第34話 これからの星

 長話を終えたノインは缶に残っているコーヒーを飲み干した。同様にハミルもコーヒーを飲み干し、ちらとノインの横顔を見た。その頬には、夜にも関わらずハッキリと涙が伝っているのが分かった。星空の輝きで照らし出されるその横顔には、ただ純粋な悲しみだけが浮かび上がっているような気がした。


「……これが僕の知っている全てです」


 ノインは頬を伝う涙を拭いながらそう言った。そしてぐったりと背もたれに身体を預け、じっと星空を眺めた。その姿はまるで空に漂う兄を探しているかのようであった。


「さぁ、次はハミルさんが話す番ですよ。寝ちゃった僕が高圧的に言うのは不自然ですけど」


 先ほどまで身に纏っていた哀愁は夜風にさらわれ、ハミルの目の前にはユリアスも顔負けの綺麗な笑顔があった。それは確かにユリアスそっくりではあるが、間違いなくノイン自身が感じるままに表れた、彼だけの笑顔であった。


「なんだか砕けた話し方になりましたね」

「話しづらいですか?」

「いえ、前の堅物頑固者って雰囲気よりはマシですよ」


 彼の笑顔を見たハミルは、自然と彼のことをからかうようなジョークを口にしていた。またそれが彼にユリアスを思い出させたようで、ノインは家族に見せるような無防備な笑みを微かに覗かせた。


「なら良かった。文筆家ってだけで頭が固いというイメージがつきがちですから」

「本当は誰よりもお喋りかもしれませんね。アレだけ文字を書くんですから」

「はは、かも知れないですね。じゃあそろそろ、僕の文筆家生活を豊かにするために、ネタの提供は頼んでも良いですかね?」

「えぇ、もちろん」


 ハミルは今まで雰囲気が暗くならないように笑顔を努めていたのだが、いつの間にか自然な笑みが出るようになっていた。勝手にユリアスを失って悲しんでいるとばかり思い込んでいたハミルだが、彼の態度や言葉から、それがただの杞憂だったことに気が付いた。ノインはユリアスの弔い合戦をしようとしているのではない。彼は彼なりに兄の意志を継ぎ、自分のやり方で社会に訴えかけようとしているのだ。彼の本心に少しでも触れることが出来た気がしたハミルは、彼に助力するべく、あの日のことを語り始めた。


 ――二人が地球に訪れたあの日。地球散策も終え、最後に星空を見てからエリアノースに帰ろうというユリアスの提案を受け、三人は交差点の真ん中で足を止めた。辺りはまだほの明るく、もう少し時間が経たなければ星を見れそうになかった。


「まだ星は出て無いんですね」


 最後尾を歩いていたユリアスは、交差点に到着すると空を見上げながらそう言った。


「月はほんのりと見え始めているんですけどね。星はまだ出勤時間じゃないみたいです」

「なるほど。星は重役出勤なんですね」


 雲間から覗く丸い白光を眺めながらそう言うと、ハミルの方を見て微笑んだ。そして再び空に目を戻し、星が現れるのを今か今かと待ちわびていた。


「立ちっぱなしじゃ難ですし、椅子を持ってきますよ。と言っても良質な椅子は出てこないんで勘弁してくださいね」

「ハハ、文句なんか言いませんよ。あるだけありがたいです」


 ユリアスの快活な返事に軽い目礼をし、ハミルは一度研究所に戻ってパイプ椅子を三脚持ってきた。


「あれ、ノインさんは?」


 交差点に戻ると、そこにはユリアスが呆然と立ち尽くしているだけで、ノインの姿が無かった。


「あぁ、弟なら一度船に戻りましたよ。ここまで長旅だったみたいで、星が出るまで仮眠を取りたいと」

「確かに宇宙船の操縦は気を遣いますからね。それにまた地球からエリアノースに戻ることも考えると、少し休んでおく方が吉ですね」


 自分が他の星に飛び立つときの、あの操縦席に座った瞬間の感覚。それを脳内で思い出しながら、ハミルは星が見やすい場所にパイプ椅子を設置した。


「座り心地はあまりよく無いですけど、どうぞ」

「いやいや、逆に風情があっていいですよ。パイプ椅子と荒廃した大地、そこから見上げる数多の星々。何だか秘境の絶景を見に来たみたいで、とてもわくわくします」


 子供のように嬉々とした感情を声音に乗せ、ユリアスはパイプ椅子に腰かけた。


「それにしても、今日は雲が少なくて良かった。これなら思う存分星を見れます」

「星はいつも見れるとは限らないのかい?」

「えぇ、例えばほら、今さっきまで丸く見えていた月が、今じゃ少し欠けているように見えるでしょう。アレは雲のせいなんですよ。雲は地球にいる人々から月や星を隠してしまう障害物になり得るんです」

「……なるほど、人間社会と似ていますね。名誉や地位、権力や財力を持った星々と、それを羨ましそうに下層から眺める大衆。そしてそんな大衆の目から、あらゆる事物を隠蔽しようとする雲。雲が星を隠す時は、何か不祥事が起きたときなのかもしれない」


 先ほどまでの楽しさや喜びの様子から一変し、ユリアスは物憂げな調子で語った。ノインの話を聞いた今でこそ、恐らくこれは闇に染まった事務所やらテレビ局やらへの当てつけだったのだろうと推測できるが、当時のハミルはユリアスの心から悲しみの感情を引き出したくなかったので、何とかその場を和ませようと会話を繋いだ。


「確かに。言われて見ればそんな気がしてきました。何故かユリアスさんの言葉には、人を惹きつけたり、人を動かしたりするような魅力が詰まってますね」

「ありがとうございます。これは私見ですが、人間として生まれた以上、他人を感動させることが出来る人生を送りたいものです。だから今の言葉、とても嬉しいです」


 その感謝の言葉ですら、ハミルの心に染み入った。名が売れているにもかかわらず傲慢さや横暴さなど微塵も感じさせず、むしろ相手の心を包み込むような慈愛や敬慕の意を感じ取った。ここで気を緩めてしまったら、涙が流れてしまいそうになったハミルは、それを誤魔化すために空を見上げた。すると微かに光る一番星を見つけた。


「あ、そろそろ星の出社時刻かもしれません」

「さぞ満足のいく仕事をしてくれるんでしょうね?」

「もちろん、きっといい仕事をしてくれますよ」


 二人が会話を止めると、ぽつぽつと、次第に、微光が夜空を彩った。時折雲に飲まれて暗闇が多くなったり、はたまた雲が晴れて星が砂金のように輝いたりと、二人の視界に広がる夜空は、まるで動く絵画であった。


「はは、口開いてますよ」

「おっと、これは失礼。予想を上回る美しさに見惚れてしまいました」

「今じゃ人間の大半があそこに住んでるって考えると、感慨深いですよね」


 短い会話を挟むと、二人はすぐに視線を空に戻した。すると先ほどまで雲に隠れていた月の全容が現れ、暗闇に調和する大きく優しい光が辺りを包み込んだ。


「遠いからこそ見える景色があるんだな……」

「ですね。船に乗って空に出ても、こんなに綺麗な風景を見ることは出来ませんからね。遠方で見るからこそ、空は美しいです」

「憧れている方が美しく見えることはありますよね。でも実際手にしてみると、急にくすんで見えてしまう。人間とは欲深い生き物ですよね」

「……」

「あ、すみません。くだらないことを長々と口にしてしまって。もうこれは癖みたいなものでしてね。大目に見てください」


 返答が無かったのを気にしたユリアスは、手慣れた様子でそう付け加えた。どうやらこういった状況によく直面するようで、彼は至って冷静であった。


「いえ、気にしないでください。ただ、その、どこまで聞いていいのか気になってしまって」

「ハハ、そっちでしたか。このパターンは初めてですよ」

「そう言う仕事をしているもので、つい気になってしまうんですよね」

「互いに染みついた癖という事ですね」

「まったく、困った癖がついたものですよ」


 二人は視線を合わせると、ともに微笑を浮かべた。


「それで、何か悩み事でもあるんですか?」


 目を合わせたまま、ハミルはカウンセラーのように柔らかな口調でそう聞いた。


「……気にしていることはただ一つ。弟のことです」

「ノインさんのことですか?」

「えぇ、もうそろそろ自分の人生を送って欲しいんです。あいつは俺に振り回されてばかりなので。今回だってそうです、俺の命が残り僅かだと知って、あいつは俺をここに連れて来たんでしょう?」

「……ご存じだったのですか?」

「それは勿論。今日一日、あいつの態度を見てればすぐに分かりましたよ。今日が最期なんだって」

「……怖くないんですか?」

「死ぬことかい? 今更怖くないさ。助けられる人間を助けられない方が、俺は怖いと思いますね。だから弟には死んでほしくない。自分を殺してほしくない。あいつにはあいつが行く道があるんです。俺に気を遣っていろんなものを削り落とさないで欲しいんです」


 この時ユリアスは、弟のノインはもちろんのこと、かつて自分のマネージャーをしてくれた彼のことを思い出しながら、一滴の涙を枯れた地面にこぼした。


「ユリアスさんも他人のことを考えて生きてきたんですね。でもだからこそ、他人のことを考えて生きる嬉しさは誰よりも知ってるんじゃないですか?」

「……そうか。他人のために生きるという事が、自分の生きる道である可能性もあるのか。最期の最期で、俺は少し自己中心的になってしまったのかもしれない」

「他人のことを大事に思うユリアスさんのことを、大事に思っているノインさんを信じてあげてください。彼ならきっと、大丈夫だと俺は思いますよ」

「そうですね。昔からそうだったのかもしれない。他人のことを考えてはいるけれど、他人のことを信用したことは無い。そんなんじゃ真に人を救うことは出来ないですよね」

「それは違います。あなたは何人もの人を救っていますよ。あなたが存在するだけで、あなたの言葉一言で、救われる人はいます。ただ、あなたからの信頼で救われる人もいると言うことです。幸せの感じ方は人それぞれですから」

「なるほど、俺の信頼で。ですか……。今更できるかどうかは分かりません。でも俺は信じてみます。弟のことを。それとハミルさん、あなたのことも信じてみます」

「え、俺のことですか?」

「はい、人に対する新しい見方を色々教えてくれましたから。そんなあなたを信じてみたいと思ったんです。もしあいつが、ノインが道を見失うことがあったら、俺と一緒にあいつを信頼してやってください。これが最後の、俺の願いです」


 晴れ晴れとした笑みから発せられたその言葉は、ハミルの心を幸せで満たした。その感動の余り、ハミルは咄嗟に言葉が出ず、何度も頷いて応えた。願いを承諾してくれたハミルを見て、ユリアスはまたニコリと笑い、「天体観望を続けましょうか」と言った。


 ――星空を眺め、あの日の記憶を丁寧に掘り返し、そして話を終えたハミルはノインの方を見た。彼も星空を眺めていた。その瞳は潤んでいたが、それは悲しみのためでは無く、兄の最後の願いを聞き届けられた喜びの涙であった。


「兄は、最期まで他社の平穏を願っていたんですね」

「はい、本当はノインさんが道に迷ったときにこの話をしようと思っていたのですが、迷わず道を選んだあなたを見て、そんなノインさんのことをユリアスさんはいつも応援している。という事を伝えたくなってしまいまして」

「ありがとうございます。正直悩みに悩んだ結果でしたし、今でも悩んでいました。ですが、兄の最後の願いを聞いて気付きました。僕は僕で良いんだって」

「きっとユリアスさんは、今でも俺たちのことを見ていてくれてますよ」


 そうして二人が星空に視線を戻すと、一等煌く流れ星が星々の合間を縫うように滑って行った。まるで二人の会話にユリアスが呼応したように見え、ハミルとノインは返事をするように微笑みを返した。

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