4.

 鉄道敷設現場の最先端は移動する都市のようなものだった。

 人、鉄、家畜、水が集まり、そして街道すらもその工事現場へと到達すべく、しなった鯨髭のように曲がっていく。

 コルネリスから見ると、鉄道敷設は何かの冗談のように見えた。砂漠に二本の鉄の棒もどきを置くために小さな国の国家予算くらいの金がかかっているし、またその鉄の道を走る機関車は一台が武装商船ニ十隻分の価値がある。

 鉄道公とはよく言ったものだ。そいつの領土はまさに鉄道の上であり、世界有数の大諸侯なのだ。ひょっとすると、何十年後かには世界中の皇帝や国王が鉄道公の前にひれ伏していることもあり得る。

 それだけの金と人と機械を動かし、世の理さえも曲げてしまいそうな鉄道公エヴァーソン・リードとはどんな人物だろう?

 長くガーディッチに暮らしているのにコルネリスはその姿を見たことがなかった。鉄道公の本社はガーディッチの一等地である絹問屋街にあり、コルネリスもその巨大な大理石の建物を見たことがある。コルネリスからすれば、豪商や政商、諸国の大使などが馬車で乗りつけ、金貨を雨のごとく降らせる契約を結ぶ聖域だ。

 だが、いくらその建物の前の広大な石段で待ち受けても鉄道公を見ることはできない。

 なぜなら、鉄道公は鉄道を敷設する工事現場から工事現場へと飛び回っていて、本社に帰ることなどないのだ。

 だから、コルネリスは少しわくわくしていた。

 線路際の大きなテントに入り、文官風の男にバンバルバッケから託された書簡を渡すと、三人は鉄道公のもとへと案内された。テントの外に出て、すでに敷設された線路沿いにしばらく歩き、盛大に湯気を上げる機械や塔のごとく積み上げられた木材や鋳鉄のあいだを抜け、魔法仕掛けの巨大なハンマーが炉から取り出されたばかりの赤い鉄を打つ火花に目をちかちかされ、鉄道労働者のなかでも最も崇拝される鍛冶の長と製図技師と機関車の操縦士が白いリネンのクロスを敷いたテーブルで赤ワインとあばら肉のステーキを食べているのを横目に見た。

 そして、あちらです、と案内された先で線路は途切れ、その先端は大きく開いた石切り場のような穴の上にやるせなく突き出している。

 この穴がバンバルバッケが保護してこいと言った古王国時代の遺跡らしい。

 そして、その穴の縁で、線路をまたいで左から右へ、右から左へと白髪頭の小男がちょこまか動き回っていた。なんだ、このジジイ? みすぼらしい灰色の吊りズボンに汚れたシャツ姿で異様に長い顎鬚が動き回る頭の残像でも引くようにふわふわと宙に浮いている。背は子どもみたいに低く、三人のなかで一番背が低いエスレイよりもさらに頭二つ分は低かった。

 で、肝心のエヴァーソン・リードはどこだ?

 おそらくそんな顔をしたらしい。そして、案内役の文官はエヴァーソン・リードに初めて出会う人間がみな同じ反応を取ることを楽しんでいるらしく、慇懃無礼なやらしい微笑みの後、あちらがエヴァーソン・リード社長です、とコルネリスたちに説明して去っていったのだった。

 冗談じゃねえや! こんなでかい仕事をあんなちんちくりんが?

 だが、当のリードは別にコルネリスの許しがなくとも、エヴァーソン・リードその人なのだった。ちょこまか動きながら、豚のようなキーキー声でえらく早口の独り言をつぶやいているリードはまともな街なら間違いなく、修道院に放り込まれて一生外に出してもらえなさそうなタイプに見えた。だが、リードはこちらから差し出す前にバンバルバッケの書状をひったくると、ざっと目を通してからポケットにねじ込み、喉の奥をすり減らすような高く耳障りな声でまくしたてた。

「なんで、また遺跡の保護なんか! ガーディッチの頭でっかちどもはなんで過去を見る! わしはここに未来を創りに来たのにくだらん御託を並べて、あんな穴っぽこでこのエヴァーソン・リードの邪魔ができるとでも思ってるなら集団キチガイというものだ! わしが鉄道を伸ばすときは地形だって遠慮する。谷は崩れて平地になり、山は掻き消える。海は干上がり、永久凍土には春が訪れ、砂漠に雨が降り、死体は墓地から甦りい別の場所に埋まりなおす! 天変地異森羅万象も遠慮する鉄道敷設にどうして学者風情の署名運動で邪魔できると思うのだろうな! ずうずうしいったらない! おい!」

 小男が三人に指を差した。

「五時間だけ待ってやる。穴から欲しいものを何でも持っていけ。だが、五時間経ったら穴を埋める。わしがきみらを生き埋めにすることはないと高をくくっているなら忠告してやる。平気で埋めるぞ。そして、この場所で開通記念のパーティを開き、乞食から太守まで呼べるやつを片っ端から招待して、魚料理をふるまい、葡萄酒の湧き出る噴水も用意してやる。それだけじゃない。嵌め木床をつくって、楽士に鉄道を讃えるポルカを奏でさせ、きみらの墓所の上でダンスを踊ってやる! それでも、まだ足りないなら――」

 そのとき、先ほどの文官とはまた別の文官が現れて、何か書付を渡した。

「なに、なんだ、こりゃ? こんな頭のイカれたことをわしが黙って聞き流すと思ってるのはどこのどいつだ? おい、誰かわしのラクダを!」

 ラクダがひかれてくると、リードは登山用具が必要なほど不格好なやり方でラクダの鞍によじ登り、鞍に収まるや、一筋のつむじ風を残してすっ飛んでいった。


 遺跡は古王国の貴人のは墓所だった。

 四つの柱に支えられた広間にはその貴人の生まれてから死ぬまでの出来事を当時では途方もないほど高価であったであろう顔料を惜しみなく使っていた。手にしたたいまつの光のなかで、生まれ、成人の儀式を通過し、戦いに参加して、領土を得て、妻をめとり、後継ぎを残し、そして繁栄のうちに死んでいく。

「人間、自分の道筋を残すのには、いつの時代もコストがかかるもんだな。今は紙と印刷術があるから、あとはへぼ作家を一人雇えば自伝を残せる」

「ガーディッチは自伝作家の都ですからね」

「そうなんですか?」

「自伝作家専門の斡旋所があるくらいだからな。碩学なんてどいつもこいつも目立ちたがりだ。自分の業績を本に残して、見たこともねえ人間からもチヤホヤされたいんだろ? でも、分かんねえな。おれはカネをあの世まで持っていけるとは思わねえし、墓だって、せいぜい残った家族が墓の管理で墓守だの教会だのに管理費を支払うことになるわけだろ? そうとなれば、墓を見るたびに胸糞悪くなるんだぜ」

 ともあれ、冒険家らしいことはしないといけない。

 死んだ後も貴人を守るためにつくられた戦士の像や召使いの像のある部屋を通り抜け、坑道のような通路でたいまつを頼りに進んでいき、奥まった玄室には砂岩を削ってつくった死人の似像が台座の上に横たわっていた。これはちょっとした発見だ。現在、貴人が亡くなると、墓に横たわる自分の姿を大理石で似せて彫るのだが、この風習は二百年ほど前、スザヴォーレで始まったと言われていた。目の前の墓はそれを否定し新説をぶち上げるに十分なものだ。

 でも、バンバルバッケのジジイはこれをあまりありがたがらない。コルネリスはさんざんクソジジイ呼ばわりしていたが、バンバルバッケが何を欲しがっているのか、悲しくなるほどよく飲み込める。博士が欲しがるのは古代の錬金術に関する手がかりであって、歴史人文学の新説をぶち上げる墓石ではない。

 それでもコルネリスは一応ということで、墓の台座に紙を押し当てて木炭をこすった。台座に刻まれた文字を写し取ると、それを四つ折りにして革の紙はさみに入れて、懐にしまった。

 帰りは大急ぎだった。なにせ遺跡に入ってから、四時間五十八分が経過しているのだ。慌てていたので宝を隠した秘密通路を見過ごしたり、戦士の像にぶつかって石の鷲鼻を折ってしまったりと、〈天使のギルド〉のことを言えないくらいのヘマをした。

 走りながら、五時間が経過したとき、コルネリスたちはピタッと動きを止めた。

 ひょっとすると、これから三日間、ろくに水も飲めないまま、この古代迷宮がどこか別の場所にも入り口を開けていますようにと祈りながら、出口の兆しであるそよ風を必死こいて探すハメになるかもしれない。

 だが、火薬樽が岩盤を吹き飛ばす音や一万人の労働者がいっせいにスコップで土をかぶせる音もきこえない。

「なんだかんだで生き埋めはしないんですね」

 エスレイはホッとした。

 遺跡の外に出る。だが、誰もいない。資材やテント、機関車すらそのままにしてあるが、誰もいないのだ。労働者も技師も魔法使いもいない。そして、もちろん鉄道王エヴァーソン・リードも。

 太陽はもう西の彼方へと傾き、砂は薔薇色に染まる期待でざわざわと風に転がっている。鉄道工事のない砂漠の静けさはあまりにも美しかった。まるで人間の大建設が潰える瞬間こそが自然が最も美しくなる瞬間なのだと言わんばかり。

 遠くで何かが鳴った。ラッパらしいものだが、ラッパとは違う楽器。

 コルネリスは舌打ちし、汗と砂で汚れた首筋をボロ切れでぬぐった。嫌な予感がする。トゥーリバーでも似たようなラッパの音とともに騎兵がやってきて、おれを鳥かごに閉じ込めやがったのだが、あのリバイバルが起きそうな予感。

「おい、トンマ。今のラッパみたいな音は何か分かるか?」

「あれはイフリージャ軍の進軍ラッパですね」

「言っとくけど、おれは何もしてねえぞ」

「何かしただなんて言ってませんよ」

「鳥かごもうんざりだぜ」

「コルネリスさん、何だか考え方が卑屈になってますね」

 しばらくすると、ラクダ部隊が地平線に現れた。横に十列、縦に三列の会戦陣形で両端のラクダ兵はクロスボウとコンポジット・ボウを、中央のラクダ兵は大きな槍を高く掲げている。ラクダたちは馬で言うならトロットくらいの速さで近づいてきた。玉ねぎ型の鉄兜に青い外套のラクダ兵の隊長が三人の前まできて、手綱を引いた。

「エスレイ・ローラン。コルネリス・リュゼリロ。シンザ・バクル。さる重要な要件のために御同行願いたい」

「そんなこと言って、嫌だって言ったら、無理やり引きずってくんだろ。で、おれたちは何でパクられるんだ? 黙ってついていってやるんだから、そのくらい教えろや」

「諸君らは重要参考人なのだ」隊長がコホンともったいぶった。「鉄道公エヴァーソン・リード失踪事件のな」

 ああ、ちきしょー。コルネリスは嘆く。

 羽根のマントをつけた少女を撃ち落すよりもマズいトラブルが降ってきやがった。

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