その25:赤毛の騎士と、婚約者

「アンリエット、婚約者が迎えに来てるわよ」


 書類を抱えたアンリエットに、新しい同僚のポーラが声をかけてきた。茶化すような響きに、アンリエットはまだ照れ臭さを隠せずにいる。



 アンリエットの自宅謹慎の期間が終わり、親衛隊に復帰して一週間もせずにベルナデットはロンゴリア王国へと旅立った。

 アンリエットとセルジュの婚約を一番喜んでくれたのもベルナデットだ。彼女に良い報告ができたのはアンリエットとしても嬉しかった。

「見てなさい、アンリ。あなたの耳にも届くくらいすごい王妃になってみせるわ」

 出立の直前、ベルナデットは胸を張ってそう言った。祖国を離れることに対して不安がないわけではないだろうに、そんな様子は微塵も見せない。

「だから、あなたも素敵な騎士になってね。わたくしが向こうで『アンリエット・ファビウスはわたくしの騎士だったのよ』って自慢できるくらいに!」

「そ、それはいくらなんでも無茶じゃないですか?」

 よほど変わっているか、よほど優秀でもない限り、ただの騎士の噂が他国まで届くと思えない。

「やってみる前から無茶かどうかなんて言うものではないわよ? 約束してちょうだい、わたくしの騎士」

 差し出されたベルナデットの手首には、あの日に買ったレースのリボンがあった。色違いのものが、アンリエットの髪にも結ばれている。

「――はい」

 恭しくアンリエットはベルナデットの手をとった。手袋越しの手の甲に、尊敬のキスを送る。

「いつか、きっと。どうかお元気で――ベルナデット様」

 ベルナデットは満足げに微笑んだ。アンリエットはその顔だけでも十分すぎるほど満たされた。

 もうまみえることはないかもしれない。けれど。

 それでも、アンリエットとベルナデットは、確かに友人であり、同時に信頼し合う主従だったのだ。




 自宅謹慎があけた頃には、このまま無職になると思っていたアンリエットだったが、有能な婚約者は真剣にアンリエットの今後を考えてくれていたらしい。

「アンリエットは素質としては第一騎士団にむいてますよ」

「いやいや、セルジュ様、それは買いかぶりすぎですよ?」

 冗談、あるいはやさしさの類から出た言葉だとアンリエットも最初は信じなかった。

 しかしセルジュは「信じていないでしょう」と眉を寄せる。

「少し優柔不断なところはありますが、いざ計画してそれを実行に移すとなれば迷いませんし、城下での一件も団長は興味津々でしたよ」

 そういえばベルナデットも似たようなことを言っていた気がする。

 遠すぎると思っていたところに、もしかしてアンリエットは手が届くのだろうか?

「あ、あたしは……第一騎士団の一員になれると思いますか?」

「今のままでは無理でしょう」

 きっぱりと、いくら可愛い婚約者相手にもセルジュは容赦なかった。上げて落とすとはこのことだ。

「経験と実力が足りていないのは年齢的にもしかたないことですけど、何より必要なのはその苦手を治すことですね」

「うっ」

確かに今のままではおそらく団長のオーギュスト相手にも毎日悲鳴をあげかねない。それでは仕事にならないだろう。


「それで、アンリ。俺から提案があるんですが――」



「お待たせしました。セルジュ様」

 いつも昼休みになるとアンリエットを迎えに来る婚約者のもとへ駆け寄る。

 セルジュはにっこりと微笑み、そして訂正を求めた。

「アンリ」

「……セ、セルジュさん」

 お見合いが無事に終わり、婚約が決まるとセルジュは真っ先に「セルジュ様」をやめるように言ってきた。曰く、婚約者なのだから対等であるべきだ、と。セルジュはちゃっかりとアンリエットを愛称で呼ぶようになった。

「本当は『さん』もいらないんですけどね」

「いっぺんにそれは無理です……!」

 正直アンリエットはこのうつくしい青年が自分の婚約者だということにすら慣れていないのだ。

「まぁ、ゆっくりいきましょうか。事務局の仕事には慣れました?」

「はい。意外に体力仕事が多くて驚いてますけど」

「騎士団事務局ですからね。普通の事務仕事とは違うでしょう」

 そう、アンリエットは今騎士団事務局に勤めている。

『まずは苦手を克服、あるいは軽減しましょう。今までみたいにどこかの親衛隊にいたのでは状況が変わりませんから……事務局に行くのはどうかと思うんですが』

『事務局、ですか?』

『あそこは頻繁に人の出入りがありますから嫌でも苦手なタイプと接しますから。でも同僚にはアンリエットが苦手な人はいないと思いますよ』

 騎士団事務局は半分が事務官、半分が騎士といった具合の割合だったと思う。騎士といっても年配の騎士や、怪我をしてしまって今までどおりに動けなくなった騎士が事務局へと配属される。

 若く健康なら騎士が行くところではない――そんな考えがあるから、アンリエットもセルジュからの提案でなければ気分を害していただろう。

 実際に騎士団事務局で働き始めるとその忙しさと人手不足に悩まされている。

 以前のアンリエットのような考えの騎士が多いからか、事務局は圧倒的に人気のない職場だ。故に騎士の数が足りていない。

 単純な事務仕事の他に、訓練場の管理、騎士希望者の受付や見定め、見習い騎士への教育、そして中立的な位置にあるがゆえに騎士団同士の揉め事の仲裁にまで駆り出されている。


 へとへとになったアンリエットを帰りにはセルジュがほぼ毎日迎えに来て寮まで送ってくれるのだが、おかげで婚約したてなのに新しい職場ではすっかり二人の関係は浸透している。

 昼食も、今までどおり東屋でとっているのだが時間があればその時さえセルジュは迎えに来るのだ。

「……思うんですけど、セルジュさんはちょっと過保護じゃありません?」

 普通の婚約者とは、こんなものなのだろうか? 婚約者がいる友人たちはもっとドライだったと思う。

「アンリを甘やかすのは婚約者の仕事でしょう?」

 アンリエットの髪で揺れるリボンを持ち上げて、セルジュは甘く微笑んだ。リボンはセルジュの瞳と同じ、紫色。次の休日には他にもリボンを買いに行くと無理やり約束させられている。

 過保護――というより、この婚約者は意外と独占欲が強いのかもしれない、といくら鈍いアンリエットでも気づきかけているほどだ。

「……っ! そういうところですよ!」

 目下アンリエットは、婚約者の甘さに慣れずにいる。

 ……慣れる日なんてこないのかもしれない。




 エヴラール王国の赤毛の女性騎士の名が、その夫の名と共に知れ渡るようになるのは、もう少し先の話である。

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アンリエット・ファビウスの訳アリお見合い事情 青柳朔 @hajime-ao

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