第5話

砺市は夕方でも残っている。井口は他の仕事のため午前中でこの施設を後にした。そこから園長にいわれるように掃除、洗濯などの家事を手伝った。古い建物を綺麗に保っているのはこの掃除のおかげなんだなとわかった。


すると玄関の扉が開いた音がした。


「ただいまー」


小学校から帰ってきた三人は決まりを守るかのごとく洗面所へ走って向かう。手洗いうがいをするためだ。おそらく小学校から上平園に来るまで誰が一番早く来るか勝負をしていたのだろう。その延長で洗面所まで走っている。その子供達が洗面所へ着くと驚いた顔をする。福野が掃除をしている横で見ず知らずの男も掃除をしているからだ。


「こら。家の中では走ってはいけません。いつも注意をしているでしょう」


口調は温厚だが男の子一人と女の子二人は黙っている。園長から怒られたことによるものと誰かわからない男の人がいるからであろう。


すると園長は「こちら今日から不定期でここに来てくれる南砺市さんです。」と紹介する。


子供達は息をそろえていう。


「よろしくお願いします」


それに対し返事を返す。


「こちらこそよろしくお願いします」


同年代や大人達なら少し居心地が悪いけど子供達ならなぜだか自然体でいられる。


そう思えた。


しかし何時間か経ってもこちらから話しかければ短い返事が返って来るだけでまともに会話はできない。砺市は引きこもる弱い大人だったのだがそれを知らない子供達から見れば立派な大人だ。砺市は結局夜の九時までいたのだがまともに子供達と会話をする事が出来なかった。





次の日の朝七時に目を覚ました砺市は八時に上平園に着いていた。そこで率先して園長や他のスタッフ達の手伝いをした。


子供達が使った朝食の皿を洗ったり、廊下に落ちているゴミを取ったり、洗濯物を畳んだり。いつもは砺市がやらないような事をしている。


なぜだろう。


ある日まではぐうたら、人の悪口を人に見えないところで間接的に書き込み、暗い生活をしていた。


だが昨日この施設に来た途端、今まで溜め込んだ闇のダムが決壊したかのように心に虹ができた。変わりたいと溜め込んでいたものをようやく解決してくれた。この恩を返したい。特に不登校の子を明るい世界に送りたい。


そう思えた。


自分はまだ明るい世界にいるわけではないが目の前に目標ができた。おそらく似たような状態であるから気持ちがわかる。


だから、手助けしたいと。



園長に指示されトイレ掃除をしていると不登校の子がトイレをしにやって来た。


「あ……」


その子は砺市と目があうとすぐさま引き返して去ろうとした。


「待って!」


砺市は後ろ姿のその子に向かって大声でいった。


「怪しいものじゃないよ。ほ、ほらトイレ使いたいんでしょ。僕は掃除をやめるから使いなよ」


その子は不信感が漂う目をして砺市の方を見ている。そのまま砺市の横を無言で通りトイレへ入って行った。


助けたいと思った子がいざ目の前に来るとどうすればいいかわからなくなった。それにどうしても自分には変えられそうにないあの不信感が漂う目。あの目を見た瞬間自分はこの子を助けられそうにないと思った。彼は完全に自分を、いや、世界にいる全ての人を拒絶しているに違いない。そんな子をどうやって助ければ良いんだ。


砺市は悩んだ。


今せっかく引きこもりから脱出した自分があの子のことを考えるとまたネガティブになってしまう。どうせ自分は人の役に立たないと感じてしまう。もしあの子のことを考えないで、自分の事だけを考えたら、楽になれるのにな。やっぱり助けるのやめようかな。


どうしても助けたいと願ったその子と実際に見たその子。


砺市は葛藤する。


目を閉じて冷静に考えることにした。


引きこもり、人生を歩くのをやめつらかったこと。どんなに辛くても助けてくれる友達がおらず、孤独だったこと。もし過去の自分を変えられるなら、社会に出て、友達を作り、人生を駆け抜けることだ。


閉じてた目をゆっくり開き、それは精悍な目に変わっていた。


よし助けよう。


その子がトイレから出て来た。砺市を見るとまだ人を信用していないようだ。おそらくまた無言で横を通り過ぎるだろう。それを引き留めるために勇気を出して声をかけてみた。


「調子はどうかな。何か悩んでる事があったら相談してね。僕はここでスタッフとして働くから気軽に話してね」


明るい声を意識した。


「はい……」


しかし、その子は一言返事しただけで砺市の横を通り過ぎて行った。


だが、さっきの砺市とは違った。この子を助けるためこれからも声をかけようと決めた。

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