その17:騎士の仕事

 賑わう店内の中で、ベルナデットは真っ先にリボンを見に行った。

「何色がいいかしら?」

「そうですねぇ……」

 ベルナデットだけなら青とかが似合うと思うのだが、お揃いとなるとアンリエットにもそれなりに合う色の方がいいのだろう。

(でもあたしはリボンなんて使わないしなぁ……)

 やっぱりベルナデットに合わせたほうがいいだろうか、と水色のリボンを手に取る。銀糸で刺繍してあってとても綺麗だ。

「それは綺麗だけど、アンリには合わないわ」

「あたしの赤い髪とベル……さま、の髪じゃ同じ色のリボンは難しくないですか」

 思わずいつものように名前を呼びそうになって、アンリエットは声を小さくした。万が一ということもあるし、ベルナデットの名前を出すわけにはいかない。

「それもそうねぇ……なら、色違いにしましょうか」

 ほら、とベルナデットが手に取ったのは白いレースのリボンと、紺のレースのリボンだった。白はベルナデットの白銀の髪には合わないから、こちらがアンリエットの方なのだろう。

「可愛すぎないですか? あたしには似合わないと思いますけど……」

「アンリはわたくしの見る目がないと言いたいの?」

「いや、そんなつもりはないですけど……!」

 じとり、とベルナデットに睨みつけられ、アンリエットは大慌てで否定する。

「じゃあ決まりね?」

 有無を言わせぬ笑顔でベルナデットがリボンを決める。会計はアンリエットが支払った。ベルナデットはこうして店先で買い物をするにも勝手がわからないからだ。それぞれ別の袋に入れてもらったが、ベルナデットが嬉しそうに両方受け取っている。

 もしかすると似ていない姉妹の買い物にでも見えるだろうか、なんてアンリエットは思った。

 ありがとうございました、という店員の声に見送らせて店を出る。

「ねぇアンリ、少し背を向けて屈んでくれる?」

「はい?」

 言われたとおりにベルナデットに背中を向けて、少し屈む。するとベルナデットはアンリエットの赤い髪に手を伸ばして、先ほど買ったばかりの白いレースのリボンをアンリの髪に結んだ。今日もいつも通りのポニーテールだったのだが、髪と一緒にリボンが揺れた。

「うん、やっぱり似合っているわ。帰るまではずしちゃダメよ?」

 アンリエットは店の窓に映る自分を見た。シンプルすぎるグレーのワンピース。しかし派手な赤い髪にリボンがつくと、少しだけ女の子らしくなったように見える。

(ベルナデット様の命令だし……ね)

 アンリエットも少し浮かれているのかもしれない。ちょっとだけ自分でもリボンが似合っていると感じながら、心の中では自分に言い訳しておく。

「……そろそろ戻りましょうか。もしかしたら大騒ぎになっているかも」

「そうね、残念だけど。……でもそれなら、帰りは裏路地を通ってみたいわ!」

 先ほど通った道を引き返すのではつまらないでしょう? とベルナデットに強請られたらアンリエットもダメだとは言えなかった。

 

 しかしその判断がそもそもの間違いだったのだろう。


「ベルナデット様、あまり人のがいない方は行かないでください」

 寂れた裏路地は、治安がいいとは言い難い。大通りは人目もある分、悪さをするのはコソ泥くらいなものだが、人の少ない場所では小物から大物まで悪者が潜んでいることも多い。

「あら、せっかく城下に来たのだもの、少しくらい冒険しなくちゃ」

 心配するアンリエットの気持ちなどおかまいなしに、ベルナデットは楽しそうに裏路地を進んで行く。そんな様子にアンリエットはひやひやしっぱなしだ。コソ泥程度ならアンリエット一人でもどうとでもなる。しかしそれ以上の大物と万が一遭遇してしまったら――。


「おい、ガキは見つかったんだろうな」


 裏路地の角を曲がろうというときに、地を這うような低い声がしてアンリエットはベルナデットの手を引き、足を止めた。どうしたの、と今にも口を開きそうなベルナデットの口を手で覆い、息を潜める。

「へい、さっき見つけたんで、しっかり躾けておきました」

「…ったく、こっちは早いとここの国を出てガキどもを売り払いたいんだよ」

 男たちの会話に、アンリエットは青ざめた。ベルナデットも状況を理解したのか、表情がかたくなっている。

 エヴラール王国では奴隷を禁止しているし、もちろん人身売買も禁じられている。しかしながら数代前の王の時代では口減らしの為に子を売る親もいたという。そういったものの名残りなのかもしれないし、またはこの男たちがどこからか誘拐してきたのかもしれない。

(あたし一人ではどうにもできない……それに、このままここにいたんじゃベルナデット様が危ない。離れて、近くの騎士に知らせないと)

 見過ごすなんて選択肢はない。

 けれどアンリエットだけでどうにかできることでもない。

「ベルナデット様。ここを離れて騎士に通報しましょう」

「……ええ」

 一度男たちから目を離すことになってしまうが、しかたない。ベルナデットと別行動をとるという選択は初めから存在していないのだから。

 音を立てないようにゆっくりと後退する。ベルナデットと繋いでいる手が、緊張で汗をかいていた。

 男たちに気づかれない程度離れたら走ろう。そう思ってアンリエットは息を呑む。その時だった。

「あっ」

 ベルナデットが足をもつれさせて転んでしまう。壁に立てかけられていた使われていない板や棒切れが大きな音を立てて倒れた。

「誰だ!」

(やっちゃった……!)

 すぐに男たちは角から姿を見せた。アンリエットとしっかり目が合う。それだけで、おそらく男たちは会話が聞かれたことを悟ったのだろう。

 この緊迫する状況で、ベルナデットへの気遣いを忘れたアンリエットの失態だ。落ち着かせながらも、彼女の足元に注意を払うべきだった。

 反省はあとからいくらでもできる。アンリエットの動きは早かった。

「失礼します!」

 転んだままのベルナデットを抱き上げて、アンリエットはすぐに駆け出す。いわゆるお姫様抱っこ、というものをまさか本物のお姫様相手にすることになろうとは。

「おいこら待て!」

「逃がすか!」

 脱兎のごとく逃げ出したアンリエットたちを、男たちが見逃すはずもない。当然のように追いかけてくる。

(残念でした! このあたりの裏路地は頭に入っているわよ!)

 入り組んだ路地を何度も曲がりながらアンリエットは走った。見習い騎士のときには城下街の警邏も仕事のうちだった。女の見習い騎士というのは悪ガキの格好の獲物で、よくイタズラをされては追いかけまわしたものだ。

 ぎゅっと首にしがみついてくるベルナデットの体温に気を引き締めるが、女性一人を抱えて全力疾走なんて十分も持たない。

 一瞬男たちの視界から消えたと確信すると、即座に路地の物陰に隠れた。このあたりはあちこちに物が放置されているのですぐには見つからないはずだ。

「すみません……大通りまで行けたら良かったんですけど。ここで少し様子を見ましょう」

 呼吸を整えながら小声でベルナデットに話しかける。

「……ええ、そうね」

 ベルナデットは悔しげに俯いたまま、小さく答えた。

「……ベルナデット様?」

 首を傾げ、アンリエットはベルナデットを見る。俯いた彼女の表情はアンリエットから伺えないが、白い手がぎゅっとかたく拳を作っている。

「……悔しい。この国にも、こんな人たちがいたなんて」

 ベルナデットの声は怒りに震えていた。

 それはおそらく、男たちだけでなく無力な自分への怒りも含まれているようだった。

 ベルナデットにとって、たった今目の当たりにした現実は、到底受け入れられるものではなかったのだろう。

 エヴラール王国は良い国だ。アンリエットは自信を持ってそう言える。けれど良い国だからといって、悪が完全に消え去るわけではないとアンリエットは知っている。

「ベルナデット様、この国は素晴らしい国です。それは信じてください」

 強く握り締められたベルナデットの拳に、アンリエットはそっと手を重ねた。

「けれど、蝶のいるところには蛾もいます。蜘蛛もいます。善良な人々のいるところに、同じように善良な人たちだけが集まるわけではないのです。蝶を餌にする蜘蛛もいますし、蝶に擬態する蛾もいます」

 アンリエットは少しでもベルナデットに伝わるようにと、訥々と穏やかに言葉を紡いだ。

今日という一日が、ベルナデットにとって悪い思い出にしてはならない。だが、この経験はしっかりと覚えておいてほしい。

 ベルナデットは、これから一国の王妃となる人なのだから。

 悔しさと怒りをたたえた瞳が、アンリエットを見つめた。涙の滲んだその瞳をアンリエットはしっかりと見つめ返す。


「あたしたち騎士は、そんな者達から善良な人々を守ることが仕事なんです」


 強く手を握り返される。わかった、と伝えてきているようでもあったし、任せたと言われた気がした。

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