電園都市線の日常 ~椅子とりゲーム編~

10月始めの月曜日。僕は今日も棟急電園都市線とうきゅうでんえんとしせん始発駅の混雑した改札口をくぐった。階段を駆け降りて人の多いホームに向かう。

「急がなければ。」僕は呟き、早歩きで移動を始めた。「駅構内での駆け足はお止めください」という無機質なアナウンスが聞こえるが、申し訳ないが無視させてもらった。僕には、来たるべき「戦い」に急ぐ必要があるのだ。


電園都市線は、最大乗車率が180%を越える超混雑路線である。席に座れるか座れないか。これが乗客の人権を左右するといっても過言ではない。そのため、僕らは毎朝、電車を2本も3本も前から乗車口に並んで、虎視眈々と自分の席を狙う。


ホームにたどり着いた。乗車口を見ると、すでに3人づつ3本の列が形成されていた。2本後の準急に乗る人々である。遅かったか...?いや、まだ間に合う。

一瞬考えて、中央の列の4番目にすべりこんだ。まもなく、両隣の列にも人が並ぶ。

とりあえず、僕は安堵した。この「4番目」というのがまた重要な立ち位置なのだ。

5番目より後ろになるとまず席に座ることは許されない。つまり、「4番目」という立ち位置は、生命線や絶対防衛ラインとでも言うべき存在である。

しかし、油断はできない。3番目より前の人は確実に座れるが、四番目だと5割くらいの人しか座れない。つまり、4番目という立ち位置は、戦士じょうきゃくの腕が試される場所でもあるのだ。


2本の各駅停車と1本の準急を見送ったあとには、乗車を待つ列の1列あたりの人数は7人を超していた。の到来を告げるアナウンスが響いた。刹那、辺りに軽い緊張が走る。幾つかの視線が、細長く延びるホームの右側に注がれた。

まもなくは姿を表す。深紅のラインを身にまとい、薄く鈍く灰色に光るボディ。これから戦場と化する、電園都市線の車両だ。

ゴットン、ゴットン...という重苦しい音が辺りに鳴り渡る。そして、車体の生み出す力強い風は僕に戦いの訪れを感じさせる。

電車は徐々に減速し、僕は自分達の入る扉を視界に捉えた。拳を握り、腹に力を込め、息を止める。じっと、その時が来るのを待った。


機械音声が叫んだ。

少なくとも僕には、そう聞こえた。

「長都田 長都田 押し合わず お気を付けて お乗りください」


同時にドアが開く。

さあ、戦いの始まりだ。


3列に並んだ乗客たちが、雪崩をうって車内に突入する。

先頭の乗客が、角の席を取得した。そのサラリーマンが、悠々とスマホを取り出すのを確認した。先頭の方々は20分以上並んでいる。当然の勝利だ。

2番目の乗客は、残り少ない角席を取ろうと全速力で車内に飛び込んだ。息を整え、ようやく席に座った。彼らもまた、15分以上並んでいる猛者たちである。

3番目の乗客は、4番目の僕たちに席を盗られまい、と必死に走る。彼らは多少僕らより並ぶのが速かっただけである。急がなければ、僕らに寝首を書かれる。


次は4番目。つまり、僕の番。

よろめきそうになりながら、車内に転がり込む。目星を着けていた席にすべりこもうとした。しかし、間一髪、その席をおばちゃんに奪われてしまった。手痛いタイムロス。状況は刻一刻と変化している。瞬時に辺りを見回した。中央にひとつだけ空席がある。最後の望みだ。隣の青年と、視線がぶつかる。彼も座れなかったようだ。

僕が死ぬか、彼が死ぬか。

この一瞬に、掛かっている。

思うより先に、体が動いていた。




「急行・久木行きが発車いたしまーす。黄色い線の内側にお下がりくださーい。」

間の抜けた駅員の放送が流れる。すぐに、ドアがしまる。僕は、大きくあくびをした。電車が発進し、ゆっくりと窓の外の景色が流れて行く。目の前では、疲れた目をした青年が、つり革に体重をかけて突っ立っていた。

僕は、勝負に勝った。彼をはじめとする、ほかの乗客との戦いに。人権を確保しながら、悠々と会社に行ける。今日はツいている。自然と笑みがこぼれた。

電園都市線の朝は、たった0.1秒の違いが明暗を分ける。座れなかっただけで、プレス機のような人圧に耐えながら会社や学校に行くはめになってしまう。だから、この朝の戦いいすとりゲームは大激戦となるのである。


やがて、次の駅に着いた。もう席は空いていない。われわれ勝者の物だ。あとから乗ってきた乗客は、人間プレス機に挟まれながら通勤するはめになるであろう...しかし僕は、彼らとは違う存在だ。激しい戦いを生き抜いた、絶対的勝者なのである。そうたかをくくっていた。

しかし、現実はそこまで甘くなかった。


思わぬ伏兵が居た。


ドアが開いた。重たい荷物を持った、優しそうなお婆ちゃんが乗ってきた。目の前の青年が、立ち位置を少しずらした。そして、お婆ちゃんが僕の目の前にたつ。立っているだけで、大変そうだった。

僕は迷った。せっかく手に入れた戦利品いすだ。ここで、みすみす手放してなるものか。そんな考えが脳をよぎる。

しかし、僕の良心がこう囁く。ここは人として、席を譲らねばならない。あんな地獄みたいな環境に、ご老体をさらすわけにはいかない。


僕は決断した。

荷物を持つと、ゆっくりと立ち上がる。

「お婆ちゃん、席をどうぞ。」

「あらいいの?悪いわねえ。でもありがとう。」

彼女は、ゆったりとした笑みで僕に笑いかけた。

お婆ちゃんがプレス機に挟まれることを思えば、自分の身一つくらい安いものだ。


こうして、僕の朝の戦いは、名誉の戦死に終わった。

今日も、一日が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集 たかむつ @tkam2d

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る