ブルーハワイなんて大嫌いだ
久里
ブルーハワイなんて大嫌いだ
わたしはかき氷のブルーハワイ味が嫌いだ。
味の名前のくせをして、なにがブルーハワイだ。おしゃれぶっているけど、単に色と地名を組み合わせただけじゃないか。全く味の想像がつかないし、見た目も毒々しい青色をしていてなんだか気味が悪い。
それなのに。
あの男の子は、かき氷屋さんに来ると、決まってブルーハワイを頼む。
彼が舌を真っ青にして無邪気にブルーハワイを食べている姿を見るたびに、わたしは心がむず痒くなる。
✳︎
小学五年の夏休みは、海の香りに包まれて過ごすことに決まった。
パパが急に海外に出張することになって、ママがついていくことになったのだ。わたしは、おじいちゃんとおばあちゃんのお家でお留守番することになった。
おじいちゃん達のお家は、海の近くにある。開け放した車の窓から潮の香りがなだれこんできたら、もうすぐ二人のお家に着く頃だ。
「お手数をおかけしますが、
「気にすることはないよ、
「香澄、おばあちゃんとおじいちゃんの言うことをちゃんと守るのよ」
「はーい!」
お母さんはわたしを送り届けると、乗ってきた車にそそくさと引き返していった。急に決まった出張だから、ぜんぜん準備ができていないらしい。
おばあちゃんは、二階の大きな和室に通してくれた。
戸を開いた瞬間、窓の向こうに陽ざしを吸い込んできらきらと光る碧い海が見えた。それがあまりにもきれいで、少しの間、ぼうっとなってしまった。
「ここが、香澄ちゃんの部屋だよ。いま台所でスイカを切ってくるから、ちょっと待っててね」
「おばあちゃん」
「うん?」
「わたし、海に行きたい!」
おばあちゃんはきょとんと目を見開いた後、眉尻を下げて困り顔をした。
「実はいま、受け取らなきゃいけないお荷物を待っていてね。おじいちゃんも出かけているから、届くまでお家を出られないんだよ」
「じゃあ、わたし一人で行ってくる!」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫だって! わたし、もう、小学五年生なんだよ?」
じいっと丸い目をのぞき込んだら、おばあちゃんはむうと考え込んだ後、不安そうに言った。
「暗くなる前には絶対に帰ってこなきゃダメだよ?」
「もちろん!」
おばあちゃんは「仕方ないねえ」と言いながら、麦わら帽子を取ってきて貸してくれた上に、お小遣いまでくれた。ふふふ。おばあちゃんは、わたしに甘々だ。
*
海に続く道は、進むたびに磯の匂いが強くなる。東京よりも強い日差しは、肌に刺さってくるようでちょっぴり痛い。Tシャツが汗でじとりと濡れる。
それにしても、暑い。
暑すぎる。
時折、通り抜けてゆく潮風がすごく心地よくて、一瞬、吹かれるままに身を任せてしまった。そうしたら、おばあちゃんに貸してもらったばかりの麦わら帽子がひゅうっと飛んでいってしまった。
「あっ!」
「ん?」
目の前から歩いてきた男の子が、不思議そうにわたしの麦わら帽子を拾う。
「これ、きみの?」
首を傾げた彼は、失礼かもしれないけど、あまりにも海に似つかわしくない男の子だった。
日差しを跳ね返しているような白い肌に、色素の薄い茶色の髪と瞳。ネイビーのクレリック・シャツにベージュのパンツを身に着けている。のぞいている手足は、折れてしまいそうなぐらい細い。
「うん」
頷いたわたしに、彼は麦わら帽子を差し出しながら笑った。
「はい。もう、なくしちゃダメだよ」
まっすぐに向けられた笑顔がやけに眩しくて、素直にありがとうと言えなかった。「うん」とそっけなく返すので精一杯。
「これから、海に行くの?」
「そうだよ」
「そっか。それなら、海辺のかき氷屋さんがお勧めだよ」
「かき氷?」
「うん。特に、ブルーハワイ味が格別においしいんだ」
ブルーハワイ……?
「えっ……。あれって、おいしいの?」
思わず、顔をしかめてしまった。
ブルーハワイ味って、あの不自然に青い色をした奇妙なやつでしょ? 夏祭りの屋台で見かけた限りでは、一番、おいしくなさそうだった。
不審そうに眉をひそめたわたしに、彼はきょとんとした。それから、ふふ、と鈴を転がしたように笑った。
「すごくおいしいよ。騙されたと思って、食べてみなよ」
「え、いいや……」
「そう言わずにさ。そうだ! 良かったら、明日一緒に食べにいってみる?」
無邪気に首を傾げられて、言葉に詰まってしまった。わたしが急に黙ってしまったから、彼は、私が今日中にこの街から去らなきゃいけない身分なのだと勘違いしたらしい。
「君は、日帰りでここに来ているの?」
「ううん。しばらくの間はこの街にいるよ。でも、なんで、今日じゃダメなの?」
ちょうど、もうすぐでおやつの時間になる。
もし本当に食べに行くなら、ちょうど良い頃合だ。
そう思ったけれど、彼はしゅんと肩をすくめた。
「今日は、もう帰らなきゃいけないんだ」
「そうなんだ」
「うん。だから、また明日」
わたしの脇を軽やかにすり抜けていった彼が、一度だけ振り返る。
「興味があったら、海辺のかき氷屋さんに来て。午後の一時だよ!」
そう言い残してそよ風のように去っていった彼の背中をしばらく見つめていた。
結局その日は、なんとなく海まで行かずに、おばあちゃんのお家まで引き返した。おじいちゃんも一緒に三人でスイカにかぶりつきながら、ぼんやりと過ごした。
*
翌日の午後一時。天気は今日も快晴。絶好の海日和だ。
碧い海に、白い砂浜が目に眩しい。遊泳にきた人たちは、みんな太陽に負けず劣らず明るい笑顔を浮かべている。
結局、彼のことが気になって約束の時間通りにここまでやって来てしまった。
そのかき氷屋さんは、光る海と砂浜を見下ろすような小高い道路脇に建っていた。近づいて、レトロな雰囲気のお店の扉をそっと開く。
店内は大勢の人たちで、賑わっていた。ビキニのお姉さんたちに、浮き輪を持ってはしゃぐ小さな子どもたち。みんな、かき氷をおいしそうに頬張っている。
あの男の子はどこだろう?
きょろきょろと見回していたら、突然、後ろから肩を叩かれてぎょっと振り返った。
「絶対、来てくれるって思ってた!」
彼は、相も変わらず上品なシャツにズボンを身につけていた。どう考えても、海に遊びに来る格好ではない。はっきり言って、かなり浮いている。
でも、その屈託のない笑顔にどうも毒気を抜かれてしまって、指摘できなかった。
「べつに、ブルーハワイを食べにきたわけじゃないからっ」
代わりにつっけんどんにそう言うと、彼はきょとんとした後、にこりと笑った。
「それ以外の味もおいしいよ」
わたしは、イチゴ味を頼んだ。正直、ブルーハワイ以外なら何でもよかった。
彼は、やっぱり、ブルーハワイを頼んだ。
得体のしれない青いかき氷を前に、彼はぱあっと顔を輝かせた。
「いただきます!」
待ちきれない! といわんばかりに白いスプーンですくって、口に運ぶ。それから、日なたにさらされたアイスクリームのようにゆるんだ笑顔を浮かべた。
それがあまりに幸せそうなのがなんだか気に食わなくて、憎まれ口を叩いてしまった。
「そんなにおいしいの? ちょっと、大袈裟じゃない?」
「すっごく、おいしいよ。食べてみる?」
「やだよ。味の名前なのにブルーハワイなんて、ヘンだし」
「そこがいいのになぁ」
「……よくわかんない」
そっぽをむいてイチゴ味のかき氷を食べるわたしのことを、彼はにこにこと見つめながらブルーハワイを食べていた。
かき氷を食べ終わって、他愛もない話をした。少し経って、海辺で遊んでいかない? と声をかけようか迷っていたら、彼は「そろそろ、いくね」と立ち上がった。
びっくりして、去っていこうとする彼を引き留めてしまった。
「待って。名前、なんていうの?」
「
「わたしは、香澄」
渚くんは、ふわりと笑った。
「かすみちゃん、今日はありがとう。僕は毎日ここに来てるんだ。また会えたら嬉しいな」
✴︎
それからは、おじいちゃんとおばあちゃんから交互にお小遣いをもらって、海辺のかき氷屋さんにやってくるのがわたしの日課となった。
渚くんは、飽きもせずに、いっつもブルーハワイ味のかき氷を食べている。
おかげでわたしは、ブルーハワイ以外の味をぜんぶ制覇してしまった。わたしが二回目のイチゴ味を頼んだ時には、流石の彼もびっくりして目を丸くした。
「ええっ! 今日こそはブルーハワイを食べるんじゃなかったの?」
「ぜったいに食べないっ」
「もったいない。一度食べたら、かすみちゃんも絶対好きになるのになぁ」
意地っ張りなわたしに、渚くんはのんびりと言った。
彼と、かき氷を食べながら、他愛もない話をして過ごした。渚くんとお話するのは、心地良い。ゆるやかに時間が流れていくように感じる。
かき氷を食べ終えた後、たまに海辺を散歩することもあった。
でも、渚くんは、午後の三時が近づいてくると必ず帰ってしまう。
「おうち、厳しいの?」
「まぁ、そんなところかな」
彼は、困ったように笑った。のぞいている舌が、すこし青くなっていた。
*
渚くんと出会ってから、三週間が経ったある日。
波打ち際を歩きながら、最初に会った時から気になっていたことを聞いてみた。
「渚くんは、海に入ろうとは思わないの?」
水着を着ている人たちに混じって、いつも彼だけがピアノかヴァイオリンでも弾いていそうな空気をまといながらすました服を身に着けている。たしかによく似合ってはいるけれど、やっぱりどう考えても海に遊びに来る格好ではない。
「そうだね」
白い砂浜に立って、凪いだ海を見つめる渚くんはどこか淋しそうだった。
「なんで?」
「なんでも」
「まさか、泳げないの?」
「うーん。まぁ、そんなところ」
「渚くんは、そんなところばっかだね」
わたしが唇を尖らせたら、彼は、でも、と付け足した。
渚くんが一度言葉を切って、振り返った。
海から吹いてきた風が、彼の柔らかそうな髪を運んでいく。
打ち寄せてきた波しぶきの跳ねる音が、わたしの心臓をやけにざわつかせて――
「これだけは、確実に言える。かすみちゃんと出会えて、本当に良かった」
その笑顔があまりにもきらきらと光って見えて、胸が苦しくなった。
「お、大袈裟じゃない? わたし達、知りあってから数週間しか経ってないのに」
「でも、かすみちゃんは、僕に付き合って毎日かき氷を食べに来てくれた。海に入ろうとしない僕と、たくさん遊んでくれたでしょ?」
本当にありがとう、と微笑む彼が眩しくて、なぜだか泣きそうになった。
直視していられなくなって、ふいっと視線を海に向けた。
彼が毎日食べている人工的な青色とは対照的な、自然の蒼色。
「……渚くんは、どうしてブルーハワイにこだわるの?」
「ブルーハワイはね、自由なんだ」
「自由?」
彼は、こくりと頷いた。
「味の名前なのに、味を表す気が全くないでしょ? 味という概念にとらわれていない。初めてその名前を聞いた時、自由で良いなぁって、思ったんだ」
ハッと息を呑みこんだ。
もしかすると。
おやつの時間が近づくと必ず帰ってしまう渚くんは、私が想像している以上のなにかを、抱えているのかもしれない。
忍び寄ってきた冷たい不安に、体がこわばった。
「そろそろ、帰らなきゃ」
渚くんが、いなくなってしまう。
いやだ。
「渚くんっ!」
彼が「ん?」と振り返る。
「ねえっ。明日も、かき氷屋さんに来るよね……?」
大きな岩礁にぶつかった波しぶきが、派手に音をあげる。
渚くんはそっと微笑んだ。
「もちろんだよ。また明日ね」
その言葉を、渚くんが守ることはなかった。
✳︎
その翌日。
彼は、わたしと出会ってから初めて、あのかき氷屋さんに現れなかった。
焦ってかき氷屋さん中を駆けずり回るわたしを、店主のおじさんが引き留めた。
「君は、渚くんとよく一緒に来てくれていた子だよね?」
どうして、おじさんが彼の名前を知っているの?
不安でいっぱいになりながら、おじさんを見つめ返す。
「渚くんから、もしも、僕が急にここに来られないようなことがあったら、君に伝えてほしいと言われていたことがある」
おじさんはひどく痛ましげな表情を浮かべた時、とてつもなく嫌な予感がした。
目の前のおじさんの唇は、かすかに震えていた。
「渚くんの容体が、急に悪化した」
容体が悪化?
どういう、こと……?
「あの子は、生まれつき病弱な体質らしくてね。一年前に、病気の療養のためにこの街にやってきたんだ。普段は、街の病院で暮らしているのだと言っていた」
最近は調子が良かったから、こっそり病院を抜け出すことができていた。
看護婦さんが定時の見回りに来る前に必ず帰るようにして。
「うそ、だ。だっ、て……そんなの、渚くんは、一言も……っ」
言いかけて、はっと息を呑み込んだ。
『おうち、厳しいの?』
『まぁ、そんなところかな』
渚くんは、何があっても、三時が近づくと絶対に帰っていた。
ぽろりと熱い涙が、頬を這う。
喉が灼けるように熱くて苦しい。
「おじさんっ。病院の名前を、おしえて……っ」
涙でゆらいだ視界の向こうで、おじさんも涙ぐみながら首を横に振った。
「ごめんね。おじさんも、病院の名前を教えてもらえなかったんだ」
すっと、血が冷たくなった。
この日わたしは、初めて、渚くんがかき氷を食べることも禁止されていたのだと知った。
『ブルーハワイはね、自由なんだ』
瞼の裏に、彼のやさしい微笑がよみがえってきた時、喉に熱い塊がこみあげてきた。
渚くん、どうして。
どうしてなんにも、教えてくれなかったの?
大声をあげて、小さな子供みたいに泣いた。
胸が、心が、痛くて苦しくて仕方ない。
泣いても泣いても、涙が出てきてとまらなかった。
どうして、あんなにつまらない意地を張ってしまったんだろう。
こんなことになるって分かっていたら、最初から、ブルーハワイ味を頼んでいたのに。ブルーハワイしか、頼まなかったのにっ。なんで、なんで、どうして……っ!
その日、わたしは人生で初めてブルーハワイを食べた。
渚くんの愛したブルーハワイは、涙の味がした。
✳︎
わたしはかき氷のブルーハワイ味が嫌いだ。
味の名前なのにブルーハワイだなんて、得体が知れない。ブルーハワイ味だけ、イチゴやメロン等の他の味と違って、地名と色の名前を組み合わせただけだ。見た目も毒々しい青色をしていて気味が悪い。
それなのに。
ブルーハワイは、渚くんの心を掴んで離さなかった。
これを見るたびに、彼が幸せそうに食べていたことを思い出して、涙が止まらなくなる。
だからわたしは、やっぱり、ブルーハワイなんて大嫌いだ。
こんな塩辛い味のするもの、だいっきらいだ。
ブルーハワイなんて大嫌いだ 久里 @mikanmomo1123
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