第32話 地球散策

 数秒の沈黙があった後、パイプ椅子に座っていたユートが。ではなく、マインドシェアを行ってユートの身体を借りているユリアスが目を覚ました。彼は当惑した様子で辺りを見回し、見慣れた顔のノインを見た後、見慣れない顔のハミルを見た。


「……ぁ。あ、あ、ゴホン」


 夢見心地と言ったようで、ユリアスは唖然としながら借りているユートの手足を眺めたり、再びノインやハミルの顔を見たり、周りに設置されている機械を眺めたりと、終始落ち着いておらず、一分ほど現実と虚構の狭間を彷徨っていた。


「意識はハッキリしてきましたか?」


 このまま放っておいても事が進まず、何より彼が不憫なので、ハミルは静かにかつしっかりと聞き取れる声でそう聞いた。


「あ、あぁ。はい、何とか……」


 本当に自分から声が発せられているのか確信が無かったようで、ユリアスは声の調子を整えた後に返事をした。


「兄さん、僕が誰だか分かる?」

「あぁ、それはしっかり分かってる。ノインだろ。……ところでこれは夢なのか?」


 まずは現在の状況を理解したいユリアスは、ハミルから目を離してノインに状況説明を求めた。対してノインはちらりとハミルを見た。どうやら自分が説明していいのかどうかをアイコンタクトで訴えかけているようであった。ハミルは微笑んだのちに小さく頷き、ノインの口から説明してもらうことにした。もしも補足しなけれいけない時が来たのなら、その時は自分が説明すればいい。と考え、ハミルは隠し部屋の出入り口付近まで退き、二人だけの空間を作った。


「じゃあ、端的に説明するよ」


 ノインはハミルの気遣いに感謝しながら、ゆっくりとそして丁寧にここまでの経緯を話し始めた。勿論、ユリアスの寿命が残り僅か。と言う点を除いて。

 ……彼は自分が長い眠りに就いていた事実と、マインドシェアの噂を聞いたノインが半信半疑のまま勝手に地球に訪れ、今こうしていることが簡単に伝えられた。ノインは例の事件を人前で話したくないようで、最初の部分はほとんど端折られていた。それでも地球に来てこうしてマインドシェアをしているという事実の説明さえできれば、合格点ではあった。


「マインドシェアについては俺が話しますよ」


 説明が終った頃合いを見計らい、ハミルはノインとチェンジしてこれまた簡単にマインドシェアの説明をした。もうすでに何度も実施されていることや、失敗も無いこと、何より今回は他の星に行くわけでは無いので脅威が全く無いことなど。とにかく安全であることを伝えた。


「そ、そうなんですね……。ならひとまず安心です」


 まだ完全に納得した様子では無かったが、ハミルはユリアスに手を差し伸べて立ち上がらせ、隣に位置しているカプセルの中にいるユリアスの本体を見せた。


「あなたの身体は今、このカプセルの中でコールドスリープ状態になっています。現在は俺の相棒、ユートの身体を借りていると言うことになります。戻る方法としては、あなたが眠りに就くことだったり、気絶するなど、何らかの方法で意識が途切れたら、こっちの本体に精神が戻ります」

「な、なるほど……」


 一度に受け止め切れる情報量では無いので、彼が混乱するのは必然の出来事であった。なのでハミルは難しい説明を止め、ユリアスが落ち着きを取り戻すのを待った。


「歩けそう、兄さん?」

「あぁ、なんとか。にしてもすごい技術だな。精神を他の身体に移すなんて……。これがあれば影武者なんか容易に作れるかもな」

「……だね。その身体に慣れたら外に行こう。兄さんが見たがっていた地球の景色を一杯見に行こう」

「そうだな。病院で寝っぱなしじゃ感性が腐っちまう」


 これがもし夢だっとしても、ユリアスは何一つ不満も文句も言わないような、そんな雰囲気がその笑顔や態度、声の調子から感じ取れた。再び弟と話せたこと、念願の地球に来れたこと、またこうして地面を歩けているという実感を得られていること。それら全ての事柄がユリアスの精神を養い、自然と歓喜の感情が湧き出ているような印象をハミルに与えた。一方ノインはマインドシェアによって再び兄と会話を交えることに成功したこと以外、どこか悲哀に満ちているように見えた。もしかしたらこれが最後かもしれない。その最後が他人の身体であり、本当の兄の声でもない。そんな無邪気に振舞う兄を見て、決定的な事実を隠してしまっている自分への罪悪感も関係しているだろう。ハミルは対照的な二人の後をゆっくりと歩き、隠し部屋を出た。


「外に出ても大丈夫ですか?」


 応接室に戻って来ると、ノインは振り返ってハミルにそう聞いた。


「えぇ、良いですよ。念のため俺も付いて行きます」

「それは心強い。よろしくお願いします」

「はい、出来る限り邪魔はしませんので」

「ありがとうございます」


 二人が会話をしている間。ユリアスは応接室のラックに置いてある様々な部品や機械に目をやっていた。そして意味も無くソファに腰を下ろし、すぐに立ち上がってみたりと、自分の意志で身体が動くことの喜びを再度確認しているようであった。


「兄さん、外に出る許可をもらったから、早速行こう」

「あぁ、確か地球では明るい時間が限られているんだよな」

「えぇ、日没前に色々と見て回りたいものですね」


 早速口を出してしまったと思い、ハミルはすぐに口を塞いでノインの方を見た。するとノインは大丈夫ですよ。と言わんばかりに笑顔で頷いていた。

 ハミルは三人分のガスマスクを両手で持ち、研究所の出入り口を開けに行った。そして二人が外に出るのを待った後にドアをしっかりと閉め、二人とは少し距離を取って歩き始めた。

 普段外を歩く時、依頼の為に急いでいたり、依頼主に仕事の説明をしたりされたり、またはゆっくり出歩くことがあるとしても夜の散歩程度なので、ハミルも研究所付近を静かに歩くのは初めてのことであった。加えて楽しそうに歩く二人を見ていると、ハミル自身も地球観光をしに来ているような気がしたし、何より地球と言う星は、人間がいるからこそさらに美しく見える星なのかもしれないとも思った。

 兄弟は時折立ち止まった。コンクリートの隙間からぼうぼうに生えている雑草の中に小さく可憐な花を見つけたり、路地裏から飛び出てくる兎や羊に驚いたり、かつて人間が残して行った建造物を眺めたりしていた。


「建造技術はそこまで変わっていないんだな」


 ビルを見上げるユリアスは、ポツリとこぼす様にそう言った。


「エリアノースも高い建物ばかりだね。もしかしたら技術者と言われる人はみんなエリアノースに集まっているのかも」

「それは確かにあり得る話だな。ノースとサウスとでは技術格差がありすぎる。なんで人間って生き物は、平等に生まれて平等に育ち、平等に死ぬことが許されないんだろうな……」

「なんでだろうね……。抗いすぎるのがいけないのかも」

「抗う。か。例えば?」

「まず、おおよその動物が死に抗っていると思う。これを前提として、病気とか、嫌な上司とか嫌な仕事とか、食べたくないものだったり、触れたくないものだったり。生きるためには何でもする他の動物と比べると、人間って死の他に常に何か別のものを嫌っている生き物だと思うんだ」

「確かにそうだな……。俺も嫌いな奴がいる番組には出演しなかった」


 ユリアスが冗談半分にそう言うと、今まで真剣に話し合っていた兄弟は、その当時を思い出すように笑みを浮かべた。


「……でも、何かを嫌うってことは、それは常に何かを考えているってことなんじゃ無いかって俺は思うんだ。いろんな人間やいろんな物が世界に溢れていて、それが脳に集約される。となると必然的に自分が得ている情報とマッチしない人や物に対しては嫌悪感が生まれると思うんだ。そう、だから思考が無ければ嫌悪は生まれないんじゃないかって。例えばそうだ、ロボットは人間を嫌わない」


 しばし笑みを浮かべた後、ユリアスは再び真剣な表情でそう言った。


「うん、思考があるから犯罪も起きる。自分を正当化したいがために、世界から嫌悪を失くしたいがために、自分なりに世界を改変しようとしてしまうんだ……」


 ノインは立ち止まり、先に歩く兄の背中を見つめながらそう言った。それがユリアスに聞こえていたかどうかは定かでは無かったが、


「俺も、そうだったのかもな……」


 と言う兄の声がノインには聞こえて来た気がした。

 兄弟の勘が働いたのか、会話はそこで途絶え、その後会話がぶり返されることは無かった。三人は荒廃した東京を巡り歩き、時折気になる建物を見つけるとユリアスが立ち止まり、それに合わせてノインとハミルも立ち止まった。そして大体ユリアスが、「この建物は?」と聞くので、「これはかつて大勢の人が訪れたショッピングモールだよ」とノインが逐一説明するのであった。ハミルもようやく地球に関して詳しくなってきたところだというのに、初めて地球を訪れた自分とほとんど同じ年の青年が饒舌に説明している姿を見ていると、自分もまだまだ勉強不足だな。と感じた。それと同時に、兄のために勉強してきたのかと考えると、とても健気な弟なのだな。と、改めてノインの人間性に感心するのであった。

 ……研究所付近をゆっくり回っていると、いつの間にかタイムリミットが迫っていた。はじめからそこまで多くの場所を回れるとは思っていなかったが、想定外に日が傾くのが早かった。


「もう日が……。このままいけば天然の夜ってやつが見れるのかい?」


 これまで会話をする時はノインの方を見ていたユリアスが、初めてハミルのことを見てそう言った。これは明らかに自分に対しての質問だな。と思ったハミルは少し二人に近付いた。


「えぇ、もう少しで夜が来ます。いつの間にか辺りは真っ暗闇になりますけど、それのお陰で月明りや星が綺麗なんです」

「月や星か。今や人間が住む場所となってしまったが、それでも美しく見えるものなのかい?」

「俺も未だに考えます。地球から見る月や星って言うのは、なんであんなに綺麗なんだろうかって」

「なるほど、それは興味が湧きました。見れるものなら見たいですね」

「それなら俺がいつも星を見る交差点のど真ん中に行きましょう。あそこなら何も邪魔なく空を見れます」


 ハミルの返答を受け、ユリアスはすぐさま返事をしようとするのだが、その口を噤んでふとノインの方を見た。


「どうしたの?」

「いや、時間があるかどうか気になって。俺のも、お前のも」


 ユリアスがそう聞くと、ノインは少し考え込むような素振りを見せた。


「……いいよ。見れるものは全部見て帰ろう」

「ありがとう」


 兄はそう言うと、そっと右手を差し出した。弟は一瞬何をしているのか分からなかったが、すぐに自分も右手を差し出して、二人は握手を交わした。


「よし、じゃあ行くか」

「うん」


 この瞬間が永遠に残るとするならば、それは握手を交わしている当人たちの視界では無く、少し離れた場所から見ていたハミルの視界にであろう。夕暮れの中淀みなく見合う二つの顔には、何一つ迷いは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る