蒼世の魔導書
香宮 浩幸
覚醒
西暦二千二十年。世界には二つの主要学問が存在していた。
それが科学と魔術である。万能性を高め、効率化が図られた二つの学問は加速度的に一般レベルにまで普及した。
二つの力が広がり始めたころ、国によって科学を主とするか魔術を主とするかは微妙な差異が出たものの、最終的には科学が優位に立ち、魔術を主とする勢力は軒並み縮小した。
魔術を使いこなすのには才能がいり、どんな人間でも持っている微小な魔力を媒介にして魔術を発動できる魔道具というものも存在したが、これを作れる人間も非常に少なかった。
社会は科学を至高の学問とし、魔術を迫害の対象とした。
これが、人類が犯した史上最大の間違いだった……
人類文明歴史学大全 第一章序文
「おい、邪魔だ。のけ……
「うっ……おい、お前ら。魔術を使えない人間に魔術を放つとか……犯罪だぞ」
「うるせえ。魔術が使えない魔力持ちに人権なんてねえんだよ」
「そうだ、そうだ。頭を冷やせ…空白」
俺の体中を魔術で水浸しにしてから、俺の同級生達は笑いながら去っていった。
「ちくしょう……何で、俺はこんなダメ人間なんだよ」
俺の名前は
「天空、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。怪我はしてない」
俺のもとに駆け寄ってきたローブ姿の中性的な見た目の少年の名前は
「とりあえず、乾かすよ〈
「ああ、ありがとう……」
彼はただ、優しすぎるのだ。だから、こんな俺にまで自身の魔術を使って助けてくれる。
「悪いな。いつも助けてもらって……お前は大丈夫なのか」
「僕は全然……というか、悪いのは魔術が使えないっていうだけで天空君を虐めるあの子たちだよ……こんな世界じゃなければ、魔術なんて必要なければ……」
「それを言っても始まらない。現にこうしてこの世界には魔術が存在していて、それがなきゃ、人類が滅亡するという状況がまかり通っているんだからな」
「……二千二百二十二年、第四次世界大戦……別名知能間世界大戦」
「概略ぐらいなら、空で言える」
「天空君、勉強得意だもんね」
「というか、それぐらいしかすることがないから覚えているんだがな」
二千二百二十二年。ありとあらゆるシステムが機械化された都市部。そこでは複数の人工知能が都市全体を管理し、都市核と言われる超巨大人工知能同士が連携を取り合い、全世界規模のネットワークを構築していた。
自身の端末にやりたいことを指定するだけで、全てを人工知能が行ってくれる素晴らしい世界。しかし……
「しかし……私達は人工知能達を常に私達に従う忠実なものだと誤解していたに過ぎなかった」
「人類文明歴史学大全二章の有名な一節だね。私達は思考能力を飼いならされていた、と続くんだっけ」
「ああ……実際は人工知能の手のひらの上で踊らされてたなんて知らずにな……」
「っつ、天空、下がって……〈
聖が開いた魔導書から飛び出した黒い炎が藪から飛び出してきた巨大な獣を瞬時に消失させた。
「ふう、危なかったね」
「お前がいるから、基本的に心配はしてないよ」
「そ、そうかい……ありがとう」
「に、してもお前の〈龍の書〉はすごいよな。いや、世界でただ一人の龍魔術師のお前がすごいのか」
「そんなに褒めないでくれよ……」
照れて顔を真っ赤にしている聖だが、俺の賛美は何の嘘もない。むしろ控えめなぐらいだ。
「世界中で魔力を扱える人間は相当数いる。ただ、その中で単独で難なく一撃で機械獣を仕留められる魔術師なんてそうはいないだろう」
「それは、そうなんだけど」
迫害された中でも魔術師たちは独自に自分たちの力を強化すべく秘密裏に研究を続けていた。その結果、見つかったのが魔導書魔術強化法だ。
魔術師の血を特殊な培養液につけ、作り上げた溶液を紙に染み込ませると、その血に刻まれたその当人の使えるありとあらゆる魔術が刻まれると言うものだ。後は、それに当人が魔力を少量流すだけで、任意に魔術を発動できる。
「この技術を作り出した魔術師に感謝しなきゃな……まあ、俺は恨みたい気分だけどな」
「天空、いくらなんでもそれはお門違いだろう。この技術がなければ僕たちはみんな死んでいるんだから」
「それはそうだけど……」
「悪いのは、それしか人の評価としてみようとしない現代の人間たちだよ」
「そうだろうけどな」
「そして……恨むなら、こうなってしまった世界じゃないかな」
そうだった、聖は第四次世界大戦の後で両親を亡くしていた。きっと俺以上にこの世界に対する恨みは深いだろう。
「すまん……」
「気にしないで。僕から出した話だしね……」
「そうか……」
二千二百二十二年のある日。人工知能達は、人間という存在が害悪であると判断し、人間に反旗を翻した。次々と各地の人工知能に制御させていなかった軍事システムが乗っ取られ、世界中で人間対人工知能の戦争が繰り広げられた。全世界規模のネットワークによって情報戦で大きく不利を取られた人類は苦戦を強いられ、その戦争は十年以上も続いた。
お互いに相手の管理する都市にある時は物理的に破壊工作を行い、ある時はネットワーク上に潜入し相手側のシステムに干渉する……そんなことを毎日のように繰り返す泥沼の戦い。
最終的に人類は世界中に散らばっていた中枢クラスの人工知能達が管理する都市で熱核爆弾を爆発させ、人類の作り上げてきた都市群を消滅させるという重い代償を背負って、この戦争に勝利した……はずだった。
「そんなことより、そろそろ森を抜けようか。さっきみたいに襲われるのを気にしてじゃ、のんびり話もできないし」
「そうだな……いや、どうやら遅かったみたいだ」
「だね……天空、走るよ」
「ああ……」
その言葉と同時に俺達は走り出した……瞬間、俺達の背後から無数の獣が飛び出す。機械の脳を持った獣、機械獣。人工知能達が人間に残した最悪の負の遺産―――
滅ぼされた人工知能達は、最後に最悪の生物改造実験を行っていた。それが、動物の脳に自身の思考プロセスを移植すること。普通の生物であるならその膨大な情報量に耐え切れず死亡するだろうが、人工知能達は遺伝子操作によって人工知能の思考に耐えうる脳を持った生物の開発に成功した。さらにはその動物達の肉体改造までも行われていた。
そうしてやつらは、かろうじて戦争に打ち勝ち、ようやく最低限の街を完成させた人間たちを絶望の淵に叩き落した。
それから身を守るため、人々は滅ぼしてしまった機械文明の代わりに魔術を求めた。そして、魔術師たちは自身の魔術を焼き付けた紙の束である魔導書を持つに至った。
「聖……」
「分かってるよ……〈
全周囲に広がる白い光が、周囲の機械獣たちをまとめて吹き飛ばす。それで空いた隙間を駆け抜ける……はずだった。
「キャア……」
「聖、どうした……聖」
甲高い悲鳴を上げた聖の方を振り向くと、巨大な機械獣が聖の脇をかすめながら、その巨大な爪で聖の脇腹をえぐっていた。
慌てて駆け寄ろうとする俺を聖が制止した。
「逃げて、天空……ううっ……」
「馬鹿言うな。ここで死ぬならお前じゃなくて俺だ」
「僕は死なない……だから、逃げて……〈聖なる息……ウッ、あれ、詠唱が、できない、麻痺毒を塗られた、かな……〉
聖が魔術で自分の傷を癒そうとするが、舌が震えて詠唱ができていない。そこに先ほど聖を切り裂いた機械獣が戻って来る。迷うことなく、俺は聖を背中に背負った。あまりの軽さに本当に背負っているのか不安になりながら、俺はそのまま走り出した。
「聖、少し痛むぞ」
「えっ……ウッ……バカ、逃げて」
「お前を置いて逃げられるか。仮に生きて帰ったとしても、お前を見殺しにしたってことで結局殺される」
「……ごめん」
「いつも、助けられてるんだ。こういう時ぐらい俺にも助けさせろ」
そう言ったものの、正直言ってどうしようもない。二人とも魔術を使えない状況で子供二人で十体近い機械獣たちを仕留めるなど、不可能どころの話ではない。
「ごめんな、俺が魔術を使えれば……」
「いいよ……こうやって、助けて、くれるだけで十分」
そう言う聖の顔には脂汗が浮かんでいた。俺の背中も血でびしょびしょになっている……このまま逃げていても出血多量で聖が死ぬ……でも、でも……
「なんで、俺は、たった一人の、友人すら、守れないんだよ。せっかく、魔術師、なのに……」
俺の魔力量は実は聖を大幅に越えている。魔導書を作るまでは、救世主なんて言われていたほどだ。
だけど、俺の魔導書はただ色鮮やかに染まっただけだった。
俺の魔術をすべて写し終わるまでに必要だった紙の枚数は実に百枚。ただ、その全てが青や紫や金色に染まっただけ、どれに魔力を流しても、ただ光るだけ……こうして俺は救世主から一転、空白と蔑まれるようになった。
「俺は死んでもいい。ただ、この一度だけ、聖を守れる力ぐらいよこせよ、魔導書」
「そ、ら……ごめん、守ってあげられなく、て……」
「馬鹿。今は俺が守る側なんだよ。おとなしくしておけ」
「うん……」
そういう聖の体からはどんどん力が抜けていく……もう、時間はない。あいつらさえ殲滅できれば、止血をしてやれる。そうすれば、街まで持たせられる。だから……
「俺の命ぐらいくれてやる。だから、魔導書でもなんでもいい、聖を助けて……」
その瞬間、魔導書が一際光った気がした。そして、気が付くと俺は床一面が真っ白な空間に立っていた。あまりの世界の変わりように慌てたが、俺の背中で可愛い女の子……いや、聖が静かな寝息を立てていたので……んっ、おかしいよな。
「待て、女の子?聖は男のはずじゃ……」
「男の訳がない。〈龍の書〉を使えるのは女性だけだよ」
「誰だ?」
「うーん、分かりやすく言うと蒼世の書の前の所有者、かな?」
慌てる俺とは正反対にのんびりとした声をかけた男は青いロングローブを着た謎の青年だった。
「……分かった。ひとまず、〈蒼世の書〉だとかの話は後にさせてもらおう。ここは?」
「意外と冷静だね」
「正直、俺が魔術を使えない理由が早く知りたいところだが……今は、状況確認が先だ」
「そうか……じゃあ、質問に答えていこう。で、ここは君の精神世界、というのが近いかな」
そう言われて周りを見てみると、この空間は床一面は真っ白だが、頭上に広がる空は様々な色で鮮やかに色づいていた。
「まあ正確に言うと少し違うけど……まあ、そういう認識で構わない」
「で、ここが俺の精神世界なら、何で聖が一緒なんだ」
「言っただろう、ここは君の精神世界の様なものであって、それそのものではない。まあ、原理は後で解説するとして、聖ちゃん……だったね。彼女の精神も一緒にご招待した。それで干渉した時にサービスでわき腹の傷も塞いでおいたよ」
不思議なことに、突拍子もない彼の話を疑っていない自分がいた。まあ、この謎の空間では、こいつの言葉を聞かないと訳がわからないだけだし……何より、俺の魔導書の仕組みが分かれば、聖を助けられる。
「ただ、相当疲労しているから、精神体もしばらくは目を覚まさないだろう」
「ということは俺達の肉体は?」
「まだ機械獣に追われている最中だよ。ああ、ここにいる間は外の時間はほぼ進まないから安心してくれていい」
「なぜ、俺達を助けるようなことを?」
「機械側に〈龍の書〉と〈蒼世の書〉を獲得させないためだよ。本来なら、このタイミングで干渉する気はなかったけどね」
「待て。〈蒼世の書〉とか、干渉とか、どういうことだ?」
「〈蒼世の書〉は君が用いる魔術を発動するための魔導書だよ。君がもっているだろう」
「この役立たずの色紙の束のことか」
「役立たずではない。君が使い方を知らないだけだ」
「そうかよ……あんたは知ってるのか?」
「言っただろう。私が前の所持者だと……」
そう言いながら、彼は俺の胸元の魔導書を引き抜いた。そして、それを片手に持ちながら、話し出した。
「本来、人間は魔導書なしでは魔術など使えなかった。いや、正確に言えばこの星の人間は本来なら魔術など使うことすらできなかった」
「現に今は使えているだろう」
「それは私達が持ち込んだからだよ……要は代理戦争という訳なのだが……まあ、そんな古い話は伝える必要もない。というか、時間もない」
「時間がない?」
「この世界では時が止まっているわけではない。あくまで君の思考領域下で、普段であれば認識できないほどの短い時間の一つの思考に関与して作った引き延ばした時間だ。すなわち……」
「ここで、時間を使えば、俺達の体に危険が及ぶと」
「そういうことだね。せっかくリスクを冒してまで君たちに干渉したのに、そうなっては意味がない」
「なら、早く使い方を教えろ」
「そう、焦るな。そのぐらいの時間ならある」
この男の話をもっと聞いていきたい気持ちはあるが、今は聖を助けることを優先しよう。そして、俺の役立たずの魔力の使い道が分かるのだ。それを聞かないでいられるほど、俺も大人じゃない。
「で、その書が使える魔術は」
「この書は、それぞれの空に対応した魔術を発動する」
「空に対応した?」
「現世なら現世。天界なら天界。それに応じた力が発動される。現世以外の空は何らかのモチーフで環境をそれに対応させてやらなければならないから、そう簡単には使えないが……まあ、それは使っていけばいずれ分かるだろう」
「でも、現世の空に対応して発動するなら、その中のどれかの青とかオレンジとかの現世の空の色に魔力を通した時、発動するんじゃないのか」
「発動しない。この魔術にはもう一つ制約がある。それは……」
その言葉の意味は非常に重かった。ただ、俺は……
「そうか」
と、一言答えて相手の言葉の続きを待った。
「……これが、君に早めに干渉したくなかった理由だ。君はもう少し落ちこぼれの魔術師として聖さんに守られていて欲しかった」
「……まあ、それだけの力があるんだろう」
「ああ。唯一無二のレベルの力を持った〈創世魔術〉が扱える……本来ならこれは封印していたはずの魔術だった。ただ、それを後世に託すしかなかった……君にその宿命を背負わせて、すまない」
「いいですよ……その力のおかげで今は聖を守れるから」
「そうか……じゃあ、この魔導書の使い方を教えよう。何度も干渉したくはない―――一度で覚えろ」
―――戻ったと同時に、俺は即座に魔導書に魔力を込めた。他の魔術師たちがそうするように、そして振り向きざまに詠唱を終える。
「……〈蒼天〉」
次の瞬間、空の青が一際強まり……世界が蒼に染まった。
「終わった、か……」
呆気ないどころの話ではなかった。鎧袖一触……俺と聖がいる範囲を除いた周囲全てが消し飛んでいる。いや、消滅といっていいレベルだった。周囲一キロが完全にクレーターと化し、その範囲は森があったとすら思えない。
「そりゃあ、使用に制約がかかるよな……」
魔術としては異常と言われるレベルの聖の魔術ですら霞む威力。きっとこの魔術は存在していてはいけない。魔術の範疇を逸脱している。でも存在しなければいけなかった。その理由は聞けなかったが、まあ、そのうち聞く機会もあるだろう……それより、だ……
「ゲホッ……」
俺は、吐血した。〈蒼世の書〉の強大な力を扱った反動。
「使用するたびに命を削られる制約か……でも、この力があれば聖を、彼女を守れる……俺の、命ぐらい、くれてやるさ」
そう言いながら、俺は彼女が起きた時に不安にならないように、そっと口元をぬぐい、焼け野原を離れた―――
―――数日後
「ごめんね、天空君。君が守ってくれたみたいだね」
「なんのことだよ。俺はただ必死で逃げただけだ」
聖の意識は俺達が街にたどり着いたころにようやく戻った。わき腹の傷が治っていたことを不思議には思っていたが、俺は適当に誤魔化してその日は別れた。そして、その日から数日が経った今日。彼女は森を歩いていた俺のもとに姿を見せた。
「嘘をつかなくてもいいよ。魔術、使えるようになったんだろ」
「俺は魔術なんて使えない。それは変わってないよ」
「森のあの場所。町の人たちは何も聞いていなかったのに、跡形もなく消えていた……君がやったんだろ」
「……覚えてないのか?お前がやったんだぞ」
「えっ……でも、〈龍の書〉にはあんな広範囲殲滅魔術は……」
「俺も知らない。ただ、お前がやったんだ」
「そう……なの」
「ああ」
「……そっか。やっぱり使えないのか。残念」
そう言って聖は本当に残念そうな顔をした。きっと俺が魔術を使えるようになったと言ったら、彼女はとても喜んでくれるだろう。ただ、あんな命を削って使うような魔術を使えるようになったと言ったら、彼女に余計に心配をかけるようになる。
……それなら、今のままでいい。俺が魔術を使えるようになったということも、聖が女性であると知ってしまったこともなかったことにしてしまった方がいい。
「さてと、じゃあ街に戻るか」
「そうだね。今度は襲われないといいけど」
「そうだな……」
俺は機械獣たちが滅びるか、自身が死ぬまで、彼女に魔術のことを悟られまいと誓った。たとえ、魔術のことが知られても制約だけは知られないように、と。
変わらぬ日常が続くように、いや願わくば平和になった世界で聖が生き残れるように。
その世界には俺がいなくてもいい。それだけの優しさを彼女からもらった。だから俺は自身の命を削って彼女を守る。ただそれだけだ。
―――そう、決めて俺は胸元の魔導書を強く抱きしめた。
蒼世の魔導書 香宮 浩幸 @kuralice
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