その21:あなただけは特別で

 第一騎士団がいたのは偶然ではなかった。

 門番のことも考えれば、アンリエットとベルナデットの計画を陰ながらフォローしていてくれた、と考えるべきだろう。


「ええと……それは、あたしだけでは頼りないからですか?」


 護衛としてはアンリエットだけでは不足だ。

 もちろんそんなことは分かっているけれど、自分で声に出すと少しだけ落ち込む。

 声を落とすアンリエットに、ベルナデットはきっぱりと即答した。

「そんなわけないでしょう。……いえ、念には念を入れて頼んでおいたのだけど、第一騎士団には手は出さないように命じていたわ」

 だってそれじゃあ、お忍びって感じじゃなくなるもの、とベルナデットは不本意そうに告げる。たくさんの護衛を引き連れてのお忍びなら、きっと強く望めば実現した。

 しかしそれは、ベルナデットがやりたかったことではない。アンリエットも、それは分かっている。

「アンリを信頼していないわけではないの。ただわたくしは、安易すぎる行動はできない。かといって、騎士たちに邪魔をしてほしくもなかった。……だから第一騎士団に頼んだの。彼らは変装が得意でしょう?」

 彼らならアンリエットに気づかれず、最後まで護衛をすることができる。アンリエットが気づかないものに、ベルナデットが気づくはずもない。

 いるのにいないように、護衛の存在を意識することもなく、ただその身だけは確かに守られる。

「アンリについては、むしろよくこの短期間に一人で準備から何までやったって、オーギュストは感心していたのよ」

「そ、それはありがとうございます……?」

 第一騎士団の団長に認められたのだから胸を張るべきだ、と言わんばかりのベルナデットにアンリエットは苦笑する。


『ではなぜ、他の者に協力を求めなかったんですか?』


 苦笑いの奥で、セルジュの言葉が蘇る。

(……本当は、あたしがやらなくちゃいけなかったんだ)

 馬鹿正直に全部一人でやらなきゃなんて考えて、結局のところベルナデットがこっそりと手配してくれていたのだ。

 ふと、アンリエットは思い出した。

 人身売買の疑いのある男たち。まさかあれは仕込みだったりしたらどうしようか!?

(あ、あんなに必死になって逃げたのに!?)

「ま、まさかあの男たちまで第一騎士団だったってことはないですよね!?」

「もちろん違うわ。だから予定外だったの」

 あの男たちは正真正銘の犯罪者よ、とベルナデットはため息を吐く。

 良かった、と思うのは不謹慎だろうか。しかし結果的には犯罪者を捕らえることかできたのだから良かったのかもしれない。

「あなたとセルジュ、いつまで経っても進展しないんですもの。だから第一騎士団にはただの護衛に徹してもらうつもりだったんだけど、ちょっとお節介をしようと思って」

「お、お節介……ですか?」

 そうよ、とベルナデットは頬を膨らませる。

「あのあと本当はセルジュとばったり会って、わたくしのわがままで二人きりで買い物に行かせるつもりだったのに」

 デートでもすれば良い雰囲気になるだろう、と密かに計画していたらしい。

「裏路地へ向かったのはあのあたりにセルジュがいるとわたくしは知っていたから。そこで偶然会う予定だったのよ」

(だから裏路地に行きたがったんですね……)

 少し違和感があったベルナデットの行動も、納得がいく。しかしそれも、あの時は城下を楽しんでいるからだろうと思えば吹き消せるほどの違和感だった。

「そ、そんなことを考えていらっしゃったんですね……」

「だって、周りがどうにかしないとあなたたちお友達のままなんじゃないかしらって」

「お友達ですから! その、あたしとセルジュ様はそういうのじゃありませんから!」

 周りがアンリエットとセルジュの関係をあれこれ邪推して楽しんでいるのは勝手だが、さすがに誤解されてはセルジュに申し訳ないとアンリエットは慌てて否定する。

「……本当に?」

 確かめるように問われ、アンリエットは口籠もった。

 ベルナデットの目は誤魔化すような類の回答は許さない、と言っているようで、アンリエットは言い訳をするように口を開いた。

「そ、そりゃ、セルジュ様は素敵な方ですし、ドキドキすることもありますよ? さっきだってちょっと心臓が壊れそうなくらいでしたけど」

「さっき? さっきってどういうことかしら?」

 ベルナデットはしっかりと聞き逃さず、食いついてくる。至近距離でのセルジュを思い出して、アンリエットは顔を真っ赤に染めた。

(あれは近かった……! 大胸筋が目の前に……! でも……)

 筋肉が目の前にあったのに、怖いという気持ちよりもドキドキと落ち着かなくさせられていた気がする。オーギュストと同じ状況になったら間違いなく気絶しているだろう。

「男たちに追われているときにセルジュ様に助けていただいたんですよ。二人で隠れたのは……ちょっと、近かったですけど」

 かなり、と言いかけたがそこは濁しておこうと慎重に言葉を選ぶ。

「あったんじゃないの刺激的なことが!」

 ベルナデットは目を輝かせる。やはり年頃の少女だからこういう話は好きなのだろう。

「確かに刺激的といえば刺激的でしたね……あんなに筋肉と接近したのは何年ぶりか……。セルジュ様も細身なのにやっぱり男性なんですね……」

「そういう刺激的ではなく……あら、でもアンリ?」

「はい?」

「セルジュは平気なの?」

 今更の問いかけに、アンリエットは首を傾げる。

「平気……って、セルジュ様は以前から傍にいても平気ですけど」

 だからこそ穏便に友人でいられるのだ。

 セルジュはあからさまな筋肉ダルマではないので抵抗感が薄いのだろう。アンリエットが男嫌いなのではなく筋肉嫌いなのはベルナデットも知っているはずだ。

「そうではなくて。あんなに大嫌いなものでも、セルジュなら平気なの?」

(あれ?)

 ベルナデットの問いに、アンリエットもその違和感に気づく。

 目の前に大胸筋、すぐ横には上腕二頭筋。いくら細身で一見すると筋肉とは感じなくても、あれだけの距離だと騎士服の下のたくましさは嫌でも感じる。

 大嫌いな筋肉があれだけ近くにあって、トラウマの圧死を思い出してもおかしくない状況だったのに、アンリエットが感じていたのは恐怖よりもむしろ――


 包み込むような体温と、

 ひそめた呼吸の音と、

 シトラスの香りで。


「あ、あれ……?」

 今だって思い出すとじわじわと顔が熱くなる。アンリエットは赤いままの頬を隠すように両手で包み込む。

(セルジュ様だと筋肉も嫌ってわけじゃなくてむしろドキドキして落ち着かなくて心臓が死にそうで……それってつまり……セ、セルジュ様は特別ってことに……なる……?)

 筋肉嫌いが治ったわけではないのは、先ほどオーギュストと対面した際に嫌というほど実感している。

 けれどセルジュの場合、怖くはない。

 オーギュストの筋肉を視界に入れないようにと彼の背に隠れたりもしてしまったが、あの時だって思えばセルジュの筋肉は目の前だった。あの場でパニックになっていたら、セルジュの腕にしがみつくことだってあったかもしれない。

 それを想像してみても、ちっとも嫌ではないのだ。

(あ、あれぇぇぇぇ……!?)

「……ようやく自覚したみたいね」

 呆れたようなベルナデットの声に、アンリエットはますます恥ずかしくなる。しかし真っ赤に染まった顔は落ち着く気配がない。

「これで少しは進展したことになるのかしらね……」

 ふぅ、とようやくひと安心だろうかという顔のベルナデットとは対照的に、アンリエットは頭が爆発しそうなほどぐるぐるしている。

「し、進展というかなんというか……あれ!? 第一騎士団に知らせていたってことは、もしかしてセルジュ様はこのことを知って……!?」

 どこからどこまでセルジュが知っているんだとアンリエットは今度は真っ青になる。忙しなく顔色を変えるアンリエットに、ベルナデットは「落ち着きなさいな」とやわらかな声で答える。

「知っているわけないじゃない。それじゃあ意味無いでしょう。彼にはわたくしのことすら教えてないはずよ」

(そういえば詳しく話したときも初耳って感じだったもんね……)

 詳しく話を聞いても? と問うてきた彼はアンリエットがあの場にいたことも知らないようだった。思い返すと再び思い出してはいけない諸々を思い出して体温が急上昇する。

「……それにしても、ベルナデット様らしくありませんね? こんなわがままをおっしゃるなんて」

 思い出すと思考停止しかねないので体温とか香りなどを今は振り払って、アンリエットは姿勢を正した。

 ベルナデットは今までこんな風に私的な理由で騎士団を動かしたことは無い。親衛隊ですらこんなわがままに振り回されたことはないだろう。

 そうね、とベルナデットは笑った。

 いつの間にか動き出していた馬車は、王城の門をくぐろうとしている。小さな窓からそれを見つめ、ベルナデットは呟いた。


「……たった一人のお友達の恋の行く末くらい、きちんと見届けたかったのよ」

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