美少女悪魔とキスに添い寝に、楽じゃない

 夜がまたやって来た。静人はルルモの部屋でベッドの上に腰かけていた。


(僕は……ペットなんだ。この家に飼われている愛玩動物……。この家だけじゃなく、この異世界に暮らす悪魔の道具は僕には扱えないように出来ている……)

 一人、静かな寝室でじっくりと考えを巡らせていると、この信じられない状況に適応しなくてはならないと冷静になってくる。

 この状況は受け入れなくてはならない。

 まず、自分は、どういうわけか、この悪魔の世界にやってきた。元の世界に帰る手段があるのかはサッパリ分からない。

 そして、ここでは悪魔に人間が飼いならされているのが当たり前の世界観らしい。

 悪魔は人間をペットにしていて、犬や猫のように可愛がっているようだ。


(不自由なく過ごせる環境だけど……僕には、見えない『リード』が繋がれているようだ。悪魔の能力で作用するリードは、僕では取り外せない……。首輪を付けれられた飼い犬なんだ……!)

 リードを外さなくては、自由はない。

 この世界に暮らす他の人間も見付けることはできたが、その人間と自由に交流するようなことも封じられているのだ。

 なんとかして、リードを外す手だてを考えなくては、静人はこの先、この世界でずっとペットとして可愛がられるだけの人生になるだろう。


「……」


 ふと、想像してみた。この家でルルモのペットとして、ずっと暮らしていく生活を。

 ルルモは優しい女の子だと分かる。自分のことを大事に扱ってくれているとは分かっているのだ。

 でも、それは少し複雑な気分になる。

 自分の人権はまるでないし、ペットとして女の子に変われることになるなんて、男としてのプライドが揺らいでしまう。


『クロー、いい子にしてた?』

 思案していると、寝室の扉が開き、ルルモがやってきた。

 お風呂上りであり、寝間着に着替え終えているルルモは、にこやかな笑顔で呼びかけてくる。


「……!」

 ルルモのその姿に、静人はどきんと、頬を赤らめた。


(すっげえ、可愛い……)


 ルルモの寝間着は、フリルが散りばめられている真っ白なネグリジェだった。

 愛らしいふわふわした印象がある少女の、寝室の姿は、静人にとって、胸を高鳴らせてしまうものがあった。女の子の寝間着姿なんて、見たことがなかったのだ。

 角と尻尾があるだけで、ルルモの外見はほとんど人間の女の子と違いない。

 瞳は大きく、キラキラしているし、髪の毛は柔らかくていい香りがする。唇はプルンとしていて艶やかだ。


「あ、あの、僕は昨日と同じ部屋で寝たいんだけど」

 言葉が通じないと分かっていても、とりあえずはそう言ってみた。


『えへへー。今日は一緒に寝るんだもんね』

 ルルモがぎゅっと静人を抱きしめてきた。ベッドに腰かけていた静人に対して抱きしめるように飛びついて、そのまま大きなフカフカのベッドに寝転がると、お風呂上りの温かいルルモの肌が密着してプニプニと気持ちが良い。


「う、うわっ」

 突然抱きしめられて、ベッドに押し倒されたまま、ぎゅっと抱きしめられた静人は自分の身体に密着する二つの柔らかい女の子の感触に、上ずった声を上げてしまった。


(ややや、やわらかいッ――!)


『ずっと夢だったんだ。ペットと一緒に寝起きするの。今日から、ずっとここで寝ようね、クロ』

「ち、近いっ、近いよ!」

 目の前に美少女の顔が接近していた。凄くいい香りがしているのはお風呂で使ったシャンプーのためなのだろうか。

 それとも入浴剤の香りなのか。どっちでもいいのだが、とにかくルルモはフカフカでプニプニで、いい香りで暖かい。


(こ、こいつはマズいぞッ――――! のっぴきならない状況ってヤツじゃあないかッ――!)

 このままでは、この美少女と同じベッドで一夜を共にすることになる。しかも、抱き枕みたいに、ぎゅっと抱きしめらえたままに。

 ルルモの足が静人の身体に絡みつき、可憐な悪魔っ娘の唇が、すぐ目の前にある。吹きかかる吐息がくすぐったい。

 キスをしても不思議じゃない距離感だ。

 こんな状況はハーレム物のマンガやラノベでしかありえないと思っていた。それが今、実現してしまっている。健康的な男子である静人には、堪らないモノがあった。


(例えばッ…………! オス犬を飼った女の子が、純粋にペットとして可愛がろうと抱きしめた時ッ! そのオス犬が欲情したとしたら……どう思われるッ!?)

 ドドドドド!

 鬼気迫る表情で、静人は緊迫して身体を固まらせた。


(ヤバいぞッ! 僕はここで、『男』として反応してはならないッ!)


 汗が吹き出し、一秒が数分にも感じられてしまうような命の瀬戸際に立たされた気分だった。


(ペットが自分に欲情していたらッ! 気持ちが悪いと捨てられてしまうかもしれないッ!)


 こんな悪魔の世界で捨てられたとしたら、どうやって生きていけばいいのか分からない。野垂れ死ぬ未来がまっているのは十中八九間違いない――。


『クロ、えへへ……可愛いね』

 ルルモは無邪気にも固くなっている静人に、可愛らしい声で投げかけた。そして、何の前置きもなく、チュっと静人の頬にキスをしたのだ。


(なッ、何ィ――――――ッッ!?)

 女の子から、生まれて初めてキスをされた。想像していた以上に、ルルモのキスはプニプニで暖かく、そしてくすぐったかった。ほんの一瞬の肌のふれあいだったのに、キスされた頬の感触が一生忘れられそうにない。


「し……、静まらなくてはッ……! そうだ……僕は、静人…………! 『静かなる人』と書いて、静人だッ! 心臓の鼓動を抑えなくてはッ! 下半身が反応してしまうッ!」


 ここで、もし、オスとしての反応を見せてしまえば、ルルモは『引く』だろう――。

 この年代の少女はみな、そういうことに敏感だ――。気持ちが悪いペットだと分かったら、飼育を辞めてしまう可能性だって十分ある。

 事実、静人の暮らしていた世界でも、ペットを軽い気持ちで飼って、糞尿の処理が面倒だとか、大きく育ったら、可愛くなくなったという身勝手な理由で捨てられる犬や猫もいるほどだ。


『クロ……まだ、懐いてくれないのかな……』

 ルルモが、キスをした後の静人が顔を背けるように身をよじったことを、嫌がっているように受け取ったのか、寂しそうな声を出していた。

 切なさそうに眉を曲げ、可憐な瞳に哀しみの色が滲む……。


(うおおおおお――――――ッ! なんて表情をするんだッッッ! そんな目で見つめられたら、ヤバいッッッッ!!)


 えげつないほどに、男心をくすぐる表情を浮かべた悪魔の美少女に、静人も必死に気持ちをニュートラルにしようと抵抗をしたが、同時に優しい女の子を悲しませたくないという男の優しさが疼き、精神が悶絶する。

 チラり視線を動かせば、ネグリジェから覗く、火照った肌が見える。風呂上りで血色のいい肌はスベスベしているのが目に見える。なにより、少女の胸のふくらみを示す、谷間がチラリと目に入ってしまったのが静人の心を揺さぶり、血液を沸騰させようとしてくるのであった。


「攻撃を受けているッ! 僕は今ッ――! 精神を攻撃されているッ!!」

『クロ……私のこと、嫌いなのかな……。捨てられてたし……警戒心、強いのかな……』


 ルルモが哀しそうな声を出し、潤んだ瞳をじっと向けてくる。その眼を見つめていると、静人はもう堪らなかった。


「そんな目を、しないでくれよ」


 静人は、硬くなった身体をなんとか動かし、そっと、ルルモの頭を撫でて見せた。

 そのくらいしか、今はできそうになかった。ルルモの身体に触れていると、色々と限界が来てしまうので、不器用な動きで、ルルモをヨシヨシと撫でてあげることだけが、静人にできることだった。

 状況はどうあれ、女の子が哀しそうにしているのは見ていたくない。それは悪魔だろうが犬だろうが無関係の、男として、静人がするべき誇りでもあった。


『クロ……』

 下手糞な慰め方をした静人に、ルルモは、驚いたような嬉しそうな声を出した。

 少し舌足らずな口調のルルモは、頭を撫でてみると、子供みたいにも思えた。


「僕も……できるかぎりは、君のためにできることを、考えるから」

『えへへ……』


 ルルモが笑顔を取り戻した。言葉が通じたのではないだろうが、きちんと気持ちは伝わっているようだった。

 例えペットとしてであれ、自分を介抱してくれた命の恩人である少女に対して、報いたいという気持ちがある。それは静人が『人間』だという気持ちがあるからだ。犬ですら、飼い主に恩義を感じて仕えようとするのだから。


「で、でも……あんまりくっつかれるのは、やっぱりやばい……」


 ちゅ、とまた頬にキスされて、静人は真っ赤になる。


『クロ、大好き』

「うう……身がもつだろうか……」

『おやすみ、クロ』

「お、おやすみなさい」


 結局、静人はルルモの抱き枕になって、その夜を過ごすことになった。

 緊張していた静人は暫しの間眠れなかったが、ルルモのほうは、やがてすぅすぅと、可憐な寝息を立て始め、無防備な寝顔を、静人のすぐ傍で魅せていた。


(……ペット生活って……大変なんだな……)

 ドキドキと心臓が煩くて、まだしばらくは眠れそうにない。

 ゴクリと思わず喉を鳴らしてしまうほど、目の前にルルモの顔がある。ついさっき、頬に触れた唇が薄く開いて、静かな吐息を零していた。


「……捨てられたとしたら、『リード』は外されるだろうか……。そうしたら、僕は自由になるんだろうか……」


 それが選択肢として正しいものなのか分からない。

 この家を追い出されるだけなら、メチャクチャに暴れまわったり、飼い主に怪我をさせたりすればいい。

 あっという間に捨てられることだろう。その後、どうなってしまうのかは静人には分からなかった。


「でも……この子が悲しむようなことは……しようとは思わないな」


 ルルモに抱きしめられたまま、昏い寝室の中で静人はこれからのことをぼんやりと考える。

 昼に見かけた人間の女の子がいた。もう一度逢えないだろうか。

 言葉を交わせないだろうか。

 何か情報が欲しい。


 会話をしたい。


 あの女の子も、こんな風に悪魔に可愛がられて過ごしているのだろうか。

 その生活は、幸せなんだろうか……。


 ………………。

 …………。

 ……。


 やがて、いつしか静人もまどろみの中に落ちていく。

 柔らかく温かいものに抱かれ、心地よい睡魔が身体を包み込み、脳を溶かしていくみたいだった。


『クロ……』


 優しい声は緊張した心を解してくれる。

 たった一人、こんな訳も分からない悪魔の世界に落とされて、不安になってもおかしくないのに、どういうわけか、ルルモの隣なら安心だという気持ちもあった。


 それが『幸せ』なのかどうかは、今の静人にはまだ理解できないものだった――。

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