世界がおわる前に、きみと辿りたい幾つかの場所

久里

第4話 託された想い

 険しい岩山に囲まれた、荒れ地。

 赤みがかった黄色の岩壁の陰に止めた一台の車には、二人の男女が言い争いをしている姿があった。


「大丈夫だってば!」

「大丈夫じゃないだろ」

「もー。クロハは心配性だなぁ」


 雪の頬にうっすらと汗を滲ませたシラツユが力なく笑ったのを見て、クロハは顔をしかめた。


 彼女が痩せ我慢をしているのは火を見るよりも明らかだ。その証拠に、呼吸が若干乱れているし、透き通った瞳はよく見ると潤んでいる。クロハは、やっぱり無理をしているじゃないかと内心でため息を吐いた。


「ほら。熱を測るから、じっとしていて」と彼が腕を伸ばしたら、シラツユは眉根を寄せながら「大丈夫だって、言ってるのに」と唇をとがらせた。


 ばつの悪そうな顔をしながら瞳を伏せたシラツユの額に触れる。彼女から伝わってきた想像以上の熱の高さに、クロハは動揺した。語調が荒くなる。

 

「どうして、こんなになるまで何も言わなかったんだ」

「ちょっと寝てれば治るかなって思ったんだよ! それに」

「それに?」

「クロハを、心配させたくなかったから」


 頬を上気させながら屈託なく笑った彼女に、クロハはどきりとした。

 全く。彼女には、敵わない。

 今度は異なる意味で動揺したのを彼女に悟られまいと、クロハはシラツユからぱっと手を離してそっぽを向いた。


「……どこか、近場で休める場所を探そう」

「えーっ、大袈裟だよ。このまま、ナイジェルさんからもらった古文書の都を目指そうよー!」

「異論は認めない」


 難しい顔をしながらクロハが唇を引き結んだのを横目に見てシラツユも黙った。


 静かな車内を満たすのは、でこぼこの道を走り抜ける音と、時折、荒野を吹きすさぶ風の涼しい音だけ。その振動に身を任せているうちに彼女が眠りの波にさらわれたのをひそかに見届けて、クロハは安堵した。



 車を走らせること数十分間。


 岩でできたアーチを潜り抜けてから、車内の揺れがさらに大きくなった。車がガタゴトと大きく跳ねるたびに、クロハはシラツユを起こしてしまわないか不安になったが、どうやらすっかり眠り込んでいるようだ。ほっと胸をなで下ろす。


 ナイジェルからもらった水が尽きてしまうのも時間の問題だ。

 どこか彼女を安静に休ませられる場所はないものかと、彼が焦り始めたその時。


 前方に、石造りの家がぽつりぽつりと見えてきた。近づいてみると、建物のほとんどが朽ちかけている。ここは、かつての集落だったのだろうか。


 クロハはすぐに車を停めて、吸い寄せられるように街の成れの果てへと足を踏み入れた。


 人が住んでいる気配は全くない。建物の残骸の間を縫うようにして歩いていたら、ある家の前に、イーゼルに立てかけられたキャンバスがぽつねんと立っていた。


 クロハは凛々しい瞳を訝し気に細める。奇妙な存在感を放っているそれからどうにも目が離せなくなり、キャンバスの前まで回り込んで確信した。


 人の手で描かれた絵だ。


 あたたかみのある、素朴な水彩画だった。

 窓辺にかけられたピンクのカーテンから、透明な日差しが零れている清潔な部屋。木製の椅子に腰掛けた女の子と妙齢の女性が向かい合って微笑んでいる。


 但し、窓辺に置かれた花瓶に活けてある薔薇にだけ色が塗られていなかった。


 製作途中なのだろうか……? とクロハが首を傾げたその時。

 

「それは、私の描いたものだ」


 背後から響いた嗄れた声に、咄嗟に振り返った。


 立っていたのは、年老いた男だった。 


 日に焼けた、深い皺の刻まれている肌。よれた麻地のシャツに、簡素なズボンを身に着けている。目鼻立ちのハッキリした、端整な顔立ちだ。若かりし頃は、さぞ男前だったことだろう。


 特に印象的なのは、その落ち窪んだ瞳だった。その緑の瞳には、並々ならない威厳が宿っている。


 目の前の得体の知れない老人に恐怖を感じて、自然と身が強張った。クロハは老人に気づかれないように、腰に掛けた木刀に手をかけたが――


「そう、敵意を剥き出しにしなさんな。無駄な争いは、もう避けたい」


 ――すぐに、気づかれた。


 老人の言う通り、無駄な争いを避けたいのはクロハとて同じことだ。

 見たところ、老人は武器の類を所有していない。彼が言う通り、今のところ明確な敵意はなさそうだ。


 この荒廃した世界で、人間に出会ったのは何か月、いや、何年ぶりだろうか。この絵を描いた主だと宣言したからには、彼はアンドロイドではなさそうだ。


「こんな辺鄙なところで出会ったのも何かの縁。何か困っていることがあるのなら、私にできうる限りのことはさせていただこう」


 手にしている残りの燃料は、残り僅か。

 最優先すべきはシラツユの身を慮ること。

 一か八かの賭けにはなるが、今、頼れるのは目の前の彼ぐらいしかいない。


「実は――」


 意を決してこれまでの経緯を話すと、老人は目元に皺を刻んで笑った。


「この前にあるのが、私の暮らしている家だ。ここに彼女を連れてきなさい」


* 


 一度、車まで戻り、シラツユを引き連れて彼の描いた絵の下まで戻ってきた。


 警戒を滲ませながら家の中に足を踏み入れる。一通り、生活に必要な物は揃っている。老人は簡素なベッドを指さしながら「そのベッドを自由に使って良い」と声をかけてくれた。

 

 警戒することを知らない無垢な彼女がすとんと眠りに落ちたのを見届けてから、クロハは再び老人に向かい合った。


「親切にしてくださって、本当に助かりました」

「親切、か」


 彼が唇の端を吊り上げて笑ったことに、クロハは違和感を覚えた。


「僕はクロハと申します。連れは、シラツユです。失礼ですが、貴方のお名前は?」

「ラッセルという」

「ラッセルさんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

「ああ」


 質素な部屋の片隅に、ある異様な存在を見つけて、クロハは小さく声を上げた。

 

「これは……」


 白くなめらかな筐体。

 鉄でできているらしいそれは、人一人が横たわれそうな大きさだった。

 この素朴な部屋から、得体の知れないその存在は明らかに浮いていた。クロハがその物体にしげしげと見入っていたら、それに気づいたラッセルはああと感慨もなく言った。


「……捨てるに捨てられなくて、そこにある」


 

 ラッセルの施した薬粥の甲斐あって、シラツユは日に日に快方へ向かった。

 その間、ラッセルは二人に対して食事をもてなし、誠意の限りを尽くした。

 三日が経った時、シラツユの顔には、普段通りの輝きが戻っていた。 


「ありがとうございます! もてなしてもらった上に、車の燃料の水までいただいてしまって。本当に、なんとお礼を言って良いか」

「気にすることはない」

「ラッセルさん。何かわたしたちにできることはないでしょうか」

「僕からもお願いします。むしろ、何かさせてください」


 二人そろって真剣に見つめられて、老人は視線を床に落とした。深く刻まれた皺すらも、彼に威厳をもたらしている。


「そこまで言うのなら、ここから北西に30マイルの鉱山から、ラピスラズリを採ってきてくれないか」

「ラピスラズリ、ですか」

「ああ。あの鉱物からは、良い青を採取できる」



 二人は指定された鉱山まで車を走らせる。シラツユはうーんと考え込んでいた。


「ねえ、クロハ。ラッセルさんって何者なんだろう」

「さあな」


 シラツユに問われて、クロハ自身も考え込んでいた。


 老人は、見ず知らずの自分たちに、過剰とも思えるほど丁寧に施しの限りを尽くしてくれた。それにも関わらず、彼は自身を「親切」だと評されたことに関して皮肉めいた笑みをもらしていた。それに、あの謎の筐体は何だろう。


 老人の、強い意志の波打っているあの瞳。

 あの瞳は、壮絶な経験をしたからこそ形作られたようにも思えたが――。

 

「クロハ! 鉱山が見えてきたよ」


 シラツユの華やいだ声に、顔を上げる。

 そこには、悠々と聳え立っている鉱山があった。


「ここから先は、車だと進めないね」



 ラッセルから貸与されたツルハシに体重をかけながら、クロハが息をつく。

 シラツユが袋いっぱいに詰め込んだ採取したてのラピスラズリを見つめながら瞳を輝かせた。


「綺麗だね。こんなものが自然にできるなんて信じられない」


 花が咲いたように笑った彼女を見返しながら、彼も「そうだね。何億年もかかって、この青い結晶ができてるんだよ」と微笑んだ。



「こんなに沢山。恩に着る」

「とんでもないです。ラッセルさんには、大変お世話になりましたから」

「有り難う。これで、やっとあの絵を完成させられる」


 老人が頬を緩めた時、クロハはついに気になっていたことを口にした。


「ラッセルさん。あの絵の女性と女の子は……貴方の、家族ですか?」


 彼はじっと黙り込んだ後、重々しくうなずいた。


「……いかにも。百五十年前に死んだ、私の家族だ」



 百五十年前。

 かつて、この世界のほとんどの場所を人類が埋め尽くしていた頃。

 ラッセル=マクレフィンは、超高層ビルの立ち並ぶ自由主義国家一の権力者だった。国民は勿論、国外の者とて、彼の名を知らぬ者は一人としていなかった。


「かの戦争によって、ほとんど全てが滅んだ。文明が作り上げた高度な社会も、妻も娘も。みんな、戦争でいなくなった」

「……あの戦争があったのは、百五十年前のことですよね?」

「そうだ」


 かの戦争を乗り越えて、今もなお、ここに生きながらえている彼は一体?


「あの戦争が勃発する前から、私の国では、水面下でプロジェクトが行われていた」


 当時の科学者達は、未来に人間を送る技術を開発していたのだ。

 

 そして、実際にそれを可能にした天才科学者が現れた。

 人間を冷凍保存し、未来に目覚めさせる機械だ。

 それは、かの戦争が勃発する直前に、できあがった。

 ただこの機械は、人一人しか乗り込むことができなかった。

 そして、当時、世界の権力者でこの機械開発に多大な資金を投資していたラッセルが、それに乗り込むことに決まった。もし、自分の国が負けても、自分ならば再び素晴らしい国を作り上げることができるだろうという自信を胸に。


「目覚めた時、実験は成功したのだと分かった。それと同時に、戦争がいかにこの星を傷つけたのかを知って驚愕した。この世界では、国という概念すらも失われていた」


「科学技術は、人々を導く尊い光だと思ってきた。でも、私の信じていたものは、この星を破滅寸前に導く悪魔をも生み出してしまったのだ」


「私は……幼い頃は、絵を描くのが好きだった。絵なんて描いていても何の役にも立たない。勉強をしなさいと諭された。勉強ができないと見下される学校という社会の中で、私は必死に勉強に取り組んだ。親の勧めで政治家になり、それからは人を出し抜くことばかり考えていたように思う。そのうちに、絵を描くのが好きだったことも忘れた」


 心を殺し、時には後ろ暗いこともやって、のし上がった。

 世界の覇者に。


「妻とは学生時代に知り合った。結婚して娘ができてからも、仕事ばかりでろくに家にも帰らなかった。妻はきっと、私が絵を描くことが好きだったと知ったら驚くだろう」


 自嘲気味に笑った彼を見ながら、クロハとシラツユは口をつぐんだ。


「国の滅んだこの世界で目覚めたとき、私は、もう人を欺かなくて良いのだと安心したんだ」


 トップから蹴落とされる不安に怯えることもなくなった。


「国民達は、世界で最も残忍な男と称された私が、ここで呑気に絵など描いていることを知ったら、軽蔑するだろうか」


「いえ」


 シラツユは涙ぐみながら、でも、彼の瞳をまっすぐに見返しながら告げた。


「今の貴方を軽蔑する人なんて、いないと思います」


 クロハも、力強く頷いた。

 老人はきょとんと目を丸くした後、微笑んだ。


「ありがとう。妻は青い薔薇が好きだった。君たちが採ってきてくれたラピスラズリで、やっとあの絵を完成させられる」


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