魔の娘ルルモのペットになって、数日と経過した。

 朝起きて、朝食を摂り、昼と、夕方の計二回、静人は『散歩』に出かけるのが日課になった。

 外に出た時、他の人間を何度か見かけたが、交流をできるような状況は出来上がらなかった。いつも静人には見えない『リード』が括りつけられていて、単独での行動を制限されてしまう。


 ルルモの家のこともなんとなくだが分かって来た。

 ルルモは三人家族で、父と母、そしてルルモの三人でこの家で生活している。

 食事は必ずみんなで摂る。父親はお昼前に家を出ていき、夕方帰ってくる。恐らく仕事に行っているのだろう。

 悪魔もお勤めをしているようだが、一体なんの仕事をしているのかは皆目見当がつかなかった。


 母親とルルモは基本的に家にいた。

 昼を過ぎて昼食を摂ったあと、二人はどこかに出かけている様子だった。

 その時は静人は一人、この家で留守番をさせられる。数時間後に母親とルルモが帰ってきた時、何か色々な買い物をしてきたらしく、荷物を持って戻ってくる。

 恐らくだが、夕飯の食材を買いに行ったりしているのだろう……。


 それから、ルルモが静人を連れて散歩に出かける。

 そんな日課だ。


(……ルルモは……学校には通っていないのか?)


 悪魔の世界に、学校があるのかは分からないが、ルルモの見た目の年齢は、静人とそんなに変わらないように見える。

 だとしたら、学校に通うような年頃だろうと考えたのだが、ルルモは通学をする様子がなかった。

 基本的には、家にいる。だから、基本的には、いつも静人の傍に居て、静人と遊んでいるようなことが多かった。


(学校……。僕もこの世界に来てから、学校に行かなくなっちゃったなあ。行けなくなると、逆に恋しくなるのはなぜなんだろう)

 自分の世界に居た頃は、学校なんてダルくて行きたくないと思うことも多かったのに、この世界にやってくると、不思議と以前の生活が恋しくもなる。

 クラスメートと他愛ない話をしたり、スマホを弄ってネットを愉しむなんてことも出来なくなっているのだ。正直なところ、ホームシックみたいになっていた。


『クロ? なんか元気ない?』

「え、あ。いや、大丈夫だよ」


 会話はできていないが、なんとなくルルモがこちらを心配そうに見ているのを察して、静人は返事をした。

 言葉は通じなくても、なんとなくだが、気持ちが通じ合っているような感覚はあった。


『……やっぱり、他の人間と遊びたいのかなあ。こないだも、人間の子を見てはしゃいでたし』

 ルルモはうーむ、と静人を見つめながら唸っていた。なにやら考え込んでいるようだが、静人はルルモに生半可な言葉しか投げかけられなかった。


「大丈夫だよ。この家が嫌とかじゃないから」

『人間同士で交流させるのも、大切って、ヒトの飼い方に書いてあったっけ』

「ね、ねえ、君は学校には行かないのかい? 悪魔ってどんな勉強するんだろう?」

『クロ……、私だけじゃ、ダメなの? やっぱり、他に友達、ほしい?』

「え? うわっ……」


 二人の会話はやっぱり噛み合っていない。

 静人がどうにか会話をしてみようと、ルルモに学校の質問をしても、その質問に対する答えは貰えず、ルルモは不意に静人をぎゅっと抱きしめた。

 突然、女の子の身体に抱きかかえられ、静人はドキドキとしたが、ルルモの抱き寄せ方が、なんだか物寂しそうでそっと回された腕の儚さを感じ取り、抵抗はせずに、ルルモの胸の中に顔を埋めたままになる。


『クロ……』

「……」


 静人を抱きしめるルルモの切なさを感じる声のトーンに、静人は、どうしていいのか分からず、ただ、抱きしめられていた。


「どうしたんだろう……ルルモ……。なんだか、凄く寂しそうだ」


 悪魔とは言え、相手は少女だ。寂しそうにしている顔を見ていると、静人は胸が締め付けられてしまうような感覚になる。

 女の子の哀しそうな顔をあんまり見たくないという、男の感情なのだろうか。


『……ん……。クロの、ためだもんね。ちょっと公園に行ってみようか』

「……? え、なに? どこかに行くのかな。散歩か?」


 ルルモが複雑な表情で笑顔を浮かべながら、静人を抱きしめていた腕を解き、そっと立ち上がった。


『いくよ、クロ』

「散歩なんだな! 行くよ!」


 散歩の時間は好きだった。ずっと家にいるよりも外の情報を知れるし、他の人間の姿を見ることも出来る。同族が居ることを知ると、少し嬉しくなってしまうのだ。

 出来ることなら、交流を深めたいと思うが、自分がペットである以上は、なかなかそうもいかないだろう。それでも、静人は、『散歩』に重大な価値観を見出していた。


『えへへ、クロは散歩大好きだなあ』

 静人が早く外へ行こうと促がすと、ルルモはクスクスと笑って、静人の後から玄関に向かう。

 支度を整えると、ルルモは扉を開き、静人と共に、夕方の外へと飛び出した。


「今日はどっちに行くんだ? 僕は、前に行った橋でまたあの子と会えるか興味があるんだけど」

『じゃあ、今日は公園に行くよ。きっと、クロの友達もいると思うから』

 ルルモが静人になにやら促すように言葉を発した。静人は、基本的にルルモの傍に立ち、歩幅を合わせて歩くようにしている。そうしないと『リード』の力で無理やり引き寄せられて転びそうになるからだ。

 ルルモが歩む方角は、今まで向かったことがない道だった。

 ルルモと最初に散歩で行った橋とは方向が真逆で、この道の先を、静人は知らない。新しく世界を知るチャンスだと、静人は少し興奮気味に、ルルモの隣で歩いていた。


「……こっちのほうまで来ると、なんだか街並みが賑やかになってくるんだな」

 橋の方面は、あまり家やお店なんてものは見かけなかった。

 しかし、今日歩く道は、色んな悪魔とすれ違うし、道に沿って家や、商店らしきものが立ち並んでいる。


「店がある……。なんだか、こうしてみると、僕の世界の商店街みたいな感じを思い出すな」

 店先に並んでいるのは果物や野菜のようだ。でも、その果実は静人が見たことのない異世界のフルーツである。恐らくここは悪魔の世界の青果店だろう。

 その隣はまた見たこともない魚が並んでいる。一見すると、食べられるのか疑問な魚もいて、静人は内心ぎょっとして驚いていた。


 ルルモはそんな店を通り過ぎて、どんどん奥に進んでいく。

 周囲には悪魔が行き交い、店で物色したり会話を弾ませている主婦のような悪魔も見受けられた。

 賑わう夕方の商店街の雰囲気そのままに、悪魔の世界の景色を眺め、静人はヒトがいないだろうかと気配を捜していた。


「ん……あれは……?」

 店が立ち並ぶ通りを抜け切り、少し歩いていくと、そこには開けた土地があった。

 ベンチや遊具が設置してあり、緑に囲われた広場――一目見て、静人にも分かった。


「公園か?」

『……』


 ルルモは、ちらりと公園の中を見回し、公園の中に入るのを少し逡巡している様子だった。

 しかし、静人は違った。


「!? 人がいるッ!!」


 公園の中に、自分と同じ『人間』を見付けたのだ。

 その『人間』は、以前出逢った少女とは別の、女の子だった。可愛らしい服装に身を包み、ショートボブの髪を揺らせて、飼い主らしき女の子の悪魔と一緒に遊んでいる様子だった。


「き、きみっ!」

 静人は、声をかけずにいられなかった。見付けた少女に向かって大きく声を上げて、リードのことも忘れて、ショートボブの少女のもとに駆け出した。


『あ、クロったら!』


 ルルモが慌てた様子で声をかけたが、リードを引く力よりも、勢いづいた静人のダッシュのほうが勝ったらしい。見えないリードを引っ張るようにして、静人はルルモを公園の中に引っ張り、悪魔と遊んでいる少女の元へと飛び出した。

 すると、相手の悪魔の少女がこちらを見て、身構え、ショートボブの少女を引き寄せた。


『あら? 誰かと思ったらルルモじゃない』

『……っ……』


 そして、相手の悪魔少女は、静人に引っ張られるようにしてやってきたルルモに顔を向けて、笑うように挨拶をした。

 逆にルルモは、緊迫した表情を貼り付けて、びくんと固まった。


「き、君! 僕の言葉、分かるかい? 僕は静人! 城島静人! 君の名前はッ?」

 思わず、静人は熱のこもった声で、少女に向かって捲し立てていた。またいつ、ルルモに会話を引き離されるか分からない。

 これはチャンスだった。この世界の人間との交流をする、数少ないチャンスだ。


「なに、あんた」

「っ!! 言葉が……、通じるッ!!」

 警戒した表情の少女が、きちんと口を利いたことに、静人は感動して、打ち震えていた。言葉が通じる相手がいる。コミュニケーションを成立できる存在がいることの安心感に喜びが素直に溢れてしまったのだ。


「僕は、静人!! 多分、こことは違うセカイからやってきたんだ! 君はどうなんだ! 名前はなんて言うんだ!? ここは悪魔の世界で間違いないのか!?」

「……なに、もう、ウザい……。ナンパ?」

「な、ナンパじゃないッ! 必死なんだッ! 応えてくれッ!!」

 静人は、興奮気味に、ショートボブの少女につかみかからん勢いだった。それがまずかったらしい。

 ショートボブの少女の飼い主らしき悪魔の娘が、険悪な顔をして、ルルモに冷たい声で言い放った。


『ちょっと、うちの子に近づけないでよ!』

『ご、ごめんなさい……』


 ぎゅう、と『リード』が強く引かれ、静人はルルモに引っ張られて、少女から引きはがされてしまう。

 よろけてそのまま尻もちをつき、尾てい骨を強打してしまった。


「いてっ」

「ばーか」

「た、たのむ! 僕には情報が必要なんだ!」

「変なヤツ。違うセカイとか、悪魔の世界とか……何言ってんの?」


 見下すように、ショートボブの少女は静人を突き放すように言った。

 恐らくだが、この少女はこの世界で生まれ育った人間だろうと、察した。


『ルルモ、あんたも、ペット飼ったんだ?』

『う、うん……クロって、いうの……』

『プッ、ダサい名前。見た目も冴えないし、盛ってるんじゃないの? ウチのパトラに近づけないでね』


 ルルモは俯きながら、静人を引っ張った。

 静人も、それで少し頭を冷やさなくてはと冷静になって、状況を見定めることにする――。


(やはり――。この世界は悪魔が人間をペットにしているんだ。あの女の子は悪魔に飼われていることを、特に不思議にも感じていないらしいぞ……)


 ショートボブの少女は、来ている服や容姿も可愛らしく健康的だった。

 不自由なくペットして可愛がってもらって過ごしているのだと、想像できる。それは静人だって同じだから。

 しかし、静人はこの世界の人間ではないから、ペット状態に甘んじている現状がどうにも馴染まない。


『ねえ、ルルモ。学校にも来ないで、公園にペット連れて遊びに来るなんて、いい身分だと思わない?』

『…………』

『なんとか言いなよ!』

『……う……』


 ルルモが、相手の悪魔の少女に何やら厳しく非難されているように思えた。

 ルルモは今にも泣きだしそうな顔をしていて、相手の少女はほくそ笑んで、ルルモを威圧している。


(なんだ……? 僕が……急に迫ったから、ルルモが責められているのか?)

 だとしたら、責められるのはルルモではなく、自分だ。悪魔の価値観からすれば、ペットの躾をきちんとしてない悪魔のせいということになるのだろうが、静人はまだ自分を『ペット』だと認めてはいない。立派な一人の人間の男だ。

 男である以上、女の子を悲しませるのは、ポリシーに反する。


「やめてくれよ。ルルモは悪くないんだ」

 静人は、ルルモと悪魔少女の間に入り込み、ルルモを庇うように険悪な表情をしている悪魔少女に立ち塞がった。


『な、なによこの人間』

『く、クロ。もう行こう』

「悪かったよ……。同じ人間を見て、嬉しかっただけなんだ……」


 素直に、頭を下げると、静人はそのまま、ルルモの隣に戻った。相手の悪魔娘とショートボブの少女からも距離をとって大人しくする。

 そして、ルルモに促され、その場から逃げるみたいに下がっていく。


「ねえ、最後に名前だけでも教えてくれないか」


 最後の最後にダメもとで良いからと、静人はショートボブの少女に声を投げかけた。

 ショートボブの少女は、少し黙ってから、短く返してくれた。


「パトラ」

「パトラ、か。可愛い名前だね」

「……あんたジョートだっけ?」

「うん。また、会いたい。いつか……」


 静人は、パトラと名乗った少女に、言いながら、ルルモに引っ張られるようにして、公園から退散するしかなかった。


(パトラ……。会話ができる……ヒトがいた……!)


 それは静人にとって、大きな収穫で……。

 そしてルルモの心の傷に、まだその時は気が付いてやれなかった……。

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