その20:王女様の秘密の企み

 それは時を遡り、昨日のことになる。


「事前に相談していた件なのだけど、それに一点追加してもよろしいかしら?」


 その日の主役であるベルナデットは、第一騎士団の団長であるオーギュストを呼び出してそう告げた。

「内容によります」

 渋い顔のオーギュストは安請け合いはしなかった。相手が王女だとしても、簡単に頷いてしまえることではない。

 なんせベルナデットの「事前に相談していた件」というのは、とある女性騎士と二人だけで城下へ行きたいので邪魔せず、気配を悟らせず、手を出さず、ただ見守れというものだったのだ。

「そちらにとっても悪いことじゃないと思うわ」

 ベルナデットはふふ、と微笑む。艶やかと言ってもいいその微笑みは、女性としての色香を漂わせていて、ベルナデットの年頃の少女としては大人びている。

「うちの騎士と、そちらの騎士。いいかげんにじれったいと思わなくて?」

 ベルナデットは名前は言わなかった。

 しかしオーギュストには誰のことだかすぐにわかった。

 アンリエットとセルジュのことだろう。セルジュが珍しく女性と親しくしているということはオーギュストの耳にも届いていたし、忙しくあまり自由な時間が取れずにいる時のセルジュの不機嫌さには驚いたものだ。

 いいかげんにじれったいと思わないか、と問われればそれはもちろん是である。

「そうですね」

「あの二人、このままではなんの進展もしないと思うの。だから明日、出かけている時にばったり遭遇するとかそういうことをしたいのよ」

 だからセルジュを明日城下に配置して欲しい、ということなのだろう。

「もともと明日は全員でベルナデット王女の護衛にあたる予定です」

 アンリエットには気づかれないように王女の護衛をするとなれば、通常のように腕のたつ者をしっかり張り付かせておくというわけにもいかない。一般人に紛れ込ませておいたり小細工がいる。

 ルイーズやセルジュのような派手な人間は普段のままの姿になるだろうが。

「ついでに何かハプニングがあったら完璧なのだけど、何かいい案はない?」

「我々を大道芸人か何かと勘違いしておられませんか」

 変装をすることもあるからなのか、ベルナデットの第一騎士団に対する認識がどうもおかしい気がする。

「あらやだ、我が王国の優秀な騎士様たちだと思っていてよ?」

 どうだか、とはさすがに言えなかった。

 いや、優秀だという評価は間違いないのだろう。ベルナデットは少女と呼べる年齢ながらも観察眼はしっかりしているし、公平だ。だからこそ他国の王妃となる姫に選ばれた。

「……とはいえ、たかが騎士一人に対してそこまでされるんですか?」

 公平な姫だからこそ、疑問も浮かぶ。

 アンリエットという騎士に対するベルナデットの行動は、稀に行き過ぎていると言えなくもない。

 ベルナデットは笑った。ふわりと花咲くような、少女らしい笑顔だった。

「アンリはわたくしの友人だもの」

 きっぱりと、清々しいほどはっきりとベルナデットは言い切る。

「だから、わたくしが嫁ぐ前にまとまるものはまとまってくれないと、安心してお嫁に行けないじゃない?」




 広場に辿り着くと、馬車を取り囲む騎士の集団がすぐに目に入った。王家と分かる馬車ではないものの、その様子から高貴な方が乗っているらしいと市民は興味を示している。

「セルジュも一緒か」

 戻ってきたルイーズに気づいたオーギュストが不機嫌そうなセルジュを見る。そして最後にアンリエットを見た。

(き、筋肉ー!?)

 アンリエットは思わず引き攣りそうになる顔を唇を引き結んで堪えた。なんとも微妙な顔になっていることは分かるがそうでもしないと目の前の筋肉の塊に悲鳴をあげる。

(遠目からしか見たことなかったけど、第一騎士団の団長さんってこんなに筋肉だった!? うちの父様や兄様も負けるかもしれないほどの! 騎士服がはちきれそうな筋肉! 今すぐ逃げたい!!)

 冷や汗が流れてきたアンリエットを見て、オーギュストは気の毒そうな顔をした。

「……君の体質は聞いているが、難儀なものだな。そう我慢しなくてもいい」

「……で、でしたらその、それ以上は近寄らずにいてくださると……助かります」

 あと一歩近づいただけでもその筋肉の圧力にアンリエットは悲鳴をあげる。幼少期の圧死しかけたトラウマが蘇ってきそうだ。失礼だとは思いつつも、そっとセルジュの背に隠れて視界に入らないようにしてしまう。

 ふわりと香ったシトラスに、ほっとしてしまうのがなんとも情けない。

 防波堤にされたセルジュは心なしか機嫌がよくなっていることに、アンリエットはまったく気づいていない。第一騎士団の団員が呆れたように、あるいは見守るように生暖かい目で二人を見ている。

「王城に戻るから君も馬車に乗りなさい」

「え、でも私も警護に……」

 オーギュストにそう声をかけられて、アンリエットは困惑する。プライベートで城下に買い物に来たというのなら別だが、今アンリエットは正しくは勤務中なのだ。城を抜け出してきているけれど。

「私服の君が我々に紛れていると目立つからね」

「あ、はい……そうですね」

 馬車の周りを取り囲んでいるのは騎士服を着ている者だけだ。その中でグレーのワンピースを着ているアンリエットは一見、ただの一般人にしか見えない。

(まるであたしが何かやらかして連行されるみたいな……いや、間違っていないか)

 馬車に乗ろうかと顔を上げたところで、アンリエットはようやくセルジュの背にしがみつくように隠れていたことに気づいた。筋肉を視界に入れないようにと必死になっていたのだ。

「あ、え、えっと、すみませんセルジュ様……」

 壁にしてました、と素直には言えないが、アンリエットを見下ろすセルジュはくすくすと笑っていた。

「気にしてませんよ。団長は確かにあなたの苦手なタイプですし」

(あ、もしかしてセルジュ様、もう怒ってない……?)

 先ほどまではぴりぴりしていたと思うのだが、今ではいつものセルジュに戻っている。今回の一件ですっかり呆れられたのだと思ったのだが、そうではないのだろうか。

「あれ? 今日の門番の……?」

 不思議そうに頭をひねっていたアンリエットがふとセルジュ越しに一人の騎士を見つける。王城を出る時に門番をしていた青年だった。

 ――ここにいるということは。

「まさか第一騎士団の……? え? なんで?」

 第一騎士団の騎士が門番なんてしているはずがない。そして、ただの門番がここにいるはずもない。彼がここにいるのなら、可能性としては第一騎士団の人間であるということのほうが高い。

「……種明かしはご本人から聞くといい」

 オーギュストがアンリエットから目を逸らして馬車の戸を開けた。

 ご本人、ということはつまり、ベルナデットから聞けということなのだろう。


 馬車の中でくつろいでいたベルナデットは、その装いはただのワンピースなのにも関わらず、すっかり『王女』に戻っていた。

「良かった、無事だったのねアンリ」

 アンリエットの顔を見るなりほっと表情を緩め、向かいに座るようにと促した。アンリエットが同乗することは既にベルナデットも承知しているらしい。

「……申し訳ありません。せっかくの一日が台無しになってしまって」

 ベルナデットが裏路地へ行くと言い出した時に止めていれば、城下のお忍びのお出かけは比較的穏便に終わっただろう。城に戻ったあとで大騒ぎにはなったかもしれないけれど。

「アンリが気にすることではないわ。予定外のことが起きたのは残念だったけれど……」

 じ、とベルナデットはアンリエットを見つめてきた。探るようなその目に、アンリエットは首を傾げる。

「セルジュと偶然会ったのでしょう? 何か進展はあった?」

 なぜセルジュと会ったことをベルナデットが知っているのかは謎だが、馬車の外の会話が聞こえていたのだろうか。

「進展……? いえ、その、むしろお叱りを受けたくらいですけど……?」

「お叱り? なんでそうなるの?」

 むぅ、とベルナデットが眉を寄せた。

「ベルナデット様を危険な目にあわせたんですから、お説教は当然ですよ」

 セルジュを擁護するわけではないが、アンリエットは不満げなベルナデットを宥めるようにやんわりと答えた。

(ベルナデット様を連れ出したから怒られた、というより、あたし自身の態度を叱られたんだけど……)

 未だにアンリエットはセルジュの言葉が受け入れられずにいる。だって、自分の実力を過信なんてするわけがない。まだまだだと思うことばかりなのに。

「もう! 街で偶然会うより刺激的な展開になったと思ったのに!」

「し、刺激的……?」

 どうにもさっきから会話が噛み合っていない気がする。

 ベルナデットが子どものように頬を膨らませたあと、アンリエットを見る。


「第一騎士団が城下にいたのは偶然ではなくて、わたくしがそう命じたのよ」


 なぜ第一騎士団が門番などしていたのか。

 なぜ偶然にもルイーズやセルジュと遭遇したのか。

 思えば違和感だらけだった。オーギュストの言っていた種明かしとはこのことなのだろう。


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