その18:乙女心と大胸筋
「大通りに出たら広場へ向かいましょう。王城に戻っても途中の道は人気がなくなる一方だもの」
人通りが多いのはさきほど歩いた露店が並ぶ大通りだ。その先には広場がある。
多くの人の目がある場所まで行けばあの男たちも大袈裟なことはできない。人混みに紛れてしまえば逃げ切ることもできるだろう。
気持ちを切り替えたベルナデットは、やはり気高くうつくしい王女だった。着ているものはお古のワンピースでも、胸を張り前を向く姿はどんなドレスを着ているよりも頼もしく誇らしい主だった。
「そうですね。ベルナデットのおっしゃるとおりです。広場なら最低でも一人は近くに騎士がいるだろうし、行く途中で騎士を見つけられるかも……」
「早くしろ! 赤毛の女だ!」
相談しているところに、男たちの声が聞こえてアンリエットは思わず自分の口を塞ぎ、息を殺してベルナデット二人、さらに小さくなって物陰に隠れた。
(やっぱりあたしを目印にしてるか)
そんな気はしていた。深く帽子を被っていたベルナデットは、おそらく顔も覚えられていない。だがアンリエットはしっかりと目が合ったし、目印にもしやすい鮮やかな赤毛だ。アンリエットが探す側でもそうする。
(このまま一緒にいるほうが、ベルナデット様にとっては危険かもしれない。早く騎士を見つけられるといいんだけど……)
しかしそうするにも、ベルナデットを一人にするわけにはいかない。腕の立つ騎士を見つけなければダメだ。万が一のことがあったときに、ベルナデットを守りきれるような人物でなければ。
(そんな都合のいい人、いるはずないけどさ……!)
しかし天も少しはアンリエットに味方してくれたのだろう。
物陰から出て大通りを目指そうと顔を出した時だった。
アンリエットの目に、知っている顔が飛び込んでくる。
「ルイーズ様!」
そこにいたのは第一騎士団の紅一点、ルイーズ・ロジェだった。
振り返った美女は、アンリエットの姿をとらえる。
(しまった、知り合いでもないのにいきなり不躾だったかも)
そんなことを気にしている余裕がなかったのだが、振り返った瞬間のきょとんとした、言ってしまえば「誰だっけ?」みたいな顔をされるとアンリエットも嫌でも我に返る。
「えっと……あなた、この間セルジュと一緒にいた子よね? それに……!?」
アンリエットの隣にいるベルナデットを見て、ルイーズは驚いていた。しかし咄嗟にベルナデットの名前を出さなかったあたりがさすがというべきだろう。
「すみません、事情を説明している暇がなくて……ルイーズ様は、どうしてここに?」
「近頃物騒なことが多いから、第一騎士団も城下を見回っているのよ。セルジュから聞いてない?」
「任務の内容は機密事項だと思いますけど……」
セルジュはそんな重要なことを世間話で話すような人ではない。
(でも良かった、ルイーズ様ならベルナデット様は安全だ……!)
ほっとしたところで、また遠くから男たちの声がした。「赤毛の」という単語が聞こえて、アンリエットは顔を強ばらせた。その表情で、ルイーズがおおよそのことは察したのだろう。
「……追われているの?」
「いかにも怪しい男たちの、聞いたらまずい取引の会話を聞いてしまって……」
おそらく男たちが人身売買に関わっているらしいことは会話から推測できるが、それをここで丁寧に説明する暇はない。
「ルイーズ様、あたしが囮になって男たちを引きつけますから、その間にベルナデット様を広場まで連れて行っていただけますか」
「広場に?」
「その方が応援の騎士も見つけやすいでしょうから。あたしはこのあたりを走り回って時間を稼ぎます」
「そんな……! アンリも一緒に行けばいいわ!」
「ダメですよ、ベルナデット様。あたしの髪は目立ちますし、見つかる可能性が高まるだけです。御身の安全を一番に考えてください」
危険な役目だとは分かっている。
だがここで尻込みするようでは騎士など務まらない。
「……分かった。時間稼ぎは五分でいいわ。あとは見つからないように隠れていなさい」
「はい」
しっかりと頷くと、アンリエットは路地を飛び出した。
男たちは裏路地を走るアンリエットを見つけると、思ったとおり食いついて追いかけてきた。
(気を引くためにはあたしが大通りに逃げるわけにはいかない。ルイーズ様が言っていたとおり五分は裏路地を走り回らないと)
その五分の間にルイーズはベルナデットを連れて裏路地から離れ人混みに紛れるだろう。もしかすれば応援の騎士を見つけることも出来ているかもしれない。
(とはいえ、五分間全力疾走はキツイ……!)
息を切らしながらアンリエットは走り、時折積み重ねられた空箱を崩して障害物を作った。男たちの罵声がアンリエットの背を追いかけてくる。
ワンピースの裾が足に絡まる。こんなことになると分かっていたらもっと動きやすい格好できたのに、とアンリエットは舌打ちをしながらスカートをたくしあげる。
(そろそろ五分経った?もう大丈夫かな……?)
曲がり角を利用しながら少しずつ大通りのそばへ移動する。全力疾走しているのは向こうも同じだ。
(もう無理、キツイ……!)
はぁ、と酸素を吐き出しながら後ろを振り返る。男たちの姿は見えなくなっているが、遠くから叫び声は聞こえる。まだ撒けたとは言えないだろう。
どこかに隠れようと速度を落とした時だった。
物陰から伸びてきた腕がアンリエットの身体を引き寄せる。飛び出しかけた悲鳴は大きな手で口を塞がれ声にならなかった。
(仲間がいたの……!? こんなところに!?)
激しく抵抗しながらアンリエットが口を塞ぐ手に噛みつこうとするが、力が強くてアンリエットではまるで歯が立たない。ならばどうにか鳩尾か男の急所でも狙ってやろうかと考えていたところで、頭上から声が降ってきた。
「アンリエット」
自分の名を囁く声に、アンリエットは抵抗をやめた。
(え? 嘘、どうして?)
暴れなくなったアンリエットに、相手も拘束を緩める。そろそろとアンリエットが見上げた先には、天使かと見紛う綺麗な青年が険しい表情を浮かべていた。
(セ、セルジュ様……!)
聞き間違いでなかったことにほっとして、力が抜ける。しかしすぐに男たちの気配がしてアンリエットの身体は強ばった。
「静かに」
セルジュがアンリエットを隠すように覆いかぶさってくる。壁に背をつけたアンリエットは、今度は自分で自分の口を塞ぎながらこくこくと頷いた。そうでもしないと驚いて悲鳴をあげかねない。
(ち、近い近い近いー! 目の前に大胸筋!! 顔の横には上腕二頭筋ー!! そして見上げたら恐ろしいほどの美形ー!!)
これでパニックになるなという方がどうかしている。呼吸音すら聞こえる距離だ。異性とこんなに近くまで接近したことなど生まれて初めてだし、筋肉を前にしてここまで意識を保てたのも初めてかもしれない。
(ていうかセルジュ様ったら男の人なのにすっごいいい香りがするぅぅ!? まって、あたし汗臭いんじゃないの!?)
シトラス系の爽やかな香りがする。対するアンリエットは全力疾走のあとなのでじわじわと汗が吹き出しているところだ。
(落ち着け心臓! 今はそれどころじゃないから!!)
「おい、いないぞ!」
アンリエットを探す男たちの声に、息を止める。
セルジュの身体がより近くなる。アンリエットはもうほとんどセルジュの胸に顔を埋めているようなものだ。
(あたしを隠そうとしてくれているのは分かるけど、近い! 近いですセルジュ様ー!)
目の前の大胸筋に心臓が悲鳴を上げている。
(……って、あれ? 緊張するしドキドキしてるけど、でも別に嫌って感じじゃ……)
「くそ、どこへ行きやがった!」
すぐ側で聞こえた声に、ぐるぐると渦巻いていた乙女心は大人しくなった。男たちが通り過ぎて行くまでセルジュと共に警戒しながら息を殺す。
足音が遠ざかり、罵声も聞こえなくなる。
危機は去ったらしい、とアンリエットがふぅー……と息を吐き出した。脱力してそのまま座り込みたいところだったが、セルジュとの距離は変わっていない。
「アンリエット」
名前を呼ばれ、セルジュを見上げる。
「詳しく話を聞いても?」
「……はい」
どうやらセルジュは怒っている、らしい。
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