AM 10:07

「ああー……朝日がまぶしい」

「お腹空いたなあ」

「ランチでも食べて帰ろっかなあ」


わたしと彼はホテルをでて、昼間のホテル街の道路を歩いてる。

始発で帰ろうと思ってたのにそうならなかったのは、あれから奇跡がおきて実は彼とにゃんにゃんできましたっていう、そんな素晴らしい事実が、あったわけではもちろんない。にゃんにゃんって死語かな。使ってるひとなんていないよね。だけどふいんきでなんとなく意味がわかるからすごいよねにゃんにゃん。あとやっぱりふいんきじゃなかった気がするけどなぜか頭の中で変換ができない。

遅くなった理由は始発の時間までソファでスマホをいじる予定だった彼が、ありがちにそのまま寝落ちしてしまって、アラームをつけてなかったわたしもそのまま寝ちゃってて、気づいたらもうチェックアウトの時間だっていうそれだけ。

ホテルの延長料金は高い。寝ぼけて起きたわたしが速攻で目がさめるくらいには高い。わたしは急いでソファで寝てる彼を叩き起こして、化粧をする暇もなく二人で慌てて出てきた。すっぴんだけどまつエクのおかげで目だけはパッチリしてる。さすがまつエク。

始発で帰りたかった理由は長居したくなかったのもあるけど、だいたいどこのラブホも同じくらいのチェックアウト時間だ。だから、明らかにラブホ帰りっていうカップルがちらほら感覚を開けて歩いてるし、なんなら今まさにラブホから出てくるカップルもいる。

やっぱり明らかにラブホ帰りです、っていうひとたちを見たりこっちもそう見られるのはやっぱりね、気恥ずかしいしね、っていうのもあるからね。セックスしてないのにこいつらセックスしたんだろうなって思われるのも癪だし。なにより知り合いがいたら恥ずかしいし。

そう、知り合いがいたら、あんまりよくないわけです。


「ええっと君って地下鉄どっちだっけ。そこ曲がっちゃったほうが早くない?」

「んーコンビニで飲み物買いたいから、このまままっすぐ大通りに抜けようと思うんだけど……」

「駅近くにもあるよ。そこ曲がろう」

「え、なにどうしたの……って、エ?」


わたしたちの進路方向まっすぐ伸びた道に面したラブホから出てきたカップルが見えないように、すこし彼の前に周りこんで進路方向を変えようとしたけど、身長の低いわたしが前にでてもなんの意味もない。

むしろ彼はぼんやり歩いてたのに、わたしが会話をふっちゃったことでまっすぐの方向を改めて見てしまった。

そう、彼は見てしまったのだ。


「ナツミに……森下?」


いままさにラブホから出てきた二人は、見間違える要素がないほど、彼の元カノと、そして同僚だった。

しかも明らかに「昨日めちゃくちゃしました」っていうくらいの親密ぶりで、腕をくんで、ナツミは森下くんを甘えるように見上げて、森下くんもヘラヘラと嬉しそうにしながら何か話してる。周りの様子なんてもう目もくれてない感じ。

そりゃ、ナツミも彼と別れたわけだから、フリーだし、そのあと誰とつきあったりラブホにいったりしてもおかしくない。それを止める権利はない。

でも、わたしは知ってる。

ナツミは、ビッチなのだ。

彼とつきあってる時からちょこちょこと他の男とにゃんにゃんすることだってよくあることだった。しかも一人に限らす、何人か。グループ飲みがダメっていうのは、やっぱり制限しすぎだと思うけど、ぶっちゃけナツミの場合はもっと厳しくしてもよかったと思う。彼氏がいるっていうことを隠れみのにして、男遊びをしまくっていた。

だからナツミはわたしのつきあいを重宝していた。わたしは性格は可愛くないけど、ベラベラと友達の内緒話を言いふらすタイプでもなかったから。ナツミのサークルの友達は彼の友達でもあったりするから、交際関係が被らない人間で、そして何を話しても大丈夫なわたしがちょうどよかったのだ。

ナツミが「森下くんって、いいよね」ってわたしにだけ言ってたのも知ってる。彼と別れる直前からもう森下くんと関係を持ってたのも知ってる。「なんか森下くんにわたしと別れるかどうかって相談してるらしいよ。その森下くんはわたしと浮気してるのにね。めっちゃウケる」ってこれもわたしにだけしか言わなかったのも知ってる。

だからわたしは、女友達の彼氏に性的な欲求を持つことを横恋慕だと罪悪感を持つこともなかった。二人がいつか別れるなんてことわかってたから。

でもわたしの気持ちはナツミは知らなかったし、ナツミのほんとうのことを知らない彼のためにも、わたしは二人がちゃんと別れて、変な噂にならないくらいの期間をきちんと待って、昨夜を迎えたわけだった。

でもさすがにナツミと森下くんも昨夜お楽しみだったなんてことは、知らなかったけど。

彼は黙ったまま後ろを振り向かない二人をじっと見つめてる。いつから、とか、二人はもうつきあってるのか、とか、なんで教えてくれなかったんだ、って思ってるのかもしれない。

もしそれをわたしに聞かれたらどうしよう。わたしは知ってる。二人は彼がまだ彼氏時代だったころから肉体関係があって、それが今に至るまで定期的に続いてて、友人の彼女を寝盗ったことに森下くんが優越感を感じてることも、知ってる。

わたしは口が固いけど、ウソを吐くのは得意じゃない。

もしも聞かれたら、どうしよう。

昨夜どれだけ、女としての自分を傷つけた相手だとしても、わたしは彼に、傷ついてほしくなかった。

恋愛感情もなにも持ってないけど、めちゃくちゃにセックスしたいくらいには特別な男なのだ。


「あ、あの、そういえばランチ、ランチ食べにいかない?向こうの通りいったところにおいしいところあるんだよね、もうこの時間からやってるし、パスタがね、おいしくて、それにセットのスープもしっかりしてて」

「あのさ」

「値段もお手頃で、コスパもよくって……え、え?なに?」

「さっきのホテルってさ、確か昼からでもはいれたよな?」

「え?う、うん。あそこ休憩時間長いので有名だし、ていうか基本24時間営業だし、って、え、なんで腕掴むの」

「もっかい行こう」

「え?」

「ナツミに対して罪悪感とか感じてたのほんとバカだった。オレってほんとうにダメなんだな。いや、そりゃなんで言わねーんだよとは思うけど、別にオレの友達となんかあったってオレも怒る権利もなにもないわけだし、なんなら会わせたのってオレだもんな。うん、そうだな、もう気にすることなんてなんもないな」

「え、ちょ、ちょっと待って?行くって?ホテルに?なにしに?」

「なにって、セックス」


グイグイとわたしを引っ張りながら元来た道を戻る彼に対して、わたしはまぬけにもぽかんとしてしまった。

あ、ほんとまつエクしててよかった。すっぴんをこんなに見られたら恥ずかしいもん。


「したかったんだろ?オレと、セックス」


わたしはすぐになにも言えなくて、しばらくマヌケヅラをさらしてた。


「あ、うまくできなかったオレとはもうしたくなくなった?」

「え、い、いや、君は相変わらずわたしがセックスしたいくらいの理想の塊だけど、え?」

「ならよかった。次は昨日みたいなことにならない。うん、きっと大丈夫。むしろお詫びにめちゃくちゃ頑張るから。なんでもしてほしいことするし」

「え?いや、それは、その、嬉しいけど、ま、待って、待って!」


なんでもってことはわたしが耳元で囁いてほしいセリフランキングベスト100を全部お願いできるのかとか一瞬頭をよぎったけど、そうじゃない、それはすごく魅力的だけど、そうじゃない。

頭を回せ、クールになれ。敗残兵の気力を尽くせ。


「わたし、昨日の服のまんまだし」

「下着とか気になる?コンビニくらいは寄るか」

「それに、すっぴんだし」

「え?ああそっか、なんか目がパッチリしてるからそんな気しなかった」

「ていうか、その」


気力を尽くそうとしたけど。


「もし、これでダメだったら、わたしもう立ち直れない」


一度戦場で負けたわたしには、もう気力なんてでてくる余裕がなかった。

慌てて出て来たから手入れもなにもしてないし、彼は気づかなかったとか失礼極まることいってるけどすっぴんだし、そこらへんで買った安い下着を彼の前で見せるなんて勇気、わたしにはない。

可愛くないわたしが、外側すら取り繕えないなんて、もうアウトだ。


「うん、昨日は、ほんとにごめん。でも、もう大丈夫だから」

「いいよ無理しなくて。多分二人を見て今だけ気が立ってるだけだよ、こんな可愛くないわたしとなんて、無理にやりたくもないでしょ」


まあ、おっぱいはあるけど。

確かにこの勢いのままコトに進んでしまえば、わたしの念願叶うかもしれない。でも、それでダメだったら、わたしはどうすればいいんだろう。

おっぱい以外に取り柄のないわたしが、今回はいけるだなんてそんなこと、簡単に信じきれない。

こわくて俯いてしまったわたしに、彼は心底不思議そうに言った。


「え?どこが?可愛いじゃん」


は?なに言ってんの?って思ってしまった。

そしてその勢いで顔をあげたら、まじまじと自分を見る彼がいた。


「え、だって昨日、君も言ってたじゃん、女らしくないって……」

「え?いやゴメンなんか勘違いさせてたらゴメン。いや、でもそういうの付き合いやすいっていったし、可愛くないなんてこと言ってないじゃん。てかふつうにお前って可愛いよな?」

「おっぱいがじゃなくて?」

「いやそのおっぱいは可愛いっていうのを飛び越えてるっていうか……なんか引力が働いてるっていうか……とにかくおっぱい抜きで可愛いって。ていうかおっぱいだけでやってもいいかなとか思わないよ、可愛いなって思ってるからだよ」

「本気で言ってる?」

「本気と書いてマジと読む」


マジかよ。

彼はわたしの掴んだ腕を離さない。本気でわたしとセックスしようって気でいるらしい。

わたしがずっとずっと待って、努力して、その努力をコケにされて、それでもやっぱりセックスしたいって思わせる顔と声と匂いを持つ男が、本気でわたしとセックスしようとしてくれているらしい。

マジかよ。


「わかった。でも待って、もっかい今夜、待ち合わせして、それで大丈夫なら、セックスしよう」

「え?なんで今夜?今からじゃダメなの?」

「一回君に冷静になってほしいし、それに」


わたしはすっぴんの顔で彼をまっすぐ見つめた。

これがすっぴんだってちゃんと覚えてほしいから。


「もっと可愛いって、思ってもらうために準備したいから」


相手は気にしてないっていっても、こっちはやっぱり気合いをいれなきゃいけない。

それはどこにでもある、相手に少しでも最高って思ってもらうための行為。

そしてなにより自分に自信を持つための。

女が戦場に向かうことができるようにする、とびっきりのオシャレでぴかぴかしてすべすべな戦闘服をまとう準備。


「これ以上可愛くなるのかよ。それはそれで楽しみだな。わかった、いいよ、今夜待ち合わせしよう」

「うん、今夜、再挑戦させて」

「成功するに決まってるけどな、その挑戦。そしたら、今夜、お前ともっかいラブホにいこう」


彼は嬉しそうに、本当に楽しみにしてる様子で笑って、わたしはいままでの彼の中で一番ときめいた。

でもきっと、そのときめきは上書きされる。数時間後に、待ち合わせして、一緒に向かう先で。

ものすごく、ドキドキしてる。昨夜より、もっと。

さあ、今夜の戦場のラブホテルは何号室?

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今夜の戦場はラブホテルBird301号室 コトリノことり(旧こやま ことり) @cottori

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