後日談 マリア訪問

  比較的田舎といえる町、アルテミスには月竜を崇める教会がある。

  教会は町並みとは融合せず、敷地全てを高い白い塀で囲っている。

  更に塀の中の外周近くには中心部を隠すように高い塔が建ち並び、その隙間を埋めるように樹木が並んでいる。


  そして、この教会は一般には開かれていない。

  以前は月竜教の関係者であれば出入り出来たが、今では月竜教信者であっても身分が確かな者しか入れないことになっている。


  何故ならここは月竜教にとっては聖地。

  月竜の雄竜、ユリウスが人であった頃愛した女性が眠る場所。

  墓標もユリウスが建てたものであり、花を手向けるために度々姿を現すこともあると言われていた。


 この教会の司祭は代々ユリウスが愛した女性の末裔とされる一族が務めてきた。

 今の司祭もそうだ。

 彼は穏やかで人当たりもよく、閉鎖的な教会でありながらも近所と上手く付き合える器用な人間だった。


 そんな彼には頭が痛いことがあった。

 可愛い一人娘、マリアだ。

 彼女は子供の頃から少し変わった子だった。

 一日中ユリウス様の肖像画を眺め、溜め息をついていた。


 特に悪いことをしているわけではないし、ユリウス様を信仰するのは喜ばしいことだと好きにさせていたのが間違いだった。

 異性としてユリウス様を見ていたとは夢にも思っていなかった。


 危機感を覚えた妻に相談され身を固めさせて目を冷まそうとしたが、それも間違いだったようでマリアは姿を消した。


 と言っても、人を雇ってマリアの行方は分かるように手配していたし、危険があった時はそれとなく助けて貰うよう依頼していたので、外の世界に疲れたらそのうち戻ってくるだろうと思っていた。


 しかし、途中でマリアの消息が分からなくなったと連絡があり、血の気が引いた。

 しばらくして無事だと連絡が入り、安心したのだが――。

 消息不明となった時と同じような……いや、それを上回る血の気が引く思いをすることになった。


『月竜様を謀った。そして汚そうとした』


 目の前が真っ白になった。

 司祭の妻は気を失って倒れた。

 教会の者が月竜様が現れた村に向かうということを聞き、司祭は娘の回収を頼んだ。

 頼んではみたが、大罪を犯したのだからこちらに渡しては貰えないかもしれない。

 マリアは内々に処刑されるかもしれない、と腹を括っていた。

 だが娘は帰ってきた。

 恐れ多いことに鱗を賜ったそうで、聴取はあるものの罰されることなかった。

 それから司祭夫婦は毎晩月竜に感謝の祈りを捧げ続けている。


「お父様、お母様! やっぱり私はユリウス様に愛される女だったわ!」


 馬鹿娘の帰還後第一声がこれだった。

 母は再び気を失った。

 父は娘を抱き締めようと思っていたその手で、すぐさま独房にぶち込んだ。


「月竜様のお心遣いを無下にするつもりか! 目が覚めるまでそこにいなさい!」


 今まで何もしなかったツケが回ってきていた。

 今度こそは娘の目を覚ますべく断固とした態度で臨むと誓った。


「明日はユリウス様が迎えにきてくださるかしら」


 重症だった。

 いや、むしろ悪化していた。

 独房の中でも何も変わらない。

 反省するどころか鱗を眺め、うっとりとしながら一日を過ごしていた。

 司祭は途方に暮れる毎日を送っていた。

 やはりどこかに嫁がせるべきなのかと考えていた、ある日――。

 悩める頭に追い打ちを掛けるような衝撃を与える一方が届いた。


 『それ』を知らせにきた信者は明らかに狼狽えていた。

 報告するべきかどうか迷っていた。


「落ち着きなさい。どうしたというのだ?」

「そ、それが……私の見間違えかもしれないのですが……その……独房で……」

「独房? まさか、マリアが何か仕出かしたのか?」

「いえ、その……独房に、月竜様が……」


 その瞬間、司祭は走った。

 いい大人になってからの全力疾走は初めてだったかもしれない。

 息も絶え絶えになりながらたどり着いた独房で彼が目にしたのは……。


「だー! しつこい! 離せ!」

「まあ、ユリウス様ったらっ! そう恥ずかしがらずに!」

「恥ずかしがってないっつーの!!」


 独房の中で娘を必死に引き剥がそうとする月竜ユリウスだった。

 今度は彼が気を失う番だった。




 ※※※




 月竜ユリウスとして生きていくことを受け入れた私は、リトヴァと共に世界を見て周ろうと決めた。

 だがその前に済ましておきたい事があった。

 マリアへの謝罪とお礼だ。


 マリアとは一緒に旅に「出る、出ない」と揉めた後、ヘルミと会うために待たせた後で別れている。

 結局一緒にいることは出来なくなったが、彼女にも世話になったのでお礼を言いたいし、怖い思いをさせたことを詫びたい。


 彼女の居場所は分かった。

 いる場所がどういう所かは知らないが、彼女がいるという所は気配で分かる。

 ヘルミの村からは遠いところにあったが、竜の力の使い方が分かり始めた今なら移動なんて余裕だ。

 リトヴァと共に一気にマリアの気配の近くまで向かった。


「ここか……」


 リトヴァが呟いた。

 マリアの気配を辿って辿り着いたところは小さな町だった。

 小さいと言っても『町』。

 ヘルミがいた名もない村よりは格段に整備されていて住みやすそうだ。


「知っているところ?」

「ああ」


 この場所をリトヴァは知っていた。

 自分達を崇めている『月竜教』の者達が聖地としている教会がある町だった。


「月竜教なんてあるんだねえ」


 他人事のように思うが、今では自分が崇められている立場なのだ。

 あまり心地よい感じはしない。


「リトヴァは崇められて嬉しい?」

「どうでもいい」

「ですよね」


 そりゃリトヴァは今まで「死にたい」ばかりで、回りの人間のことなんて目にも入っていなかっただろう。


「聖地ってなんかあるの?」

「エリーサが眠っている」

「エリーサさんが? へえ……じゃあお墓参りしていこ。でも、なんでそれが聖地になるの?」

「知らん」

「興味無い、と。OK」


 リトヴァに聞いた私が間違いでした。


 マリアには私一人で会いに行くことにした。

 その後二人でエリーサさんの墓参りをするため、落ち合うことに。

 リトヴァは墓前に手向ける花を調達してくると姿を消した。


「さあて、行きますか」


 近づいたことにより、更に強くマリアの気配が分かる。

 姿を見られてしまうと面倒なので、姿を隠して目の前まで移動。

 いた、マリアだ。


 マリアが居たのは畳二畳分くらいの狭くて白い部屋だった。

 重たい扉で刑務所の中みたいだ……ってこれ、本当に独房じゃないか。

 マリア……あんた何やったの?


 マリアは部屋の中心にちょこんと正座をしていた。

 背後に立っているので顔は見えない。

 全く動かないのだが、寝ているのだろうか。

 こっそり回り込んで覗き込んだ。


「……」


 絶句した。

 以前私が……といっても現リトヴァのユリウスが渡した鱗に頬ずりしながら恍惚とした表情を浮かべていた。

 う、うわああ……。


 うん、帰ろう。


 見てはいけないものを見てしまった。

 姿は消しているが、気配も殺しつつ大人しく立ち去ろうとしたその時――。


「……ユリウス様?」

「え」


 見えていないはずなのに、何故かぽつりと私を呼んだ。

 そして私は思わずそれに反応してしまった。


「ユリウス様!!!」

「ひいいいいいい!? 何故分かる!!!」


 素早く立ち上がったマリアは迷うことなく飛びついてきた。

 まだ見えていないはずなのに!

 怖いわ!


「やっぱりユリウス様だわ! 迎えに来てくださったのね! さあ、存分に抱きしめてくださいませ!!」


 腰に縋り付くマリアを引き離すべく格闘している間に姿を消す魔法は解けてしまった。

 私の姿が見えるとマリアは鱗にやっていたように身体に頬を擦り付けてきた。

 お前は猫か!

 猫にしては力が強いし、性質が悪い!


「だー! しつこい! 離せ!」

「まあ、ユリウス様ったらっ! そう恥ずかしがらずに!」

「恥ずかしがってないっつーの!!」


 バタンッ


「ん?」


 マリアに気をとられて気がつかなかったが、いつの間にか重厚な扉が開けられていた。

 そしてそこに倒れている、優しそうな印象を受ける菫色の髪のナイスミドル。

 何が起こった……。


「おい! 大丈夫か!?」

「あら、お父様。大丈夫でしょう。そんなことよりユリウス様! 抱いて!」

「お父様!? そんなことよりってお前っ! あああああもう!」


 鬱陶しいわ!

 収集がつかないのでマリアを魔法で引き剥がして浮かばせた。


「やあん、ユリウス様ぁ!」


 ばたばたしているマリアはしばらく放置だ。


「えっと、この人どうしたの? 大丈夫?」

「は、はひいいい!!!」


 倒れているマリア父の後ろで硬直している女性に、どうしてこうなったのか聞きたかったのだが……彼女は奇声を上げると膝を折って祈り始めた。

 質問に答えてよ!

 まともに話が出来る人がいません!

 ここには言葉が通じる生物はいないのだろうか。

 なんだか頭痛がしてきた。


「はあ……えっと、マリア!」

「はい、ユリウス様!」


 マリアを見ると浮かんだまま、両手を広げて「抱きとめて!」と言いたげなポーズをしていた。


「……もう、なんかいいや」


 まじめにお礼したり謝ったりしたいのに無理だ。

 なんだろう、この残念感。

 諦めた。


「ちゃんと聞かないだろうけど言っておく。村では怖い思いをさせて悪かった。それに色々世話になった。精神的にも君に救われたよ。ありがとう」


 マリアの好意は盲目的で恐ろしいが、彼女の存在に救われたのは事実だ。

 マリアに会いたい、今なら抱けるわ、と思ったことさえあった。

 だからちゃんと言いたかった。


 なんか台無しだけど! と思い、抗議の視線を向けたのだが……驚いた。

 マリアが泣いていた。


「ユリウス様……私、私……!」

「お、おい、どうした」


 てっきり「ご褒美に抱いて!」くらい言われるのかと思っていたのに、予想外のリアクションで焦った。


「ユリウス様、私……もうお会い出来なかったら、どうしようかとっ……会いたかったぁ」


 子供のように「うわああん」と泣き出してしまった。


 なんということだ……マリアが可愛いぞ。

 これがギャップ萌え、か。

 そんなことを思いながら、ぷかぷか浮いているマリアをただ眺めているのは冷たいか。


「少しだけだからな」


 両手を広げて受け入れ態勢をとってやる。


「ユリウス様!」


 飛び込んできたマリアを受け入れ、少しの間宥めてやった。

 ほんとに子供のようだ。

 ……と思ったが頬擦りするな、妙に腕を動かすな!

 やはりマリアは現在も安定のマリアクオリティを保っているようだ。


「ユ、ユリウス様」


 声がする方を向くとマリア父が覚醒したようで、恐る恐る話しかけてきた。

 そういえば倒れている人を放置していた、すまん。

 マリア父は蛇に睨まれた蛙のごとく怯えているように見える。

 とって食ったりしないから、そんなに怖がらないで欲しい。


「重ね重ね娘のご無礼、申し訳ありませんっ」


 マリア父は日本人もびっくりな美しい土下座をしていた。


「いや、無礼なんてないよ。逆に世話になったんだ」

「そうですわ」

「お前は黙ってなさい! はっ! ユリウス様の前で醜態を晒し、申し訳ありませんっ」


 改めて土下座MAXである。

 ……辛いわ!

 マリア父の極限低姿勢辛い!


 そういえば……ここは自分を崇めている場所だった。

 なんだか物凄く居辛い。

 自分は月竜であることは確かだが……なりたてだし、元々はただの呑んだくれOLなのでほぼ偽物じゃない? という負い目のようなものがある。

 ああ、居辛い……用も終わったし、帰ろう。


「マリア、帰るわ」

「はい、お父様お元気で」

「「はっ?」」


 マリア父と私の声が被った。

 こいつ、何を言っているのだ?

 まさか、一緒に来る気なのか」?


「私、ユリウス様と一緒に」

「「駄目だ」」


 また被った。

 父とは気が合うようだ。


「私、ユリウス様と一緒じゃなきゃ生きている意味がありませんわ!」

「気が向いたら会いにくるよ」

「足りません。嫌です」


 駄目だ。

 この子を説得するのは無理だ。

 可哀想だがとんずらしよう。


「お父さん」

「は、はいっ!?」

「後は任せた」

「ユリウス様!?」


 マリア父よ、娘を更正させてやってくれとエールを送りながらその場を後にした。

 逃げるが勝ち、だ。




 ※※※




 向かったのはリトヴァと約束していたエリーサさんが眠る場所だ。

 当時のユリウスが逆鱗で暴れた後も、彼女は虫の息ではあったが生きていたそうだ。

 だがあの姿で生きていくのは酷だとユリウスが眠らせ、ここに埋葬したらしい。


 そこは教会の敷地の中央、塔や木々に囲われた中心地だった。

 高い塔や木で暗い場所だったが、エリーサさんの墓標には光が当たっていた。

 白い墓石に『エリーサ 安らかに』とだけ刻まれている。

 恐らくユリウスが書いたのだろう。

 その前には紫の薔薇の花束が置かれていた。


「この花は彼女に似ている」


 先に来ていたリトヴァがぽつりと零した。

 表情は穏やかだ。

 エリーサさんとの思い出が蘇っているのだろうか。


「そう」


 長々と話をするのは無粋な気がする。

 短い相槌を返した。


 ここに来る前、リトヴァは「ちゃんと生きることを決めた」と報告すると言っていた。

 自分が目を背けてきたことと向き合う、ということも。

 リトヴァは静かに花を見ていた。

 私はそんなリトヴァを見守った。


 それからどれくらい時間が流れただろうか。

 リトヴァの気が済むまで待とうと思っていたが、人が動きまわる気配がし始めた。

 気づかれたのかもしれない。

 騒がれる前に立ち去った方がよさそうだ。


「リト……」

「ユリウス様!」


 リトヴァに声を掛けようとしたと同時に、遠くから名前を呼ばれた。

 この声はマリアだ。

 一番ややこしい相手だ。


「リトヴァ」

「ああ、すまない。行こうか」


 リトヴァも状況を把握したようで、早々に立ち去ろうと目を合わせて頷いた。

 少し名残惜しそうだがまた来ればいい。


「リ、リトヴァ様……?」


 気が付けばマリアが父を引き連れて、すぐ後ろに立っていた。

 全力で走ってきたのか息が上がっている。

 マリア父の方は肩で息をしていて今にも倒れそうだが、私達の前だからか必死に姿勢を正している。


 マリアの方を再び見ると、リトヴァを見て固まっていた。


「ユリウスが世話になった」

「うっ、あっ」


 マリアの様子が急におかしくなった。

 声にならない声を出し、金魚のように口をパクパクして焦っている。

 なんだろうこの空気。


 あ! あれですか?

 妻と愛人の鉢合わせ?


 リトヴァにはそのつもりは全く無いが、マリアにとってはそうなのかもしれない。

 自分の思い人の『妻』なのだから。

 しかも神様だし、月竜教としてはリトヴァも信仰対象だ。

 内心パニックになるのは分かる。

 よし、マリアが混乱している今がチャンスだ!


「じゃあな、マリア。元気で」


 固まっている間に立ち去ろう。

 何かを言おうとしているがもういいか。

 マリア父他、月竜教徒は皆お祈り体制だ。

 なんだか怖い。

 逃げるが勝ちだと、そそくさリトヴァと二人で姿を消した。


「リトヴァ。マリアに私がお世話になった礼を言ってくれていたけど、あそこは『うちの旦那がお世話になったようで』って言いながらニヒルな笑いを浮かべなきゃ」

「付き合いきれん」


 軽口を叩く月竜達は気にしなかったが、この日は聖地に月竜が二人揃って現れたという伝説の日になったのだった。

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ドラゴンサクリファイス 花果唯 @ohana

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