第30話 人間と機械と共存
唐突に戻って来た意識がまず初めに捉えたのは、後頭部の痛みであった。視界は徐々に鮮明になっていくはずだったが、右を向いても左を向いても広がっているのは黒一色であった。ここはどこで、周りには何があるのだろうか。とにかくこのまま寝転がっていては何も分からないと思ったハミルは、立ち上がってみることにした。
数歩右に進んだり、左に進んだり、はたまた後ろに進んだりとしてみたが、壁に行き当たることは無かった。つまり独房のような狭い空間では無いのだな。と推測した。このまま壁に行き当たるまで歩いてもよかったが、もしかしたら今自分の置かれている場所は堀のようなもので囲まれている可能性もあったので、ハミルはその場に留まってじっくりと目を凝らした。
――その瞬間、凝らした瞳を焼き尽くさんばかりのライトが四方八方から浴びせられた。ハミルはすかさず目を伏せ、数歩後退した。すると何かに引っかかり、勢いよく倒れ込んで背中を打ち付けた。
瞼の裏にこびりついた閃光が消えたのを見計らい、ハミルは薄っすらと瞼を上げた。するとまず視界に飛び込んできたのは自分が足を引っかけたであろう半壊した機械であった。そして焦点が完全に合わさった瞬間、その壊れた機械がエミリーがハッキングして仲間にした機械だったことが分かった。
「役立たずはすぐに廃棄か……」
ハミルはそう呟いて立ち上がると、辺りを見回した。すると引っかかった機械の他にも、廃棄を待っている機械が複数散乱していた。その中でエミリーが倒れているのを発見したのは程無くのことであった。
「エミリー、大丈夫か?」
「……うぅん。ここは?」
身体を揺さぶりながら声をかけると、エミリーはすぐに目覚めた。そして辺りを見回しながらゆっくりと状況を飲み込もうとし始める。
「とりあえず早くここを出た方がいいと思う」
「そうね。壊れたロボットだらけだものね」
エミリーはハミルに同意すると、尚も状況を把握しようと周囲を確認しながら立ち上がった。
明るくなったことで視覚から得られる情報が増えたので、ハミルも辺りを見直した。現在自分たちは細長い部屋に立っており、正面の短い辺には窓がびっしり並んでいた。左右の長い辺には何もなく、のっぺりとした、汚い灰色の壁が二人を見下していた。背後を確認するために振り向くと、壁は数十メートル先に立っていた。しかしその壁にたどり着くことは不可能であった。なぜならハミルが立っている数歩先には、奈落の底へ繋がる傾斜が存在するからであった。恐らく向こう側の壁に到達するという事は、死を意味するだろう。と、傾斜の先にある暗闇を覗きながら考えた。続いて天井に目を向けると、クレーンがぶら下がっていることに気付いた。それを見たハミルはふと思った。廃棄を拒む機械でもいるのだろうか。と。
(早く出よう)
考え込んでいると、ユートの声が聞こえて来た。
(ユート、ここがどこか分かるか?)
(目で見たわけじゃない。けど、エレベーターには乗った)
(そうか、俺が気を失っている間はお前が宿主に……。いや、待てよ。そうなった場合、俺の精神は元の身体に戻るはずだよな?)
(分からない。だけど、こうなった)
(……気になるけど今考えることじゃないな。今はここを出ることを考えないと。それで、なんか聞き覚えのある音はあるか?)
(ここに来る前、ドアが開く音、聞こえた)
ドアの開く音か。ハミルはそんなことを考えながら、数十メートル先にある背後の壁、正面の窓が並んでいる壁を順に見た。恐らくこのどちらかでは無いな。と思い、ハミルの視線は左右の長い壁に移った。
「どうしたの、壁なんか見つめちゃって」
「いや、ドアが無いなんておかしいなと思って」
「確かにそうね、言われて見ると怪しいかも」
エミリーはそう言うと、床に転がっている壊れた機械たちを避けながら右側の壁に歩み寄った。ハミルも彼女に続いて行き、右側の壁に手を添えた。何の変哲もない壁がハミルの手を無反応に受け止めた。
「こっちには何も無さそうね」
壁をペタペタと触りまわっていたエミリーは、そう言うと右側の壁を離れて左側の壁に向かって行った。ハミルは彼女に付いて行くことを止め、引き続き右側の壁を調べることにした。
(ユート、他には何か聞こえなかったか? 例えば、ドアを開ける前に何かボタンを押してた。とか)
エミリーと離れたハミルは、壁を触りながらユートに話しかけた。
(……水?)
(水だと? 水滴とか、水たまりを踏んだ音とかか?)
(水が、落ちる音、かな)
(分かった。サンキュ)
ハミルはユートとの脳内会話を終えると、手では無く、耳を壁につけた。そして息を止めてなるべく周囲の音を遮断し、壁の向こう側で聞こえるだろう水滴の音に集中した。……耳を聴診器のように利用し、歩ける範囲内を調べ尽くしたハミルは、右の壁を離れて左の壁に向かった。たどり着くや否や、ハミルは水の音を聞け。とエミリーに伝え、二人がかりで左の壁を調べた。
「ハミル、ここ……」
耳を澄ませながら言っているせいか、エミリーの声は囁きに近いものとなっていた。音に集中していたハミルは何とかその声を聞き取り、エミリーの傍に駆け寄った。
「ここ、水滴の音が聞こえない?」
エミリーはそう言うと、数歩下がって場所を空けた。ハミルはその空いた場所に近寄って、壁に耳をつけた。……すると微かにだが、水の滴る音が聞こえて来た。
「ここだ。じゃあ近くにドアがあるはず……」
水の滴る音が聞こえた周辺を二人は丹念に調べた。しかしそれらしいものは見当たらず、二人は一度壁から離れた。
「うーん、困ったな。いつ廃棄作業が始まるか分からないし、早いところここを出たいんだけどな……」
「出来るかは分からないけど、これを使ってみるわ」
エミリーはそう言うと、左の尻ポケットからまた新たなデバイスを取り出した。それは円盤型でボタンが一つ付いているだけの簡素なデバイスで、エミリーはそれを出すと、先ほど耳を当てていた辺りにそれを合わせ、ボタンを押した。すると円盤は壁に食い込み、恐らくドリルだと思われるもので壁に小さな穴を空け、動作を止めた。
「……止まったぞ?」
「いいの。今はドリルで穴を空けて、近くの機器を全てハッキングしてるところなの」
「なるほど、凄い装置じゃないか」
「それがねぇ、壁越しじゃないと使えないし、全部ハッキングしちゃうから、時と場合によるのよね」
エミリーから機器の説明を聞いていると、先ほど設置した円盤型デバイスが外れた。そして次の瞬間、そのデバイスが付いていた壁の一部分が上へスライドし、人一人が通れるくらいの隙間が現れた。
「これか……!」
ハミルはその隙間を見ると、すぐにエミリーと目を合わせ、小さく頷いた。
「それじゃ、さっさとこんなところ出ましょ」
「あぁ、行こう」
二人は隠し扉を抜けて水が滴る地下道に踏み入った。直進してしばらくすると隠し扉が自動で閉まり、地下道は闇に包まれた。ハミルはポケットからペンライトを取り出して前方を照らすと、もう少し先に階段が見えた。二人は辺りに注意を払いながら階段を上がって行くと、相変わらず薄汚いが少し開けた場所に出た。白熱電球が所々で点灯しており、最低限の視界は確保できた。階段を上がった正面、部屋の中央にはエレベーターがあった。恐らくここが最下層だろう。ハミルは辺りの様子を見ながらそんなことを考えていた。エミリーはその間にエレベーター前まで進んでおり、ボタンを押してエレベーターを待っていた。
「もうさっきみたいなのはこりごりだ」
「そりゃ私だってそうよ」
エミリーはそう言うと、エレベーターの入り口から離れて到着を待った。ハミルはその他からの奇襲の線を潰すため、辺りの警戒に回った。
エレベーターの接近は、その大きな音ですぐに分かった。しかしその大きな音をたてているエレベーターにこれから自分たちが乗るのだと考えると多少の不安もよぎったが、そんなことを考えていたらいつまでもここから脱出できないので、ハミルはネガティブなことを考えるのは止め、エレベーター入り口横に身体を寄せた。その反対側では、エミリーがハッキングデバイスを構えてエレベーターの到着を待っていた。
ガタガタと音を立てながらも、エレベーターは最下層に到着した。ドアが左右に開いた瞬間、ハミルとエミリーは意を決してドアの前に飛び出した。幸い二人の脱走はまだバレておらず、エレベーターの中は空っぽだった。二人はアイコンタクトをして頷くと、エレベーターに乗って最上階のボタンを押した。
「このまま上手く行くと思うか?」
「さぁね。真っすぐ行けるとは思わないけど」
「だよな」
ハミルはそう言った切り黙り込み、階数表示をじっと眺めていた。何か考えがあるのかもしれないと思ったエミリーも、使うかもしれないデバイスの調整をし始めた。
その頃町の路地裏に身を潜めるバイスは、監視塔の頂上に鎮座している宇宙船が起動したのを目撃していた。しかし宇宙船が早々に飛び立つことは無く、何かを待っているかのようにぼんやりと明かりを灯しているだけであった。それを見たバイスは何かの役に立つかもしれないと思い、ハミルに一報を入れた。ハミルは淡々とそれに返事をし、早めに通話を切り上げた。
「バイスさん?」
「あぁ、屋上で宇宙船が起動したらしい」
「じゃあやっぱり、最上階には誰かいたのね」
「そう言うことになるな」
ハミルはそう言うと、再び階数表示を見た。あと数階で最上階と言うところではあったが、エレベーターが中々に鈍足だったので、ハミルは思わず貧乏ゆすりをしていた。
そうしてようやくエレベーターが最上階に到着すると、ハミルはドアが開き切る前に隙間を抜けて外に出た。最上階は他のフロアと違って少し狭かった。全方向に窓ガラスが設置されており、エレベーターを降りた正面には複数のモニターが設置されていた。その前には、モニタリング用の椅子と、それに座る男が一人いた。
「ようこそ、長々と監視させてもらいましたよ」
モニターの前に座っていた男が、椅子を回転させて振り向いた。
「あんたは……」
ハミルはその男を知っていた。彼は父の下で働く幹部の一人で、主に工場の経営を任されていた人物であった。
「わざわざ荒らしに来るという事は、この星をどこの会社が収めているか知っているということだね?」
男は肘掛に肘をつき、胸の前で手を組みながらそう言った。
「さぁな、そんなの知ったことじゃない。俺たちはただ、機械で星を占領してほしくないから抗議しに来たんだ。アイング星から機械を回収しろ」
「ふっ、何の話かと思ったら、アイング星のことですか。良いですよ、ここの機械が無かったらあの星がどうなってしまうのか、その眼で確かめてください。後日再発注をしに来ても受け入れませんからね」
男はそう言うと、右手を軽く上げた。するとエレベーターの背後に隠れていた複数の機械たちがハミルとエミリーを取り囲んだ。
「それでは、今日の所はお帰り頂こう。警報も解除してあるし、今日のことは誰にも話さない。アインス星を機械で占領することもしない。願ったり叶ったりだろ?」
にやりと不敵な笑みを浮かべると、男は席を立って屋上に向かった。その途中、階段で立ち止まると再びハミルたちの方を見た。
「客人は丁重に扱え。では、また後日来る」
「イエス、マスター」
機械たちに命令を出し、マスターと呼ばれたその男は屋上に上がって行った。そしてそのまま起動済みの宇宙船に乗り込んでマルト星を飛び立って行った。
「終わったの……?」
エミリーは不安を湛えた顔でハミルの方を見た。
「分からない。終わったのかもしれないし、始まったのかもしれない」
あまりにあっさりとした結末に、ハミルはそうとしか言えなかった。これで終わっていて欲しかったし、何も始まらないことを願いながら、二人は監視塔を出た。そしてバイスと合流し、監視塔最上階であったことをバイスに伝えた。その後三人は機械の誘導でドックに向かい、機械の操縦でアイング星に戻った。
(ユート、これで良かったと思うか?)
輸送船に揺られながら、ハミルはふとユートの意見を聞きたくなった。
(分からない。でもハミルは、任務を完遂した)
(そうだな。そうだよな)
彼はちゃんと考えていた。ただ単に身体を貸しているだけでなく、ハミルのことを手助けし、ハミルのことを気に掛けていた。彼はマインドシェアをするための道具じゃない。かけがえの無い友人である。と、ハミルは再確認することが出来た。機械化を阻止できたのかどうか実感は無いけれど、ユートがサイボーグでは無い。と言う確認が出来ただけでも収穫だ。ハミルはそんなことを考えながら瞳を閉じた。
……目覚めると、フューチャー号の仮眠室であった。どうやらマインドシェアが切れたらしい。ハミルは起き上がって仮眠室を出た。そしてエアステアを下ろして外に出ると、静まり返った夜の町が彼を迎えた。すると数機の機械たちに連れられて、ビル街から出て来たエミリーたちを発見した。
「ハミル! 戻ってたのね」
「あぁ、輸送船で気を失ったみたいだ」
「ユートも無事よ。今は眠っているみたいだけど」
エミリーの視線の先には、バイスに背負われているユートの姿があった。輸送船の揺れのせいかサングラスは外れており、ユートの素顔が露になっていた。その背後を歩いていた機械たちは、ビルが建ち並ぶ区域からは出ようとはせず、じっとハミルたちの方を見つめていた。
「すみません、ありがとうございます」
ハミルはバイスに向かってそう言うと、眠っているユートを預かった。
「ま、深く理由を聞くのは今度にするよ。今回はありがとうな」
バイスは緊張の解けた自然な笑みを見せながら、ハミルとエミリーを交互に見た。
「はい。また後日様子を見に来ますから、その時にでも話します。あと、復職できると良いですね」
「あぁ、ありがとな。今度来た時はなんか食わせてやるよ」
「楽しみにしてますよ」
二人は固い握手を交わし、バイスは西の居住区に帰って行き、ハミルたちはフューチャー号に乗って地球に向かった。その帰路、こんなにも達成感の無い任務は初めてだな。とハミルは言いようのない虚脱感に襲われた。
……三週間後、バイスから呼び出しを受けたハミルはアイング星に向かった。居住区付近の空いているスペースにフューチャー号を止め、居住区の入り口でバイスと合流した。
「よぉ、久しぶりだな」
「調子はどうですか?」
「……それがよ、何が正解か分からなくなっちまってさ」
「どうかしたんですか?」
「ついて来てくれ。歩きながら話す」
バイスはそう言うと、工場街に向かって歩き出した。その間、バイスの口からアイング星の現状が伝えられた。マルト星から一切機械が輸入されなくなり、関係が切れたこと。それによって故障した機械の修理が出来なくなったこと。機械が故障したことによって人員が動員されたこと。工場の日々のノルマは変わらず、人々が馬車馬の如く働いていること。そこまで伝えられたハミルは、バイスが現在働いているという工場の中を見せてもらった。するとそこでは、絶え間なく動き続けるベルトコンベアと、休み無く働き続ける男女がいた。そのわきには、動かなくなった機械や、人間もいた。
「俺が頼んだことは余計なお世話だったのか……?」
「それは……。そんなことは……」
必死に脳内で言葉を探したが、適当なものが見つからなかった。しかしあのまま機械に仕事を任せていたら、人々の心は死んでしまっただろう。だが現状を見る限り、このままでは働く人々の身体はボロボロになり、過労死してしまうだろう。なぜこうも極端な結果を招いてしまったのだろうか。機械だけの町は滅びる。機械が無い町も滅びる。人間と機械は、どの比率、どんな距離感を保ち、どうやって共存するのが正しいのだろうか……。この答えは恐らく、人間が地球に暮らしていた時から出ていないだろう。もしかしたら、これから数百年続く問題なのかもしれない。とハミルは思った。
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