第33話 かつての星
今日は久しぶりにノインが訪ねてくる予定となっていた。あの日見れなかった星空を是非見たい。と言う連絡が数日前にあったのだ。なのでハミルは大喜多に助言を求め、雲が少ない日を算出してもらい、今日と言う日を選んだのであった。
地球で言う日中の時間には仕事があるようで、ノインが地球に降り立ったのは夕暮れ時であった。本当に星空だけを見に来た。と言ったら人聞きは悪いかもしれないが、忙しいものは仕方がない。交差点付近に宇宙船を止めたノインは、暗くなり始めている空に一瞥を投げ、ゆったりと歩み、研究所にハミルを呼びに行った。
「あ、どうも。お待たせしてすみません」
彼がそう言って挨拶したのは、研究所に繋がる路地に入る前であった。と言うのも、ハミルもこの日が待ち遠しく、そろそろ夜になるだろうと言う頃合いを見計らって研究所から出て来ていたのであった。
「いえ、楽しみだったものですから。つい」
「そうだったんですね。てっきり僕に対しての冷やかしかと思いましたよ」
「ハハハハ、お兄さん仕込みのジョークですか」
「ハハ、まぁ、そんなところですかね。兄が見守ってくれているから頑張れています」
ノインはニヒルな笑みを浮かべてそう言うと、踵を返した。
「それじゃ、早速交差点に向かいましょうか」
ハミルに背中を向けてそう言うと、ノインは再び歩き始めた。ハミルは黙ってその背中に付いて行き、二人はすぐに交差点に出た。
「ここで待っていてください。今度は僕が椅子を持ってきます」
交差点の真ん中で待機しているようハミルに告げると、ノインは自分の宇宙船に戻って折り畳み椅子を二つ持ってきた。それを星空の下に広げると、二人は各々椅子に腰かけて満天の星空を見上げた。
「かつて地球でしか人類が生きられなかった時代、死んだ人は星になるとか何とか言われていたんでしたっけ?」
ノインはそう聞きながらハミルに缶コーヒーを差し出した。それは以前兄弟が地球に訪れた際にハミルが出したコーヒーと同じメーカーのもので、それと同時にユリアスが好んでいたメーカーでもあった。
「そんな話もありますね。定かでは無いですけど」
缶コーヒーを受け取りながらそう答えると、二人は視線を合わせて微笑した。
「噂に踊らされてばかりですね。人間と言う生き物は」
折り畳み椅子のポケットに缶コーヒーを入れ、背もたれに身体を預けながらノインはそう言った。
「ですね。悪い噂から良い噂まで、世の流れがある限りそれに乗せられてしまうのが性ですね」
「まぁ、噂を聞いて地球を訪れた僕がとやかく言うのも変な話ですけどね」
「今回は良い噂を掴んだってことにしておいてください」
ノインの自虐ネタに小粋なジョークを返すと、二人は暫し静寂を感じながら缶コーヒーを二口三口飲んだ。
「記者会見見ましたよ。うちの技師に何とか回線ジャックをしてもらって、不正でですけど」
「そうですか。じゃあ僕のこれからも御存じなんですね?」
「えぇ、これからは文字を生業に?」
「そのつもりです。兄のように誰かの心を自分が発する声で動かすのは出来そうにないので、それならば僕が紡ぐ文字で誰かの心を動かせたらなと思いまして」
「素晴らしい考えだと思います。言葉も文字、俺には到底うまく扱えない代物ですから」
「そんなこと無いですよ。ハミルさんの言い回しは、少し兄に似ています」
「ハハ、そうですかね。でもスターに似ていると言われるのはとても嬉しいです」
「その呼び方をされて兄も喜んでいると思いますよ」
「俺だけじゃなく、彼の考え方を尊重していた人たちはみんなこう思ってますよ。彼はスターだったって」
「……だった。ですね」
「あ、すみません、気が遣えなくて」
「いえ、良いんです。事実ですから。……それで、事件のことはどこまでご存じで?」
「交通事故に遭った。という事しか知りません。あの時は俺自身学校が忙しかったのもありますし、それになぜか不自然に事件の真相が隠されていた記憶があります」
「鋭いですね、まさにその通りですよ。アレは兄の不注意で起きた事故なんかじゃなかったんです」
「確か犯人はすぐに捕まりましたよね?」
「はい、それのせいで事件は事故として処理されたんです。警察も事を大きくしたくないが為に、若者一人の命を切り捨てたんです」
「……その、差し支えなければ、詳しく聞かせてもらえませんか? きっとノインさんはあの日俺とユリアスさんがなにを話していたのか聞きに来たのかもしれないですけど、事件の真相を知ることによってあの日彼が話していた言葉の重みが変わってくるような気がするんです」
「良いですよ。その代わり、僕の目的はしっかり果たしてくださいね?」
「はい、勿論お話します。そして、二人でユリアスさんの真意に近付きましょう」
ハミルは星空から視線を逸らし、ノインの横顔を見て力強くそう言った。その気配を察知したノインは、同じく一度星空から視線を外してハミルの方を見ると、ゆっくりと頷いた。
――今から一年半前。当時二十五歳という俳優生活で一番脂が乗り始める大事な時期にユリアスは例の事件に巻き込まれた。その時は丁度映画の初主演を終え、次いで新作ドラマの主役に抜擢された頃であった。
彼は幼い時分から芸能界に属していた。その活動を支えていたのは間違いなく、あの綺麗に整った顔立ちと、天性の才を感じさせる演技力の二つであろう。デビューした当初は顔だけだなどと言われていたものの、いざドラマが始まって彼の演技が放送されると、世評はひっくり返った。彼は一躍、未来を期待される大型新人リストに名を連ねたのであった。彼はそんな絶好のチャンスを見逃さず、小さな体に勇気の帆を広げ、順風満帆な俳優生活を送り始める一方、様々な人間模様を知っていくこととなった。
彼が初めて不調和を感じたのは、初めてのドラマ出演が終った直後のことであった。ユリアスのもとには各所各局から続々とオファーが届いた。それこそドラマであった、映画であったり、バラエティのオファーもあった。しかし当時の彼はまだ小学生であった。なので仕事という概念について何も理解が及んでおらず、選ぶ基準は「楽しいか、楽しく無いか」であった。加えてその日の彼の気分も関与してしまい、なかなか彼の口からイエスが出ることは無かった。そんなユリアスに対し、事務所や局は媚びへつらった。学校に迎えの車をよこしたり、高級な果物や菓子の郵送が届いたり、何か成功するたびに褒め倒したり。そんな大人たちの陽気に見える陰湿な駆け引きにうんざりし始めたユリアスは、とうとう心折れて連続ドラマに出演したり、バラエティ番組に出演した。だが結果として数字が取れていなければ、全て彼のせいにされるのであった。彼は幼いながらにそれを疑問に思い、活動休止を宣言した。
それから数年後。高校生になった彼のもとに事務所の下っ端が現れた。男は上下黒いスーツで整えていたが、その華奢な体躯のせいで逆にみすぼらしく見えた。そんな綺麗なスーツとは反し、頭髪や顔面の皮膚には時間が無いことを訴えているかのようなニキビとくまが見受けられた。加えて男は間が悪く、丁度ユリアスが友人と下校しようという時に、正門で話しかけたのであった。
「あ、ユリアスさん……。あの……」
そう言いながら門柱の陰からひょこりと顔を出し、一度ユリアスの顔を見た後に、ユリアスの両端にいる友人二人の表情をチラチラと伺った。その様子を見ていたユリアスは、二人にこの場から去って欲しいのだな。と察し、あたかも親戚が突然訪れた体を装って友人二人と別れた。
車で事情を話すと言われたユリアスは、男に続いて白い乗用車に乗った。男はまるでカンペを読むように、突然訪問してしまった詫びを申し上げ、続いて何故訪れたのかを述べ始めた。要約すると、連続ドラマの準レギュラーのオーディションがあるので受けてみないか。という事であった。これは遠回しに、戻って来いと言われているのだな。と思ったユリアスは、受けるだけ受けます。とだけ伝えてさっさと車を降りた。
それからオーディションまでの短い期間、痩せっぽちの男が何度かユリアスを訪ねて来た。そのすべてが連絡事項であり、男からは生気や意志が感じられなかった。そんな彼に連れられ、ユリアスはオーディション会場に向かうのであった。
……しっかりと予習をして臨んだ久しぶりのオーディションは悲惨なものであった。確かに天性の演技力は光っていたものの、自己アピールは曖昧で、台詞も飛んでしまった。しかし結果は、合格であった。
何故自分が合格したのだろうか。当然ユリアスはそう考えた。しかし家に籠って思案を巡らせども、証拠が無ければ納得は出来ない。なので彼は真相を確かめるため、数年振りに事務所を訪れた。
内装は数年前と何ら変わっておらず、エントランスで受付を済ませたユリアスは社長室へ向かうべくエレベーターに乗った。そして最上階に到着するとエレベーターから下り、最上階唯一の部屋である社長室の前まで来た。
「はい、何とかディレクターさんに頼み込んで、合格にしてもらいました」
「よくやった。少し痛い出費もあったが、彼が帰ってくればウチも持ち直せるはずだ」
「……でも良かったんでしょうか。あんな出来レース」
「うるさい! これで良いんだよ。ウチも番組サイドも、ウィンウィンじゃ無いか。彼がテレビに帰って来たとなれば、視聴率も伸び、ウチにも金が入る。何がいけないんだ?」
「……はい、その通りです」
ドアの向こうでは、社長と誰かが内密の話をしている最中であった。そして恐らくこの話は、前回自分が受けたオーディションのことに違いない。ユリアスはそう確信した。彼は社長室のドアを叩くことは控え、エレベーターに乗ってエントランスに戻った。
出来レースで勝ち取った連続ドラマの準レギュラーは大成功を収めた。勿論演技面でもそうなのだが、真の成功を収めたのは会社と事務所であった。例え理解していたとて、彼も社会の歯車の一部に過ぎないのであった。
その後軌道に乗ったユリアスは、高校に通いながら適度に仕事をこなしていった。そして卒業と同時に芸能界への完全復帰を果たし、以前ユリアスの学校にまで訪れて来た下っ端の痩せ男が彼のマネージャーとなった。
彼はとても勤勉であった。それこそ自分の体調を顧みないほどに。ユリアスはそんな彼のことをとても気に掛けていたが、それ以上に彼がユリアスのことを気に掛けるので、なぜかいつもユリアスが言い淀んでしまった。
「顔が出るのはあなたなんです。私のことは心配しないでください」
決まって彼はこう言うのであった。
そんな彼は、過労死した。その訃報を聞いたユリアスは、何も考えられなくなり、二十数年生きて来た人生の中で一番自分のことを情けないと感じた。何故彼を助けられなかったのだろうか。何故彼に声をかけてあげられなかったのだろうか。何故気付いてあげられなかったのだろうか。数日間茫然自失としていたユリアスは、ふと今までの人生を振り返り、そして決心した。名前も売れている自分こそが、働く若者たちの代弁者となり、この労働環境に変化をもたらそうと。
ユリアスはそれから二年かけ、着実に名を売って行った。そして人気絶頂と言う二十五歳の年。彼は今まで自分が見てきた社会の闇を動画サイトにて暴露した。加えて動画が削除される可能性を考慮し、直筆の手紙とデジタルのメモを残した。ユリアスの動画、手紙、メモ。それら全てが若者たちに絶望を与え、それとともにどう生きて行けばいいのかを示した。しかしその数日後、天から伸びる蜘蛛の糸を断ち切るかの如く、ユリアスという若き星は作為的な事故に巻き込まれ、植物人間となった。事務所の人間たちはここまでの重症を患うとは予想だにしなかったので、報道のタイミングを遅らせた。その間に発見されたのが、ユリアスの弟であるノインであった。弟の存在を知った事務所は、すぐさまユリアスの症状を発表した。軽い事故であり、すぐにでも復帰できる。と。
報道を聞いた民衆はホッと胸を撫で下ろした。しかしいざ復帰したユリアスは、何も語らなかった。そんな言葉を失ったユリアスを、反骨精神を失ったユリアスを見て、若者たちは光が闇に飲み込まれる一部始終を見せられたような気がした。そんな声が町中で囁かれようとも、ユリアスが語ることは無かった。なぜなら彼はユリアスでは無く、ノインだったからである。こうしてノインは兄を失い、自分を失い、代替えの歯車として社会にねじ込まれた。
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