その23:菫色のドレス

 あれよあれよという間にお見合いの日は決まってしまった。先方の都合がいいという理由で、アンリエットの心の準備も整わない二日後に。

 アンリエットが謹慎中ということもあり、ファビウス家で顔を合わせることになった。


(でもこれ以上先延ばしにするわけにもいかないし、今のあたしにはきっぱり断る理由もあるんだから前向きにいこう……)


 好きな人がいるので、という断り文句をまさか嘘でも冗談でもなく口にする日がくるとはアンリエットも思わなかった。

 きちんと断った上で、同じように好きな人がいるのだと両親にも打ち明ければ、今後はこんな見合い話も持ってこないはずだ。相手は誰だと母親あたりはしつこく聞いてきそうだが。

「……まずはこのお見合いをはっきり終わらせないとね」

 保留のまま放置しているのは居心地が悪いし、まるで保険のように扱うのはまだ見ぬ見合い相手にも失礼だ。

 セルジュに告白するのだとしても、半端なままのお見合いをそのままにしておくのは不誠実だろう。

(……告白)

 するのだろうか、とアンリエットは思う。

 振られるとわかっていて思いを告げるべきなのだろうか? 今のままなら、友人でいられるが、告白してしまえば関係は変わってしまうのではないか。

 こういう決断の時にうじうじと考えすぎてしまうのはアンリエットの短所だ。自分のこととなるとなかなか腹をくくれない。

(でも、立ち止まっていてもしかたないもんね)

 お見合いが終わって、少し気持ちを落ち着けて。

 そしたら。

(リボンをつけて、セルジュ様に好きですって、伝えられたらいいな……)




 自宅謹慎中に身体が鈍らないようにと朝稽古をしているアンリエットだったが、お見合い当日はその朝稽古もそこそこに切り上げさせられ、侍女に囲まれていた。

「お嬢様、お肌のお手入れサボっていたでしょう? 少し荒れてますよ」

 お叱りを受けながら化粧水を塗られる。

「白いのに日焼けはあんまりしないんですよねぇ。奥様に似て良かったですね」

「旦那様に似ていたら今頃真っ黒ですよねぇ」

 楽しそうな侍女たちはそんなことを言いながらアンリエットを飾り立てていく。

(いっつも思うけど、これ慣れない……! 全然慣れない! ベルナデット様はこんなことを毎日していらっしゃるんだから本当に尊敬するわ……)

 ファビウス家は女性であっても騎士になる者が多いせいか、幼い頃から自分のことはたいてい一人で出来るようにと教育されている。

「ドレスはどうしますか?」

 開け放たれたクローゼットの中にはずらりとドレスが並んでいる。

 おかしい。記憶にないドレスが何着もある。淡いピンクとか、アンリエットは絶対に持っていなかったはずだ。

「……なんか増えてない?」

「奥様がこれから必要になるからと何着が新調させて」

(必要になるって……)

 無職になった暁にはお見合い地獄にでも落とす気だろうか。ゾッとしてアンリエットは青ざめた。

 アンリエットとて年相応に可愛いものも綺麗なものも好きだ。ドレスだって嫌いなわけじゃない。

(でもあたし、母様と違ってどんな色でも似合うってわけじゃないし)

 ファビウス家に嫁いできた母はもちろん筋肉遺伝子を受け継いでいない。代わりにびっくりするほど筋肉フェチだが。

 美女と野獣と揶揄されるほど、母は小柄で愛らしい外見をしているし、髪はとても綺麗な淡い金髪で、どんな色のドレスだって違和感なく着こなしてしまう。

(髪の色も母様に似たかったなぁ……この髪、派手すぎるし)

 ドレス選びとなると、この赤い髪はいろんな色と喧嘩する。ピンクなんてもってのほかだ。

 どんな色でも着こなせる母は、世の中には似合わない色がある人もいるということが理解できていないらしく。

 クローゼットの中の色とりどりのドレスに、アンリエットはため息を吐いた。

「お嬢様? どうされます?」

 普段アンリエットが着るようなグレーなどの色のドレスが用意されているはずもなく、母が可愛い娘に着せたいと善意で作らせたものから選ぶほかない。


『天使が落ちてきたのかと思って、咄嗟に避けられなかったくらいです』


 ふとセルジュの言葉を思い出して、アンリエットは赤くなった。初めて出会ったあの日の姿を、セルジュが似合っていたと言ってくれた時のことだ。

(でもあのドレス、クリーニングには出しておいたけど寮に置いてきたまんまだし……)

 ドレスを着たまま脱走し、寮に逃げたので薄いブルーのドレスは寮のクローゼットに押し込められている。

 悩みながらクローゼットを睨むように見ていると、華やかな色の中の、一色に目が止まる。

 気づけばアンリエットはその色を指さしていた。


「……その、ドレス。菫色の」


 薄紫色のドレスは、裾の方が濃い色になっている。

 それはまるで、紫水晶のようだった。




 好きな人を思い浮かべて、その人の瞳の色とよく似たドレスを選ぶ。

 それは恋する乙女としては間違った行動ではないが、見合いの場で着るドレスの選び方としてはどうだろう。

(言わなきゃいい話だけど、ちょっと後ろめたい気もする……)

 けれど大嫌いな筋肉と対面するのだから、アンリエットの気持ちの中だけでもセルジュに味方してもらっているように感じられたら、心強い気がするのだ。

(……リボンは、今日使うのはどうかなって思ったからつけてないけど)

 けれどリボンも、お守りにと懐に忍ばせてきている。

 ドレスとリボン。

 二つともセルジュの瞳の色だ。そう考えるだけで憂鬱なお見合いも乗り切れる。

(気絶する前にごめんなさいって断るだけだもんね。筋肉がくるって心構えがあるから、前みたいに不意打ちの筋肉で気絶するとは限らないし……!)

 ぐっと勇ましく拳を握っていると、コンコンとノックの音がする。

「アンリ、相手が来たみたいだぞ……お、ちゃんといたな」

 さすがに今回は逃げたりしない、と思いながらも時計を見る。予定していた時間よりも三十分ほど早い。

「は、早くない? それになんで兄様がいるの?」

「んー……仲人みたいな?」

 仕事はどうしたのだ、と普段なら問いただすところだが、アンリエットにはそんな余裕はなかった。

(き、筋肉が増えた……いや。父様もいるから目の前は筋肉だらけ……)

 平静を保てるだろうか。家族には多少慣れているとはいえ、筋肉に囲まれたときの圧迫感を想像してアンリエットは青ざめた。

「親父たちはいないぞ。俺とおまえと相手だけ」

「え、なんで?」

「なんでも」

 会えばわかるよ、とディオンは説明してくれる気はないらしい。

(会えばわかるって……兄様がいるって……相手は第三騎士団の人とかなのかな……?)

「そのドレス」

「はい?」

 ディオンがアンリエットを見下ろしながら口を開く。兄の口からドレスのことが出てくるとは思わずに、アンリエットは首を傾げた。

「おまえが選んだの?」

「え、そ、そうだけど……?」

 母が勝手に用意していたドレスの中からだが、それでもアンリエットの意思でこれと決めた。侍女たちは似合いますと言ってくれたけど、本当のところはどうなのかわからない。

 ふぅん、とディオンは意味ありげに笑う。

(え、何!? も、もしかしてあたしの気持ちはバレバレだったりする!?)

 そういえばベルナデットにもバレていた。それならディオンだって気づいていてもおかしくはない。

「に、似合わないって言うんでしょう? 騎士服でいいならあたしだってそうするけど」

 誤魔化そうとアンリエットがそう言うと、ディオンはぽんぽん、と頭を撫でる。せっかく綺麗にまとめた髪がぐしゃぐしゃにならないように、そっと。

「似合ってるよ。たぶん喜ぶ」

 ま、騎士服でも気にしなさそうだけどな。

 そう笑うディオンに、アンリエットはますます不思議そうに頭を傾げた。

(喜ぶ? 誰が?)

「……なんの話?」

「だから、会えばわかるよ」

 またそれか、とアンリエットは顔を顰めるが、応接間に着いた途端に緊張で表情がこわばった。

 コンコン、とディオンがすぐにノックしてしまう。

(こ、心の準備をさせてよ兄様!)

 しかも相手の返事を待たずにすぐに扉を開けてしまった。よほど気安い相手なのかもしれないが、礼儀知らずにもほどがある。


「悪い、待たせたな」

「いえ、こちらが早く着いてしまったので」


 部屋の中から聞こえる声に、アンリエットの足は止まった。

(え?)

 その声を聞き間違えることはない。顔を上げたアンリエットは、窓からの逆光に思わず目を細める。しかしそのシルエットだけで、心臓はどくんと大きく跳ねた。


「……セルジュ様?」

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