第六章 星の願いを

第31話 流れ星

 地球では、太陽が地平に沈んだのちに夜が訪れる。頭上に清々しく広がっていた青空と、それを彩っていた白雲は陽光と共に姿を潜め、代わりに黒いキャンバスが眩く煌く星を伴って母なる大地を包み込む。ハミルは時おりその光景が恋しくなり、夜道を歩いて交差点に出ることがあった。


「宇宙は遠いな。そこに浮かぶ星も……。ま、一度宇宙に出ちゃえば、この綺麗な星もただのゴミクズなのか……」


 意味も無く夜空を見上げているのが莫迦らしくなったのか、はたまたどこかで感じているやも知れぬ郷愁の念が莫迦らしくなったのか。ハミルは自嘲の笑みを零した。

 ――するとその瞬間、夜空を右上から左下へと裂く一筋の閃光が走った。ハミルはそれを見て、流れ星だ。と思った。それと同時に、地球に住んでいた人々は流れる星に願いを込める。という風習があったことも思い出した。その情報を得たのが本だったのか衛星テレビだったのかは思い出せなかったが、確かに頭の片隅で記憶していた。


「人も星も、いつかは落ちるものなのかもな……」


 夜も更け、肌寒い風が吹き始めていた。たった今気が付いたことなのだが、もしかしたらもっと前からこの風は吹いていたのかもしれない。そう思いたくなるほど、ハミルの心身は冷えていた。


 ……それから数日後のことであった。エリアノースでかつて人気を博していた若手俳優、ユリアスが研究所に訪れたのは。


「通しても良いですか? 確かに彼本人だと思うんです。どちらかは……」


 ハミルの言葉に矛盾が生じてしまうのには理由があった。それは全く同じ顔の人間がドアの向こうに二人いたからであった。片方は車いすに座って俯いており、もう片方は車いすの後ろに立って監視カメラを凝視していた。


「好きにせい。もうわしはお前の仕事に細かい口出しはせん。ただし、ユートに危害が加わるような依頼だったら相談するんじゃ」


 コーヒーを飲み干した大喜多は、無表情のままそう言うと、カップを持って珍しく自室に戻って行った。その言葉にはしっかりと信頼の念が籠っており、ハミルは嫌悪を感じるよりも、むしろ歓喜を感じながらその背中を見送った。


「ありがとうございます」


 素直になれない大喜多を見習い、ハミルも小さな声で感謝を伝えると、研究所のドアを開けた。


「どうぞ、お待たせしてすみません」

「いえ、こちらこそ。急に押し入ってしまってすみません」

「良いんですよ。ここは駆け込み寺みたいな面もありますから」


 ハミルは微笑みながら相手が和むような言葉を選び、来客用の大きなソファに案内した。


「それで、えっと……。どこから話を伺えば良いのやら」


 先ほどまで大喜多が座っていた一人掛けソファに腰かけ、改めて二人の顔を交互に見ながらハミルはそう言った。


「まずは自己紹介からします。僕はノイン。彼の、ユリアスの弟です」

「じゃあこっちの彼が本物……。でも確か、雑誌ではまだ活動してるって聞いたんですけど」

「えぇ、それは僕です。兄ほど饒舌でも無ければ、カリスマ性もありません。だから写真だけに収まっています」


 悲しそうに微笑むと、ノインはちらりとユリアスの横顔を見た。


「その、確かユリアスさんは、数年前に事故に巻き込まれましたよね?」

「はい、それ以降は兄の治療費や入院費を稼ぐために僕が兄のフリをしています。幸い顔だけはそっくりだったので。ただ、それももうすぐ終わりかなと」

「終わりと言いますと?」

「兄の命は残り僅かなんです」


 その言葉には一瞬で場を凍らせる力がこもっていた。現にハミルは口を噤み、どんな言葉を次げば良いのかすぐに判断しかねた。


「すみません。あまり口が達者では無いので、こうやってストレートに言う他ないんです」

「いえ、俺が聞き始めたことですから、気にしないでください。それでここには何か依頼をしに?」

「はい。兄が死ぬ前に、地球の風景を見せてあげたいなと思いまして」

「ここには何も無いですよ。あるのは人間が争った跡だけです」

「それで良いんです。人間は地球にいたときも、宇宙に出た後でも、何も変わっちゃいないってことを教えてあげたいんです」

「それは……。残酷過ぎやしませんか?」

「確かにそうですね。でも、どうやったって人間は変わらないってことを知れば、兄も諦めがつくんじゃないかなと思って」

「あなたの身に。あるいはあの事件の日に。何かあったんですか……?」


 まるで腫れ物に触れるように、ハミルは静かな口調でそう聞いた。


「僕はただ逃げているだけです。今も昔も……」

「じゃあユリアスさん本人に何かが?」

「はい、兄は戦いすぎるんです。好戦的と言うよりかは、巻き込まれてしまうタイプと言うか……」


 ノインはそう言いながらじんわりと笑みを浮かべた。きっと昔の兄を、元気に活動をしていたころのユリアスを思い出しているのだろう。それは笑みの後に頬を伝う涙でよく分かった。


「意識はあるんですか?」


 一度ノインから視線を外し、ユリアスの俯いた綺麗な顔を眺めながらハミルはそう聞いた。


「ほとんど無いに等しいです。でも時折目を開けることがあります。僕の幻覚かも知れませんが」

「なるほど。それでここに来たというわけですか」

「はい、病院で噂を耳にしたんです。正直今でも半信半疑ですが、最悪マインドシェアと言うものが無くとも、地球のこの自然の酸素を吸わせてあげるだけでも兄は喜んでくれるだろうなと思いまして」

「……確かに自然の酸素はありますけど、場所によってはマスクが必要です」

「そうですね。僕も死ぬ覚悟で来た割には、しっかりとマスクを着けてここを訪れてしまいましたよ」


 ノインは笑いながらそう言うと、腰にぶら下げていたガスマスクを取り外してソファに置いた。


「誰でも苦しんで死ぬのは想像したくないものですよ」


 同調するようにそう言うと、ハミルも笑顔で応えた。

 しばらく話し続けていたことに気が付いたハミルは、一度席を立ってアイスコーヒーを淹れたカップを持って戻って来た。


「お気遣いありがとうございます」

「いえ、こちらこそ今更すみません。あまり味は濃くないですが、喉を潤すには十分かと」


 そう言ってコーヒーを差し出すと、ノインはすぐにそのカップを持って一口流し込んだ。それを見たハミルは相当喉が渇いていたのだろうな。と思いながら、自分も同じくらい渇いている喉をコーヒーで潤した。


「これ、ノースで売っているインスタントコーヒーですね?」


 味わう様にゆっくりと一口を飲み終えたノインは、カップをテーブルに置いた後にそう言った。まだコーヒーを口に含んでいたハミルは、驚きの表情を見せながらコクリと頷き、同様にカップを置いた。


「えぇ、よく分かりましたね。お飲みになっているのですか?」

「いえ、僕はそんなに飲まないのですが、兄が好きだったので妙に覚えていて」

「仲のいい兄弟ですね。好きなコーヒーの銘柄まで覚えているなんて。羨ましいです」

「あなたにも兄弟が?」

「ははっ。えぇ、いますよ。歳も離れているし、年に数回しか会わない兄が二人ね。何が好きなのかなんて微塵も知りはしないですよ」

「これだけの人が居れば、いろいろな兄弟関係があるのは当たり前ですよね。だからこそ、僕は少しだけあなたの兄弟関係を羨ましく思ったりもします。干渉されず、干渉せず。血は繋がっているのにどこかクールな関係。僕たちがもしそう言う関係を築いていたのなら、ここには来なかったのかもな。なんて」

「ないものねだりってやつですかね。でも俺は、昔ほど他人の兄弟関係を羨ましく思うことも無くなりました。あの家に生まれたからこそ、今じゃ良い仲間に囲まれていますから」

「お互い苦労してこの場にたどり着いたんですね」

「ははっ。えぇ、本当に」


 二人は会話の中で徐々に打ち解けていき、カップの中身が尽きるまで話し続けた。しかしそれには意味があり、なにもハミルとノインの境遇が多少なりとも似ていたからという事では無く、車いすの上でじっと死を待っている彼、ユリアスのマインドシェアを遅らせるためであった。


「……恐らくですが」


 最後の一口を飲み干したノインが、ふとそう話し始めた。


「兄は、地球の景色を見て、僕ともう一度話して、そして自分の現状を見て、生きることに悔いが無くなると思います。もしかしたらこの会話も全部聞いているかもしれません。だから、ここに来て僕は少し恐怖しています。今日が兄の命日になるのかもしれないと考えると」

「何も変わっちゃいない現実を見せ、諦めが付くようにしてあげたいとノインさんは言っていましたが、本当は今言ったことが本心なんですね?」

「はい、兄はそう言う人です。簡単に諦めるような人じゃない。だから、諦めを付けさせるのではなく、悔いが無くなれば、死を受け入れてくれるかなと」

「あなたは重荷無くお兄さんに旅立って欲しいんですね?」

「はい、僕はいつだって兄の重荷でしたから。最期くらいはと思いまして」

「分かりました。それじゃあそろそろ準備に取り掛かります」

「はい、お願いします」


 ハミルはソファから立ち上がり、空になったカップを二つ手に持ってシンクに向かった。そしてカップを置き終えると、作業台のハンマーを回転させてカプセルがある隠し部屋にノインとユリアスを案内した。


「ここで待っていてください」


 隠し部屋の電気を点け、一度部屋を出たハミルは自室に向かってユートを呼び出した。そして二人で隠し部屋に戻り、四人はカプセルの周りに集まった。


「それでは、マインドシェアを始めます。ユリアスさんをこの中に入れるので、少し手伝ってください」


 車いすに力なく座っているユリアスを、ハミルとノインの二人で持ち上げ、そしてゆっくりとカプセルの中に寝かせた。そしてその額にユートの右手が触れ、ユートはそのままパイプ椅子に腰を下ろした。ほとんど植物状態であるユリアスをコールドスリープ状態にするかどうか迷ったが、念のためスリープ状態にしてユートの身体にユリアスの魂が入るのを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る