その19:お説教と嫉妬と

 アンリエットがベルナデットからのお願いも含めたすべてを説明し終えると、セルジュは長く重いため息を吐き出した。

 バレた時にはこうなると覚悟していたとはいえ、こうも早くそれが訪れるなんて思っていなかったし、アンリエットは気まずそうに目を落とす。……セルジュの顔を見ようとするとその距離の近さに落ち着かなくなるから、という理由もあった。

「あなたは騎士として間違いを犯しました。護るべき対象を危険に晒すなんて恥ずべきことです」

「……はい」

 セルジュの言うことは正しい。アンリエットはしゅんとしながらもそれを認めた。お説教も甘んじて受ける。

(ベルナデット様にお願いされたときから、騎士なら、本当ならこの願いを叶えるべきじゃないことくらいはわかってた)

 しかしセルジュはそんなアンリエットを見て、もう一度静かに息を吐き出す。怒っているだけではなく呆れるような、その様子にアンリエットはびくりと肩を揺らした。

「王女を外に連れ出したことが間違いだったのではありません。自分の力を過信しすぎたことがあなたの間違いです」

(え?)

 セルジュの言葉に、アンリエットは目を丸くする。

 ベルナデットを城下へと連れ出したことを、誰もが責めるだろうと思っていた。事実それはあってはならないことのはずで、それを無視してアンリエットはベルナデットの願いを優先した。

 だから、アンリエットが誤った選択をしたというのなら、それしかない。それしか、というよりも、それがそもそも間違いであったはずなのだ。

 しかしセルジュはそうではないと。アンリエットの間違いは、自分を過信したことだと言う。

「そ、そんなつもりは……」

 アンリエットは自分自身を過大評価したことは一度もない。必要以上に卑屈なわけでもないが、自信に満ち溢れているわけでもないのだ。

 ゆるりと首を振るアンリエットに、セルジュは怒った顔のままさらに問う。

「ではなぜ、他の者に協力を求めなかったんですか?」

 なぜ、なんて。

(そんなの……)

 目を落とした先の、路地裏の片隅で咲く花を見つける。そんなところに咲いても、誰も見てくれないのに、とアンリエットは自分と重ね合わせた。

 着飾ったところでそれを喜ぶ人はいない。努力を積み重ねたところで、小さすぎる花は大輪の花には勝てない。

 それでもベルナデットは願ったから。アンリエットと友人になりたいと。アンリエットに城下へ連れ出してほしいと。

「反対されるに決まってますから」

 誰に相談したところで、素直に賛成してくれるはずがない。騎士としての未来が潰えてもおかしくはないことをしでかすのだから。

 親衛隊の皆を説得するには時間はなかったし、何よりベルナデットが頼んだのは友人としてのアンリエットだ。

 願いを叶えると言ったのだから、それはアンリエットがやらなければ意味がない。

 セルジュは、アンリエットの返答に眉を顰めた。「そんなに」と少し悔しげとも言える声音で口を開く。

「……俺は信用ありませんか? 第一騎士団なら王女にバレずにお忍びのまま、最後まで安全に護衛できました」

 セルジュの言葉を理解するまで数秒かかった。

 そして、第一騎士団という単語にアンリエットは大慌てで「いやいやいや!」と首を振った。

「だ、第一騎士団に協力いただくなんて! そんなことできるはずないじゃないですか!」

 セルジュを信用している、いないの問題ではない。

 アンリエットが、いくら王女が絡むとはいえ自分の都合で他の騎士団に相談を持ちかけるなんてありえない話だ。

「王女に関することですよ? それなら第一騎士団が動いてもおかしくありません。そしてあなたには俺という伝手もあったのに」

 セルジュが目を伏せる。

 銀色の長い睫毛がその紫の瞳に影を落として、どこか悲しげな色を宿した。

 ただアンリエットはセルジュを第一騎士団への伝手のひとつだなんて、そんなふうに考えたことがないだけだ。

(だって、友人ってそういう打算的なものじゃないでしょう……?)

 認識が違う、とアンリエットは思う。

 アンリエットはベルナデットの願いを友人として叶えたかった。だからこれは、アンリエットにとってプライベートなのだ。

 プライベートで国の騎士団一つを動かすなんて、そんなこと考えるはずもない。

「……それほど、あなたにとって俺は頼りない男でした?」

 その声はまるで、頼って欲しかったと言っているようだった。

 だから今、頼ってもらえなくて悲しいと、セルジュはそんな顔をしている。

(頼りないなんて)

「そんなことは……」

 そんなことはないと、否定しようとするアンリエットの髪に、セルジュの手が触れる。

 否、正しくは、アンリエットの髪を飾る白いレースのリボンに。

「セ、セルジュさま……?」

 ちょっと近すぎじゃないですか、とアンリエットはかすかに震える声でセルジュの名を口にする。しかしセルジュは一向にアンリエットとの距離を変えようとしない。

(だって、もう隠れてなくてもいいはずだよね……?)

 アンリエットを探す男たちの気配は遠ざかって、しばらく経つ。身を隠しながら説明したものの、そろそろ他の騎士と合流してもいいはずだ。ルイーズのもとにいるベルナデットのことも気になる。

 しかしセルジュは無言のまま、アンリエットの髪のリボンを撫でるように触れる。

「……リボンは、つけないんじゃなかったんですか」

 すぐ目の前にある綺麗な顔が、子どものように拗ねた顔をしている、ような気がする。

(拗ねてる……!? でもなんで? 怒ってたよね!? 呆れてたよね!?)

 珍しくセルジュの表情がころころと変わるので、アンリエットは混乱していた。だって、あのセルジュが拗ねるなんて。


「それで、あなたたちはいつまでそこに隠れているつもり?」


 どうしたらいいのかとアンリエットが困っていると、冷ややかな声が二人の間に割って入った。

 一人の美女が身を潜めていたアンリエットとセルジュを見ている。

「……ルイーズ」

 氷のように冷たい声でセルジュは美女の名前を吐き出した。先程のルイーズの声と負けず劣らずの冷ややかさだ。

思わずアンリエットは身を縮めて二人の顔を見る。

(び、美人が怒ると怖いなぁ……!)

 どうやら今の怒りの矛先は自分ではないらしいので、アンリエットも多少平静でいられる。先程までのセルジュも怒っていたけれど、こんなに冷ややかではなかった。

「例の男たち、ちゃんと捕らえたわよ」

 ルイーズは睨み合っていたセルジュをまるっと無視して、アンリエットに告げる。

「本当ですか! ありがとうございます!」

 吉報にアンリエットは笑顔になった。男たちの悪事はこれから洗いざらい吐かせることになるだろうが、これで一安心だ。

 セルジュは聞こえないほど小さく息を吐き出して、そっとアンリエットから離れた。シトラスの香りが遠ざかったことに名残惜しさのようなものを感じながらも、ほっとする。

「それで、ベルナデット様は……?」

 やって来たのはルイーズだけだ。彼女と共にいるはずのベルナデットの姿はない。

「広場にいるうちの騎士たちと一緒よ。あなたが全然来ないから探してきて欲しいと頼まれたの」

「そうでしたか……」

 第一騎士団と共にいるのならベルナデットの安全は確かだ。よかった、とアンリエットは呟いてようやくすべての緊張から解放された。


 広場でベルナデットや騎士たちを待たせているからと急ぎ足で向かいながら、アンリエットはふと思った。

「……それにしても、第一騎士団が総出で城下の警戒にあたっていたんですか?」

 いささか妙な話だ。少数精鋭とはいえ、本来第一騎士団の仕事ではないのにそんなに人数が割かれるなんて。

 それがたまたま今日だったことで救われたわけだが。

 ルイーズはちらりとアンリエットを見たあとで、遠い目をした。

「予定ではこんなことにはならないはずだったんだけどねぇ……」

 それはアンリエットの問いに対する回答というよりは、独り言のようだった。首を傾げるアンリエットに、ルイーズは「なんでもないわ」と苦笑していた。


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