11.その後

 「善夜~」


 翌日。日差しが強まりつつある青空に、いつものように彼女を呼ぶ声が響く。


 児童養護施設・A園――身寄りのない善夜の『帰れる唯一の場所』にある、広い園庭の片隅で。何人もの子が大事に着てきた『お下がり』に身を包んだ隣の部屋の『友人』が、善夜を呼び寄せた。


「宿題やりたいんだけど、掃除当番代わってくれない?」

「……」


 ほうきを小脇に挟みつつ、手を合わせた『お願いポーズ』で頼み込んでくる友人に、


「ごめん、私も宿題先にやりたいんだ」


 同じように手を合わせた『ごめんなさいポーズ』で、善夜は丁重にお断りした。

 そんな彼女に友人は……


「そっか~……」


 不快に顔を引きつらせることなく何度も頷いて、


「――調子のんなよコラ」


 彼女に強烈な平手打ちを食らわせた。


「!!?」


 頬をおさえ、驚愕で目を丸くしたままその場に尻もちをつく善夜。

 頬の痛みというよりは、思っていた結末と違っていたことによる戸惑いが強い。


「捨て子のくせに生意気言ってんじゃねーぞ! あ!?」


 その間にも『友人』は、歯を食いしばった鬼のような剣幕で彼女を見下ろしまくし立て、


「このゴミクズまじで今からシメてやるからな」


 軽く上げた足を、未だにフリーズしている善夜の顔面目がけて蹴り出そうとした、その時。


 『違和感』が当たりを包み込んだ。


 空気が丸ごと変わったというのか、止まったというのか……――それは彼女の知っているものだった。その証拠に、目の前の友人や他の職員など、全てが停止している。


「――さっそく『人間』を始めていらっしゃるようですね」


 続いて耳に入ってきたのは――最近聞いたことのある、あの無感情な低い声。

 声のしたほうを振り返れば、案の定。黒い公務服姿の男が立っていた。


 その姿を見るや否や、善夜は「オフィサーさん!!」と全速力で駆け寄り、


「話が違うじゃないですか!!」


 開口一番、泣きながら抗議をした。


「しかし、程度は軽くなっているように見えますが……」

「それは……そうかもしれないですけど、辛いのは変わらないし……――って私のアニマ《悲しみ》食べないでください……」

「あれから後処理に追われてまだ何も摂取していなかったので助かりました」

「……!」


 思わず黙り込んだ善夜は、滅多に言われない『お礼』に弱かった。


「……そういえば、ヒドゥン……さんはどうなったんですか……?」


 勢いの弱まった拍子か、彼女が思い出したように尋ねる。


「あの一撃で体を維持できないほど身体を削ってしまい調書が取れなかったのですが――あなたの興味深い証言のお陰で滞っていた捜査も動くと思われます」

「『契約マニュアル』のことですか?」


 善夜の何気ない確認にオフィサーは「ええ」と頷いた。


 『契約マニュアル』とは、ある日突然善夜宛てに送られてきた郵便物のことである。

 中にはどこでどう調べたのか、善夜の『孤独』という悩みに対する打開策が詳細に記されており、それが『魔人・ヒドゥンとの契約』だった。

 

「どういった手段で魔人我々との契約方法を伝えるかは人間の自由ですが、今回のような『故意に偽った方法を伝える』というやり方は看過できません」

「そうですよね……何で私だったんだろう……」

「そちらも踏まえて捜査を進めていくそうです」

「そうですか……」


 彼の報告に善夜は相づちを打ちかけ、


「……もしかして、わざわざそれを伝えに来てくれたんですか……?」


 ひたすら事務的で物静かに見えて強引で、何を考えているのかわからないが、何だかんだでやっぱり彼は良い人なのかもしれない。


 そう思いながら善夜が嬉しさ半分・申し訳なさ半分で確認をしたところ、


「いいえ。 不法滞在者の通報がありました」


 彼はそれについてきっぱりと否定し、続いて端的かつ意味深な言葉をかけてきた。

 差し出してきた名刺風契約書が、彼女の感じ取った『予感』の正確性を強めてくる。


 オフィサー善人説、却下。


「宿題……と、掃除の代行があります」

「時間を固定しているので問題ありません」


 本題に入られる前に自分から先制を仕掛けるも、あっさりと返り討ち。


「もうあんな怖いの嫌です!死にたくありません!」


 それでもなお抵抗する善夜。いざ実際に死と隣り合わせになった経験を経て、少し怖くなったらしい。


「他の人に頼めばいい……」

「私は、『あなた』に依頼をしています」

「……!」


 今まで一度も他人から『本当の意味』で必要とされたことのない彼女にとって。

 彼の口からサラリと出たその言葉は、あまりにも甘くて魅力的で心地よくて嬉しくて――これ以上の抵抗を諦めるしかなかった。


「……しょうがないですね。 協力してあげますよ」


 この感動を悟られないように目をそらしつつ、オフィサーの名刺風契約書に軽く手を添え、契約を成立させる善夜。


「……扱いやすさも相変わらずのようですね」

「何か言いましたか?」

『行きますよ』


 何か聞き捨てならないようなことを言われた気がするが……。

 くわしく追求する前に。善夜は剣と化したオフィサーに手を引かれ、再び公務に出発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔界公務員の代行者 ぷてらぽ☆ごん @maim_shi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ