その24:お見合い相手が天使だった
逆光を受けてきらきらと輝く白銀の髪。こちらを見て柔らかくなる、紫水晶のような瞳。
「アンリエット」
そっと撫でるようにやさしい、低めの声。
幻覚か幻聴かと思ったが、目の前のセルジュは消える様子もない。
ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返し、目をこするアンリエットを、セルジュはくすくすと笑いながら見守っている。
「……セルジュ様?」
「はい」
返事をした。やはり幻ではないらしい。
(幻じゃないとなると……?)
「あれ……? 今日会う予定だったのって、セルジュ様でしたっけ? お見合い相手ではなく?」
アンリエットがお見合いの日程を間違えて覚えていたのだろうか。だとしても侍女たちはアンリエットを着飾ることに必死だったし、ディオンがいるのもおかしいことになるのだが。
「アンリ。混乱してるみたいだけど会う予定だったのも見合い相手もセルジュだぞ」
呆れたディオンが口を挟む。
今日会う予定だったのもセルジュで。
――お見合い相手もセルジュで?
ディオンの言葉を反芻して、アンリエットは「ええ!?」と声を上げた。
「え、じゃ、じゃあ、セルジュ様があたしの見合い相手だったんですか!?」
「そうですね」
「いつから!?」
「最初からに決まってるだろ」
そもそも今日のお見合いは、以前アンリエットが逃げ出したことで実現しなかったものを、改めて場を設けたのだ。
つまり、あの日お見合いをしていたとして、やって来たのは筋肉ダルマではなくセルジュだったということになる。
「セルジュ様はそんなことちっとも言わなかったじゃないですか!?」
今までアンリエットと会っていても、セルジュはそんな素振りは一度も見せなかった。アンリエットがお見合いについてどうにかしたいと相談したときでさえ、だ。
「言わなかっただけで、嘘はついてませんよ」
「うそぉ!?」
しれっと答えるセルジュに、アンリエットは半ばパニック状態だ。
「セルジュが嘘つく理由はないだろうが。だいたい、あの日にうちに訪ねてきたおまえと釣り合いのとれた年齢の男ってあたりで普通は気づくだろ」
ディオンの説明に、今なら言われてみるとそうかもしれないと思うが。
「き、気づくわけないじゃないですか! 下敷きにしたってインパクトで全部吹き飛んでますよ!!」
何しろ出会いの瞬間の衝撃が強かった。天使かと見紛う綺麗な男性を、まさか木から飛び降りる時に下敷きにするなんて人生で一度あるかないか……いや、普通ならないのだろう。
「言ったらアンリエットは混乱するだろうし、下手すれば避けられると思ったので」
「さ、避けたりはしませんよ……?」
「いや、変に意識して避けただろうな」
ディオンに図星を刺され、アンリエットは「う」と反論できなくなる。
最初からセルジュが見合い相手だと言われていたら、いくらそれが好みの外見をしていても『お見合い』と『結婚』を意識してしまっただろう。それにお見合いから逃亡したという罪悪感で打ち解けることも難しかったかもしれない。
「……あれ? でもそれならなんで断らなかったんですか? セルジュ様はルイーズ様のことが好きなんじゃ?」
「……何をどうやったらそんな勘違いをするんですか」
はー、とセルジュは重くため息を吐き出している。
(勘違い?)
だって、セルジュには心に決めた人がいるらしいし、セルジュと親しく身近な女性というのは多くない。
だから、アンリエットはてっきりセルジュはルイーズのことが好きなんだと思ったのだが。
「あー……あとは若いお二人で、庭でも行けばいいんじゃね?」
飽きてきたのだろう、ディオンが投げやりにお決まりのセリフを言ってくる。
(若いお二人って兄様もそんなに年変わらないじゃない……)
いくらお決まりのセリフだとはいえ、お若い人にお若いお二人で、などと言われても違和感しかない。しかしセルジュはそうでもないらしく「そうですね」と微笑んでいる。
「アンリエット、案内してくれますか?」
「え、あ、はい」
散歩にでも行くくらいの空気に、アンリエットは思わず首を傾げた。おかしい。今日はこんなはずではなかったのに。
(あれ、これお見合いだよね? あたし断るつもりで気合い入れてきたんだよね?)
でも相手はセルジュだ。恐れていた筋肉ダルマではない。
アンリエットの予定が狂うのも当然というものだ。
「ああ、アンリエットに会ったのはあの木の下でしたね」
「会ったというか、あたしが下敷きにしたというか……」
外に出てすぐに目に入る大きな木は、アンリエットが逃走に使ったものだ。
「……あの木の傍にある窓ですか?」
「あそこがあたしの部屋なんです」
へぇ、とセルジュは木のそばまで歩み寄りながら窓を見上げる。ちょうどアンリエットがセルジュを下敷きにしたあたりだ。
「ところでルイーズがどうのと言っていましたが」
「は、はい」
セルジュがアンリエットを見つめて話を切り出す。そういえば勘違いと言われたまま話題が途切れていた。
「彼女はただの同僚であって、それ以下でもそれ以上でもありません。個人的には彼女を恋人にするのはごめんです」
絶対に、と念を押すように呟くセルジュの顔は心底嫌そうで、とても嘘だとは思えない。
「あ、あんなに美人なのに!?」
(ルイーズ様でもダメって、それじゃあ……あたしは全然無理なんじゃ……!?)
そっと自分の胸元を見る。そこはルイーズの胸と比べてもかなりささやかだ。どこもかしこもルイーズに勝てるようなものはないのに、どうすればいいのだろう。
「……わかってきたと思っていたんですけど、アンリエットは予想以上に鈍いですよね?」
呆れるような響きはないが、どこか困ったような、それでいてそれを少し楽しんでいるような声だ。
「え、そんなことないと思いますけど……?」
人一倍聡いわけではないが、特別鈍いわけではない……と思う。
「そうですか? それなら……相手がアンリエットだと最初から知っていて、見合いを延期し続けて、こうしてまたやって来た男が何を考えていると思います?」
「え、えっと……」
悩むまでもなくセルジュのことを言っているのだろう。
(セルジュ様からすればさっさと断ればいいのに、それをせずにいたんだよね……? それであたしとは友人として接していてくれたわけで……)
あれ、とアンリエットはかたまる。
だって、都合のいい結論しか浮かばなかったのだ。
じわじわと熱が頭にのぼってくる。
「――アンリエット?」
催促するようにセルジュが微笑む。その表情に、アンリエットはさらに顔を赤く染め上げた。
(セルジュ様ったらわかってて問いつめてきてるでしょう!?)
「……セルジュ様って意地悪ですよね? あたしのことなんてなんでもお見通しですか?」
じとりと睨むアンリエットに、セルジュは苦笑した。
「そうでもないですよ? たとえば――」
伸びてきたセルジュの手が、アンリエットの髪に触れる。
「どうしてプレゼントしたリボンを使ってもらえないのか、どんなに考えてもわかりません」
「そ、それは」
「それは?」
「……使うのが、もったいなくて」
「それならもったいないなんて思うことがないようにもっとリボンをプレゼントします」
(えええ!? なんでそうなるの!?)
リボンを使わずにいる理由を聞かれているだけだったはずなのに。
「そ、それに!」
「それに?」
「……セルジュ様は、好きな人が……ルイーズ様のことを好きなんだと思ったので」
そう思っていた頃はセルジュへの思いを自覚していたわけではないが、それでも他の誰かを愛している人相手にめかしこんでも、むなしくなるだけだと思った。
「それはさっき説明したようにアンリエットの盛大な誤解です」
むすっとセルジュが不機嫌そうな顔をするのでアンリエットは慌てて言葉を被せた。
「もうわかってます! あ、あたしだって今度セルジュ様に会う時はリボンを使おうと思ったんですから! それに今だってお守り代わりに持って……!」
ほら! と持っていたリボンを見せる。
「今度会う時に? どうして?」
「それは――」
リボンを握りしめてアンリエットは俯いた。
今度セルジュに会ったら、告白するつもりだった。とはいえ、それがまさか今日になるなんて思っていなかったから、まだ勇気の準備もしていない。
それは、と小さく声を震わせるアンリエットの手に、セルジュが触れる。
「……さすがに意地悪すぎましたね」
大きな手のぬくもりが緊張するアンリエットに伝わってくる。そのあたたかさにほっとした。
「あなたが好きです、アンリエット」
囁くような声は、普段のセルジュよりとろけるように甘かった。きゅっと心臓が締め付けられるように苦しい。
セルジュの手が、アンリエットの手の中からリボンを抜き取る。お守りが手から離れてしまって、「あ」とアンリエットは声を零す。
握りしめられていたリボンが広がる。紫水晶のような綺麗な紫は、アンリエットを見つめてくる瞳と同じ色だ。
セルジュはリボンを結い上げたアンリエットの髪に結んだ。
「ああ、やっぱり――」
よく似合う、とセルジュは笑う。
「天使だと思ったと、言ったでしょう?……一目惚れだったんです」
照れながら少年のように笑うセルジュを見上げて、アンリエットは胸がいっぱいになる。
(言わなくちゃ)
縋るようにセルジュの上着の裾を掴む。唇を震わせて、それでも真っ直ぐにセルジュを見つめて。
あたしも言わなくちゃ、とアンリエットは口を開く。
「あたしも、あなたが好きです。セルジュ様」
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