第三話 その名乗り、バンカラの帝王(後編)

 長五郎、否。バンカライザーの名乗りに真っ先に反応したのはのっぺり男だった。「……ハハハハハ!」

 高笑いの声に気が付けば彼は。熊男とバンカライザーの戦闘区域から、一歩二歩では近付けぬ程に距離を置いていた。


「変身もしていないのに名乗りを変えるとは……。フッフッフ、面白い。ベアー君、もう五分稼ぎなさい。ここまでお膳立てしたのです。後は私の助力がなくとも可能でしょう」

「バウッ!」

 のっぺり男が後ろへ跳び、戦闘から離脱する。その援護であろうか、熊男……ベアーが吠えた。先程一撃を跳ね返され、わずかに置いていた間合い。それを、瞬く間に詰めにかかる。しかし。

「先手必勝」

 既にバンカライザーは身を低くし、先手を打ってベアーの懐に潜り込んでいた。

「芯通し!」

 そのまま右半身で腹部に肘を叩き込む。速度が仇となり、ベアーの身体がくの字を描く。


「正直言って完全に熊化していたら危なかったが……。。まだなんとかなる!」

 気合一閃。バンカライザーはそのまま左半身を前へ押し出し、掌底で顎を狙う。が、これはわずかに空振った。ベアーの吹っ飛んだ速度が、彼自身の幸運になったのだ。


「グルゥ……」

 ワンバウンドしてアスファルトに着地したベアーが、四つん這いでバンカライザーを睨む。その姿は本当に熊のようで。

「ちぃい……」

 当然、バンカライザーは容易に踏み込めなかった。

 芯通しは物一つにしか使えない。安易に踏み込んで他を攻撃されたら、防御が間に合うか分からない。

 このままでは、時間を稼げばいいだけのベアーが圧倒的優位。必然、バンカライザーには焦りが出る。結果。


「セイヤッ!」

 ええい、ままよと言わんばかりに震脚一つ。下駄に芯を通しているためにアスファルトが砕け、礫が舞い上がる。

「ガウッ!?」

 視界を遮られたベアーが、一瞬たじろぐ。その隙に、直線を描いて。バンカライザーがベアーの真正面を駆ける。特攻か。否。


「ガアアアッ!」

 苦し紛れに振り回されたベアーの右腕を、今度は制服に芯を通して左の腕で弾き返す。そしてそのまま。

「おおおおおおお!」

 この男にしては珍しい咆哮と共に、ベアーの腹部に拳を幾発も叩き込んだ。

「オアアアアアアッ!!!!」

 ベアーは反撃もままならずに再びくの字になり、やがて顎が落ちる。バンカライザーはそこを見逃さず。

「せりゃああああっ!」

 落ちた顎にアッパーを叩き込んで、この危険な戦いに終わりを告げた。



 男が身に着けている腕時計が、八時二十七分五十秒を指した。

 頭の帽子ヅラが僅かにズレているのにも気付かないまま。鳥居忠元は桜田門学院の正門から、通学路を睨み付けていた。

 彼は教頭として相応の権限を持つ。故に生徒達の顔や名前は、余程でない限り把握している。だが本日に限っては、彼にとっても忘れようもない人物が。遅刻のギリギリラインに立っていた。


「番君……。君はどこまで……」

 鳥居忠元は、世間一般において「厳しい」「口うるさい」と言われる側の教員である。だが、そんな彼にも。そうする理由はあった。

 一つは名門と呼ばれる桜田門学院の格を保つこと。自由闊達が校風であるが故に、それは鳥居にとって信念となっていた。

 今一つは生徒達の安全と未来のためである。教育が権利である以上、それが脅かされることがあってはならない。また、それを無為にすることはあってはならない。


 そんな彼にとって、番長五郎というのは危険な存在であった。番が学習の機会を無為にするような人物ではないのは、この約一月で理解しつつあった。しかし二度の暴力事案と、あの時代錯誤な着衣。未だに鳥居は、番の本質を掴めていなかった。


 八時二十八分二十秒。鳥居はようやく帽子ヅラを整えた。その視界の隅に、小さく影が映った。

 駆けている。外套の前を開いて、ひたすらに男が駆けている。その人物は、鳥居にとっても見紛うことがない男。

 番長五郎だった。みるみる近付いて来るのは、あの日見せた身体能力をフル活用しているからか。とにかく、速い。飛ぶように走り、正門に着地する。マントで風が舞い上がり、鳥居は慌てて帽子ヅラを押さえた。


「教頭先生。現時刻は」

 息を切らしているだろうに、その声は明瞭だった。我に返った鳥居は、腕時計を見る。そして。

「八時二十九分十秒。ギリギリの登校は事故の元だ、気を付けるように。行きたまえ」

 遅刻していないことを正しく判断し、注意を与える。が。番の頬が、赤い筋を残して切れていることに、彼は気付いた。

「……。ああ、いや。担任には知らせておく。先に保健室に行くように」

「遅刻になりますが」

「担任には知らせる。私が、君が遅刻では無い事実を保証できる。行きたまえ」

「ありがとうございます」

 番は、先程までの猛ダッシュをやめて保健室へと向かう。その外套の擦り切れに、鳥居はある確信を得たのであった。


 結局、長五郎が教室に辿り着いたのは一時間目も半ばになってからであった。

「失礼します。授業に遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした」

「教頭先生からお話は伺っております。まあ……テストで取り返して頂ければ」

「はい」

 英語教諭に一礼をし、長五郎は自席へと向かう。外套はひとまず椅子に引っ掛け、急いでノートと教科書を開いた。


「なによこれ。事情も聞かないで。あの教頭が素通しなんて、らしくもない」

 その姿を目の端に入れながら、梓はひとりごちた。



 桜田門学院、理事長室。他の部屋とは一線を画した豪壮さを持つこの部屋で、鳥居と理事長の密談が行われていた。

「理事長。番長五郎は『こちら側』に引き込むべき、と提案します」

「教頭。なぜ私が彼を即座に引き込まなかったか。それは分かっているのだろう?」

 作りの良い机を挟んで、面を突き合わせる二人。そこに窺える真剣味は、とても生徒達に見せられた顔ではなかった。


「偉大な先輩の血と気質を受け継いだ孫。それを巻き込みたくないのは存じております。ですが、この学舎がニュータントの犯罪集団。いわゆるヴィランに目を付けられて以来、既に四ヶ月。事件性のあるは不審な出来事は二桁。国からの要請とはいえ、これ以上の情報封鎖は……」

「分かっている。未然、ないしはボヤの内に押さえ込めというのだろう?」

 理事長が浮かべるのは苦悩の顔。生徒を巻き込むことと、事態が拡散するリスクを、天秤にかけている図。白髪髭を蓄えたダンディフェイスが、懊悩に歪む。


「幸い、番長五郎は証言等に拠る限り、強いです。大型連休を挟むのが痛いですが、それが明け次第、彼と正しく接触したく。そして――」

 理事長の苦悩を他所に、教頭は手はずを語る。帽子ヅラの際から、汗が落ちる。

「『仲間』が居ることも伝えたいのです」

 鳥居は、最後まで理事長から目線を切らなかった。

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バンカライザー 南雲麗 @nagumo_rei

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