5.
広く取った間取り。ふかふかのクッション。冷たい水差し。使わないであろうが、最高級の水タバコ用具。
閉じ込めるというよりはおもてなしする部屋だが、扉は向こう側から施錠とかんぬきをはめられ、窓は鉄よりも固い木格子で閉じられている。
無礼な応対はしたくないが、逃げられても困るというのが今のエスレイたちのようだ。
どこかに隠し通路の入り口がないかと、壁や家具を蹴飛ばしまくっているところ、かんぬきが抜かれる音がして、扉が開いた。
やってきたのは葡萄酒色と銀糸の軍服をつけた長身の若者だった。浅黒い端整な顔に不機嫌そうな表情、砂漠の民がよく使う曲刀が腰の飾り帯に差してある。
なにやつだ、名を名乗れと突っかかるコルネリスを無視し、
「ついてこい」
と、だけ言って、廊下をスタスタ歩いていった。
エスレイはしばらく宮殿らしい建物のなかをあちこち歩かされた。暗闇のなかで水が流れる音がして、そのうち大きくはないが、過ごしやすいこしらえの部屋へ通された。
カラキラート太守メダン=メフに謁見を賜るらしい。
メダン=メフの話はエスレイもきいたことがある。
商業国家で最も繁栄している都市を統べる天才的商人。一度読んだものや会った人を忘れない驚異の記憶力、慎重な顔と大胆な顔を使い分け商機をものにする判断力の持ち主。
エスレイたちが部屋で見たのは小柄な痩せた人物で、服装もいい生地をつかっているらしいが、華美には程遠く、下町でそこそこ儲かっている代書人のような恰好をしている。また、書類の文字の大きさがクストーザ銀貨よりも小さくなると、眼鏡をかけないといけなかった。
「まったくどえれえことになっちまったなあ」
見た目に似合わぬぞんざいな口調。太守はクッションに深々と尻を沈め、お腹の上で指を組んだ。
「よりによって鉄道公その人が消えてなくなっちまうなんてよ。これがどれくらいどえれえことか分かるかい? カラキラートの民衆はみーんな鉄道株を持ってる。おれだって持ってるし、そこにいるルルメトも持ってるし、水運びの小僧だって一株持ってるはずだ。鉄道公の事業にカラキラートの人間は心底惚れ込んで、北への商売の可能性でしめしめと思ってたところで鉄道公が消えちまう。あと少しってとこでな。正直、砂漠の鉄道をつくって、おまけにそいつを維持するのは鉄道公その人でねえと無理だと思ってる。みんな鉄道公が敷く鉄道だからこそ、株を買った。で、問題だ。ここで鉄道公が失踪したら、どうなる?」
「大恐慌ですね」エスレイがこたえた。
「そのとおりだ、ちっこいねえちゃん。鉄道敷設は中止、株は紙切れになり、カラキラートは味わったことのない大混乱を味わう。たぶん、サトウキビ投機の破綻のときよりもすげえ大騒ぎになる」
「ちょっといいか?」コルネリスが手を上げた。「大変なのは分かったけど、それがおれたちとどう関係があるんだよ?」
「大ありなんだよ。いいか、お前さんたち三人は機工都市連合の碩学たち二百人の署名付き書類を持ち歩いていた。そして、実際にその書類を手に鉄道公と会いもした。イフリージャの慣習法じゃあな、おめえさんがたは機工都市連合の全権大使と見なされるんだ。で、鉄道公は機工都市連合の人間だから、あんたたちには自分とこの国民を保護する義務が生じる」
「思ったより大事になってしまいましたね。遺跡を調べるために工事を待ってほしいという手紙なのですが」
「いいかい、ちっこいねえちゃん。鉄道公が失踪したことは絶対に外にはもらせねえ。でも、いつまでも秘密は維持できねえ。たぶん、三、四日もすれば、広まっちまう。カラキラートじゅうの人間が取引所で鉄道株を手に必死こいて売り抜けようとするさまが目に浮かぶぜ。そうならねえために、あんたたちに頼みたいのさ。あんたたちは在外公館の職員じゃない。でも、全権委任に等しい書類を持っていて、しかも、鉄道公が消えた現場にいた。こうなったら、おめえさんがたに鉄道公を探し出してもらうしかねえじゃねえか」
「断ったら、牢屋ですか?」
「その通り」
「理不尽なことを言いますね」
「それだけこっちも追いつめられてるんだ。この一件には。で、返事をきこうか?」
翌日、カラキラートの宮殿門から市街へと出発するエスレイたちの姿があった。
前のときのようにコルネリスが人質に残されることはなかったが、昨夜、エスレイたちを太守のもとへ連れていった若い軍人ルルメトと一緒だった。
お目付け役というところか。エスレイの見たところ、ルルメトは情報将校のようだった。軍服のかわりにターバンと黒の平服で刀を帯に差す武人階級の市民姿。カラキラートの路上には同じような服装の剣士がかなりいたので、ルルメトもさほど目立たずにいられるらしい。
しかし、エスレイの興味はその街へと移る。
カラキラートの宮殿の前、ほんの十ボアスの距離に泡立ちヨーグルトを売る店が開いている。
普通、宮殿の前は大通りか広場と相場は決まっているが、ここでは古い木造家屋が門のすぐ前を並んでいる。
街路は迷路のようで、大通りと呼ぶに値するものがない。ガーディッチも込み入った迷路のような街だが、カラキラートはそれ以上にややこしい。
「ここは商人が一人二人と集まりながら、出来上がった都市だ。大通りだの広場だのを無駄にこさえるだけの都市計画なんてものはない」
「ンなこと言ってるけどな、おい」コルネリスが食ってかかる。「地震の一つでも起きてみろ。こんな街、ドミノ倒しみたいにバタバタぶっ倒れてくぜ」
「イフリージャには地震は起こらない。どのみち砂漠の上にできた町だ。どれだけ細工を凝らしたところで、それは文字通り砂上の楼閣に過ぎないのだ」
そんな街路でも土地っ子はよく心得ているらしくて、迷路のなかをすいすい移動し、連れてこられたラクダの隊商はきちんとバザールで荷を下ろすし、噺し家も人の集まるところを選んで、一つネタを披露する。
「あの」エスレイがたずねる。
「なんだ?」
「鉄道公の失踪ですが、目途のつく場所はないんですか?」
「カラキラート内にいる。それ以上は分からない」
「なんで、そう言い切れるんだよ? 外に逃げてるかもしれねえだろ」
「砂漠を逃げるにはオアシスを頼りに点と線で逃げるしかない。だから、居場所は逆に特定しやすい。犯人に少しでも知恵が働くなら、しばらく市内に身を潜める。この通り、この街は迷路のようで、地元住人さえもこれまで知らなかった通路や空洞、空き部屋が毎月十か二十は発見される」
「それを手掛かりなしで探すんですか?」
「いや」ルルメトは首をふる。「手がかりはある」
盾の姫騎士 実茂 譲 @013043
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