その22:実家に帰らせていただきます
城に戻ったアンリエットを待っていたのは、厳しい表情の隊長だった。
第一騎士団には最初から伝わっていたアンリエットとベルナデットのお忍びも、ベルナデットの親衛隊のほとんどが知らなかったらしい。ベルナデット本人が、隊長にしか明かしていなかったようだ。
「……アンリエット・ファビウス。あなたは一週間の自宅謹慎とします」
重々しく下された処分に、アンリエットは目を伏せた。怒らせただけではなく、悲しませたのだとわかる隊長の顔に、申し訳なさばかりが増していく。
「アンリはわたくしに命じられただけなのよ!」
まだ古着のワンピースも脱いでいないベルナデットはアンリエットを庇うように声を荒らげる。
いいんです、とアンリエットが声を紡ぐよりも早く、隊長はゆっくりと首を横に振った。ベルナデットが庇ったところで、処分は覆らないということだ。
「時には主を諌めるのも騎士の務めです。わかってますね、アンリエット?」
「……はい」
すべて覚悟の上だった。
むしろただの謹慎ですんだのだからやさしい処分だと思う。騎士でいられなくなる可能性も、アンリエットは考えていたくらいなのだから。
侍女たちに促されて、ベルナデットは着替えるために隣室へ移る。後ろ髪ひかれるようにこちらを見つめてくる彼女に、心配いらないと伝わるようにアンリエットは微笑んだ。
「……ところで、寮ではなく、自宅謹慎なんですか?」
「ええ、自宅です」
(それだと監視の目も全然ないし、あんまり意味ないと思うんだけど……)
謹慎とは名ばかりで、好き勝手しようと思えば出来てしまう。首を傾げて不思議がるアンリエットに、隊長はふ、とやわらかく微笑んだ。
「……形だけでも処分は下さなければいけませんから。しっかりと反省しなさい」
「あ」
(……なるほど、つまり実質、無罪放免なのか……)
嫁入り直前の王女を城下に連れ出すなんて騎士として前代未聞だが、そもそもベルナデットが望んだことでもあり、かつ第一騎士団という護衛も密かについていた。危うく
「……ありがとうございます」
「礼を言われることは何も。もしまた似たようなことがあったときは必ず上に報告、相談しなさい」
「はい」
次があれば、の話だけど。
(ベルナデット様がロンゴリア王国へ行ってしまわれたら、あたしにそんな無茶を言う人はいないと思うし)
そもそもアンリエットは次に仕えるべき主も決まっていない身だ。
苦笑したアンリエットは頭を下げると、私服のまま退室する。まだ昼頃だというのに、午前中の濃厚すぎる時間のせいですっかり疲れていた。
昼間の寮は閑散としている。今日が非番の騎士も昼食時だから寮からは出払っているようだった。
(さすがに父様たちには叱られるだろうなぁ……自宅謹慎という名の休暇みたいになったけど、父様の説教は気が重い……)
それに――
「……セルジュ様に会えるのは、早くても一週間後か……」
会いたいような会いたくないような、そんな気分だ。どんな顔をして会えばいいのわからない。
馬車から下りたあとの別れ際にはろくに話す時間はなかった。不機嫌はなおっていたようだけど、アンリエットがしでかしたことには呆れたままかもしれない。言い訳する気もないが、せめてゆっくり話をさせて欲しかった。
実家に帰るのに荷物はそう多くはいらない。
(……リボン)
寮の机の引き出しにしまったままの、紫水晶のような色のリボンを取り出す。
もともと大事にしているものだけど、セルジュへの想いを自覚したあとではなお大切なものに感じるから恋とは不思議なものだ。
同時に苦い気持ちも浮かんでくる。
「……セルジュ様には好きな人がいるんだもんね。自覚した時には失恋確定かぁ……」
リボンを撫でながら小さく呟く。
アンリエットの予想ではおそらくルイーズがセルジュの想い人だ。二人のやり取りを間近で見ることはあまりなかったが、今日のわずかな会話を目の当たりにしてもやはり気の置けない仲なのは確かだろう。
(でも、あたしがセルジュ様のことを好きでいるのは自由だもんね……)
手元にないと落ち着かなくなりそうで、アンリエットは紫色のリボンを荷物の中に入れる。
アンリエットが実家に着いた頃にはまだ日暮れ前だったが、早めに帰宅したらしい父がいかめしい顔でアンリエットを待ち伏せていた。どうやら早めに仕事を切り上げてきたらしい。
これは長いお説教になりそうだとアンリエットはそっと覚悟を決めた。
「主の願いを叶えようとする精神は素晴らしい。誇っていい。だがその手段を誤ってはいけない。もちろん騎士はただ一人であっても警護対象を守りきらなけらばならないが、必ずしも常にそうであるべきというわけではない。騎士団はなんのためにあるのかを今一度よく考えて……」
夕食までの時間は向き合いながらお説教され、アンリエットは耳にタコができそうだった。
この手の話は幼い頃から嫌になるほど聞かされている。それこそ、父は口を開けば筋肉の良さを語るか、騎士たる者はと語るかのどちらかだ。
夕食だからと母が割って入ったものの食事をとりながらも父はまだぶつぶつと口うるさくあれこれと話していた。後半はもはや聞き流しているので覚えていない。
「それで、アンリは休暇なんでしょう?」
「謹慎ですけど!?」
ふわふわと微笑みながら暢気に問いかけてきた母に、アンリエットは間髪入れず答えた。
(実質休暇みたいなもんだけど! 一応形としては謹慎だから!)
「それならほら、延期になっていたお見合い。進めてもいいかしら?」
(全然話を聞いてないー!)
母はいつもこうなのだ。とてつもなくマイペース。こちらがどんなに抵抗してもにこにこと笑顔でいつの間にか強行されている。
そして母が聞き捨てならぬことを言っていた気がする、とアンリエットはおそるおそる母親の顔を見た。
「……え、延期?」
「そうよ。あなたが脱走してそのままだった、あのお見合い」
「ちょっ……あのお見合いまだ諦めてなかったんですか!?」
もう随分前の話になる。セルジュと出会った頃の話だから、一ヶ月以上は前の話だ。
「先方もすぐでなくても良いタイミングでっておっしゃってね」
顔を合わせる前に逃亡した相手になんて心が広いのか。……アンリエットにとってはまったく嬉しくない話だ。
(まさかお見合い問題がまだ解決してなかったなんて……うちの両親も諦めが悪いにもほどがあるでしょ!?)
「筋肉ダルマとお見合いなんて無理です」
きっぱりと言い切るアンリエットに、まぁ、と母は目を丸くする。
「アンリはどうしてそんなに筋肉が苦手になったのかしら?」
(家庭環境が問題じゃないかと……)
それを素直に口に出すほどアンリエットもひねくれてはいない。少し変わった親だけど、愛情は確かにあるのだ。
「筋肉隆々の好青年なんて、お母様なら喜んでお見合いするのに。お父様とのお付き合いのきっかけもね、お父様の僧帽筋がそれはそれは素敵で……」
……かなり変わった親だけど。
母はうっとりと若かりし頃の父の筋肉に思いを馳せては、隣に座るさらにたくましさの増した父の筋肉を愛でる。外見は少女のように愛らしく小柄なのに、この母が一番の変わり者かもしれない。
(こういう人だからこそうちに嫁いできたんだろうけど……)
「アンリエットは見た目は母親似なのに中身は
誰に似たんだろうなぁ」
不思議そうに父が首を傾げる。
ファビウス家のおそるべき筋肉遺伝子はアンリエットにはあまり引き継がれなかったらしく、アンリエットは筋肉がつきにくい体質だし、一族の中ではひときわ小柄だ。女性の平均身長にはぎりぎり届いている、という程度ではファビウス家においては小柄と言われる。
「……父様があたしを筋肉で押しつぶさなければ少しはマシだったかもしれないけど」
「それは悪かったと思っている。だが仕方ない。愛も筋肉も溢れてしまったんだ……!」
「父様はそこをもっと反省するべきですよね!?」
危うく子どもを圧死させるなんて笑い話にもならない。そもそも筋肉は溢れたりしない。
「ディオンでは平気だったからなぁ……」
「兄様とあたしを比べてもあたしがチビでひ弱なのはわかりますよね!?」
典型的ファビウス家の子どもであるディオンと、見た目だけは母親に似たアンリエットでは耐久性が違うということにも気づけなかったのだろうか!
「とりあえず」
ぱん、と手を叩いた母にアンリエットが注目する。
「アンリエットがいる間に一度会うくらいはしましょうね? 会いもせずにお断りするなんて失礼ですからね」
反論は認めない、とにっこり微笑む母に、アンリエットは大人しく諦める他なかった。
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