第三話 その名乗り、バンカラの帝王(前編)

 ポツリと、井伊梓いいあずさが呟いた。

「……ホント、退学寸前だったわね貴方」

 ずずっ……。ずずずっ……。

 もぐもぐ……。

 わずかに手を止めて、番長五郎つがいちょうごろうが返した。

「ああ。校長が祖父に縁ある人だったので前回は助かったのだが、流石に連続はまずかった」


 ずずずずっ……。

 はふはふ……。

「私が全部見てたから、証言できたのが幸いだったけど……」

 ずるずるずるっ……!


「ねえ」

「む?」

「なんでラーメン屋で夕食とってるの私達」

「俺なりの感謝の意だが」

「うん、分かる。奢ってもらってるし。なんならラーメン食べてるし」

「ならばいいだろう」

「ま、まあそうなんだけどさ……」

 ずるるるる……。

 そう。二人が居るのは、長五郎行きつけのラーメン屋である。文字通り対面し、二人してラーメンを啜っていた。片方はズルズルと、もう片方は大人しく。


 二人はあの戦闘の後、今度は教頭相手に決死の論陣を張った。長五郎が淡々と事実を告げ、梓が必死にそれを補足する。即席の連携かつ、長五郎が普段の物言いを崩さなかったため、それは非常に拙かった。しかしそれが逆に、彼等を救ったのであった。今回はギリギリのところで処分を免れたのである。


「……なにが不満なんだ?」

 遠回しな不満を滲ませる梓。その真意が心の底から分からない、という表情をする長五郎。それを見かねたのか、お盆を持った妙齢かつ恰幅のいい女性が、二人のテーブルまで現れた。


「ゴロちゃん。そりゃー当然よ。年頃の女の子捕まえといて、奢りとはいえラーメン屋。そりゃあ不服さね」

 ハッハッハと豪快に笑った後。女性は杏仁豆腐が入った皿を二つ、テーブルに置いた。

「おばさん? なんだいこれは」

「なにって、サービスさね。ウチの旦那が随分と張り切っちゃってね。『赤飯代わりに持って行け』だとさ」

 カラカラと笑いつつ、女性は言ってのける。

「えっ!?」

「ち、違いますっ!?」

 思わぬ過剰サービスに、期せずして二人の声が揃った。二人は一拍顔を見合わせた後、「フン!」と言わんばかりに目をそらした。そのままラーメンを必死に啜り、互いに顔は上げなかった。

「あらあら。仲がいいことで」


 ケラケラと笑う女将の声を聞きながら、梓は顔を真紅に染めてラーメンどんぶりを見つめていた。そして、口の中でまた言うのだった。

「なにこれ~~~~~~~~~~!?」



 ともあれ、何事もなければ日常は容易く過ぎていった。長五郎は確かに癖のある男だが、その実普段の言動では迷惑を掛けることはなかった。ただし、素っ気ないのは相変わらずだったが。

 そういう訳で四月も末になると、長五郎もすっかりクラスの一員とみなされていた。

「井伊さーん、バンチョーどこかしら?」

「私だって全ての行動パターンは把握してないんだけど!?」

 とはいえ、色々と梓経由が多いのはどうしようもないのだが……。


「て、言うかさ。外套が机に置かれてないから、もしかするとまだ来てないんじゃない?」

「え? あ、ホントだ。さすが専門家……ごめんなさい、冗談です」

 自分を長五郎専門家扱いしようとした級友にはジト目を食らわせる。だが、その陰で梓は訝しんでいた。長五郎は普段、時間に余裕を持たせて八時十五分頃にはクラスに到着する。五分前行動ギリギリで登校したことは、今まで一度も……。


「井伊さん?」

 顔を曇らせる梓に、級友が声を掛けた。

「あ、ごめん。なんでもない」

 梓はその声で我に返り、思考を打ち切った。時計の針は、午前八時二十五分。既に始業五分前となっていた。



 時は午前八時に遡る。人通りの少ない路地裏で、番長五郎はある男に絡まれていた。

「なんの用だ。授業があるから時間を食いたくないのだが」

「まあまあ。落ち着いてくださいよ。番長五郎さん」

 長五郎を路地裏へ誘った男。彼の声は飄々としていた。スーツは整然としているのだが、どこかのっぺりとしていて、年齢や外見が掴めない。


「ならば用件を言うといい。手短にな」

 長五郎は珍しく苛立っていた。彼の行動規範とは関係なく、桜田門学院は遅刻にうるさい。二度の暴力案件で教頭に睨まれている長五郎としては、余計な失点を増やしたくない。


「そうですね。単刀直入に言いましょう。ウチの組織に入りませんか? 我々は進化を遂げた超人――ニュータントを解放し、ニュータントによる未来を作るために活動しております。まだまだ活動は地下組織の段階ですが、貴方のように気高く強いお方がいらっしゃるのなら。幹部の席すら差し上げましょう」

 のっぺりとした男の提案は、どこまでも尊大なものであった。しかもこの男は、それを堂々と語った。その思想が、己の信念に等しいのであろう。


「断る」

 決然。長五郎の発した拒否の言葉は、彼らしく素っ気ない一言であった。それどころか。

「用はそれだけか。ならば行く」

 のっぺり男を無視して、長五郎は通りへと向かおうとする。だが、のっぺり男は素早く彼の前に出て。

「なぜです? なぜにそこまでハッキリと言えてしまうのです?」

 心の底からの疑問を、長五郎に浴びせた。しかし長五郎は、学帽を目深に被り直して。


「人にニュートラルウィルスの急性症状を起こさせる輩が居る。人のニュートラルウィルスを勝手に覚醒させる輩が居る。ニュータントであろうが、人として生きたい者も居るのに、だ。俺はそれが許せない。ニュータントも人も。姿形は変わらないのに。勝手にあり方を変えるべきではない」

 それは、怒りのこもった声。ニュータントを超人とみなし、上位の視点から人を蔑む者への、反逆の声。


「だから俺は。その組織の一員を宣言した貴方を。心の底から拒絶する。以上だ」

 再びのっぺり男を退ける。その覇気は、触れ難いものを感じさせる。だが。

「そうですか。ならば」

 退けられながらも、のっぺり男は指を鳴らした。すると熊の如き巨体を持った男が、長五郎の前に舞い降りた。


「番長五郎。我々は貴方を倒さなくてはならなくなった」

 状況判断で早速熊男の股をくぐり、路地裏からの脱出を試みた長五郎。その顔にのっぺり男のカバンが刺さる。行動を限定し、先回りしていたのだ。

「されど、全力を尽くす必要はない。このようにして登校を阻害すれば、退学の危機が貴方に迫る」

「そうか」

 長五郎の声はくぐもっていた。そこで、のっぺり男は気が付いた。叩き込んだカバンに、手応えがあまりにもない。

「芯通し」

 それもそのはず。よく見れば彼が目深にかぶっていた筈の学帽が、いつの間にか顔を隠していた。


「そう来るのなら、俺としてももう戦う他ない」

 学帽をかぶり直し、ガサゴソとなにかを準備する長五郎。だが、熊男は振り向き、攻撃の構えに入った。のっぺり男は距離を取り、熊男の行動を制限しないようにした。五秒後、熊男から掌が振り下ろされた。大きさ故に、その一撃は恐怖そのもの。だが。


「芯通し!」

 アッパーカットが、その掌打を迎え撃った。鈍い音が路地裏にこだまし、掌が弾き返された。見れば長五郎の拳に、グローブが被せられている。


「こんな事もあろうかと、マスクとレーシンググローブを用意しておいてよかったよ」

 その声は、くぐもっていた。学帽は目深に。口元には黒のマスク。ファイティングポーズを取る姿は、今までと同じに見えるが。


「これ以上喧嘩をアレコレ言われる訳にもいかない。これからは名乗りを変えていく。俺はバンカラの帝王カイザー、バンカライザーだ!」

 熊男を弾き返し、のっぺり男を睨み付ける。


 離れた場所にある時計の針は、八時十五分を示していた。


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